日本語は同意/反対を確認する言語、英語は肯定/否定を確認する言語
みなさまこんにちは。
暖かくなったり寒くなったり大変ですね。
いかがお過ごしですか?
コロナは、日本よりも欧米のほうが段違いに罹患者が多いのはみなさまご存知の通りです。
生活習慣の違いとか、変異種の違いとか、いくつかの理由が取り沙汰されています。
僕はこれまでの仕事で、アメリカ人、ヨーロッパ人(特にドイツ人)と多く関わってきたので、欧米人の考え方、感覚に少し思い当たることがあります。
コロナが流行るずっと前から、日本人は冬になるとマスクをする人が多かったでした。
友人のアメリカ人などは、「あのマスクは一体何なんだ!?」と、よく言っていました。
なぜなら、マスクというのは医療関係か、防疫関係の人しか着けないから。
もし自分が思い病気に罹ったなら、まずは自宅で休むのであって、マスクを着けてまで仕事になんて行かないから。
風邪なんて罹る時は罹るんだから、と。
一方で彼は、「冬に生足の女性が多いのも何なんだ!?」と。これはもっともです。
また、ある年配のドイツ人は、「マスクなんてただの紙だろ? スカスカなんだからウイルス通るから意味ないじゃないか!?」と言っていました。
「確かにウイルスそのものは通過する場合もあるかもしれないけど、少なくとも飛沫は防げますよ」のように答えたのですが、ほとんど通じませんでした。
どうも欧米人というのは、感染症というものへの感覚が日本人とはかなり違うようです。
自分の努力で防ぐべきもの、という感覚がこれまで備わってこなかったのでしょうね。
さて今日のお題です。
1991年、34歳になる直前、僕がまだアメリカへの出張が3度目くらいで、アメリカのことや英語のことをよく知らなかった時の話です。
ミシガン州の出張先の24歳で修士課程卒業したばかりの技術者の人に、シカゴまで1泊、車で連れて行ってもらったのです。
道すがらいろんな話をしました。
ライブハウスに連れていってもらうことになったのですが、彼曰く「日本にはこんな場所はないでしょ?」。
なぜそんなことを訊くのかと思って、いろいろ話をしたら、日本では今でも明治時代のような服をきた人が闊歩しており、西洋式の文化はないと思っていたようなのです。
とにかくびっくりですが、ま、それはともかく、アメリカと日本の違い、英語と日本語の違いなどについていろんな話をしました。
その一つとして、僕は、否定疑問文に対する返答のことを話しました。
「日本語では否定疑問に同意する場合は、『はい、違います』と答えるのだよ」と話したら、「ええっ~!!」とずっこけんばかりに驚いていました。全く理解不能だったようです。
それ以来、僕の中には、なぜ英語では否定疑問に同意する場合、Noで答えるのか、あまりはっきりした結論を導かれずに今に至っています。
例えば、「あなたは、東京オリンピック・パラリンピックは今年開催されるべきとは思わないですよね?」という疑問文に対し、日本語では、「はい、そう思いません」と答えます。
ところが英語の場合は、
Don't you think that The Tokyo Olympic and Paralympic Games should be held this year, do you?
No, I don't.
です。
日本人的には、Noなんて言うと、「おまえの考えには同意できないぞ!」と突っぱねるみたいなニュアンスなので、とっても違和感があります。
しかし、英米人にしてみたら、Noの響きは、「東京オリンピックを開くなんて考えはとても賛成できない」の意味が込められている、と考えればよさそうです。
すなわち、日本語は同意/反対を確認する言語、英語は肯定/否定を確認する言語、という違いがありそうです。
暖かくなったり寒くなったり大変ですね。
いかがお過ごしですか?
コロナは、日本よりも欧米のほうが段違いに罹患者が多いのはみなさまご存知の通りです。
生活習慣の違いとか、変異種の違いとか、いくつかの理由が取り沙汰されています。
僕はこれまでの仕事で、アメリカ人、ヨーロッパ人(特にドイツ人)と多く関わってきたので、欧米人の考え方、感覚に少し思い当たることがあります。
コロナが流行るずっと前から、日本人は冬になるとマスクをする人が多かったでした。
友人のアメリカ人などは、「あのマスクは一体何なんだ!?」と、よく言っていました。
なぜなら、マスクというのは医療関係か、防疫関係の人しか着けないから。
もし自分が思い病気に罹ったなら、まずは自宅で休むのであって、マスクを着けてまで仕事になんて行かないから。
風邪なんて罹る時は罹るんだから、と。
一方で彼は、「冬に生足の女性が多いのも何なんだ!?」と。これはもっともです。
また、ある年配のドイツ人は、「マスクなんてただの紙だろ? スカスカなんだからウイルス通るから意味ないじゃないか!?」と言っていました。
「確かにウイルスそのものは通過する場合もあるかもしれないけど、少なくとも飛沫は防げますよ」のように答えたのですが、ほとんど通じませんでした。
どうも欧米人というのは、感染症というものへの感覚が日本人とはかなり違うようです。
自分の努力で防ぐべきもの、という感覚がこれまで備わってこなかったのでしょうね。
さて今日のお題です。
1991年、34歳になる直前、僕がまだアメリカへの出張が3度目くらいで、アメリカのことや英語のことをよく知らなかった時の話です。
ミシガン州の出張先の24歳で修士課程卒業したばかりの技術者の人に、シカゴまで1泊、車で連れて行ってもらったのです。
道すがらいろんな話をしました。
ライブハウスに連れていってもらうことになったのですが、彼曰く「日本にはこんな場所はないでしょ?」。
なぜそんなことを訊くのかと思って、いろいろ話をしたら、日本では今でも明治時代のような服をきた人が闊歩しており、西洋式の文化はないと思っていたようなのです。
とにかくびっくりですが、ま、それはともかく、アメリカと日本の違い、英語と日本語の違いなどについていろんな話をしました。
その一つとして、僕は、否定疑問文に対する返答のことを話しました。
「日本語では否定疑問に同意する場合は、『はい、違います』と答えるのだよ」と話したら、「ええっ~!!」とずっこけんばかりに驚いていました。全く理解不能だったようです。
それ以来、僕の中には、なぜ英語では否定疑問に同意する場合、Noで答えるのか、あまりはっきりした結論を導かれずに今に至っています。
例えば、「あなたは、東京オリンピック・パラリンピックは今年開催されるべきとは思わないですよね?」という疑問文に対し、日本語では、「はい、そう思いません」と答えます。
ところが英語の場合は、
Don't you think that The Tokyo Olympic and Paralympic Games should be held this year, do you?
No, I don't.
です。
日本人的には、Noなんて言うと、「おまえの考えには同意できないぞ!」と突っぱねるみたいなニュアンスなので、とっても違和感があります。
しかし、英米人にしてみたら、Noの響きは、「東京オリンピックを開くなんて考えはとても賛成できない」の意味が込められている、と考えればよさそうです。
すなわち、日本語は同意/反対を確認する言語、英語は肯定/否定を確認する言語、という違いがありそうです。
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