苦境の時にこそ出会う仕事上の最大のパートナー
みなさまこんばんは。
4月も中旬になりましたけど、結構冷えますね。
お元気でしょうか?
コロナの問題を一言で言えと問われたならば、リスクの評価と対策を定量的に扱っておらず、十把一絡げで国民全体が最大のリスクに等しく対処するようなことになってしまっていることです。
具体的には、真の感染者の把握よりも圧倒的に大多数の人数を検知するPCR検査、感染メカニズムの序列を付けず一様な対策を取っていること、年齢的、地域的なリスクの偏りに対応していないこと、などです。
前回の記事で示したトイレの床を経由する感染経路と生活習慣の差異については、ほんの一例として、こうした”一様対策”を打破するためのきっかけとして書きました。
さて、前回の記事では、今会社の仕事は結構な苦境の中にあるけれども、一方でとてもよい人と出会っていることを書くことを予告しました。
今日はその人のこと、仮にAさんとします、を書きます。
自分の中ではとんでもなく大事なことだし、みなさまにも共有していただきたいことですので、1回ではとても語り尽くせませんし、そんなに簡単なことだとも受け取ってほしくありません。
そこで、今日はまず、基本的な部分のみ書かせていただき、あまり具体的なことは書きません。
Aさんとは1年くらい前からとてもよい関係にあります。
実際に仕事を一緒に遂行する関係でもあり、いろんな仕事上のディスカションをする関係でもあります。
仕事上の価値観、技術系の企業人としての価値観、当社は何をどうすべきかの価値観、マネジャーとはどうであるべきかの価値観、などなど、基本的な考えがとてもよく合いますし、不正や腐敗や保身を正し、困難だが理想な姿を描き目指し、アイデアが豊富であり、経営目線もあり、毎日毎日、問題に処することとと新しい戦略を練り、アイデアを出すようなディスカションをたっぷりやっています。まるで、当社の経営会議をやっているようで、ワクワクします。保身の上司や関係者の糾弾や日々の問題解決もよく話し合います。
一言で言うと、これまでの技術系企業人生で志向してきたものが、僕とほぼ同じであるということです。ですので、保身派の人間たちに悩まされるという超しんどい毎日にあっても、あたかもオアシスのような貴重な人間なのであります。
Aさんは僕よりも6つ下ですが、僕らの場合、年齢はほとんど関係ありません。
では今日は、僕がなぜAさんに惹かれるのかのとても基本的なポイントを挙げてみます。下記のポイントは、僕自身が既に体得できているかどうかは別として、まさに僕が追求してきたものと同じです。
1.目の前に起きた困難や人からの痛烈な指摘は全て意味があると捉える。そして自分が変われるためのありがたいきかっかけと捉えることができる。人生において、人は大きく変わらなければいけないいう節目は少なくとも数回はあるはずだ、という自覚がある。
2.会社人であるゆえ、上司の意向に基本は沿うべきではあるものの、常に「自分が社長のつもりでこの会社をどうするべきなのだ」という経営視点をもつべきであり、まずは自分の考えがあり、その中で会社の方針とどう融合するかという考え方である。場合により、上司の説得を必要とする。
3.いわゆる出世志向とか、上司に取り入るとか、保身の発想は全くない。達観とかではない。そんなことをしても実体面(自己も会社も)は磨かれず、結局は落ちぶれるだけである。
4.マネジャーとは、不可能を可能にする役割だと思っている。
5.技術や特許についての情報収集や研鑽に余念がなく、つねに当社を分析している。
6.もし上司が腐敗しているなら、かえってやりやすくなると考えている。上司は破綻し、自分に責任が回ってくるから。(注:僕はこの発想はありませんでした。最近、Aさんから学んだことです)
Aさんとは、大分前から一緒に仕事をする関係でしたが、1年前までは、今ほどの間柄にはなっていませんでした。
その理由の一つは、お互いにここ1年はとても苦境になったからでしょう。
Aさんも僕も、企業人としてはとても恵まれた時期もあり、また不遇な時期もあり、浮き沈みを繰り返してきました。
ここ数年はとても恵まれていないので、互いに感覚が研ぎ澄まされ、考え方がブラッシュアップされたのだと思います。
こう考えると、苦境はチャンスでもあると思います。
人生の最高のパートナーは苦境だからこそ出会うと言っても過言ではないでしょう。
実は、我が身を顧みますと、僕も保身型の人間(僕が今戦っている相手のような)になっていたかもしれなかったのです。
そんな僕を変えるきっかけとなったの一つとなった出来事がありました。
僕が、1982年に修士課程を卒業し、ある大手繊維化学メーカーに就職し、4月前半に全体集合研修を受けた後、全国の工場に散らばって工場実習を4か月受けることになりました。
僕は名古屋の臨海地域にある工場での実習でした。
その実習へ就くのに実家を出る際に、2つ上の姉が「この本読んでごらん」と言って差し出したのが、糸川英夫の「前例がないからやってみよう-不可能からの脱出」という本でした。
僕は当時、糸川英夫という人は知りませんでしたし、こうした本を読んだこともほとんどありませんでした。
工場実習が始まり、工場の寮で寝泊まりするうちに、空き時間にこの本を読み始めました。
すると、あっという間に僕は惹きこまれました。その後の人生が決定付けられたと言っても過言ではありません。
その意味することは、この本に書かれている具体的なことではありません。それまでの自分は、世間標準のレールに乗っていけば自ずと仕事ができて世の中に貢献できると考えていたのを、決定的に打ち崩され、自分が何かを築かない限り何の意味もないということを思い知らされたのでした。
姉としては、そこまで考えていたのではなく、社会人として挑戦的な人間になってほしく、肩をポンと叩くような気持ちでくれた本なのかもしれませんが、いずれにしても、大きなきかっけをくれたのでとても感謝しています。
Aさんとは、私生活の価値観は大分違うと思います。
でもそれはどうでもいいことです。
明日も会社ではしんどいシーンがいくつもあることは目に見えています。
しかし、Aさんとのディスカションはとても楽しみです。
まさに、人生のご褒美の1つと言えるでしょう。
ちなみに、Aさんは仕事上のパートナーですが、仕事以外にも僕は、とても大事な出会いをしていまして、それがどんなにありがたかったことかは言い尽くせないことです。
4月も中旬になりましたけど、結構冷えますね。
お元気でしょうか?
コロナの問題を一言で言えと問われたならば、リスクの評価と対策を定量的に扱っておらず、十把一絡げで国民全体が最大のリスクに等しく対処するようなことになってしまっていることです。
具体的には、真の感染者の把握よりも圧倒的に大多数の人数を検知するPCR検査、感染メカニズムの序列を付けず一様な対策を取っていること、年齢的、地域的なリスクの偏りに対応していないこと、などです。
前回の記事で示したトイレの床を経由する感染経路と生活習慣の差異については、ほんの一例として、こうした”一様対策”を打破するためのきっかけとして書きました。
さて、前回の記事では、今会社の仕事は結構な苦境の中にあるけれども、一方でとてもよい人と出会っていることを書くことを予告しました。
今日はその人のこと、仮にAさんとします、を書きます。
自分の中ではとんでもなく大事なことだし、みなさまにも共有していただきたいことですので、1回ではとても語り尽くせませんし、そんなに簡単なことだとも受け取ってほしくありません。
そこで、今日はまず、基本的な部分のみ書かせていただき、あまり具体的なことは書きません。
Aさんとは1年くらい前からとてもよい関係にあります。
実際に仕事を一緒に遂行する関係でもあり、いろんな仕事上のディスカションをする関係でもあります。
仕事上の価値観、技術系の企業人としての価値観、当社は何をどうすべきかの価値観、マネジャーとはどうであるべきかの価値観、などなど、基本的な考えがとてもよく合いますし、不正や腐敗や保身を正し、困難だが理想な姿を描き目指し、アイデアが豊富であり、経営目線もあり、毎日毎日、問題に処することとと新しい戦略を練り、アイデアを出すようなディスカションをたっぷりやっています。まるで、当社の経営会議をやっているようで、ワクワクします。保身の上司や関係者の糾弾や日々の問題解決もよく話し合います。
一言で言うと、これまでの技術系企業人生で志向してきたものが、僕とほぼ同じであるということです。ですので、保身派の人間たちに悩まされるという超しんどい毎日にあっても、あたかもオアシスのような貴重な人間なのであります。
Aさんは僕よりも6つ下ですが、僕らの場合、年齢はほとんど関係ありません。
では今日は、僕がなぜAさんに惹かれるのかのとても基本的なポイントを挙げてみます。下記のポイントは、僕自身が既に体得できているかどうかは別として、まさに僕が追求してきたものと同じです。
1.目の前に起きた困難や人からの痛烈な指摘は全て意味があると捉える。そして自分が変われるためのありがたいきかっかけと捉えることができる。人生において、人は大きく変わらなければいけないいう節目は少なくとも数回はあるはずだ、という自覚がある。
2.会社人であるゆえ、上司の意向に基本は沿うべきではあるものの、常に「自分が社長のつもりでこの会社をどうするべきなのだ」という経営視点をもつべきであり、まずは自分の考えがあり、その中で会社の方針とどう融合するかという考え方である。場合により、上司の説得を必要とする。
3.いわゆる出世志向とか、上司に取り入るとか、保身の発想は全くない。達観とかではない。そんなことをしても実体面(自己も会社も)は磨かれず、結局は落ちぶれるだけである。
4.マネジャーとは、不可能を可能にする役割だと思っている。
5.技術や特許についての情報収集や研鑽に余念がなく、つねに当社を分析している。
6.もし上司が腐敗しているなら、かえってやりやすくなると考えている。上司は破綻し、自分に責任が回ってくるから。(注:僕はこの発想はありませんでした。最近、Aさんから学んだことです)
Aさんとは、大分前から一緒に仕事をする関係でしたが、1年前までは、今ほどの間柄にはなっていませんでした。
その理由の一つは、お互いにここ1年はとても苦境になったからでしょう。
Aさんも僕も、企業人としてはとても恵まれた時期もあり、また不遇な時期もあり、浮き沈みを繰り返してきました。
ここ数年はとても恵まれていないので、互いに感覚が研ぎ澄まされ、考え方がブラッシュアップされたのだと思います。
こう考えると、苦境はチャンスでもあると思います。
人生の最高のパートナーは苦境だからこそ出会うと言っても過言ではないでしょう。
実は、我が身を顧みますと、僕も保身型の人間(僕が今戦っている相手のような)になっていたかもしれなかったのです。
そんな僕を変えるきっかけとなったの一つとなった出来事がありました。
僕が、1982年に修士課程を卒業し、ある大手繊維化学メーカーに就職し、4月前半に全体集合研修を受けた後、全国の工場に散らばって工場実習を4か月受けることになりました。
僕は名古屋の臨海地域にある工場での実習でした。
その実習へ就くのに実家を出る際に、2つ上の姉が「この本読んでごらん」と言って差し出したのが、糸川英夫の「前例がないからやってみよう-不可能からの脱出」という本でした。
僕は当時、糸川英夫という人は知りませんでしたし、こうした本を読んだこともほとんどありませんでした。
工場実習が始まり、工場の寮で寝泊まりするうちに、空き時間にこの本を読み始めました。
すると、あっという間に僕は惹きこまれました。その後の人生が決定付けられたと言っても過言ではありません。
その意味することは、この本に書かれている具体的なことではありません。それまでの自分は、世間標準のレールに乗っていけば自ずと仕事ができて世の中に貢献できると考えていたのを、決定的に打ち崩され、自分が何かを築かない限り何の意味もないということを思い知らされたのでした。
姉としては、そこまで考えていたのではなく、社会人として挑戦的な人間になってほしく、肩をポンと叩くような気持ちでくれた本なのかもしれませんが、いずれにしても、大きなきかっけをくれたのでとても感謝しています。
Aさんとは、私生活の価値観は大分違うと思います。
でもそれはどうでもいいことです。
明日も会社ではしんどいシーンがいくつもあることは目に見えています。
しかし、Aさんとのディスカションはとても楽しみです。
まさに、人生のご褒美の1つと言えるでしょう。
ちなみに、Aさんは仕事上のパートナーですが、仕事以外にも僕は、とても大事な出会いをしていまして、それがどんなにありがたかったことかは言い尽くせないことです。
スポンサーサイト