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EV(電気自動車)と石油の関係にメスを入れる

みなさまおはようございます。
いやあ、暑い、暑い、暑い!
昨日はたまらず午後から冷房をつけた。
今年は超ケチケチ生活だけど、どうにもこの暑さはかなわん。

では、今日はEV(電気自動車)と石油の関係にメスを入れてみる。
(ところで、「メスを入れる」って最近聞かないな。死語になったのかな。毎年のように恐ろしい勢いで死語が生じている)

さてEV。
EV化は他国からの政治的圧力だと思っている。
日本が得意としてきた自動車関連の一大技術群が一気に崩れ去るのは忍びない。

もし、EVが本当に環境によいものならば、いろんな苦労も受けて立たないといけないが、そうでなかったら大変なことだ。

EVそのものは石油をはじめ一切の燃料を使わないし、CO2を排出しない。
その意味では超クリーンカーだ。
しかしである、電気は石油を使わないとできない。(火力発電でない発電法でも、現代の需要にマッチする規模の発電は石油を使わない方法はあり得ない)。

そこで、EV1台が1km走るのに必要な電力を火力で発電するための、必要な石油の量を計算してみる。
それにより、ガソリン車とどっちが石油を使うのかを比較してみる。
よく巷にあるような、EV対ガソリン車の維持費の比較ではなくて、もっと根本的な問題を検証する。

これに当たり、一次情報のみを参照する。それ以外の一切の発信を参照しないで自分の考えだけでやってみる。それでもよければさらに読み進めていただきたい。

まず、下記の東京電力のサイトによると、現状での標準的なEVのバッテリー容量は40kWhであり、燃費は6.5km/kwである。
よって計算上は、フル充電で260km走れる。

EV DAYS さあ、EVのある暮らしを始めよう! by 東京電力エナジーパートナー

次に、下記の関西電力にサイトによると、石油内航船一隻(約5,000KL)から、約8.0万軒/月の電力をまかなうことが可能とのこと(月間電力使用量を260kWh/軒と想定した場合)
よって、単純計算すると、家庭での1kWh分の電力を発電するために0.24Lの石油が必要ということになる。

火力発電について 火力発電の燃料

EVを充電できる所と家庭の状況を同じだとすれば、EVを1kWh分充電するのに0.24Lの石油が必要としてよいだろう。
先ほどの燃費(6.5km/kw)で割ると、EV1台が1km走るに必要な石油の量を計算すると、0.037Lとなる。

では、ガソリン車の場合はどうか。
燃費が15km/Lの場合は、1km走るのに必要なガソリンの量は、1÷15なので、0.067Lである。
燃費が30km/Lの場合は、0.033Lである。

従って、EV、ガソリン車の燃費によりかなり変わるので一概に言えないが、EVの方がやや石油の必要量は少なめではある。

ただ、電気の場合は発電所で発電できた電力が100% EVに供給できるわけでなく、様々な発電ロスを生ずる。これに対して、ガソリン車はガソリンの全てを完全に利用できる。
上記関西電力の資料は、発電ロスを考慮していない数値であるとしたら、EVが必要な石油の量は、上記計算結果よりも多くなる。

言いたいことは、細かい数値の比較ではない。
クリーンと言われているEVにおいても、ガソリン車と同じ桁の石油の量を燃やさないといけないことがわかった。

ところで、同じ石油と言っても、ガソリンと火力発電の燃料の石油とは種類が違う。
ガソリンは沸点が低い(軽い)留分であり、火力発電の燃料は、蒸留の残分(重油またはアスファルト)である。

EVの困るところのもう一つは、もしガソリン車をやめるとガソリンを利用できなくなり捨てざるを得なくなるばかりか、重油を余計に使うことになるからかえって原油全体の使用量が増えることだ。

石油精製のしくみ

石油の精製

後は余談であるが、EVの懸念点である。技術の向上により解決される可能性はあるが。

私はかつてリチウムイオン電池の研究をしていたことがある。
そもそも電池というのは不安定な代物であり、リチウムイオン電池ともなればさらにである。
それに比して、ガソリンという「物質」でエネルギーを車の中に蓄えておくことの安定性と確実性は格段に安心感がある。

下記のyoutubeは、現状のEVの性能はインフラの状況をよくまとめており、参考になる。

【冬の高速はヤバイ】まだEVは早い!厳しすぎるバッテリー消費と充電スポットの現実

EVの全てを否定するのではない。
局所的な環境保護の区域などでEVを走らせるのは大賛成であるし、近い距離で買い物や通勤に使ったりするのはいいだろう。
しかし、あくまで特別なものということに限り、主体はガソリン車であり続ける方がよい、というのが現状での私の意見である。

さて、先週のWhen I'm 64の続きである。
今週はベースを追加してみた。
あと、後半のボーカルを録音し直した。あと、コーラスの音量を下げた。
先週の「関ジャム」で山下達郎さんが言っていたのだが、一人コーラスを別の日に録るとコンディションが変わってしまうので、必ず同じ日にやり切る、と。
確かにそうであった。山下さんの話が参考になるほどのレベルでは全然なくて失礼ではあるが、確かに声、体調、マイク、PC、インターフェースのコンビネーションを別の日に再現するのは不可能である。

なお、この録音コーナーはスルーしないでね(^^)/

(イヤホンで聴いてね)
When I'm Sixty-four_20220625 (← クリック)
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Coffee Break Beatles No.212 「ついにWhen I'm Sixty-fourを演り始めた」

6/22(水) 18:15、記事の最後に青字で追記しました。

みなさまおはようございます。
雨は多めながら割と心地よい日が多かった6月でしたが、ついに先週から”ジャパニーズサマー”の蒸し暑さがやってきました。
まだ冷房はつけていませんが、間もなくでしょう。

税務署、ハローワーク、年金事務所、健康保険組合・・・。
去年までのサラリーマン時代は、こうした所と直接話をするのはほとんどありませんでした。
最初は面倒でしたが、意外にこういう関係の話が好きなことに自分でもびっくりしています。まだまだ裾野を理解したに過ぎませんが。

年金事務所は会社とかハローワークなどと連絡を取って一部データを共有していますが、個人事業はこれらの関係においては標準的な対象ではありませんので、職員の方も知らないことが多く、また役所間の連絡なので誰(どこ)に責任の所在があるかわかりにくいです。先日もすったもんだしました。社労士の方が紹介されてやっと「ああ、そういうことだったんですか」となったこともありました。、

さて、ビートルズのWhen I'm Sixty-fourという曲。
ポール・マッカートニーの作った曲で、とてもよい曲です。
しかし、昨年10月3日の記事「When I'm Sixty-fourはまだ歌えない」で書いたように、いくら自分が64歳になったとはいっても、まだまだこの曲を演(や)る気にはならなかったのです。
なぜなら、24歳の若者が64歳の気持ちを書くのは無理があるじゃないですか。ましてや、ポールが10代の時からその原型があったとのこと。
これってロックンローラーからするとええって感じじゃないですか。
特にロックにこだわるジョン・レノンにとっては、ポールのこの手の曲は受け狙いというか、もっと言うと”偽善”としてさえ思っていた節があります。

とはいえ、音楽的にはこの曲はすごくいいと思います。
そして詩がいいですね。
ストーリーがいいのではなくて、単語とセンテンスがいいと思います。
単語そのものの響きがこの曲ですごく生きていますし、センテンスが表現する英語ならではの奥深くてかつ微妙な言い回しに溢れています。
この曲を日本語で歌ってしまうと薄っぺらになると思います。

というわけで、僕も64歳と9か月になり、この曲のいいところを一身に感じ、ついに演ってみる気になったのです。
ポールが昨日で80歳となったこともありますし。

オリジナルのイントロのクラリネットは、思ったよりもたくさん音を使っていたことがわかり、その感じを出すには苦労しました。
毎週少しずつ足していって、最終的にはフルバンド構成としたいと思います。
新しいプロジェクトができたのはうれしいです。これでもうしばらくボケなくて済みそうですし。

では、今週もよい1週間をお過しください。

(イヤホンで聴いてね)
When I'm Sixty-four_20220618 (←クリック)

2022-6-22(水) 18:15追記

今日は水曜、つまり”吞み曜日”(水と日)なので、仕事を早めに切り上げて、明るいうちから吞んでおります🍶
これが実に楽しみなんですな。
サラリーマンを辞め、しかもあの壮絶なバトルが終わったので、正直今年はすごく楽ですけど、
それでも仕事をしている以上、嫌なことは山ほどあります。
1週間を乗り切るしんどさは何ら変わりはありません。
水曜の「吞み」があるから乗り越えられるんです。

今年は鰹がとても豊漁です。
しかも、大型、旨い、安いの”三刀流”であります。
で、今食べているのであります。うん、旨い、旨い。
酒は三重の焼酎の銘酒「キンミヤ」であります。

同じスーパーチェーンでも店が違うと惣菜の味が違いますね。
きっとマニュアルは1つなんでしょうけど(?)、その店の個性が生きる部分も大きそうです。
例えば、揚げ物とかは店によって随分違います。

今日は予報よりも気温が上がりました。。
最高気温25℃の予報でしたが、28℃台まで上がりました。
これだけ気温の予報が外れたのは5年ぶりくらいではないでしょうか。

ちなみに僕は、会社にケツをまくって、わざわざ1年早く64で辞めました。
吉と出るか、凶と出るか。
多分、凶と出るでしょう。
でもそれでもいいや。自分で決めたことだから。

PS
今回の録音の中で、「電気が飛んだ時は僕がヒューズを換えてあげよう」の意味、若い方わかりますか?
今は、電気を使い過ぎた時はブレーカーが必ず落ちるので、ブレーカーだけで対応できます。
ところが、昔のブレーカーは性能が悪く、急にすごい過電流が流れた場合はブレーカーだけでは対応できないので、一定の電流以上が流れた場合に、電流による発熱で融ける金属のワイヤーまたはプレート、つまりヒューズ、をかませていたんです。電気を急に使い過ぎちゃった場合はヒューズ(正確はフューズ)が飛ぶので、ヒューズを交換する必要あります。
それをポール・マッカートニーは”男の甲斐性”の一つとして歌ったわけです。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

若き日の名古屋工場実習の思い出

みなさまこんばんは。
一番後ろに青字で、関東と関西の違いについて書きました。
(2022-6-15(水) 20:00)


みなさまおはようございます。
先週寒かったですよね。
なんと暖房までつけました。

今日は、初めて就職した時の工場実習の話を少しします。

僕は24歳の時、繊維・化学系の会社に就職しました。1982(昭和57)年のことです。
文系、理系それぞれ50名ずつ位の採用だったと思います。
某所で2週間くらいの集合教育を受けた後、日本全国の工場へ分散して、4か月の実習を受けることになりました。

僕は名古屋工場での実習となりました。実習生10人くらいと一緒でした。
日本の基幹となる基礎化学品を製造している、とても大きい工場でした。

それまで日本各地を旅行してきた僕でしたが、長期間親元を離れて過ごすのは初めてでしたので、不安と期待の入り混じる実習のスタートでした。
実家を出発する時に姉が糸川英夫さんの本を持たせてくれたのは、数回前に書いた通りです。

化学品の大規模生産というのは、それまでテレビとかいろんな映像で見聞きはしてきたのですが、実際に工場の中に入って、その仕組みや社員の人たちの働きぶりは学んだものが多過ぎて、とてもここには書き切れません。

僕ら実習生は、工場内の敷地にある古い寮で寝泊まりしました。食事は工場の食堂で食べます。
すごく古い木造の寮でして、畳部屋にはたまにムカデが出現し、布団は湿った感じでした。
その点に関しては、野外活動をやってきた僕はわりと大丈夫でした。

2DKの部屋に2人ずつ入ります。
相棒は豊橋出身の奴で、既に婚約者が埼玉にいると言っていました。
よく盃を酌み交わし、いろんな話をしました。彼の実家へも一度お邪魔しました。

4か月の実習のうち、最初の数週間は日勤の実習、その後は3交代のシフト勤務の実習でした。同じシフトチームには実習生は僕一人でした。
朝勤、午後勤、夜勤なんて初めてでしたので、最初は大変でしたが、すぐに慣れ、そして結構おもしろかったです。
オートメーションが進んでいたので、3交代の社員の方の作業は多くないんです。正直、暇でした。
ただ、製造の稼働状況を厳しくチェック、管理していて、それを次のシフトに引き継ぐ、という厳しさがあり、皆さんそれを誇りに思っているようでした。
そうした仕事を僕ら実習生が習い、補助するのです。
とてもかわいがってもらいましたよ。
ただ、異常が起きるとすごく大変とのことでした。

3交代勤務の休憩室がだだっ広くて、卓球台が置いてあり、皆さんいつもプレーしていまして、僕もかなりやりました。
一応、中学時代卓球部だったので、結構認められてかわいがってもらいました。

ある日こんなことを言われました、「ST君、来週の*曜日はホルモンパーティーだよ」。
何のことかわかりませんでした。
すると、休憩室でホルモン焼きをやるのでした。なんでも定期的にやっているそうなんです。
そもそもあの時、ホルモンって何か知りませんでした。
それまで、いろんな内蔵を少しは食したことはありましたが、内臓だけをすごい量焼いてひたすら食べるというは驚きでした。正直、あまり食べられませんでした。
ところがお酒も出るのですよ。しかも半端でない量が。
酒好きの僕はそれで打ち解けました。
しかし、製造の現場で勤務時間中に飲食するなんて、今ではあり得ませんけどね。

当時NECのPC8801(?)が工場に導入され始めた頃でした。
工場での運転記録とか検査データなどはまだ紙に書いていました。
それをPCで記録し、値の推移などをみられるようなプログラムをBASICで作ってくれないかと言われて、作ったりもしました。

実習期間に工場内の大運動会があったりとか、一方、一度死亡事故(労働災害)が起きてしまい、楽しさもつらさも経験する実習となりました。

同期実習生らとはよく遊びました。
門限は10時くらいだったと思いますが、あってないようなものでした。
土日はよくつるんで栄あたりに遊びに行きましたね。

あの頃の名古屋というのは、むしろ東京よりも文化が進んでいた部分もありました。
居酒屋のジョン万次郎はよかったでしたし、粋な演奏するパブなども結構行きました。
また、ここには書けませんが、”男の子の遊び”もそれなりにやりましたよ。
実習期間中に女子大の文化祭があったので行ったりもしました。

圧巻は”屋上コンサート”でした。
実習仲間の一人でギターを持ってきた奴がいて、よく一緒に歌ったり弾かせてもらったりしていました。
ある晩、寮の一室で4, 5人で集まって飲んで、ギターを弾きながら歌ったりしていました。そして盛り上がってきました。
ビートルズの好きな奴が数人いて、しかも結構歌えるのです。
そこで僕は言いました。「おい、屋上でレットイットビーの屋上コンサートやろうぜ!」。
(注: 今で言ういわゆる「ルーフトップコンサート」のことです。8時間映画Get Backの終盤のあれです。当時は「ルーフトップコンサート」という言葉はなく、映画「レットイットビー」の終盤のシーンと表現するしかありませんでした)

もうみんな二つ返事(これって死語?)でやることになり、5階建てくらいの寮の屋上にギターを持って行きました。
そして、まさにあのルーフトップと同じように、同じ曲を全部演りました。10時過ぎていたと思います。
ギターは僕が弾きました。みんなもうノリノリでした。
そしたら結構受けたんですよ。向かいの棟の人たちからは拍手なんか来たりして。
しかし、さすがに騒ぎを聞きつけた寮監さんがやってきて、大目玉を食らい(これも死語?)ました。

あの時名古屋では食べ物の文化も結構進んでいたように思います。
食べ放題なんてのも既にありました。僕には驚きでしたね。
しかし肉はカエルだよ、とも言われました。

以上のように、とても有意義で楽しく、そして勉強になり、思い出深い名古屋での実習&遊びとなりました。

その後僕は、その会社とアメリカの会社の合弁会社へ配属となりました。
プロフィールの写真は、あれから1年経ち、間もなく26歳になる時です。

話は変わりますが、僕は中年以降はイカつい体型になり、どっちかというとコワモテ風ですが、若い時は華奢で優男でした。
19~21歳の頃はよく森田健作に似ていると言われました。
ただしあんな美男子では全然なく、体型とか髪型とか眉毛の感じが似ていたのだろうと思います。
今の僕は今の森田さんとは似ていません。

3年弱前に62歳になってから間もない時に、森田さんの「さらば涙と言おう」を多重録音しました。
時間がなかったので、各楽器は耳で聞いて推測でやっています。
歌い方は森田さんの感じに近づけるようにしたつもりです。

さらば涙と言おう (←クリック。イヤホンで聴いてね)

PS
先週、3人目の孫が生まれました。

2022-6-15(水) 20:00追記
みなさまこんばんは。
各地も梅雨に入りました。そして昨日今日は寒いくらいですね。
今日は水曜なので飲み曜日ですので、仕事を早めに切り上げて、ちびちび飲んでおります。

ある人のエッセイを読んでいたら、子供の遊び「だるまさんがころんだ」は、関西では「坊さん(あるいは「ぼんさん」)が屁をこいた」または「初めの一歩」と言うと書かれていました。
僕はそのこと自体は知っていましたが、改めていろいろ調べてみると、関東と関西では違うことがとてもたくさんあることに驚きました。
10年前まで千里に叔母が住んでおり、僕はとてもかわいがってもらいました。晩年は身寄りがなくなったので僕が葬式を行いました。
また、娘一家が今大阪に住んでいることもあり、自分は普通の関東人よりも関西のことを知っていると思っていましたが、まだまだ知らないことばかりですね。

髪を切ることを散髪ということは子供の頃から知っていましたが、関西の人は「床屋」という言葉を知らなくて「床屋に行く」ことを「散髪に行く」ということを知ったのは数年前のことです。
朝ドラ「カムカム・・」で、今川焼のことを「回転焼き」と言うことを知りました。「回転焼き」という言葉は聞いたことはありましたが、別のものと思っていました。

以下は、関西のことで今日初めて知った事柄です。

・肉まんのことを「豚まん」という
(「豚まん」という言葉は知っていたが、中華料理での言い方かと思っていた。「肉まん」=「豚まん」とは驚き)
・玉子サンドにゆで卵をほぐしたものを入れるのではなく、厚焼き玉子を入れる
(こればかりは関東の方がいいなあ。厚焼き玉子は好きだけど、厚焼き玉子として食べたい。関西風玉子サンドはもったいない気がする)
・おにぎりが俵型
(おにぎりは三角だからこそおにぎりであると思う。俵型だと箸を使うだろうから、普通のごはんを食べているような感じ)
・ネギが細い
(分葱(わけぎ)かニラみたい。おいしいだろうけど、関東のネギの白いところのおいしさがない気がする)
・捨てることを「ほかす」という 
(「ほかす」と言っている人は知っていたが、その人が戯れに言っているだけかと思っていた。あるいは、「ほかす」=「放置する」だと思っていた)
・鳥肌のことを「さぶいぼ」という
(これはまあまあ感じ出ているかな)
・いっせーのせを「いっせーので」という
(これじゃ全く力入らないじゃん。いっせいの「で」でオナラが出て砕けそう)
・定規や物差しを「さし」という。
(ヤンキーのような言葉で粋ではあるが)
・デパートのことを「百貨店」という
(百貨店が正式語であることは知っているが堅いね。アパートのことを「集合住宅」と言っているみたい)

以下、子供の遊びの動画です。

だるまさんがころんだ(坊さんが屁をこいた)
https://youtu.be/XH1chsJFrYU

はないちもんめ
https://youtu.be/FdxspRjiEjs
もっとシンプルな歌詞で歌っていた気がする。

缶蹴り
https://youtu.be/q0j6Jij18L0

あと、男の子の遊びで”馬乗り”のような、やや危険な遊びで、ちょっと危ないけどおもしろい遊びもありました。

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ジャンル : その他

死亡確率30%

みなさまおはようございます。
季節は確実に梅雨に向かっていますが、今のところ清々しい天気が多いですね。
この1週間はとても忙しかったです。

サラリーマン時代は、月曜が始まる時にはその週が終わることなど到底イメージできず、悪戦苦闘しながらかろうじて金曜の夕方を迎える、ということをおそらく2,000回くらい繰り返したでしょうか。
その中でいいこともあり悪いこともありで、かろうじて生きながらえてきたわけです。
退社した今年は、しがらみが減ったので少し楽になりましたが、1週間を乗り越える大変さは何ら変わりはありません。

そんな人生ですが、大きな節目としては、11年半前に突然見つかった大病です。
あともう少しで手遅れというところでした。
手術をしたとしても5年以内の死亡確率が30%(同じ状態の人の統計的な数字)でした。
検査と診断が全て終わり手術まであと1週間という時、主治医から言われたのは、「最悪、手術開始の時点で手の施しようのないことがわかる場合もあります」と。

普通ならば呆然自失となるところでしょうけど、不思議と僕は落ち着いて「死と向き合う」1週間を病院のベッドで過ごすことになったのです。
それには伏線がありました。
まずは、最も信頼する医者を選んだこと。想像通り、尊敬できる先生であり、研究熱心であり、とことん議論に応えてくれました。
それと、家族、親兄弟、友人、知り合いからの支えです。
全ての人に感謝しており、一つ一つ書きたいところですが、長くなるので、エピソード2件を書かせていただきます。

当時の部下がお見舞いに来てくれ、ある本をいただきました。僕はあの時、東京の本社でマーケティングをやっていました。
「登山医学」という本でした。
当時僕は登山をやっていたことと、彼も登山好きだし大病もやったことがあったので、共通点が多かったでした。
この本を読めば医学に対する興味がさらに増して前向きに病気を乗り越えられると思って・・・という彼のコメントには胸が熱くなりました。

もうお一方は、研究者の方で、僕の病気についての専門的な情報を持っている方でしたので、その関係の論文などをくださいました。
すると、僕自身の病気について自分自身が研究するような気になってきたのでした。
本当にうれしく、ありがたかったです。

こうした関係の方々から支えと、単に支え以上の、むしろチャレンジ精神のような高揚感さえいただいたのです。

手術までの病床での1週間は、一応死ぬことを前提に残る期間をどう生きようかということも考えました。
具体的に何をやるかはあまり考え付きませんでしたが、「死んでもいいんだ」と思えるようになりました。
加山雄三の若大将シリーズのDVDのほとんどをあの時観ました。あの昭和の生き生きとした風情がすごく心を落ち着かせてくれたのです。
それと素粒子の本を読みました。人間は宇宙の屑から生まれ、死んだらまた宇宙に戻るみたいな輪廻転生の感覚になり、これまた死ぬことを受容できるようになったのです。

ただ、今同じ状況になったとしても、同じようになる自信はありません。
あの時の全てがうまく作用してあのようなことになったのでしょう。

よって、あれ以来の人生は”おまけで得られたもの”として考えるようにしています。
(だからと言って、全てが達観できているわけでもありません。まあ、そこが人間ですからね)

おかげさまでまだ生きていますが、手術の結果、体質が変わり、食べ物や行動様式を注意しないと変調を来たし辛いことも多いです。
また、手術後の半年の化学療法による後遺症があり、不便なこともあります。

病気以外の僕の特徴の一つは、自我の形成との闘いの人生であることです。
このことに関しても、関係する多くの方々にお世話になったことを感謝したいです。
前回の続きになりますが、ブログで知り合った、あるスペシャリストの方にはとてもお世話になりました。

同様の苦しみに置かれている方々への参考になるように、さまざまなことを自らの人体実験で試すとともに発信しています。

さて今日の録音は、以前のものの使いまわしで恐縮ですが、The Fool on the Hill(フールオンザヒル)です。
この曲は、フルートとリコーダーを付けたバージョンもあるのですが、今日のはフルートが付く前のピアノと歌だけのものです。
できる限りピアノで表情を付けたつもりです。

(イヤホンで聴いてね)

テーマ : 生きる
ジャンル : ライフ

みなさまはブロガーさんと実際に会ったことはありますか?

みなさまおはようございます。
結構暑くなってきましたね。

みなさまは、ブロガーさんと実際に会ったことはありますか?

僕は、2009年にブログを始めたのですが、当初はブロガーさんと実際に会うなんて思いもつきませんでした。
仮に会おうと思ったとしても、実行には移せなかったことでしょう。

世の中にはピアノを弾く方が想像以上にたくさんいます。
特に最近は50歳を過ぎてから始める人も多いです。
ピアノの弾き合い会的なものが結構いろいろあり、そこに参加する多くの方がブログをやっており、盛んに交流しています。

2012年にそうしたピアノ弾きの方の一人に誘われて、ピアノの弾き合い会やサークルに参加したのが当時の現状を打破した第一歩でした。
そうした会では多くの喜びや勉強がありました。

それを契機にマインドがより積極的になり、音楽でなくてもブロガーさんと実際に会って交流を深め、貴重な友人になった方も何人かいます。

ブログを始めた当初は、ブログ上で議論を深め、同志をたくさん集めて何かをしようと考えていました。
しかしそれは難しかったです。
文字だけのやり取りはコミュニケーションの手段としては限定的であり、議論を深めていくのは簡単ではありません。
突っ込んで書いたとしてもうまく伝わらない場合、あるいは逆に伝わる場合があり、時にマイナスの手段になってしまう場合もあります。
あるいは、文字だけだと相手の書いていることへの相槌がないので、どのくらい共感しているいのかがわかりにくいです。

よって、次第にブログの主たる効用は、人との出会いだと思うようになりました。

ところで、ピアノを弾く人の大半がクラシックです。
ロックピアノを弾く人間は想像以上に少ないことが思い知らされました。(ジャズピアノは結構います)
(ただ、クラシックピアノ愛好家の中には結構派閥があるみいたいですけどね。あまり大きな声では言えません)

ピアノの弾き合い会の中にはアルコール大好き人間とか話がおもしろい人とかもいて、楽しかったし友人も何人かできました。
しかし、クラシックピアノの弾き合いだけでなく、ロックや様々な音楽をやったり、知的興奮のようなことを話し合うことはできないかな、と思っていました。
ならば、自分で主催してしまおう、と。
クラシックに限らない音楽の弾き合いや一流の演奏家の披露、写真のスライドショー、そして僕がブログで発信しているいろんなジャンルでのプレゼンからなるイベントの開催を2015年からやっています(興味のある方は気軽にご連絡ください)。

このイベントとは別に、去年もあるブロガーさんの関係で貴重な催し物に行かせていただきました。

実際には会わず、ブログ上での出会いブログその他の通信手段で交流させていただいている方も何人かいます。
とても濃い交流をさせていただいています。

まとめますと、文字による交流の舞台であるブログは万能の舞台ではありません。
そこをよく理解した上で貴重な出会い(実際に会っても会わなくても)が得られるという意味で、有効な舞台ではないかと思います。
改めてこの場を借り、みなさまにお礼を申し上げます。

ブログの記事としていろんなジャンルでこれまで発信してきたことは、ブログという形で整理できたことは収穫の一つです。
書いてきたことがブログ上で何かの形に結実するということは無理そうなので、別の舞台でいろいろやり始めています。

前回のColor My Worldは6年前の録音でした。
ラフな演奏と録音と58歳のガキの声でした。

そこで、同曲を別の音源ベースで、歌だけ昨日録音し直してみました。
まさに今の声です。
バックの演奏は、2017年から2018年にかけてのものです。(フルートは上松さん)
もう一つの小さい声がありますが、それは2017年にピアノを弾きながら歌っていたものです。(分離できませんので)

昨日は、あまり節回しをせず、ノーマルに歌ってみました。
歌詞に思いを込めました。

なお、この曲の邦題は「僕らの世界をバラ色に」ですが、誤訳です。
君との愛を自覚しそれがまさに結実しようとしているその気持ちを、「君を愛するという希望をもって僕の世界に彩を与えておくれ」と表現したものであり、粋なラヴソングなのです。

(イヤホンで聴いてね)
Color My World_20220528 (←クリック)

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プロフィール

ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
現在、非公開コメントは受け付けておりません。ご了承ください。
コメントは本筋に沿ったものをお願いします。

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