約束を守らない好意には毅然として対応すべし
みなさまこんにちは。
一部の地域では梅雨入り宣言が出されました。早いですね。
今日6月1日は関東ではとても爽やかな天気です。
しかし今夜から雨のようです。
今日は、仕事のタイミングにより、あまりやることがないので、記事を書いています。
サラリーマン時代は、雑用というものが常に溢れていて、「今日は仕事がない」なんてことはあり得なかったです。懐かしいです。
その点、個人事業はやることしかやりません。
楽でもあり厳しくもあるところですが、楽しむことにします。
さて、次のようなことはないですか。
誰かと話していて、「***を送ってもらう(やってもらう)かもしれませんが、今はまだ大丈夫です。よくよく考えて必要になった時にこちらからお願いします」とその人に言い、その人が「はい」と返事した場合。
ところが、その人は、こちらからお願いする前に***を送って(やって)しまった。もちろん好意で。
その行為は、その人が約束を理解していた上で敢えてのことなのか、約束を理解していなかった(こちらの言い方が不十分か相手がちゃんと聞いていなかった)からなのか、は不明である。
これに対してどう対応するか、難しいところです。
相手の”フライング”的行為を享受して、「はい終わり」でもよいのですが、もしこちらが正式にお願いする前にそれを受け取る(やってもらう)ことで何らかの不都合が生じる場合や、上の約束自体に自分として大きな意味がある場合は、まずは享受せず、約束との関係を相手に正すことが大事のように思います。
例えば、自分の心積りが確定するまでは、相手の好意を保留にさせてもらい、場合によっては(返品とか消去)させていただくことも予告する、旨の返事をしてもよいと思います。
もちろん、相手のプライドや人格を尊重して、十分丁寧な言葉遣いの上で。
もし相手のフライング的好意をそのまま受けて、ありがとうで収めてしまうとすると、自分と相手との関係が”なーなー”なものになると思います。
自分の中に「大事な考える枠組み」がある場合、それを犠牲にしてまで相手の約束外の行いをそのまま採り入れないほうがよいと思います。
なにより、約束という人と人との大事な結びつきの基本をおろそかにする行いは、たとえそれが好意であっても、人同士の関係がゆがんでくると思います。
約束の履行を一つ一つきちんと正すことは、瞬間的にはその人との関係が厳しくなりますが、長い目でみればかえって盤石な関係が築かれると思います。
以上、あくまで私感ですし、ケース毎にベストな対応は変わるでしょう。
なにより、人はどのように振舞っても自由なので、「ねばならない」などということは毛頭ありません。
僕は、理系出身なこともあり、環境的には対人関係を鍛えるには不利だと、若い時から自覚していました。
そこで、大学では敢えて文系中心の大所帯のサークルの運営メンバーになったり、地域の人たちと駅伝・登山サークルに入ったり、イベントを開催したり・・・と、自分が臆面することを積極的にやってきて、対人関係を鍛えてきたつもりでした。
これで確かに大分鍛えられたのですが、人間の性格というか、対人パターンというのは、生まれつきの部分も結構多いようですね。
最近のyoutubeなどを視聴していますと、専門家の方々はそのような解説が多いです。
最近、自分の本来の性格は何なのか、を考えることが多くなりました。
すると、お人好し、やんちゃ、真面目などが浮かんできます。(それとは反対の性格ももちろん併せ持っていますが)
65歳になり、お陰様でますます活動も盛んで、考えることも多いのですが、やはり、何かをする者にはそれなりの抵抗(ありとあらゆる種類の)が降りかかります。
そんな時、たまには、生まれ持った性格の一部を曲げてでも自己を主張すべき場面があるということです。
今日の記事で書いた内容は、そんな最近の僕の苦節を通じてしみじみと感じたことの一例です。
では、引き続きよい1週間をお過しください。
そうこうするうち、仕事が入ってきました。
When I'm Sity-four
(イヤホンで聴いてね)
一部の地域では梅雨入り宣言が出されました。早いですね。
今日6月1日は関東ではとても爽やかな天気です。
しかし今夜から雨のようです。
今日は、仕事のタイミングにより、あまりやることがないので、記事を書いています。
サラリーマン時代は、雑用というものが常に溢れていて、「今日は仕事がない」なんてことはあり得なかったです。懐かしいです。
その点、個人事業はやることしかやりません。
楽でもあり厳しくもあるところですが、楽しむことにします。
さて、次のようなことはないですか。
誰かと話していて、「***を送ってもらう(やってもらう)かもしれませんが、今はまだ大丈夫です。よくよく考えて必要になった時にこちらからお願いします」とその人に言い、その人が「はい」と返事した場合。
ところが、その人は、こちらからお願いする前に***を送って(やって)しまった。もちろん好意で。
その行為は、その人が約束を理解していた上で敢えてのことなのか、約束を理解していなかった(こちらの言い方が不十分か相手がちゃんと聞いていなかった)からなのか、は不明である。
これに対してどう対応するか、難しいところです。
相手の”フライング”的行為を享受して、「はい終わり」でもよいのですが、もしこちらが正式にお願いする前にそれを受け取る(やってもらう)ことで何らかの不都合が生じる場合や、上の約束自体に自分として大きな意味がある場合は、まずは享受せず、約束との関係を相手に正すことが大事のように思います。
例えば、自分の心積りが確定するまでは、相手の好意を保留にさせてもらい、場合によっては(返品とか消去)させていただくことも予告する、旨の返事をしてもよいと思います。
もちろん、相手のプライドや人格を尊重して、十分丁寧な言葉遣いの上で。
もし相手のフライング的好意をそのまま受けて、ありがとうで収めてしまうとすると、自分と相手との関係が”なーなー”なものになると思います。
自分の中に「大事な考える枠組み」がある場合、それを犠牲にしてまで相手の約束外の行いをそのまま採り入れないほうがよいと思います。
なにより、約束という人と人との大事な結びつきの基本をおろそかにする行いは、たとえそれが好意であっても、人同士の関係がゆがんでくると思います。
約束の履行を一つ一つきちんと正すことは、瞬間的にはその人との関係が厳しくなりますが、長い目でみればかえって盤石な関係が築かれると思います。
以上、あくまで私感ですし、ケース毎にベストな対応は変わるでしょう。
なにより、人はどのように振舞っても自由なので、「ねばならない」などということは毛頭ありません。
僕は、理系出身なこともあり、環境的には対人関係を鍛えるには不利だと、若い時から自覚していました。
そこで、大学では敢えて文系中心の大所帯のサークルの運営メンバーになったり、地域の人たちと駅伝・登山サークルに入ったり、イベントを開催したり・・・と、自分が臆面することを積極的にやってきて、対人関係を鍛えてきたつもりでした。
これで確かに大分鍛えられたのですが、人間の性格というか、対人パターンというのは、生まれつきの部分も結構多いようですね。
最近のyoutubeなどを視聴していますと、専門家の方々はそのような解説が多いです。
最近、自分の本来の性格は何なのか、を考えることが多くなりました。
すると、お人好し、やんちゃ、真面目などが浮かんできます。(それとは反対の性格ももちろん併せ持っていますが)
65歳になり、お陰様でますます活動も盛んで、考えることも多いのですが、やはり、何かをする者にはそれなりの抵抗(ありとあらゆる種類の)が降りかかります。
そんな時、たまには、生まれ持った性格の一部を曲げてでも自己を主張すべき場面があるということです。
今日の記事で書いた内容は、そんな最近の僕の苦節を通じてしみじみと感じたことの一例です。
では、引き続きよい1週間をお過しください。
そうこうするうち、仕事が入ってきました。
When I'm Sity-four
(イヤホンで聴いてね)
スポンサーサイト