「ビートルズ東京公演の謎」補足版

みなさまこんにちは。
大雨で被害に遭われた方、心よりお見舞い申し上げます。
こちら関東では風が強く蒸し暑い日が続いています。
真夏の暑さ到来ではありますが、例年に比べてはまだまだ大したことはありません。

さて、少しお休みをいただいていますが、毎日とてもたくさんの方に訪問いただきありがたい限りです。
こんなに来ていただいても更新なしは申し訳ないですし、私も本来書くのがとても好きですので、中間報告的に少し書きますね。

休みをいただいてこれまでを振り返ることにおいて、とても有意義に過ごさせてもらっています。
いろんな反省がありますが、一つは「その仮説がどれほどの実態なものなのか」を書かないまま記事にすると読者の方は疑念を抱くのではないか、と。
具体的に言いますと、その仮説は既にある程度実証が進んでいるものなのか、あるいはまだ思いつきなのか、必要な事実確認は十分なのか、それとも想像のみなのか。
そして重要なことは、そのテーマに関して自分は専門家なのか。
このあたりの実態をまず説明してから自説を展開するのがよいと思います。

その実態が単に思いつきであっても、その発想自体が新鮮であれば、言論の自由に裏打ちされて、ブログは極めてフリーな発言の場だと思います。

もう一つの反省は、そうした自説の展開に際して、ブログという不特定多数の方々に発信するメディアが適切であるか、の問題です。
こちらに関してはまだ熟慮中です。
機会を改めてまた書いてみます。

今日お話しすることは、私は専門家ではありませんが、熱心なファンとしての見方と、それなりの事実確認のもとでの自説展開です。
観察が若干不十分で不確かな部分があるのは事実ですが、それでもなお、発想は新しいかな、と思いますので紹介させていただきます。
言ってみれば「当たるも八景、当たらぬも八景」といったところです。
それでよろしければ、是非「続きを読む」をクリックしてください。

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ビートルズ解析例 その5

- ジョンとヨーコ、愛の姿 -


心の安らぎとビートルズ


これまでの4章ではビートルズの音楽的解析を様々な角度から試みた。自分の音楽的な感性と取り組みからビートルズを主としたポップな音楽への憧れと、いかに一介の音楽好き人間がとことん楽しみ、解析する喜びを書いたつもりである。技術系サラリーマンとしての解析手法も十分に発揮できたのではないかと自負している。
しかし、解析はもうこれで十分であろう。解析云々ではなく、音楽から、あるいはミュージシャンから心から安らぎを得たい、リラックスしてそして感動できる、そんな要素があってしかるべきなのである。
ビートルズに限らずそうした要素が得られるミュージシャン、アーティストは多いし、また人それぞれ感じ方が違う。言うまでもないことだが。私の場合も精神的安らぎを与えるアーティストはいろいろいるが、やはり、ここまでこれだけビートルズ解析を中心に行って来たわけだし、ビートルズの連中にとりわけ心打たれるというか相通じるものがあるので、最終章としてもビートルズの心を綴ってみたい。

母の死とビートルズ

私としてビートルズの面々に好感を持てるのは、彼らは結構若い時に苦労しているからだ。とりわけ、ジョン、ポールは、14、15歳という多感な時代に母親を亡くすという大変な試練を経ているのだ。男子にとって母親を亡くすのは大変つらいものだ(もちろん女子もそうではあるが、男子にとってはより辛い)。そしてそのつらさは男子の年令が若いほどつらくなる。
私は、43歳の誕生日を迎えた1日後母を失った。76歳であった。76歳とはある意味では「老年」と定義できるから、その歳で死んだのだから、諦めがつくのではないかと思われるかもしれないが、当事者としてはとてもそんなものではない。今や女性は86歳の平均寿命である。平均寿命とは、幼児期に亡くなるケースや自殺や不慮の事故も含む。ごくありきたりに生きている女性の平均寿命、別な言い方をすれば、私の母親の世代の女性の病気か寿命的な亡くなり方は90歳かそれを超えるのではないか、数字の意味では。それからすると私の母は随分早死にで可愛そうである。そして、43歳で母親の死を迎えるというのは今時早い方であろう。とにかく、私の母の死は想像を絶する悲しみであった。

ジョンの母親への愛と、一生

前置きが長くなった。ジョンやポールが中学生時代に母親を亡くした悲しみ、苦しみは想像を絶するものがある。私の母親の死でさえかくほど悲しんだのだから、彼らの悲しみの程度の深さは全く次元が違うものだったと想像する。特にジョンの場合は、幼い時期に母ジュリアが出て行き、ミミおばさんに育てられ、そしてとどめはジュリアの交通事故死だ。ジョン自身が「母親を二度失った」と言っているが、それは冗談でもなんでもない。まさに心底の叫びである。ジョンは、アルバム"The Beatles"で母親のことを歌った"
Julia"を書き、そして解散後の"ジョンの魂"においては"Mother"という曲を絶叫しているのだからその苦しみと、その苦しみから脱皮する苦しさと力強さが見てとれる。ジョンの一生は、ミュージシャンとしての成功という表舞台と、母の死を初めとする人間世界の葛藤と機微そして成長と心の安らぎ、という心の内面の波乱が織り成した実にドラマチックなものであった。

音楽家の感性と職業

音楽や芸術というもの、感性的なものが決め手になることも多いことから、一般の職業とは若干異なり、私生活における生き様も重要なファクターであるとも言われている。しかしそうは言っても、厳然たる職業の一種ではあるし、しっかりしたプロセスを踏まないと音楽もできないし、曲の完成にも至らない。一般の職業同様、steadyな職業的責任とプロセスは避けて通れない。
私生活とはきっちり分けて仕事をする職業的音楽家、芸術家も多くいるのである。もしかしたら、かのポール・マッカトニーも、私生活をあまり表に出さない音楽家かもしれない。
ジョンも最初はそうであったようだ。クォーリーメン時代からシルヴァー・ビートルズ、そしてビートルズでデビューして数年のうちは。端的な例は、最初の結婚相手のシンシア・パウウェル。リバプールの美術学校で知り合い結婚したが、彼女との生活は音楽活動とは切り離していた。また、当時のジョンは、意気がった青年の域をあまり出ておらず、女性に対する対処も他の男たちのそれと大して変わらなかったものとみられる。映画「イマジン」でのシンシアの発言でそのあたりがよくわかる。

何故ジョンとヨーコ?

ジョンは、少なくともビートルズ初期頃までは、普通の男的な感覚で攻撃的な感情をロックにぶつけた部分が多いとみてよいと思われる。それプラス彼本来が持ち合わせていた生来の芸術的な部分を、意識的あるいは無意識的に取り入れながら音楽を作っていったのであろう。
おそらく1964年頃まではジョンの音楽あるいはその周辺のアーティストとして表現する部分は、自分の生き様とは一応一線が引かれていたように思う。言い方を変えればミュージシャン職人の域であったはずだ。それが、時を重ね最終的にヨーコと結婚し居を構えるようになったジョンは生き様そのものを音楽に表し、そして生き様そのものがアーティストとなっていく、それが私の一つの大きな見方である。そしてそのジョンとヨーコの愛情が核となる芸術性=生き方は大変心を打つものがある。少なくとも私は強くそう感じるし、そう感じているファンも多いであろう(その一方逆の感情をもつファンも多いが)。さらに私的には、ジョンの生きて来た足跡にとても感銘を受けるし、ジョンとヨーコの愛の姿、生き方についても自分と照らし合わせたり、自分の生きがいにつなげてきた。
よって、本章ではジョンとヨーコの愛の姿について書き、私のビートルズを中心としたポピュラーミュージック論を締めくくることにしたい。

ビートルズ初期のジョン

ビートルズが1962年にデビューし、その後しばらくは詞も音楽も、グループとしてのアピールもジョンが中心になって創造し表現してきた。ポールもその類稀なる音楽性を既に初期から見せてはいたが、総合的なパワーとして初期においてはジョンにはかなわなかったのである。ジョンは生来の感性と音楽的能力から若者の真に求める音楽を作っていた。特に1964年のアルバム"A Hard Day's Night"はジョンのアルバムと言ってもいいくらいだ。そして本を書いたり絵を書いたりと音楽以外の芸術的アピールもしていた。

1965年”Help”で変調が..

こうした調子に最初の変調が見られたのが、1965年の"Help"ではないだろうか。自分の悩みを綴った詞を取り入れている。「自分は今苦しい、どうか助けてくれ」という内容の詞であり、曲としてはマイナーコードを多めに使いながらも全体としては軽快なポップ調に仕上がっている。映画"Help"のオープニングでこの曲が印象的に使われ、ジョンははつらつとして歌っている。しかし、ジョンは後のインタビューその他で「"Help"では私は本当に助けを必要としていた」と何度も言っている。では何を苦しんでいたのか? それを解く前にもう少し話を進める。

さらにその先は?

"Help"を出した1965年まではジョンの作った歌は十分ポップで魅力的なものが多かった。詞の内容がそれまでとは違った内省的なものが多くなったとはいえ、音楽だけでも十分に万人に訴えるだけのポップ性を持っていた。ちょっと風刺的な歌"Nowhere Man"はとても独特で味わいのある仕上がりの曲になっている。心に悩みがあったとしてもジョンの音楽的力量・感性は相変わらず全開であったといえる。
1966年に入ると、ビートルズは実験音楽、室内音楽に傾倒していく。ジョンもその流れを汲んで高度な音楽を目指していく。そして彼の独特の精神世界と相まってあの名曲"Strawberry Fields Forever"を完成させる。この曲は詞、音楽性、雰囲気が微妙にバランスを取り合い最高の仕上がりになっていると思うが、ポップさにやや欠け、そしてそのことでファンがやや離れてこの曲がヒットチャートNo.1にならないという結果になった。

歴史的出会い

そしてこの1966年、ジョンに歴史的出会いがあった。そう、ヨーコこと小野洋子との出会いである。ニューヨークのある画廊でヨーコが前衛芸術作品の個展を開いていたところへジョンが訪れたのである。ある作品は、脚立が置いてあり、それを登りきったところに虫眼鏡が置いてあり、天井の小さな紙を見るようにできている。虫眼鏡で見ると"Yes"と書いてあるのがわかる。「"Yes"というポジティブな言葉が書いてあったので私は大変感動した。これがもしネガティブな言葉だったら私は全然興味を示さなかっただろう」と、ヨーコへの関心が電撃的に湧いたいきさつについてジョンは何度も語っている。最初私はこれを聞いて「変な話だな」と思ったが、ヨーコが1990年頃に東京で開催した展示会で同じ作品を展示していたのを私も実際に見てみたところ、確かに「なるほど」と思った。しかしいかにもアーティストらしい発言である。
この出会いをきっかけに二人は一気に親密さを深めて行き、ジョンにとっては生き様、考え方、音楽に大きな影響を及ぼし、1969年の正式な結婚を経て「ジョンとヨーコ」という独特の世界を作っていくのである。

ジョンとヨーコが連れあった期間

ジョンとヨーコが連れ合った1966~1980年の期間において概ね次のような時期に分けられるのではないかと思う。1.1966年の出会いから実質的にビートルズが解散状態になりジョンとヨーコが正式に結婚した1969年まで、2.ジョンとヨーコが音楽や反戦活動を活発に行っていた時期(1969~1973年)、3.ジョンが荒れ、一時別居していた時期(俗に「失われた期間」)(1974年)、4.ジョンが音楽活動をやめ息子ショーンが生まれ、ジョンが「主夫」として幸せに家庭生活を築いていた時期(1975~1979年)、5.音楽活動を再開し二人共作の"Double Fantasy"を出した時期(1980年)。
ジョンが出会いから一貫してヨーコに対し抱いていた感情の柱はあると思われるが、その時期々々において少しずつ考え方や感情は変化していったはずだ。二人の間の関係も少しずつ変化し、危機を経ながらもより強固な間柄になっていったと思う。

ジョンは”Help”で何を悩んでいたのか?

まずは、ビートルズの初期に立ち返り、"Help"の頃にはジョンは何を悩み、何を求めていたのか、そしてヨーコの何がジョンの心を満たしたのか、そのあたりを考えてみたい。
ビートルズ時代のジョンの心境は様々な本で書かれているから、ここではごく簡単に紹介するに留めたい(他の本の焼き直しがこの本の目的ではないので)。ジョンはビートルズでデビューした時には既にシンシアと結婚しており、そしてすぐに息子ジュリアンを設けた。しかしビートルズは超多忙だった。売れっ子アイドルが多忙なのは言うまでもないが、ジョンとポールの場合はこれに作詞・作曲、アレンジ、演奏の練習といったことが加わった。しかも年に2枚の自作のアルバムを出すように義務付けられていた、しかもハイクウォリティな作品を、ことは想像を絶する忙しさとプレッシャーとストレスとの戦いであったと思われる。これだけを見ても、夫婦の会話や家庭の団欒などありえないことがわかるというものである。アイドルは孤独だとよく言われるが、ことさらジョンは孤独たっだことは想像に難くない。そしてもう一つのストレスは、常に4人一緒に行動していたこと。いくら旧友の仲とはいえ、度重なるツアーや公演でホテル等で一緒に居るのは耐え難かったと思われる。1966年の東京公演で、ヒルトンホテルを取材したカメラマン浅井慎平氏が、ホテル内で彼らはだまりこくっていたと述べていることからも、その一端が窺える。もう一つのジョンにとってのストレスはポールの存在だったのではないか、と私は考える。1964年まではジョンの創造のパワーはいかんなく発揮されていたし、音楽的な部分も含めてジョンが名実ともにビートルズのリーダーにふさわしかった。しかし、ポールの天性の音楽的才能は早くから少しずつ芽を吹いており、ついにあの名曲"Yesterday"の発表となる。"Help"と全く同じタイミングの発表だ。"Yesterday"のもつインパクトは計り知れないものがある。まずそのジャンルを超越した名曲性にある。従来のビートルズファンはもちろんのこと、ロックに関心がない人々までを魅了するであろう名曲性をこの曲は持っている。そして次には、この曲にはポール以外のメンバーは録音に全く参加していない、というよりも、他のメンバーの存在を想定して作った曲ではないのだ。つまり"Yesterday"はポールのソロデビュー曲といっても過言ではないのである。アイドルとしてグループの和が重要視されていたさなかに、特定のメンバーのみによる作品を発表することはよほどの議論があった(ジョージ・マーティンその他の間に)に違いないが、その名曲性からGOサインが出たのであろう。このことで、ビートルズの中のポールの力関係が上がったと思われる。ジョンにとってはプライドが傷つけられたことであろう。東京公演での"Yesterday"での演奏はエレキで行うのだが、ジョンはポールが編み出した奏法で弾かざるを得なかったのである。事実、「この曲は我の魂ここにはなし」といった表情で演奏していた。

ジョンの脱却の手立ては? そしてヨーコ

"Yesterday"の発表を契機として、ジョンがこれから先々、音楽的にも力関係においてもビートルズのリーダーとしてポールとどのように伍していくのか全く不安だったはずだ。第一、すでに年間2枚のアルバムを出すノルマによりそれまででも一杯々々だったのに、それ以上ジョンにとって音楽世界が広がる自信もなかったし、こんなきつきつの生活を続けることは耐えられなかったのではないか、と想像する。
八方ふさがりになった自分を癒してくれるような人間、あるいは心を托して話し合える人間がいなかったのだ。
いや、こんなことは誰でも言える。これから先が私のさらに掘り下げた想像だ。ビートルズのノルマやファンへのサービス、そしてポールとの葛藤といった事柄は人間ジョンの生きた感覚から生まれてきたものではないということだ。全て見えざる潮流に支配され、自我を失い、生身の人間として褒められたり叱られたり、あるいは意気投合したりなにかに意欲的になれる、そんな当たり前の人間としての基本的なものを失っていたのではないか。
こうした状態で、かつ八方ふさがりのストレスに陥ったジョンが求めるのはどんな人間であろうか? 従順でジョンに尽くす優しい女性だろうか? あるいは悩みを聞いてくれる女性だろうか? いや、違う。こうした女性は一時(いっとき)の慰めは与えてくれるかもしれないが、「ポップなヒット曲を量産しなければいけない」とか「ポールと伍していく」などといった窒息しような将来の呪縛から解かれる訳ではない。当然、男女に限らず同業者の人間や似たような境遇の人間も基本的にはジョンにとっての救いにはならないはずだと思う。私が想像するに、ジョンとは全く違った世界に生き、全く違う(魅力的な)価値観へ向う力強い女性こそがジョンの求める人だったのだろうと思う。丁度、地球の中で蠢き苦しんでいる人間が、地球外にベクトルを向けて行動している人間に救われ、新しい自分の行き方を感化され、そして共有していく、そんな例えが言えよう。そう、これがヨーコなのである。

「別世界」へのベクトル

上で述べた5つのピリオドを通じて一貫してヨーコがジョンに与えたものは、こうした「別世界」へのベクトルである。これによりジョンは救われ、新しく希望に満ちて、八方塞でなく無限の未来を見出した。と同時に、自分のこれまで居た音楽世界も改めて見ることができ、自分なりの新しい価値観でやり直すことができた。当然ながら、ジョンがヨーコに与えた影響も大きく、ジョンのもつ音楽世界、芸術世界によりヨーコの活動も広がったのである。

強い男女間の愛もあった

もう一つ強調したいのは、この二人の間には男女間の強い愛も存在したことである。一般的にはヨーコの容姿は女性としてはあまりよくないと見られている。特に欧米の人たちのヨーコ評は酷評であった。ジョンのファンはなおさらであった。ジョンとヨーコの間は精神世界だけのつながりだったと見る人も多いが、純粋な男女間の愛も強かったのである。

ここで少し脱線させていただきたい。男が女に惹かれる要素に関して一般的に言われていることをここで敢えて繰り返すまでもあるまい。私の場合、これに加えて次のような要素が女性にある場合にその女性を自分のものにしたくなるのである。それは、女性がある種の引け目がある場合である。引け目とは? ちょっと容姿が劣っている、歳を取っている、過去がある、借金がある、家庭環境が悪い...。もしこうした女性の前に男性が現れ、「この男性は好きだが私には不釣合いなので申し訳ない」のように思ったとする。そしてその男性、つまり私、がその女性に魅力を感じた場合、その女性が引け目も持っていることが魅力を倍化させるのである。ここで矛盾が生じる。引け目を感じるのだから、絶対的な魅力も小さくなりがちだ。私がもしその女性に対して、自分にしか得られない素晴らしい魅力(容姿含め)を数多く見出し、かつその女性は引け目を感じている。そんな状態を私はベストと考える。私がその女性を得たトータルな生きがいがベストだという意味である。一種のボランティア精神もあるかもしれない。よく学生時代「中村は女性にはえぐい趣味だ」と友人たちからからかわれたが、それも否定できないし、そして上述した背景があるからだ。
こうした要素がジョンとヨーコの間にあるのではないかと思う。ただし、ヨーコが引け目を感じていたかどうかは疑問である。
それとちなみに、私は女性としてのヨーコ自身も好きだ。

第1ピリオド(出会いから結婚まで)

さて、ともかくもジョンとヨーコの出会い(1966年)があってから正式に結婚する1969年までの第1ピリオドは、ジョンがまだビートルズとしての活動をしていた時期であり完全な"John & Yoko"の世界は形成していないが、ジョンの音楽に対するヨーコの影響ははっきりと現れていた。まず、不特定多数を満足させるポップな曲を作らなければならないという呪縛から解かれ、ジョンは自分の表現したい音楽を素直に書くようになった。曲のポップさよりも自分の感情をストレートに詞にすることに専念した。失った母の想い出と愛、ヨーコへの愛、つらい自分の気持ち、世の中の不条理さ、嫌な人間への揶揄、などなど。ある時期から平和にも大きな関心を示すようになった。
66年以降のジョンの作った曲は、はっきり言ってバンドとしての魅力の部分では峠を越えた。基本は生ギター1本で表現できるような強いメッセージで作ったような曲がほとんどであろう。例えとして日本のフォークに似ている。それでも、時々変拍子を入れたりなどの工夫を凝らしたりとか、ポールによる洒落たベースラインの味付けによりさすがビートルズの曲として仕上がっているものも少なくない。
69年のGet Back Sessionあたりでの苦労などもあったが、全般には自分らしい音楽に満足し、ヨーコとのベクトルも合ってきて幸せな方向へ突き進んでいったものとみられる。そして69年のアムステルダムの「ベッドイン」というユニークな催しに行き着く。愛と平和のアピールを「ジョンとヨーコ」のスタイルで全開だ。

第2ピリオド(ジョンとヨーコの生活・活動が全開)

第2ピリオド(69~73年)はジョンとヨーコが夫婦として生活、活動とも最も盛んであった時期である。まさに新しいアーティストとしてのあり方を世に示した。プラスチックオノバンドとか反戦活動でのヨーコの勇ましい姿がよくマスコミに取り上げられたためか、ヨーコのそういう部分のみのイメージを持っている人も多いが、実はヨーコは女性らしい部分もずいぶんと持っているのだ。
映画「イマジン」を見るとそのあたりがよくわかる。ベッドの中で二人並んで横たわりながら「あなたは~~だから好き」というようなことをささやき合っている。そのヨーコはとてもかわいらしい。また、自宅を訪れた熱狂的なファンをなだめ現実を悟らせる、しかし突き放すのではなく家に招き入れて一緒に食事をする、という人間味のあるジョンの人格が見られる。そしてそうしたジョンを尊敬しているヨーコがいる。互いに慈しみ合う二人であった。
はりきって活動し生活してきた二人であったが、73年ごろからジョンの雲行きがあやしくなる。酒におぼれたり、友人と放蕩生活に入ったり。このあたりのジョンの心境を解析するのは難しい。またしても行き先が見えなくなり閉塞感が出てきたとも見られるが、ジョンもある種ふつうの人間、あるいは自制心にかけた部分も少しはあると見ておくことも必要であろう。別な言い方をすると、ジョンはカリスマ的芸術家とも言えるが、violentな部分も兼ね備えた紙一重な状態だったともとれる。まあ、それだからこそ絵になるロッカーとも言えよう。万事が清く正しい宗教家のような人格であったらつまらないであろう。

第3ピリオド(失われた期間)

そして、74年に冬の時代、つまり別居生活、に入るわけだが、その時ヨーコのとった態度がすごい、というか超越し過ぎている。パン・メイというベトナム人女性をジョンに侍らせたのである。結果、ジョンはヨーコが自分のとって必要な、かけがえのないパートナーであることを昔以上に認識し、ヨーコのもとに帰るのである。あたかも、ヨーコという観音様の手の平の上で遊ばされたジョンのようであった。ここまで達観し、器の広く、そして先を見通せる女性がいるだろうか?

第4ピリオド(幸せな主夫時代)

そこから先のジョンは一途にヨーコ、そして自分の家庭に向いていった。75.10.9にジョンの誕生日に息子ショーンが生まれ、ジョンは"主夫"となり、音楽を一旦停止し、家事・育児に専念するのである。
結論を先に言うと、私はこの時期のジョンが一番好きなのである。その理由を言う前にまずは彼らの状況の変化から。
レコードを全然出さなくなったジョンにはファンは不満だった。主夫としての考えなどは全然示されなかったので、ただ音楽をやめたことだけが目立っていた。私も同様であった。この時期のジョンの考えは80年のプレイボーイ誌のインタビューで明らかになった部分が随分ある。つまり後で知った部分の方がずっと多い。
ジョン一家が毎年日本をお忍びで訪れ、軽井沢に滞在していたことは私も知っていた。しかし前述したように、私は、彼らが音楽をやめてしまったことをnegativeに感じていたので、彼らのお忍び来日にもそんなに興味は持っていなかった。しかし、後でわかるのだが、その当時の一家は幸せであった。ジョンの気持ちも最高潮であった。77年夏に大学のサークルの1年先輩のT氏が軽井沢まで出向いてジョンたちを見たといっていた。さすがに羨ましくはあったが、まさかわずか3年後に亡くなるとも知らず、そして主夫の心情も知らずで、それほど羨ましくもなかった。しかし今となっては、万難排しても見に行くべきだったと悔やんでいる。

主夫ジョンへの私の見方

前置きが長くなったが、ジョンが主夫として充足した気持ちで生活しようと思ったきっかけは語られているようであまり語られていない。ヨーコの仕事が忙しかったことや、ジョンがインタビューで答えているようにパンを焼いたり子供を育てたりすることに喜びを見出したことはよく知られている。
ここから私の推測だが、ジョンは主夫になって、きっと女性の気持ちがわかったのではないかと思う。実際に家事や育児を本格的に始めてみて初めて女性の大変さ、女性の立場や気持ち、そして女性の喜びを見出したに違いないと思う。優しいジョンはとりわけ、これまで抑圧されてきた女性の「負」の部分に心を痛め、女性の解放を願って自ら主夫の立場に深く入り込んでいったものと思う。間違っているかもしれないが、私がジョンという人間をずっと見てきてそう思うのである。
そしてこの私こそがジョンのこの気持ちに大変同感するものがあるのである。ある意味ヨーコと共通する部分のある妻を持ち、しかもその妻は女系家族に生まれ、そしてさらに私には女の子だけが生まれた。これまでは男性中心の社会にだけ生きて来たことが痛感させられた。そして時間はかかったが、女性の解放のためジョンと似た行動をとった部分もある。いわゆるフェミニストのような片意地をはったような気難しい考えではなく、無理なく女性のためを思った行動をとってきた。この境地になって俄然ジョンとヨーコのファンになった。そしてジョンの主夫時代のジョンが最も好きになった。軽井沢の写真集などを見るととてもほのぼのとした家族の姿が見てとれる。7、8年前に浅間山・鬼押出へ行った我々家族で行った際、ジョン一家の写った写真にあるのと同じ小岩が存在していて感動した。

ジョンの名句

少し話がずれるが、ジョンの興味深い言葉の1つとして、「ヒット曲を作り続けることもやめることも両方しんどい。私は両方やった」というのがある。ジョンの長年の心理状態の変遷を端的に示す名句だが、もしヨーコと出会わなかったら、ヒット曲を作り続けることにもがき苦しみながら自滅していたかもしれない。

第5ピリオド(音楽活動再開)

いよいよジョンとヨーコの最終(第5)ピリオドに入る。音楽活動を再開し二人共作の"Double Fantasy"を出した時期(1980年)、そしてこのピリオドは「ジョンの死」という悲運で幕を閉じることになる。
私がジョンの音楽活動の再開のニュースを聞いた時、どれほど喜んだかわからない。そしてもっと驚いたのは、"Double Fantasy"の1曲目"(Just Like) Starting Over"をラジオで初めて聴いた時、以前のジョンとほとんど変わっていなかったことだ。「ジョン節」が健在だったのである。しかもサウンドは勢いを盛り返していた。予想していたのは、もうすっかり枯れ老境の雰囲気で歌うジョンだったが、なんのその。

このピリオドは基本的に主夫時代同様幸せな時期である。興味の対象が無理なく音楽に向いて来たと考えてよいと思う。
それにしても突然の死は理解を超えた。これからどうやって生きていこうか、なんか大事なものを失った気がした。

ジョンの死のもつ意味、そして「ジョンとヨーコ、愛の姿」

40歳という年令は客観的に考えればあまりに早いが、ジョンの場合十分に人々を魅了し訴えかけて来た。姉が「40まで生きたのだからいいじゃない」と言った言葉も妙に説得力があった。
最近Eさん(ピアノの項で登場)が言った素晴らしい言葉がある。「ジョンがもし今でも生きていたら、ジョンが生前に唱えた平和が実現しないのを見てどんなに悲しむだろう」と。

ジョンの死を正当化する気は全くないが、ジョン、そしてヨーコの過した素晴らしい時間は私にそして全世界の人々に十分生きる勇気と感動を与えてくれた。
私の大好きな「ジョンとヨーコ、愛の姿」に感謝して最終章を締めくくることにする。

2004.10.29

テーマ : ビートルズ関連
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ビートルズ解析例 その4

- 我が青春のギター -


私の人生において大いに嗜んだ楽器ギター

ギターは、これまでの私の人生において嗜んだ楽器の1つであり大きなものを占めている。順番から言えばピアノより後にいじり始めたのだが、多分ピアノ以上に長い時間いじってきたと思う。ピアノやベース同様、ギターにおいてもビートルズとの関わりが一番多くなる。
しかし、残念ながら、ギターにおいてはピアノ、ベースあるいは「東京公演の謎」のような独自の観点から解析を試みるのは容易ではない。ロックの世界においては言うまでもなくギターの愛好家が一番多く、ビートルズはじめ多くの一流アーティストのギターに関しての解析や論評は大変多く、そしてユニークな視点のものも多く見られる。それでも約30年、ギターとの付き合いの中で生まれた想いを描いてみたくなった。

まず、大前提として本稿で言うギターとはフォークギターまたはエレキギターである。クラシックギターは除外する。「オイオイ、除外するなよ」との声も聞こえそうではあるが勘弁を。クラシックギターはそれはそれですごい世界があることは知っているが、コードストロークやチョーキングと言った「脊髄の痺れる」感覚をここでは優先しますんで、クラシックギターの世界はまた別途機会かあれば、ということでご勘弁を。

日本のフォークソングは?

次に、私は1970年代に流行った日本の「フォーク」にはそれほどなじめなかった。理由はいくつかあるが、最大の理由は、音楽よりも精神世界を優先していたから。いっそのこと「詩に少し音楽が付いている」と思えばよい(と言ったら大変なお叱りを受けることはよくわかっている)。音楽だけで評価するには、まず第一にマイナーコードが多すぎるし、全体が単調過ぎる。もし詩の内容を鑑賞しないとしたら音楽だけでは成立しそうにもない。
しかし、かくいう私だってそれなりには傾倒した。特に大学のサークルなどでは仲間が集まれば必ずフォークギター1本で夜通し歌い込んで意識を共有することができたし、心のよりどころにしていていた部分も少しあった。
それともう1つの重要な点は、日本語は音符に乗りにくいのだ。日本語は1音1音節だから、1つのオタマジャクシにカナ1文字しか乗らない。非常に間が抜けてしまうのだ。それに比して英語のよくできた歌詞は重厚である。「韻」という歌にとって重要な技も英語に軍配が上がる。日本の優れた詩がうまく乗れるような新しい音楽はないものであろうか?

一生の持ち物ヤマハギターを買う

ピアノの章で述べたように、私は中学生の時にロックに開眼しピアノをいじるようになった。しかしロックの中心はギターだし、日本でも70年代初期はギターの人気が高まっていた。例えば、あこがれの浅田美代子がギター片手に「赤い風船」などを弾いているのは全てのヤングジェネレーションの憧れだった。要するに、当時の少年少女の平均的な憧れの多分にもれず私もギターが欲しくなった。
高校1年、15歳の時、親のスネをかじってフォークギターを買った。浦和の柏屋楽器店でヤマハの13,000円のフォークギターを買った。当時(今でもそうかどうか知らないが)ヤマハのギターの品番の数字の部分は価格を表していた。少しギターを知る人間の間では有名な事実である。サウンドホールの奥にシールが張ってあり品番がプリントされている。だから、私は、マジックで「3」を「8」に書き換え、そして0(ゼロ)を1つ付け加えた。
結局、このギターはいい買い物であった。31年たった今でもネックは反っていないし、正しいチューニングができる。上の娘に貸したつもりがいつの間にか娘のものになってしまったようだが、要は2世代使える代物だった。

ギターの楽しみ方

一口にギターと言ってもどういう楽しみ方があるのか。それは千差万別である。まずはフォークかロックか? アコースティックかエレキか? サイドかリードか? この問いは愚問といえば愚問である。自分でいろいろ試行錯誤しながら探すべきものだ。
ただ、敢えて一点言うなら、ロック系のリードギターを目指すなら早いうちからそれを念頭において精進するべきだ。ロック系のリードギターには独特のテクニックがある。そして私はそれはできなかった。
私は、一時、S&G(サイモンとガーファンクル)に凝ってフォーク系に行こうとしたことがあった。しかしやめてしまった。やっぱりなんとなく暗いと思ったのである。
ロックの脊髄への響き、英語の韻、そんなことから欧米系のロック、なかでもビートルズに傾倒することになった。

ビートルズのギタリスト達

私がギターを買った1973年は、ビートルズは既に解散していた。いろんなプログレシブロック系が台頭しており、優れたギターテクニックをもつバンドが見られた。エレキギターのポテンシャル能力を引き出すようなハイテクを披露するようなギタリストもどんどん出てきた。
そんな中で、ビートルズははっきり言って、エレキギターエリートではない。
新進気鋭の「エレキバンド」としてセンセーショナルに登場しておきながら、その実態はエレキエリートではない。
なにしろまずその楽器の選択だ。リンゴ・スターがラディックの一流ドラムスを選んだ以外はエレキエリートとは質を異にしていた。
ジョンのリッケンバッカーのショートスケールのギター。手が小さい訳でもないのに、ショートスケールを選んだおかげでサウンドは随分犠牲になっている。ポールのカールヘフナー500-1。これもショートスケールでホロボディ。ステージワーク重視で選んだものと思われるが、これもサウンドへのマイナス効果大。そしてジョージのグレッチ社製大型セミアコギター「カントリージェントルマン」。弾くためのテクニック的制約といい、サウンド的制約といい、かなりのものがある。後期でこそジョージはソリッドギターを持ちリードギタリストとして巻き返すが、前期のジョージのギターの多くは私でも弾けてしまうことから、真のリードギターとは言い難い(失礼!)。
エレキバンドでありながらエレキバンドらしくないビートルズ。類稀なる音楽センスをもってして、独特のコード進行・コーラス、詩の内容などをもって世界を席捲したというのが私の理解である。

ビートルズギターのアイディア

ビートルズの音楽は、私ごときの一介の愛好家がテクニック的にはコピーしうる範囲での、アイデアの創出とその組み合わせにその真髄があるものと思われる。ジョージのギターは素晴らしいものが多いが、リードギターとして超スゴイものはあまりない(と言っては失礼か?)。私レベルの技術で真似できてしまうフレーズが多い。難しくはないが、果たして思いつくかといえば難しい、つまりコロンブズの卵的good ideaが多い。
ジョージにおいては、解散後の"Living in the Material World"のようなソロアルバムでその才能が開花したと言っていいのではないだろうか。これらのアルバムでのジョージのアイデアや技術には本当に敬服する。

結局私にとってのビートルズギターとの関わりは

結局私のギター人生の中で主体的興味を持ったのは、ジョンのサイドギターとコーラスグループとしての和音を重視した曲の進行と構成、そしてポールによるあくなきサウンドへの追究、そんなところであろうか。ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンといったハードロックエリートのギターを少しかじったこともあったが、頓挫した。演奏可能、素晴らしいコーラス、社会的現象、音楽的ウィットという点でジョン・レノンギターに傾倒することになった。前述したように、ジョン・レノンのギターは、それ単独でとりわけ取り沙汰されるというギターではない。しかしそうは言いながら、かなり優れたサイドギタリストと言えると思う。まずは、作曲家としてのコード進行やコーラスの付け方は絶品であることは、既に種々メディアで十分言い尽くされている。それプラス、サイドギタリストとしての旨みが磨きをかけている。言葉で表すのは難しいが、表現力豊かである。例えば、"She's A Woman"。わりと単調なA7、D7、E7の繰り返しだが、どのストローク一つとっても同じものはない。絶妙なストロークのタイミングとアタックの妙、ミュートやスライドを駆使して、その瞬間瞬間でのテーマを最大限に表現すべく、微妙に音を変え表現している。この素敵なギターは後期の"Oh, Darling"にも片鱗を見ることができる。

ジョンの粋なサイドギターワーク

超有名なジョンのサイドギターワークとして"All My Loving"がある。例の三連符ギターだ。3拍なので、ある小節ではアップストロークから始まることになる。一見これは超難しそうだが、実はそれほどでもない。慣れればそう大したことはない。事実、私の会社でのバンドはこの曲を演り、私が「3連符ギター」を弾きながらヴォーカルをとった。これもコロンブスの卵だ。テクニックというより、こういう超素敵な弾き方を思いついたことに賞賛を与えたい。むしろこの曲での見せ場は、三連符のところ以上に、"All my loving, I will send to you.."というサビの部分でのジョンのサイドギダー。言葉では言い難いが、歌い手のことを最大限に引き出すべく演出したギターだ。
"Help"のサイドギターも同様の意味合いから、とても表情豊かなものだ。

感動的なLIB屋上シーン

ジョンの素晴らしいサイドギターは挙げればキリがないが、ひとつ印象的なのが映画LIB("Let It Be")でのアップルビル屋上での演奏シーンだ。寒風吹きすさぶ1969-1-30のロンドン。手がかじかむ中、長髪、丸メガネ、毛皮のコートで現れたジョンの姿だけでも印象的だ。1966年の東京公演の頃から使い始めたセミアコ型エピフォン製「カジノ」で演奏した。カジノのボディの塗装を剥しナチュラル加工を施したものを使った。やや篭り加減のサウンドコントロールで織り成すジョンのカジノの音は、まさに69年当時のビートルズの雰囲気を醸し出すに丁度よかったし、屋上で演奏した曲にとてもピッタリだった。

屋上セッションでのテクニックは

映画を目を凝らしてみた限りではジョンはあまり高度なテクニックは使っていなく、比較的シンプルなコードストロークが多かった。しかもローポジションのコードも多用していた。それでいてとても深みがあり表情豊かに聴こえるのは何故だろう。一つびっくりしたのは、ストローク時の右手の振れが、ほぼ手首より先だけだったこと。つまり、肘を支点ではなく、腕は固定し手首を支点にストロークする。こんなに手首の柔らかい人間は見たことがない。しかし、ジョンは昔からそうだったか? 前期のフィルムを観ると、確かに手首奏法的ではあったがLIBほどではないようだ。

やるせない響き"Dig A Pony"

"Dig A Pony"のサイドギターも絶品だ。中でも、"Well, you can celebrate anything you want."というところ。世にも珍しい7連符を唄った後の"want"の部分。単にBmの普通のフォームを押さえているだけなのだが、メチャやるせなく聴こえるから不思議なものだ。手首奏法と関係があるのだろうか? ちなみにこの曲の演奏時、ジョンは歌詞を書いたメモをスタッフに見せてもらいながら歌っていた。もともと歌詞を忘れやすいジョン。東京公演でも歌詞を間違いまくっていた。"Dig A Pony"においては、特に7連符の部分に難しい言葉を並べてある。番毎に言葉が違うが、どれも言葉自体にリズムがあり秀作だ。だからジョンが覚えられないのも無理がない。

ジョンの化身"Don't Let Me Down"

"Don't Let Me Down"も同様の観点から素晴らしい。これも基本は「手首奏法」でEとF#mのローポジションを弾くというシンプルなものだが、とても味わいがある。それにしてもこの曲、ジョンの愛の叫びの歌の代表的なもの。詩自体に勢いがあるし、メロディー、コード進行も素晴らしい。そしてさらに曲の魅力を倍化しているのがポールのベース。いや、倍化というより曲のイメージを決定してしまっている。だからジョンの真意にマッチしているか疑わしいとも言える。結果として私は、ジョンの曲にポールが頑張って付けたベースフレーズは大変好きだ。事実、解散後のジョンのラブメッセージには個性的なものが多いが、トータルな音楽としてはイマイチ乗り切れないものが多い。
こうして書いていくとつくづく思うが、このLIB屋上演奏シーンは、ジョンの強いラブメッセージと魅力的なサイドギター、そしてポールの抜群のベースプレイが集約されているシーンであると思う。よって、もう少し屋上演奏に関して続ける。

独特なフォーム"I've Got A Feeling"

"I've Got A Feeling"は、ベースの項でも書いたように私にとってたまらなく魅力のある曲の1つ。そしてビートルズのロックの決定版だ。キーはA。やはりギンギンのロックはなんとしてもAだ。何故か? 多分1つは、ギター的に5フレットという最もハリがあって安定した領域ということがあろうが、440Hzという人間が生まれて最初に出す声(オギャー)の周波数だからワクワクするのだろうか。この曲のキーポイントはいくつかあるが、その1つはジョンのとるAのコードのフォーム。イントロから鳴っているあの響きだ。人差し指で4弦以上を全部押さえ小指で5フレットを押さえる。そして5弦のオープン弦をベース音として弾きながら4弦以上も弾く。ローポジションとハイポジションを同時に弾くようなイカした感じになる。素晴らしい発明だ。もしこのフォームがなかったら"I've Got A Feeling"の魅力はなかったことであろう。なお、このフォームは"Dig A Pony"の主題ボーカルの部分の伴奏にも使われていて、そこでも大変いい雰囲気を醸し出している。

軽快なロックナンバー"One After 909"
"One After 909"、これは軽快なロックナンバーである。実はこの曲はジョンが62年頃のレコードデビュー前に作ったものだというから恐れ入る。50年代のロックンロールを信奉していたビートルズの面々であったが、単に同類のものを作るのではなく、後のビートルズとしての飛躍を予感させるような曲を作っていた。"Anthology 1"にその魅力的な初期版が聴ける。

圧巻の"Get Back"、そしてちょっと”トリビア”

いよいよ屋上シーンの最後のテーマは"Get Back"。この映画の本来の主題曲といってもよい。ポールの温情でジョンにリードギターを頼んだということである。 全般にAとDの繰り返しでシンプルな構成だが、飽きさせないように各所に工夫がある。ジョンのギターはこまごま動いていて忙しい。しかし演奏できないほどではない。ジョージのカットギターも絶品だ。屋上シーンの最初を飾る1曲目の"Get Back"は名演だと思う。(実はこの前に1回"Get Back"を演奏したそうだが映画ではカットされている。) ところで私はおもしろい発見をした。大学の研究室の同輩で、やはりビートルズファンの彼が言うには、「"Get Back"のジョンのギター間奏のところ、間奏が始まって2小節目の印象的なチョーキングの部分。あの音は3~1弦の11、12フレットを弾かなければ出ないはずなのに映画では5フレットあたりを弾いている。世にも不思議だ。」。この指摘を受けたのが大学院生の頃。まだビデオなどは普及しておらず真偽を確かめようもなかった。やっと確かめられたのは結婚してから。結婚して間もない頃、カミさんが誕生日プレゼントとして買ってくれたビデオLIBを観た。たしかに彼言う通り。そこで何回も目を凝らして問題部分をチェックした。そして驚くべきことに、音と映像がずれていることを発見した。11、12フレットを弾くチョーキングの部分の映像が音よりも2小節先んじている。間奏の部分だからそう簡単には気付かないわけだが、いやしくもビートルズの映画を作るプロがそんなことでいいのだろうか。Eさん曰く、「トリビアの泉に応募したら?」。なるほど。

ユニークかつ偉大な奏法"I Feel Fine"

表情豊かなジョンのサイドギターだが、それプラス非常にユニークなアイデアがあるのが、64年の"I Feel Fine"である。バレーコードを押さえてカッティングしながら、中指~小指を少しずつ動かしてメロディーを加えるというもの。カットギター(コードストローク)とリードギター(のさわり)を掛け合わせたような奏法であり、聴いていても心地よい。このアイデアは素晴らしいと思うが、人差し指を常にバレー状態にしている制約からか、この曲以外のメロディーはあまり生まれそうにない。事実この曲以外でこの類の奏法をお目にかかったことはないような気がする。ジョンとジョージは二人でこの奏法で弾く。ただし二人の間の奏法は微妙に変えて演奏している。G-C-Dの進行だが、問題はG。3フレットベースなので、小指をものすごく開かなくては弾けない。ジョンとジョージはかなり手がデカいので、そう無理なく弾ける。ちなみに、ジョージの手の大きさはアルバム"Living In The Material World"のレコードジャケットで確認できる。しかし今やCD時代だから無理か。

アイディアの宝庫であり名曲の"If I Fell"

もう一つ印象的な曲として64年のアルバム"A Hard Day's Night"にフィーチャーされている"If I Fell"を挙げたい。イントロとはいえないほど存在感のあるイントロにおける不思議なコード進行と不思議なボーカルメロディ。おそらくジョンはギターのあらゆるコードを試しながら常識をくつがえす進行を狙っていたに違いない。そしてメインメロとサビは、イントロの緊張を解除すべく安定した進行。しかしそれでいて奥の深い二部合唱。作曲家としてのセンスも高い。

ビートルズとハーモニー

ところでビートルズがハモることについて。ビートルズはハーモニーとコーラスを非常に多彩に取り入れたバンドといえよう。そして初期から既にそのスタイルは確立していた。私は、中学生の頃ビートルズを聴き始めた頃、ハーモニーが多いことに驚いた、何故なら私にとってハーモニーとは、つならない音楽の授業のイメージがあったからだ。中学や高校の音楽の授業で二部合唱の練習をした時、例えば「花」なんかが有名だが、低音部のメロディーがなんとも暗く感じられたものだ。一種の体制への反抗、と言ったら大袈裟であろうか。おしきせの音楽教育の象徴である二部合唱には近寄りがたいものがあった。ところが、若者の先陣を切るかのビートルズがハーモニーを積極的に取り入れている。しかもそれが若者を感化せしめるに重要なファクターとなっている。やはりハーモニーは重要な音楽要素なのだ。要はモチベーションである。
二部合唱を聴く場合、大抵の場合、というか普通の人は高音部がよく聴こえる。そして高音部は確かに主役である。でも低音部がなくてはハーモニーは成りたたない。声域の関係で、ビートルズの場合、高音部=ポール、低音部=ジョン、という担当になった。とはいえ、ジョンも普通の人に比べたらキーは高い方である。そう、ポールが高過ぎるのである。声域は訓練でそう変わるものではない。天の授けである。ちなみに、私の場合、ジョンより少し高い位。つまりジョンの歌は簡単に歌えるが、ポールの歌は時々苦しくなる。それでも高校時代、練習に練習を重ね、ポールのパートも随分歌えるようになった。ジョンのパートも随分覚えてきた。基本はポールの3度下だが、単純ではなく随分いろんなバリエーションがあることがわかった。例えば、"She Loves You"。メインボーカルの"You think you've lost your love..."というところ。yourまではジョンとポールでユニゾンで歌う。そして"love"のところでで別れる。高音部のポールは明るいlove、低音部のジョンの"love"は暗い響き。そう、高校の授業の「花」の低音部を思わせる暗い響きだ。けど、憧れのビートルズだと前向きに受け入れてしまう。全く現金なものだ。
高校生当時、ビートルズの曲の数々を既に(コード的には)コピーしていた私だが、ハーモニーを何とか自分で演じてみたくなった。当時の機材といえばせいぜい内部マイク付きラジカセ。例えば、"She Loves You"など、まずジョンのパートのボーカルをサイドギター弾きながらラジカセによりカセットテープに録音し、それを再生しながら別のラジカセで、ポールのパートを歌いながらギターで(ベースがないため)ベースのパートを弾きながら別のカセットテープにダビングする、という今となっては笑ってしまうテクで「マルチプレイ」を楽しんでいた。それでもそれなりに感動したものだ。
低音部を担当していたジョンだが、唯一おもしろい例がある。Hey Jude。低音を歌っていたジョンが急遽ポールを飛び越え高音側に飛び越す瞬間がある。"...then you can start..."の"start"の部分だ。私はこれをみて思わず「猫踏んじゃった」のピアノを思い出した。低音担当の左手のピアノが、ある瞬間右手を飛び越え高音側に回る。ところでこの「猫踏んじゃった」。子供の童謡と捉えられているが、その音楽的構成はなかなかのもの。シンプルでありながら、ジャズの要素と少しだけ定石を外れる妙が感じられる。ジョンが高音でポールが低音という例外的パターンもあった。私の知る限り、アルバム"Let It Be"に収められている"Maggie Mae"だけであるが、もしかしたらその他にもあるかもしれない。
さて、ジョージ・ハリスンのハーモニーはどうか。ビートルズのハーモニーはジョンとポールによる、という先入観が強いためか、ジョージのことを忘れがちだが、実はジョージも結構ハーモニーに参加している。前期のステージの映像を観るとジョージが結構歌っている(ジョンとポールの曲においても)。私の知らない部分でハーモニーに貢献している可能性大だ。後期の名曲"Don't Let Me Down"では、ジョージのハーモニーのパートはとても難しい部分を担っている。ちょっと声の質がジョンやポールより少し劣っていたジョージだが、本当は歌唱力は一番よかったのかもしれない。

隠されたジョンの名曲

アルバム"Revolver"あたりからジョンの曲は単にポップスの域に収まらずに、独特の音楽世界、精神世界を形成している。これは進化と見るべきなのだが、実はファンは少しだけ遠のいた。"I Am The Walrus"、"Strawberry Fields Forever"といった名曲を出しながら、若干とっつきにくいこともあってか、ヒットチャートでは若干後塵を排することになった。ところで、後にこれらの曲の装飾部分を取り払ってシンプルな伴奏パートだけでこれらの曲を演奏するテイクが、"Anthology"シリーズで公開されることになった。これを聴いて私は溜飲が下がった。ああ、これらの曲は本来こんなにいい曲だったのだ、と。凝った装飾を施したことで純粋なロック的インパクトを損なった部分もあるのかもしれない、と思った。

ビートルズのベストギタリストは誰? そして私の中に占めるギタリストは?

ビートルズ時代のギターワークにおいて、ベストギタリストは誰か、と問われれば、私はポール、と言うであろう。他の章で述べたことだが、ポールは他の楽器との交わりの中でギターへの取り組みを進化させていったことが考えられる。
いわゆる「エレキギターエリート」の仲間入りの序の口に入れてもおかしくないテクニカルプレイをいくつか残している。"Another Girl"、"Ticket To Ride"、"Taxman"、"Good Morning Good Morning"などがそれだ。解散後も、70年代前半まではリードギターの名演を残した。アルバム"Ram"の"Too Many People"、74年のシングル「愛しのヘレン」(私は実は英題を知らない。当時のヒヤリングでは"Hellen Yellow Wheels"と聴こえた)を挙げたい。(ちなみにこの「愛しのヘレン」、ポールが全ての楽器を演奏している。誠にカッコいい曲だ。どこかにCDカットされていないだろうか)。 しかしポールは70年代後半にもなると大したギタープレイも聴かれなくなる。やはり刺激し合う相手がいなくなったためか。
ポールはフォークギターの名曲も残した。"Yesterday"、"Mother Nature's Sun"、"Blackbird"などなど。ポール・サイモンと比較しても決して劣らない"Mother Nature's Sun"のイカした構成。コピーできるほどシンプルな2音構成だが抜群のセンスの"Blackbird"。
ベストギタリストはポールといっても、やはり私の中で大きなものを占めるギタリストはジョンだ。

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ビートルズ解析例 その3

「ビートルズ解析例 その3」をご紹介します。これは拙著「技術系サラリーマンのビートルズ論」の第3章に当たります。

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-落ちこぼれピアニスト-

ピアノ。誰もが知る楽器。完成された楽曲から手軽に楽しめる音楽..と、これほどまでに広く浸透した楽器もない。そして音楽教育においても重要な位置を占めている楽器。人がピアノの魅力を知るきっかけは様々だ。
一般にピアノとは、クラシックあるいは教育音楽として親しまれている。ところが反面、ピアノはロックの道具でもある。
筆者の場合、ピアノはロックにより開眼し、その延長でクラシシックにも首をつっこむことになった、という変り種である。

筆者と音楽との出会いは古い。しかしほろ苦い思い出である。
3年保育の幼稚園にヤマハ音楽教室が出店しており、そこの生徒になった、というか母親にさせられたのが音楽との出会いの最初である。そこでは足踏み式のオルガンが使用されていた。
我が家は1962年にヤマハのピアノを買った。私4歳の時である。母親は近場のピアノ教師では満足せず、歩いて40分近くもかかる所の先生を見つけてきて、私と姉を通わせることにした。従姉妹の関係にある二人の先生であり、私は初級向けを教えるの35歳位のの先生、2歳上の姉はややシニアな中・上級者向けの先生に習うことになった。この二人の先生の家は数十メートル位しか離れていない。週2回、私も姉も母に連れられて寒い日も暑い日も、雨の日もせっせと通う。母の大変さもさることながら、筆者はピアノの練習がイヤでイヤでたまらなかった。ピアノの魅力なんて全く理解していなかったのにつけ、こんな"まじめ"なお稽古ごとをじっとして習うなんて全く性に合わなかった。筆者は幼稚園から小学生の時分は昆虫大好き人間であり、昆虫を求めて外を探検し回っていた。特に夏は最大の活動の時期である。ピアノの練習なんて何の魅力もなかった。
昆虫の中でも特に蝉が好きだった。時期の移り変わりにより種が変わっていく楽しさと、地上に出てからはわずか1~2週間しか命がないという刹那、鳴き声の魅力、そして捕まえることの奥の深さ、などが蝉好きの理由だ。だから、夏のピアノのお稽古ほど馬鹿らしいものはなかった。おまけに、ピアノの先生のお宅はうっそうとした武蔵野の森に囲まれている。夏は蝉の宝庫だ。ピアノの稽古中に希少種のセミが鳴いたりすると、ためらわず先生に向って「セミを捕まえてくる」と言ってピアノを放り出して外に出て行ってしまったものだ。ある日、先生がたまりかねて、筆者と母を前にして説教をした日があった。その日はピアノの練習をほとんどしないで、ほとんどお話だけの日になってしまった。「せっかく習っているんだからもう少しちゃんとやりましょう。」というのが主旨だったと思う。母はえらくバツが悪そうだったが、かの当人はその日はピアノをやらないで済んだことの方がうれしかった。

そのピアノ教室は年に1回東京駅八重洲口前のブリヂストンホールで発表会を開く。子供用スーツを着させられ、蝶ネクタイをさせられ、ピアノを披露させられるのだ。こんなイヤなことはなかった。一度発表会でブルグミューラーの「牧歌」を演奏したことがある。ピアノの発表会では定番のナンバーの一つだ。やさしいようで難しい。全体の流れをうまくつかみ、うまくリズムをとって、うまく強弱をつけないとサマにならないのだ。発表会前、これを何度も練習させられた。なかなかうまく行かないので先生もかなりイライラしていた。先生結構美人だったのだけど、眉間にシワを寄せ、イライラしてピアノの脇を手でコツコツと叩きながら筆者を叱責指導する。おかげで「牧歌」を今弾くと当時どこでつかえたのかはっきり思い出す。大人になった今では、「こうすればよい」というのが理解できるので、あの時よりはうまく弾けるようになった。

姉はそんなに嫌がってはいなかったようだ。中学高学年までピアノを習い、ソナタ位は軽く弾けるようになった。
それにひきかえ筆者は小学校3年位までしかもたなかった。結局何のピアノの魅力も理解しないうちに耐え切れずにやめたのだ。

筆者は今、会えるものならその先生(遠藤先生という)にお会してみたい。もう75歳位になられているはずである。当時困らせた生徒であったことをお詫びするとともに、今やピアノ大好き人間になったことを報告したい。


この延長で、ピアノに限らずクラシック、そして音楽もろもろにほとんど魅力を感じずに小学校、中学校へと進んでいく。ただ人並みに、歌謡曲やグループサウンズに興味を覚え楽しむことにはなった。

さて、ここからがいよいよ我がピアノ人生が転機を迎える。
筆者も人並みに成長し、中学へ進学し、友人と交わり、いろんなことに興味を示していく。中学に入学したのが1970年。ビートルズが劇的な解散をしたのがこの年であり、数々のプログレシブロックの台頭。日本でも洋楽が定着しつつあった。70年代初期の流行りの一つに深夜放送がある。午前1時から5時までの時間、ラジオ各局は人気パーソナリティを配してプログラムを組む。中でもニッポン放送のオールナイトニッポンとTBSの**曜パックが有名だった。パーソナリティの楽しいおしゃべりに始まり、少年少女の悩み事相談、そしてなによりアメリカ、イギリスで流行っているポップスを興味深く紹介してくれる。ビートルズは解散してなお元メンバーのソロ活動も活発だったし、解散前のビートルズの人気も再燃、そしてリアルタイムでのアメリカ、イギリスのポップスの紹介がされる。こんなおもしろい企画はなかった。中学生だからこんな時間に起きていること自体おかしい。しかし、だからこそ、なんとかして週に何度かは頑張って聴き、翌朝眠い目をこすりながら友人たちに誇らしげに、どんな情報を得たかを話す。
そんな状況だったから、当然のごとくビートルズはじめ各種バンドに出会う。
そして我が人生において最大の出会いの3つのうちの1つ。ビートルズ"Let It Be"(以後"LIB"と略す)に出会った。
あれほどまでに毛嫌いし、あれほどまでに万策を講じて逃げ出したピアノが...なんと、なんと、カッコよくもロックの中で使われている。しかも世界中の若者に支持されているという。クソまじめで何の魅力もない音楽教育ではない。音楽教育など受けたことない長髪の若者のメッセージだ。しかも、あれほど嫌ったピアノの音がすごくカッコよく響き渡っている。筆者は感動した。ピアノってこんな使い方があったのか、と。早速我が家のピアノを5年ぶり位にいじり、姉にLIBをどう弾くのか訊いて弾いてみた。なんとかサマになる。ようし!
1971年の初頭だったと思う。ここに筆者のピアノ人生Phase 2がスタートした。

その後ビートルズ自体に興味を覚えることになる。ビートルズのピアノを主に担当するのはポール・マッカートニーであることと、ビートルズのピアノを使った名曲はLIB以外に何曲もあることを知ることになる。
そして、14歳頃からLIBを契機としてビートルズの(主にポールの)ピアノに徹底的に浸透し、結局ポールのピアノ曲の全てを研究することになってしまった。結局筆者は、このミュージシャンの音楽的センスにぞっこん惚れることになる。ベース、自作自演、ボーカル、バンドのあり方、マルチプレイ、そしてこのピアノだ。

まずは、ポールのピアノの魅力を徹底的に紹介することにする。
最初の出会いであるLIBのピアノは、姉に訊いたり、当時の楽譜(シンコーミュージック等)を買ってきたりして弾いてみた。コード進行はわかった。LIBの場合、C-G-Am-F...という進行はわかる。しかし買ってきた楽譜を弾いてもなんかパッとしない。
理由がわかった。しかし、解ったのはなんと大学に入ってから。
ビートルズの、というかポールのピアノのカッコよさは、脊髄をくすぐる(注;筆者の専売特許の表現)響きだ。この秘密が大学時代に解った。例えばLIBの場合。C-G-Am-F...という進行において、AmやFのルート音はト音記号の領域ではなくヘ音記号の領域をとる。つまり、ピアノの真中の「ド」の音よりも下の領域を積極的に使うのだ。LIBの場合、C-G-Am-Am7-Fmaj7-F6..という風に進むことが解った。しかもAm以降のルート音(すなわち右手の親指の位置)はヘ音記号領域だ。こうやって弾くとあのビートルズになる。すごい発見だった。ビートルズファンは何千万、いや何億人もいるだろうけど、この発見をしたファンはせいぜい数百人ではないか..と密かに自負したものである。

はっきり言うとポールのピアノは難しいものではない。基本的にはコード奏法だ。右手で和音を弾き、左手はベース音をオクターブでとる、というシンプルなものがほとんどだ。これに若干の複雑さが加わる。ピアノのごく初歩を習った者であれば、とりかかることができる。ポールのピアノはおそらく世界中のポップスのグループやアーティストの中でも最もやさしいのではないか? それでいて最もポップに聴こえる。なぜ? ポールのピアノの秘密はなんであろうか?

ピアノという楽器、ある意味で特殊である。その1、ピアノは右利き用だ。すなわち主旋律であるト音記号領域を右手で弾くようにできている。左の方は低音領域であり、通常左手で補佐的に弾く。左利きの人は残念ながらお手上げだ。ピアノを弾くのを諦めるか、あるいは仕方なく右利き用に作曲された曲を不利ながら弾くしかない。
ところで、ポール・マッカートニー、ご存じのように左利きである。ポールは子供の頃にピアノは習っていない。ジョージ・マーティン(注;ビートルズ担当のプロデューサー。音楽的にもかなりビートルズに影響を与えた)や周囲のスタッフなどから聞きかじった程度であろう。映画"A Hard Day's Night"にポールがピアノを弾く短いシーンがある。C(だと思う)のコードを弾きながら左手でド-ソ-ド-ソ..と弾くだけなのだが、これがなんともカッコいい。いずれ訪れるビートルズピアノ名曲を量産することを予見させるような素晴らしいシーンだ。

ポールはこの後、自分が左利きであることに素直にピアノに取り組んだものと見られる。自分で試行錯誤しながらロックピアノとしてカッコよい弾き方を追求していったものとみられる。
そこで、いよいよ持論の一つを紹介したい。ポピュラー音楽界においてはピアノが象徴的に使われるシーンは多い。カーペンターズのリチャード・カーペンター、リチャード・クレーダーマン、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル("Honesty"で有名な人)..等等は素晴らしいピアノを聴かせてくれる。しかし、ポールのピアノに比べると「脊髄への響き」においてはイマイチなのだ。子供の頃嫌ったクラシックピアノに通ずる「優等生音楽」を感じてしまう。おそらくこれらピアノ名手たちは右利きなのであろう、ト音記号領域中心の弾き方なのに違いない。多分、この領域はロックには訴えないのではないかと思う。
そこでポール、左利きだからピアノの左の方に興味があったのか、へ音記号領域を多用した。そしてベーシストだから低音の使い方もうまかったのであろう。LIBのC-G-Am-Am7-Fmaj7-F6..におけるAm以降の位置取りだ。これがポールピアノの真髄だ。この方法をビートルズ名曲のピアノ随所に取り入れることになる。有名な"Hey Jude"のFのコードの右手和音もへ音記号領域で弾く。これをト音記号領域のドファラで弾いても全く感じが出ない。

ところで、少し前(80年代?)まではポピュラー音楽の楽譜というのは、メインメロとコード進行は正しく載ってはいても、伴奏楽器(ピアノやギター)の音の構成はちゃんと書いていなかった。ピアノの音符もそれなりには書いてあるが、コードの構成音を適当にちりばめただけである。だから楽譜を弾いてもそれなりには弾き語りはできるが、あくまで「それなりに」だ。だから、アーティストどおりに弾くにはコピー能力を問われた。なお、最近は絶対的ポジションまでを正確に記したフルスコアバンドが出回っているから、今の音楽ファンはコピーで苦労することはない。
そんなわけで、ポールピアノの低音の位置取りを発見した時はうれしかった。LIB以外でもいろいろ弾いてみるとすごくビートルズらしく聴こえる。とにかくうれしかった。しかも、左手を心もち強く弾くともっとよい。

それと、もう1つピアノの重要な点、それは強弱とリズムだ。ピアノは弦楽器でもあるがギターやバイオリンのように弦の張力や微妙な音の高低や爪弾き方に個性を出すことはできない。あくまでハンマーが弦を叩く強弱とリズムのみに個性が出せる。ある意味で打楽器に似ている。
強弱とリズムにおいてはポールのスキルとセンスは高い。これはなかなかマネできない。まず、ポールはもともと天性の高いリズム感をもっている。映画などを見ていればおわかりになると思うが、ポールには体内リズムマシーンがあるかのごとく正確なリズムを、しかも余裕をもって、とることができる。強弱の付けかたも一流だ。正確なリズムとメリハリ、そしてさらに微妙な間の取り方。この点においてはポールは超一流だ。シンプルなコード奏法の割にはなかなか真似できない理由の1つがこれであると考える。筆者の場合も、LIBは中学以来今に至るまでそれこそ何千回も弾き語りをやったが、未だにポールのレベルに追いつけない。その1つがリズムとメリハリなのだと思う。

以上2点が、ポールのピアノを特徴付ける大きな点と言えそうだが、これだけではない。まずはコード進行。作曲家としてのセンスの高いコード進行はいろんな曲に見られる。具体例は後で紹介する。
そして、コードにおいて実際ピアノのどの鍵盤を叩くか、ポジショニング(位置取り)の点がセンスがいい。

そしてさらに、装飾音を施してジャズっぽい雰囲気を醸し出したりデキシー風にしてみたり、と。シンプルな弾き方なのに完成度の高い音楽のように聴かせてしまうテクニックがある。これも具体例は後で紹介する。

そしてポールのピアノ弾き語りの最後の特徴は歌とピアノとの連携である。弾き語りの最大の難しさは手(楽器)と声(歌)を別々に制御することだ。この2つは別人のように操らなければならない。単純なリズムの曲なら易しいが、少しでも複雑になると互いにつられるようになってしまう。ポールはこの点、特に他のミュージシャンに比べて取り立てて抜きん出ているとも思わないが、一流の能力を持っている。

以上、述べて来たポール・マッカートニーのピアノの特徴をまとめると、次のようになる。

1.低音重視
2.強弱とリズム
3.コード進行の素晴らしさ
4.ポジショニング
5.シンプルな装飾音の付与
6.歌との連携

だれでも参加できるようなシンプルな奏法だが、いざやってみると奥が深い。ピアノをこういう楽しみ方で接することこそ、筆者が一生の趣味として魅力を感じる点である。先日ラジオで、「佐渡おけさ・・なんとか会・会長」という人が出ていて、「佐渡おけさは誰にでも気軽に歌えるのだが、完成させたものに持っていくには奥が深く難しい。だから魅力が大きい。」と言っていた。筆者が協調したいこともこの点だ。なにごともこのことが大事ではないだろうか。

以下、具体例を交えてポールの、ビートルズのピアノ曲を紹介していく。少し長くなるがご勘弁いただきたい。

ビートルズの曲にピアノが登場したのは結構初期からある。しかし、上で述べたポールの考えによるピアノの導入は中期以降だ。1965年の"Rubber Soul"の"You Won't See Me"では感じのよいピアノが登場するが、これはポールによるプレイではないとのこと。1966年の"Revolver"の"Good Day Sunshine"あたりが最初か? しかし、上で述べたスタイルを本格的に確立した最初の曲は1967年の"The Fool On The Hill"ではないだろうか。この曲はリコーダー(小学生の縦笛)がやけに目だってしまう曲だが、実はピアノがよい。数年前に発売されたCD"Beatles Anthology 2"ではこの曲がピアノ弾き語りだけで録音されている。あっ、こんな素敵なピアノだったんだ、と目からウロコのテイクであった。低音を重視し、ペダルもうまく使って、迫力のあるコード奏法が聴ける。是非お薦めのテイクだ。

ロック界の名盤中の名盤"Sergent Peppers Lonely Hearts Club Band"はビートルズの音楽の粋が集められている。ピアノも多く取り入れられている。"Lovely Rita"という曲。この曲は全てがたまらなくカッコいい。こういう曲と知り合えてよかった、と思わせる曲である。この曲では珍しくピアノの間奏(メロディー奏法)が登場する。そしてそれがカッコよい。ジョージ・マーティンによる演奏というウワサもあるが、筆者は多分ポールが弾いていると思う。
ところでこの曲、あまりに気に入ったので、「もし女の子が生まれたら"Rita"と名づけよう」と考えた。しかしRitaじゃ可愛そうだから、"Risa"くらいが落としどころかな、と考えた。筆者高校生の時である。なんともませた高校生である。そしてさらにませたことには、その娘が大きくなって物事を理解できるようになったらそのいきさつを話す、というシナリオまで考えていた。果たして実際の娘が生まれ、このことをいつ話そうと悩んでいた。実際はものごとそう甘いものではなく、もし娘にこんなことを言ったらバカにされるのではないかとも考えた。そして1年ほど前、その時があっけなくやってきた。あまりかしこまって言うのもよくないから、車の中で"Sergent..."のテープを聴いている時、この曲になった時、おもむろに..「実はね..リサっていうのはこの曲からとったんだ..」と。すると、「ふ~ん」というふうに、思ったよりも神妙に聞いていた。ちなみに、筆者の姉の通っていた高校の先生はお嬢さんにリタと名付けたそうである。「理太」と書くとのこと。もしかして、その名の由来は筆者と同じだったのかもしれない。
話が脱線してしまった。脱線ついでに、我々の結婚式のキャンドルサービスは、ビートルズの(作者は別だがビートルズのLPに納められている)"Till There Was You"を会場エレクトーン奏者に弾いてもらった。意外に素敵に弾いてくれたので感謝している。

次は1968年の"Lady Madonna"。この曲はLIBの次に筆者にインパクトを与えた重要な曲である。若干ジャズの要素を感じ、しかも軽快なポップスは単にロックの域を脱してポップスにおける名曲となっている。
この曲のピアノは非常に完成度の高いプロフェッショナルなものに聴こえる。ジョージ・マーティンあるいは他のピアノの名手が弾いているというウワサもあったが、実はポールが弾いているのである。この曲のピアノは、高校の時姉に手伝ってもらってコピーした。なんと驚くなかれ、すごいシンプルなピアノであることがわかった。キーはAだが、それに簡単な装飾音であるブルーノートのCナチュラルをオカズ的に加えるだけだ。CナチュラルとC#をスラー的に弾くとあのジャズ的なカッコよいフレーズになる。サビの部分では、Dm-G-Cというコード進行に合わせて左手が1音ずつ下がって行き、また上がって行くという独特な進行をとる。簡単だが、実にカッコよい。ちなみにポールは、1音ずつ、あるいは半音ずつ下がっていく(和音も根音も)というのをその後かなり試すようになり、名曲も残すことになる。
この"Lady Madonna"をマスターしてからは意気揚揚となった。実にカッコよい曲を弾ける、しかもシンプルな奏法で。まさにコロンブスの卵的発想の曲。
ところが、歌をちゃんと歌うのは難しい。例えば出だしの"Lady Madonna, children at your feet"というところ。左手がA-C-C#-Dと上がっていくのだが、歌は下がる。しかもピアノと歌のリズムが同期していない。どうしても歌がピアノにつられるのだ。この曲ももう30年間弾いて来ているが、歌がいまだにつられていまう。2年前のアメリカツアーの映像を見たが、ポールは余裕綽々でこの曲を弾き語っていた。歌も全くつられていない。このあたりがプロとアマの差であろう。

お次は同じく1968年の"Hey Jude"。最も売れたビートルズの曲としてあまりに有名だ。この曲の魅力は、基本的なコード進行がよい上に、上で述べた低音重視奏法とポジショニングがよいことにつきる。テクニック的にはなんら難しくはないのにこんなに素晴らしく聴こえる名曲の中でも代表的なものといえよう。この曲は、最後のリフレインだけでフルオケによる何分もの演奏になっていくというバカげた一面も持っている。大学のサークルの時、ある夏合宿の夜、同期のFというヤツとこのリフレインを夜通し続けたことがある。もちろん飲みながら。

ところで、この頃のビートルズのレコードはミキシング的にはまだそれほど複雑なものではなかった。例えば、ピアノの音は左右どちらかのチャンネルに9割位押し込められている。1983~84年頃、筆者は、このことを利用して、ビートルズの曲のピアノの入っているチャンネルをつぶし、そこへ自分のピアノを押し込めてテープに落とす、というようなことを楽しんでいた。あたかもビートルズが筆者のピアノに合わせて歌っているような状態になる。筆者が今のカミさんと付き合っていた時、そんなテープをプレゼントした。ついでに、ビートルズの初期の頃は、片チャンネルはボーカルだけなんてのもよくあったので、自分のボーカルに置き換えたようなテープもプレゼントした。カミさんによると、「何か変だな」とは思ったそうだったが、まさか筆者が演奏あるいは歌っていたとは夢にも思わなかったそうである。

1968年はビートルズは"The Beatles"(通称"White Albun")という二枚組みのアルバムをリリースする。数年前から大変お世話になり、そして最近では音楽のみならず実に様々なことで薫陶を与えてくれるEさんによると、このアルバムを評して「音の宝石箱」。
ポールピアノの真髄も聴ける。"Honey Pie"、"Ob-La-Di, Ob-La-Da"など。シンプルなのに完成度が高く聴こえるのが"Martha My Dear"だ。

いよいよ年は1969年へ入っていく。実質上のビートルズとしての最後の活動の年だ。
まずは、映画撮影と並行してLIBが作られていく。LIBの中ではピアノ曲としては、主題曲である"Let It Be"と"The Long And Winding Road"が代表的なものである。"The Long..."はなかなか難しい曲だ。これも基本はコード奏法ではあるが、さすがにこの曲は専門的な和音が使われていたり、複雑なリズムがあったりと、プロフェッショナルな曲だ。ポールもこの曲ばかりはかなり気合を入れて作ったものと思われる。しかもピアノで全て表現しようとしたのだと思う。ゆえにあの有名な話、プロデューサー フィル・スペクターがオケによるオーバーアレンジを行ったことに激怒したこと、その気持ちはわかる。Eさんからお借りした"Let It Be Naked"には映画LIBと同じ、オケのないバンド演奏のない"The Long..."が聞けた。なかなかよくて、ポールの言うこともある程度わかる。しかしフィルのアレンジも悪くない。特に、冒頭"The long and winding road.."と歌った直後に変則和音で「ジャジャーン、ジャジャーン」とやるところ、あそこはピアノとギターだけでは貧相だ。
この曲に限っては筆者のレベルはまだまだだ。位置取りも完全にコピれていないし、とにかく歌が難しい。映画LIBで、"LIB"と"The Long..."をポールは余裕のプレイで弾き語っている。

余談だが、1990年にポールが東京ドームで公演を行った時、観に行った。最初苦労してチケットを買ったのだが、ポール側の都合で急遽その日のスケジュールがキャンセルされてしまった。筆者はもう諦めていたのだが、なんとカミさんが電話をかけまくってチケットを取り直してくれた。このコンサートは本当に感動した。映画やビデオやTVのシーンや、いろんなところでポールのピアノを見て聴いてあこがれ、自分でも何千回も弾いたピアノが。その実物が同じ空間上で初めて演奏される。ポールによる"The long and winding road..ジャジャーン、ジャジャーン"が始まるや、筆者は感無量で泣いてしまった。

話は戻り、1969年9月ビートルズ最後のアルバム"Abbey Road"が発売された。このアルバムでも素晴らしいピアノが何曲も聴ける。
まず、"Oh Darling!"。この曲は本当にカッコよい。12/8拍子というリズムも独特でおもしろい(なお、12/8拍子は1970代の沢田研二のなんとかいう曲でも採用された)。ピアノそのものは比較的シンプルな和音奏法なので、すぐに弾けるようになる。問題はボーカルだ。キーが高い。特に一番最後の"I never do you no harm."のdoのところ。五線譜の上から2番目のレではなく、その1オクターブ上のレである。おそらくビートルズの全ての曲の中で最も高いボーカルの音である。しかもこの音をガナり立てる。愛の強いメッセージの歌だから仕方ないのであろうが、普通は出したくても出せない音である。ポールはこの曲をレコーディングしたために声帯をつぶしたのではないか? 解散後のポールの歌声はイマイチハリがない。なお、筆者も若い頃はこのレの音にチャレンジしたことがある。筆者もキーが高い方だがポールの高さにはなかなか追いつけない。声は使わないとすぐに出なくなるから、そろそろ50に届くオヤジではあるが、なるべくキーの高い歌を敢えて歌うことにしている。狙い目としては"Surgent Peppers"のテーマ曲位が丁度いい練習対象だ。
"Abbey Road"には"Maxwell's Silver Hammer"というシンプルでカッコよい曲もある。そしてB面の"You Never Give Me Your Money"に始まる名メドレーだ。これは楽譜の世話になったが弾けるようになった。

さてさて、ポールの話ばかりしてしまったが、ビートルズのポール以外のメンバーもピアノやキーボードをやることを忘れてはならない。
ジョン・レノンはポールと並んで類稀なるミュージシャンの一人であるとともに様々な芸術的センス、そして生活そのものもアーティストと呼ぶにふさわしい人だと思う。ジョンの話は別途書いてみたい。
ジョンのピアノやキーボードへの取り組みはポールとは少し違っていて、ロックンロールの伴奏楽器として初期から捉えていたようだ。"Rock'n'roll Music"や"Little Child"のピアノはジョンがレコーディングしたかどうかは知らないが、少なくともジョンが好んでいたピアノであったことは間違いないだろう。ビートルズ日本公演ではジョンによる"I'm Down"演奏用にオルガンが置かれていたが、結局一度も弾かれることはなかった。
結局ジョンは中~後期にはポールほどピアノやキーボードに興味を示さなかった。しかし解散直後の"Imagine"のピアノはとても美しい。このピアノはヘ音記号領域である。そう、ポールの得意とする技法である。ポールの技法をパクった、とは言いたくないが、少なくとも、解散前はこの技法はポールの専売特許のようになっていたからジョンとしてやりにくかったものと思われる。とにかく"Imagine"はいいピアノだ。筆者の得意曲の一角を占めている。

映画LIBの1シーンで、ポールとリンゴが仲良くピアノを即興的に弾くシーンがある。ポールが低音部を両手で、リンゴが高音部を「左手」で弾く。そう、知る人ぞ知る、リンゴも左利きなのだ。世界的グループの中に左利きが2名(50%)もいたことは興味深い。
よくリンゴは音楽的に大したことがないように言われることがあるが、そんなことはないと思う。本業のドラムだって大したものだ。このピアノのシーンを見て、「ああやはりリンゴもプロのミュージシャンなんだな」とつくづく思った。

1964年の"She's A Woman"にも実はピアノが使われている。注意して聴かないと聞き逃す位のピアノだが、「かくし味」的に使われていて、もしこれがないとこの曲のよさが半減しそうなピアノだ。おそらくポールのアイデアのピアノだろうが、これと中期以降のポールのピアノとの関係はよくわからない。

以上、ポールを中心とするビートルズのピアノのことを書いてきた。ビートルズ全213曲のうち、ピアノが使われている曲を正確に数えたことはないが、50曲くらいであろうか? 一時はそのほとんどを暗譜し詩も覚えて、弾き語りできるようになったが、今はかなり忘れてしまった。でも今でも"LIB"、"Hey Jude"、"Lady Madonna"の三種の神器は完璧にすぐ弾けるし、おそらく20~30曲はなんらかの形で披露できるのではないかと思う。

ビートルズの曲というのはいろんな音楽のエッセンスがあって、全体が完結している気がする。いろいろなバリエーションがあって厭きないのである。極論すると、ビートルズ全体を知ると音楽全体のかなりの部分を知ることになる。
キーも様々に設定されている。ロック系は基本はA。"Hey Jude"はF、"Ob-La-Di"はB♭、"The Long.."はE♭、と多彩だ。キーには色があるようだ。C(ハ長調)は学校教育を思い出す。例のおじぎの伴奏だ。そして事実ビートルズにおいてもまじめ的な曲がCには多い。"Hello Good-by"、"LIB"など。1つわからないのは、キーの設定もビートルズ自身が考えたのか、それともジョージ・マーティンあたりがsuggestionしたのか。もしビートルズ自身が考えたのだとすると、これはもう天才としか言いようがない。
いずれにしてもビートルズのピアノは、頑張ればコピーできるのがありがたい。

ポール・マッカートニーは、ビートルズ解散後もウィングスとして、あるいはソロとして多くのピアノ曲を残す。当然筆者もそれらの多くが好きだ。とても全部を紹介しきれないので、代表的なもののみ記す。

まず、解散した年1970年に初のソロアルバム"McCartney"を出す。自分で全ての楽器を演奏して録音するマルチプレイだ。それ自体ワクワクするほど興味深いことだ。脱線するが、加山雄三(62歳)が今度「オール・バイ・マイセルフ」という完全マルチプレイのCDを出すとのこと。うれしいじゃないか。62になってもこんなことをやろうなんて。筆者も負けてはいられない。
さて、ソロアルバム"McCartney"の中に"Maybe I'm Amazed"という名曲がある。ポールがコンサートで必ず取り上げる曲だ。この曲のピアノは変化に富んでいる。コード進行が。B♭から半音ずつ下がっていくかと思えば5度変わる、といった変化、変化の曲だ。このめまぐるしい曲のコードを筆者は、自分の耳だけでコピーできたことがすごくうれしかった。

1973年の"My Love"。これも名曲だ。LIB、"Hey Jude"、"Lady Madonna"の特徴を合わせたような曲だ。

1975年のアルバム"Venus And Mars"にもいいピアノ曲がいっぱいある。"You Gave Me The Answer"。これは"Lady Madonna"的な意義をもつ曲だ。シンプルだがすごく完成した曲に聴こえる。Aから半音ずる下がるコード進行もポールの18番だ。
同アルバムの"Rock Show"もいい。最後のピアノのシーンが圧巻だ。まずは左手でのAのオクターブでリズムを取り、そこへ右手のAのコードの構成音にブルーノートのCを加えながら、ロックの様相を呈していく。シンプルでカッコよくて力強い。「ポールのロックピアノここにあり」だ。

ビートルズ関係のピアノはこれで終わる。
ロックにおいてピアノを強調したグループの中で筆者が好きなものの1つにシカゴがある。ロバート・ラムというピアノ奏者がいた。おそらく右利きであろうが、わりと低音を効かせてハギレのよいピアノを聴かせていた。
中でも、1972年の"Saturday In The Park"のピアノ、特にイントロのピアノがカッコいい。へ音記号領域でパンチのあるピアノだ。そして適度の不協和音が混ざっていて小気味よい。
シカゴはジャズの要素を少しだけ取り入れた音楽を聴かせてくれる。これをマスターするとちょっと大人っぽい弾き語りができる。
シングルのB面の名曲"Color My World"は素晴らしい。ロックではなくバラードだが、コード進行がすばらしい。この曲も自分の耳だけでコピーした。

さらにジャズぽいミュージシャンとしてはクルセイダーズのジョー・サンプルがいる。さずがにここまで来ると楽譜なしにはコピーは難しい。頑張って"It Happnes Everyday"と"ど忘れしたが有名な曲"をマスターした。これは大人っぽく、カッコいい。

日本国内ではカシオペアの"Cross Point"収められている"Sunny Side Feelin'"がいい。ベーシスト桜井哲夫が作った曲だが、ピアノがいい。これは、左手で伴奏、右手でメロディーなのだが、なぜか五感に訴えるのである。なぜだろうか。この曲は是非マスターしたいと思っている。

これ以外では日本ではあまり注目したポップスピアノはないが、ユーミンの「雨音に気付いて..」で始まる曲のピアノは素晴らしい。
最近では綾戸智絵のピアノが迫力があっていい。一歩間違えると変なオバチャンだが。


さて、ここまで、ビートルズを中心とするポップスピアノについて書いてきた。
筆者の中で毛嫌いしていたクラシックのピアノはどうなったいったのだろうか。

時は1978年。大学3年の時。
スタンリー・キューブリックの有名な映画"2001 A Space Odyssey"が久しぶりにリバイバル公開されることになった。サークルの同期の友人M君に触発されて、この映画をサークルの同期の女子学生と一緒に見に行った。たしか有楽座かどこかの東京一デカイ映画館で、70mmフルスクリーンで上映した。一面変な映画ではあるが、筆者はこの映画にぞっこん惚れ込むことになる。大劇場で大画面、まるで自ら宇宙にいるような感覚で映画が楽しめる。そして何より音楽(サウンドトラック)だ。すべて使う音楽はクラシックから使うという大胆な発想がまずすごい。一番印象的なのは、宇宙ステーションを紹介する時に流れるヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」だ。漆黒の宇宙に遊ぶステーションがこのワルツに乗って回転しているようだった。そして登場する女性乗組員の優雅な姿。その全てが、あたかもこのシーンのために作られた曲のようであった。もちろんこの曲は以前から知っていたが、なんか、さえない曲という印象しかなかった。しかしこの映画を見て全く変わった。筆者がクラシックなるものに最初に興味を覚えた瞬間であった。

これを機にシュトラウスはじめいろんなクラシックのレコードを買い、聴いていくようになる。
クラシックの中にも、そしてクラシックピアノの中でも自分の好みにあう音もあることもわかった。うれしかった。
ただし、やはり、どうしても受け入れられない部分もあることもわかった。

そして、「美しく青きドナウ」をピアノで弾いてみたくなった。「全音ピアノピース」から楽譜が出ている。この曲はランクBだ。(Dが一番難しい。ショパンはほとんどがD)。Bならなんとかかじりついて弾ける。「美しく青きドナウ」をなんとか弾けるようになり、うれしかった。有名な「エリーゼのために」もBだ。ベートーベン「月光」はCだが、第1楽章は比較的やさしいのでなんとか弾けた。
クラシックはまだまだ未開拓な分野だが、これからどんどん挑戦して行こうと思っている。

もっともっと友人達と話し、感化を得て、自分の音楽観を広げたいと思う。
さらに自作も心がけたいと思う。
一時、自作自演にあこがれて、高校の頃曲作りを試みたことがあったが、ろくなものができず頓挫してしまった。

今では当時より多少なりとも音楽観が広がったので、少しは自作もしやすくなったのでは、と期待する。挑戦してみたい。


以上

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

ビートルズ解析例 その2

ビートルズ解析例その2を紹介します。

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第2章 嗚呼ベーシスト "ベースとギターの不思議な関係"

ベースとは?

ベースギター。略してベース。ベースを奏でる人をベーシストという。
ベースの意味は、基礎を意味するBaseを思い出しがちだが、正しくはBass。つまり低音担当楽器が本来の意味である。
クラシックでいえばコントラバス、ジャズやフォーク&カントリーでいえばウッドベース、ロックでいえばエレキベース、どれも基本は4本弦で音の構成は同じである(E-A-D-G)。本稿はロックにおけるエレキベースについての話である。

ベーシストといえば誰を思い浮かべるだろうか? ビートルズのポール・マッカートニー、ローリング・ストーンズのビル・ワイマン、クイーンのジョン・ディーコン、シカゴのピーター・セテラ、キャロルの矢沢永吉、カシオペアの桜井哲夫...? 女性だって多くはないがベーシストはいる。古くはスージー・クワトロ。最近ではGo! Go! 7188のアッコなど。珍しいベーシストといえばいかりや長介なども。
まずお断りしたいのは、私は熱烈なビートルズファン、ポール・マッカートニーファンなので、ポールに関する記述が多くなることを申しておく。

ベーシストの位置付け

今でこそベースは単に低音担当だけではなく音楽の重要な要素になってきたし、ベーシストの存在感も高くなってきた。しかし昔は違った。1950年代~60年代初期にかけてはベースというのは補助的な役割でしかなかった。単にルート音を4ビートなどで刻むような単純な演奏しかなかった。ベーシストといえばバンドにおいて裏方でしかなく、ステージにおいては後ろの方で控えめに突っ立って演奏していたものだ。ベーシストなんかには誰にもなりたくなかった。あるいは逆に、バンドに入るためにベースを仕方なく担当するなんてことが多かった。
ビートルズのレコードデビュー前、"Silver Beatles"と名乗っていたころ、ジョン・レノンが無理やり連れて来た美術学校の学友であるスチュアート・サトクリフにベースを担当させたことは有名である。そんな付け焼刃的人間がベースを弾けてしまう、そんな単純なパートでしかなかったベースであったのだ。

ベーシスト ポール・マッカートニー

私が敬愛してやまないポール・マッカートニーはもともとギターの人間だ。Silver Beatles時代にはポールはギターを担当していた。ジョン、ジョージ・ハリスン、ポールという3人のギタリストがいたのだ。この状態はこれはこれで非常に興味深いが、その話は後に譲る。
さて、ある時アクシデントが起こる。ベース担当のスチュが脳腫瘍で突然亡くなってしまいベーシストがいなくなってしまったのだ。では誰が後任になるか? 当時彼らは相当悩んだに違いない。ジョンとポールは既に類稀なる音楽センスをもちギタリストとしてだけではなくボーカリストとしても活躍していた。ギターという花形を捨てたくなかったし、ベーシストという裏方に回ることは屈辱と考えたであろう。ジョージをベースに回すという考えは当然あっただろう。しかし、そうしてしまうとボーカルのもともと少ない彼が全く可愛そうになってしまうので、仕方なくジョージにはリードギターを授け、ポールがベースに回り、ボーカルはジョンとポールが中心、ということで落ち着いたものとみられる。ここでポールはギターを捨てたフラストレーションが相当たまっていたものと思われる。また、「ただじゃ済まないぞ」とも思ったことであろう。

さて、ともかくも「ベーシスト ポール・マッカートニー」の誕生だ。私は、これは歴史的な意味をもつと考える。よく言われるような感覚的な意味ではない。以下に詳細な考察からこれを述べることにする。

その歴史的意味

結論を急ぐようだが、その歴史的意味とは次のような点ではないかと思う。
1.もともと音楽的センスの高い人間がベースを担当し、ベースの立場から作曲、演奏することにより、ベースの役割が向上し、しかも音楽全体が向上した。
2.ベースを弾きながらでもボーカルが勤まるということを証明した。
3.ステージにおいてベースが他の楽器と張り合うほどの演奏ができることを証明した。
4.2&3の結果、ベーシストの立場が向上した。その結果ベーシストを志す人が増えた。
5.ベースと他の楽器を弾き比べることにより互いに刺激を与え、各々の楽器に対する感性および演奏力が向上することを示した。この関係は特にベースとギターの関係において顕著である。

補足を加えたい。
1については、ギター出身であり音楽的センスの高かったポールがベース担当になり、音楽を総合的に見られるようになったことと、ベーシストの自分をアピールしたいこともあって、ベースの可能性を無限に引き出したのである。また、ベースのパートを中心に曲の構成を考え全体をcreateしていくプロセスも見出した。この時点でベースは、BassではなくBaseといった方がふさわしいような役割に変わったと考える。
ではポールにより音楽がどう変わったのか、ここで論ずるよりもビートルズの各種曲を聴いてもらう方がよほど説得力がある。大凡簡単に言うと、ビートルズ初期においては8ビートの導入、存在感のある「リードベース」(注;私の造語。ギターが主旋律をリードするのがリードギターであるなら、ベースが曲調を支配することをリードベースと呼ぶ)、中~後期においては魅力的かつ複雑なベースラインである。ポールの果した役割は誠に大きいと言わざるを得ない。

2、3について。ベースはネックが長くボディが重い。弦が太く押さえるのに力がいる。フレット間が長く運指も容易ではない。言ってみれば体ごと弾く感じである。特にダイナミックなベースラインや速弾き、複雑なフレーズなどは全く大変である。そんなわけでベースを弾きながらボーカルをとるのは容易ではない。一般には無理といってもいいだろう。シンプルなリズムを刻むだけなら比較的容易である。例えば、私が24、25歳のころ会社で組んでいたバンドで、私がビートルズ"Get Back"ならベースを演奏しながらボーカルをとれた。(注;ちなみにこの"Get Back"、実は単にAとDを8ビートで刻むだけではない。ポールは譜面には書けないようなハンマリングオン、プリングオフをめまぐるしく行っている。詳しくは映画Let It Be屋上演奏参照。) これに対し、サイドギターは比較的容易にボーカルがとれる。慣れれば手拍子を打ちながら歌う感覚になれる。

ドイツ カールヘフナー社製500-1(バイオリンベース)の選択

このように、ギターと張り合うほどのベースフレーズ、そしてボーカルとの両立。このことにポールとて悩んだに違いない。
ここでポールによるベースの機種の選定。ドイツ・カールヘフナー社製の500-1型。通称"バイオリンベース"だ。左右対称のバイオリンボディという親しみのあるモデルだが、ホロボディー(セミアコースティック)およびショートスケールのため音にあまり重量感がないという理由のためかロックシーンにおいてはそれほど支持はされていない。しかし、ポールがこのバイオリンーベースを選んだことは非常に大きい意味をもつと私は考える。当時(61年頃)ビートルズがハンブルグ講演を行っていてヘフナー社を好意的に見たことは想像に難くないし、左右対称形のためサウスポーであるポールには好都合であったはずだ。
それ以外の理由として私が重視したいのは、ヘフナー500-1はショートスケール(フレット間隔が短い)なのと弦の間隔が狭いことである。つまり弾きやすいのである。特にポールは、ベースを比較的体の低い位置まで下ろしネックを寝かせて弾くというルックスのよさを追求したのである。このようなスタイルでは手首が折れ難いので指が開きにくいのである。もし弾きやすさを優先するなら、ボディを(胸のあたりまで)上にもっていく(田端義夫スタイル)か、ネックを立てるかである。初期のストーンズのワイマンは垂直に近いほどネックを立てていた。しかしこれではルックスが悪い。500-1ならルックスのよい状態で何とか指が開ける。
このように、複雑フレーズかつルックスを保つという意味でもポールは500-1を選んだものと筆者は考える。

500-1でビートルズサウンド炸裂

こうして500-1の導入により魅力的なベース演奏とボーカルの両立が誕生した。8ビートだけも美しい"Please Please Me"などもあるが、なかでも群を抜いて特筆すべきが"I Saw Her Standing There"だ。リズムこそ8ビートだが、コード構成音をめまぐるしく上下させうなるようなベースワークである。この曲を支配しているのはこのベースだ。まさに「リードベース」である。しかもベースを弾きながらボーカルをとっているのである。躍動感あり魅力的なロック。その主役はベースであり、しかもボーカルと両立だ。まさにベーシスト・ポールの華麗なプレイである。高校生の頃筆者はギターをやっていたので、この曲のベースの魅力は感じていたし、どのフレットをどう弾くのかも知っていた。よく楽器店に行きベースを取り上げて弾いてみる。「こんなに長いフレット間を行き来しながらボーカルをとるなんて..」全く信じられなくてため息をついたものだ。そしてこの"I Saw Her Standing There"をベースで弾きながらボーカルをとることを一生の夢として抱き続けるようになる。

他のバイオリンベースプレイヤー

矢沢永吉がキャロルにいた頃、やはりバイオリンベースを使用していた。ただしヘフナー製ではなく国産(ヤマハ?)のコピーモデルだったはずだ。矢沢もまたベースの音の魅力を知り尽くした人間だ。ポール同様、ベースを引き立たせかつボーカルと両立することもバイオリンベースを選んだ理由だったと私は考えたい。お馴染みの「ファンキー・モンキー・ベイビー」は軽快かつ60年代前半のギンギンのロックンロールを彷彿させるナンバーだが、このベースがたまらない。私は、この曲は"I Saw Her Standing There"に影響を受けて作られたのではないかと思う。同じキー(E)であることと、曲を支配しているのはベースである。"I Saw Her Standing There"よりもさらにダイナミックなベースだ。"I Saw Her Standing There"のベースは、Eのコードの時は上はBまでしか行かない。(これにしたってかなり忙しいのだ)。しかし「ファンキー・モンキー・ベイビー」にいたっては1オクターブ上のEまで行く。つまり1オクターブ間をめまぐるしく速いスピードで行ったり来たり。指の開きと小指の総動員、このパターンでコードが進行していく。しかもベースではフォームがとりにくいマイナーコードまで登場する。まさに体中で弾かないと弾けない。こんなハードな状態なのにボーカルをとるのである。まさに職人芸だ。それにしても矢沢はある時点からベースを肩から下ろしボーカリスト専門になったのは惜しい。

痺れるベースの”地鳴り”と原体験

ポールはその後ビートルズにおいてベースを様々に発展させて名演を聴かせてくれる。本稿では多くを語らないが、"All My Loving"、"Day Tripper"、"Paperback Wrighter"などが初~中期を代表するベース名演ナンバーである。

これまでポール・マッカートニーがベースに関わって音楽を発展させてことを中心に書いてきたが、このへんで私とベース、あるいはギターとの関わりを書いておく。私が子供の頃の母親による音楽教育のこと、ロックに目覚めたころ、さらにほどなくロックピアノを覚え、そして15歳頃にギターを始め(フォークギターを買ったが主にロックを弾いた)、さらにその後エレキギターもいじり始めたわけだが、このあたりの話は別に譲るものとする。ここで1点強調したいのは、子供の頃から一貫して私がしびれる音はベースの音ではないかということだ。中学頃までは家にも大したことのないレコード再生機あるいはラジカセしかなく、ベースの音を鑑賞するには至らなかった。中学の低学年のころ、先輩の高校生(注;中学・高校一貫教育の学校だったため)のバンドの演奏するベースの音、つまりアンプから出て来るブーンという地鳴りのような響き、に脊髄がしびれてしまったのである。これが原体験となっている。そしてこれ以来今に至るまで基本は同じである。コンサートやバンドセッション、テープやレコード、CDなど聴く場合、基本はベースの音にしびれる。そして、ベースラインの素晴らしい曲、ベースが曲調を支配している曲などが名曲と感じるようになった。高校生頃からビートルズの映画Let It Beを見たりして、ベースも時々弾いてみたいと思ってはいた。

私若かりし頃

ちょっと脱線。
高1の冬休み、ビートルズの映画"A Hard Day's Night"、"Help"、"LIB"の3本立てを新宿の武蔵野館という映画館で上映するというので、ある友人と一緒に夢中で見に行った。当時はまだビートルズの曲はヒット曲しか知らず、LIBの中の曲もあまり知らなかった。この3本の映画自体もほぼ初めての映像だった。前期、中期、後期とビートルズの進化がよくわかったのでまさに驚きの1日だった。3本立ての最後はクライマックスである屋上コンサート。その緊張感あるステージに感動したのは勿論だったが、中でも気に入ったのが"I've Got A Feeling"。いわゆるハードロック系とは違うがブルーノートを小気味よく使ったハイな曲。そしてかのベースなのだ。文で書くのは難しいが、"I've Got A Feeling!"とシャウトした直後の「ラ(低)ラ(高)ッラ(高)レミソラッソラ」というベースの部分。特に「レミソラッソラ」とうところ。これに脊髄がしびれちゃったのだ。そして"All these years've been wondering round…"というところ。ボーカルはものすごい高音(シ)であり、そしてベースは最低音のE。このコントラストがすごい。まさに極限のボーカルとベースといえる。私はおぼろげながら、いつの日かこの"I've Got A Feeling"を演奏できないものだろうか、と考えてしまった。
1982年の新入社員研修の時。最初の2週間の滋賀での入社研修の後、全国の工場へ分散し工場実習を約3ヶ月行う。私は名古屋工場の実習だった。オンボロの寮に寝泊りしていた。名古屋実習には全体で15人位の入社同期がいた。そんな中で一人ギターをもってきた奴がいたので、ある夜、そいつを含め数人で寮の屋上に登り、「ビートルズの屋上コンサートだ」と気勢を上げ、あの映画と同じ曲を歌いまくった。寮長から大目玉を食ったのは言うまでもない。
DCTSへ移籍後の1983年のXマスパーティでついにその時がやってきた。"Get Back"、"I've Got A Feeling"などを演奏し、私がボーカルをとったのだった。"Get Back"は私がベースを演奏した。しかし"I've Got A Feeling"は、相棒がギターのフレーズを覚えきらなかったので私がギターになった。ギターじゃちょっと感じが出ないが、まあいいか、ということで、ジョンのあの印象的なリズムギターを刻みながら"I've Got A Feeling"を歌った。"All these…"の部分も裏声でなくちゃんと声が出た。若かったからだろう。ちなみに、ジョンのリズムギターは独特なフォームによるもの。"Dig A Pony"でも同じフォームをとる。あの印象的なサイドギターなのだ。
そして、いつかはベースであの「レミソラッソラ」を弾きながら"I've Got A Feeling"を歌いたいものだ、とひそかに思っている。

いよいよベースを手にとってみたい

実際にベースを手にとってみて演奏しようかと思い立ったのはごく最近のことである。これまでは自分の身近にある楽器はギターやピアノだけで十分と考えていたのであろう。また自分の手はあまり大きくはないのでベースには不向きと考えていたことと、後で述べる「ベースとギターの不思議な関係」を知らなかったことが理由である。ただし前述したように、会社のバンドでは、他人のベースを借りて簡単なパートのベースは少し楽しんだりした。大方は、ギターの低音部でベースの真似をしたり、エレクトーンでベースの音を出して遊んだ程度であった。

今から1年半位前、何がきっかけだったのか忘れてしまったが、実際にベースを手にとってみて演奏しようかという思いが湧き立ったのである。あるライブハウスでの演奏を見たことがきっかけの1つだったかもしれない。カタログをいろいろ集め始めたのだ。バイオリンベースは憧れるのだが、(もし買ってしまうと)ビートルズフリークであることが気恥ずかしくなってしまうだろうことと、ショートスケール&ホロボディということで音の重量感が犠牲になる。逆に、フルスケールソリッドタイプは重量感と「ホンモノのエレキベース」をもつ充実感は得られるだろうけどバイオリンベースを捨てるのもふんぎりがつかない、などと悩み始めた。お金があれば両方買いたいなどどいう分不相応な計画(というか夢想)まで湧き上がり始めた。

義弟卓也氏から思わぬ申し出

そして突然の転機が訪れたのである。なんと、義弟の卓也氏からベースを貸していただけることになったのだ。卓也氏は大学時代からフォーク&カントリーのバンドで鳴らした生粋のミュージシャン。主担当はウッドベースであるが、数年前にエレキベースを買ったのだが全然使っていないということなので、ありがたくもお借りすることになったのだ。グレコのアコースティックベースで、いいものである。ピックアップもついていてアンプにつないで演奏することもできる。茶色の光沢が美しいアコースティックボディである。そしてフルスケールである。弦の間隔もしっかり広い。温かみのあるベースの音が出る。このベースを2003年5月に突然お借りすることになり、以後このベースでさんざん練習し、音を楽しむことになったのだ。
ちなみに卓也氏、最近新築した家には"音楽室"をもち、ピアノ、ウッドベース、ドラムその他楽器でセッションができるというなんともうらやましい環境が整っている。

ベースを弾く生活スタート

とにかく卓也氏からお借りしたベースを自宅にて弾く生活(?)が1年前にスタートした。ベースは以前にもそれなりにいじったことはあるので、なんとなくは弾けてしまうが基礎ができていない。どうせやるなら基礎を徹底的にマスターしようと考えた。特に小指をしっかり使ってフォームをとることに心がけた。
まずさわり始めてまもなく徹底的に思い知らされたのは次の点である。
* 弦を押さえるのにとにかく力が要る。
* しかも正しい位置、正しい方向に力を入れないとちゃんとした音が出ない。
* フレットの間隔が長く、フレットのやや手前のスイートスポットのところを正しく押さえないと音がビビッてしまう。
* 指(左手)がなかなか開かない。一般的には7フレット以下の低ポジションでのスケーリングは苦労した。
* 小指での押さえがどうしても弱くなる。
* 1音1音、目で押さえる地点を確認しないと、感覚ではなかなかポジテョンを当てられない。

“ベースとギターの不思議な関係”

これらの点は練習あるのみで、確かにやればやるほど向上はする。しかし、私にとって大躍進をもたらしたのは"ギターとの関係"を見出したことだ。簡単にいうと、ベースを弾き、ギターを弾き、そしてベースを弾く、というようにベースとギターを並行していじるのだ。
まず自分でも驚いたことは、ベースの練習をしていると自然に押さえ力と指開き、さらに的確ポジショニング能力がupする。ベースの後にギターをいじると、あたかもウクレレでも触っているかのような感触だ。もう楽でしかたがない。余裕綽々でプレイできるのだ。しかもメロディーやリズム奏法まで向上するから不思議だ。例えばビートルズの"I Feel Fine"。この曲のギターは、G、C、Dの基本3コードに対し人差し指でバレーを押さえてコードストロークをする傍ら残りの3本指でメロディーを弾くという名曲の1つだ。問題はGの時(3フレット)に小指を思い切り開かないと弾けないのである。ギターを始めて30年間、この曲ばかりはGのところちゃんと弾けなかった。こればかりはジョンやジョージに比べ手の小さい自分がうらめしく思ったものである。ところがである。ベースを練習したお蔭でGがちゃんと音が出るようになった。30年努力してできなかったことがわずか数週間でできてしまうとは。とにかくギターが以前より余裕たっぷりに弾けるようになった。これぞ「大リーグボール養成ギプス」である。そういう意味では、スキーで言えばベースは上級者コース、ギターは中級者コースである。
しかしだからといってベースの方がギターよりも上位に位置する楽器というわけではない。ベースの問題点は音のバリエーションが少ないことと、基本は単音しかない(和音もあるにはあるが)こと、そして低音は聴きにくいのである。ベースの音にはしびれるとはいっても、音は聴きにくい。ベースの4本弦のみ見ていても、そしてベースの単音を爪弾いていても音楽的イマジネーションはギターほどには湧いてこないのだ。
そこで持論の登場である。ギターを弾いた後にベースを弾くと表現力がupするのだ。新しいフレーズを思いつくこともある。
つまり、ベースとギターは相補的なのではないかということだ。互いに他を刺激し合っているというか。"ベースとギターの不思議な関係"なのである。そしてとりわけ、ギタリストがベーシストになり、さらにまたギターをたしなむ、そんな状態がベースおよびギターを進歩させるのではないか、というのが私のこれまでの1年間の体験にもとづく意見である。
そうである、かのポール・マッカトニーがこれに然りなのである。ポールがベース転進後のビートルズのベースの発展は既に述べた通りだが、ポールがギターにおいてもビートルズとして名演を残している。"Ticket To Ride"、"Another Girl"、"Taxman"、"Good Morining Good Morning"などが挙げられる。ギターの感覚をベースに導入したのが"Day Tripper"であり和音奏法を駆使したのが"While My Guitar Gently Weepe"である。さらにベースの名演として"Something"、"Don't Let Me Down"を挙げておきたい。しかしこれらとて多くの名演のほんの一部である。
おわかりいただけたように、ここに上で述べたポールの歴史的意味その5が完結するのである。そして恐れ多くも私自らもそのことの一端を実感させていただいたのである。

さて実力は?

申し遅れたが、卓也氏のベースで1年練習した結果、現在の実力は? わかりやすい言い方では、"I Saw Her Standing There"がほぼボーカルをとりながらできるようになった。「ファンキー・モンキー・ベイビー」はそれなりにはできるようになった。しかしまだまだ安定感に欠けるしボーカルはしっかりとはとれない。まあ大体のシンプルなことはできるようにはなった。ただしステージでうまく弾けるかどうかは全く別問題である。

最近のベースシーン

その後、音楽におけるベースの役割、そしてベーシストの立場は上がってきたのである。名曲の基礎をベースが支配している、そんな名曲も数多く出た。挙げればきりがないが、スティービー・ワンダーの曲のベースなどは最高である。変わった例としては1971年の麻丘めぐみの「私の彼は左利き」のベースラインも魅力的だ。当時中2の私は、ある松戸市内のデパートで友達と遊んでいた時に流れたこの曲のベースに魅せられてしまったのだ。4ビートのベースラインは"All My Loving"を思わせるものもある。卓也氏によればこの手のベースラインは古くからジャスにはあったそうだ。
最近ではモー娘のベースがすごい。ベースだけでも特筆すべきアレンジと演奏だ。これらに及んではもはや"Base(基礎) Guitar"と呼んだ方がふさわしい存在感だ。演奏自体も真似できないレベルのものが多い。Go! Go! 7188のアッコのベースも魅力的だ。バンドとしてのドライブ感がしっかりしている。
レベルがどんどん高まりつつあるベースだが気になる点もある。それは、ボーカルをとりながら演奏する「リードベース」が少なくなったことだ。最近はベースのプロはベースに徹している感がある。"I Saw Her Standing There"のような忙しいベースを弾きながら(しかもルックスを損なわずに)ボーカルをこなすベーシストを筆者はポール・マッカトニー、矢沢栄吉以外にあまり知らない。こういうシーンの需要がなくなってしまったのだろうか? シンプルでストレートなロックがまた流行ればきっとこういう演奏スタイルが求められるはずだと思う。それにしても、そういう場合はやはりショートスケールのベースでしか成り立たないのであろうか。

ポールのベース観その後

話を再度ポール・マッカートニーに戻させていただく。1965年にリッケンバッカーからモデル4000というフルスケールでソリッド型のベースをプレゼントされる。ヘフナー500-1からリッケンに徐々に切り替え始め、67年頃はリッケンの使用が多くなる。おなじみの宇宙中継"Our World"ではジョンの曲"All You Need Is Love"をリッケンのベースで指弾きで非常にリラックスして弾いていた。リッケンへ切り替えていった理由はあまりはっきり言われていないが、ステージではヘフナー、中期以降のスタジオ録音では音質重視のリッケンを使いたくなったということであろう。たしかにヘフナーだけでは重量感にかけるし音のバリエーションも乏しい。"All You Need Is Love"のベースにおいてはソリッド型の特性がいかんなく発揮されている。つまり弦の震えや強弱、ミュートやどの辺を押えるか、のようなバリエーションが直に耳に伝わってくる。まさにベースの弦の息使いが聴こえるようだ。
しかしまた1969年、Let It Beでの撮影ではヘフナーを使う。つまり切り替えだ。やはり、生のバンド演奏はヘフナーが原点と考えているのだろう。
さらに発展するベース

ベースを語る上で最近では忘れてならないのが「チョッパー」と呼ばれる演奏テクニックである。ラリー・グラハムという人により発明されたとされるこの奏法は、指で弦を叩く、つまみ上げる、というダイナミックなテクニックである。たしかにベースの潜在能力を引き出した奏法の1つである。一時期カシオペアの桜井哲夫がチョッパーを多用した名曲を数多く生み出している。以前会社で組んだバンドの滝氏もカシオペアのチョッパーベースに傾倒していた。ごく最近ではチョッパーだけで押すベーシストはほとんどいない、しかしステージの中では必ず1回チョッパーの見せ場を作る、そんななくてはならない奏法の1つだといえる。

最後に5弦または6弦ベースに触れておく。最近6弦ベースに移行している有名ベーシストも多い。桜井哲夫もその一人である。しかし私は残念ながらその意義をあまりよく理解していない。どんな曲ならば、そしてどんなフレーズならば5弦または6弦を必要とするのかがわからない。どれかのアーティストに的を絞って少し探求してみようかと思う。しかし私は今のところ、オーソドックスな4弦ベースが好きだ。ベースの基本を完全にマスターしないうちには発展形(?)には手を出したくない。

さて何を買おうか?

ベースとギターの話を書いてきた。そしてますます、ベースが好きになり、ギターも好きになり、バンドをやりたくなってきた。いろんなジャンルの音楽やベースに耳を傾け自らも演奏したいし、なにか自分独特のベースのフレーズや奏法も確立したくなってきた。

買うとしたらやはり2本だてがいい。1つはフルスケールのソリッドタイプ。もう1つは言わずと知れたカールヘフナーのバイオリンベース(またはそのコピー版)だ。
プロフィール

ST Rocker

Author:ST Rocker
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モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
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