Coffee Break Beatles No.40 「なぜ出ない? (その2)」

Let It Beの「ラ」がなぜ出ない。
昨日から考え続けている。
今日の行き帰りの電車の中でもずっと考えていた。
土日に実験すればいいと思っていたが、待ちきれなかった。

で、さっき、時既に遅しだったけど、PCで小さい音で曲を鳴らしたり、ギターを軽く弾きながら歌ってみた。

まず、ピアノを弾きながらだから喉が折れるから、というのは違った。ギターを弾きながらだろうと歌だけだろうと同じで、ラが出ない(かすれてしまう)のだ。
次に、本メロを歌って息が上がってからのラだから厳しいのかと思ったら、これも違う。
最初から問題部分を歌っても出ない。あの"Let It Be"(Beがラ)と歌うところは音階で言うとミ-ソ-ラ。そんなに無理な突き上げでもないのに。

それで一方、同じラである、The Night Beforeの"...makes me wanna cry"のところや、A Hard Day's Nightの"...feeling you holding me tigh"はちゃんと出るのだ。
The Nightの場合はラの前はレ、A Hard Day'sの場合はラの前はソ。
つまり、音階の運び自体Let It Beが厳しいわけではないのだ。
それなのになぜ?

一応考えた仮説は息継ぎの有り無しではないか、と。
とにかく、ソやラは男性の限界音に近い領域なので、ラを発声するにはソの延長ではなく、意気込んで「ウワーッ」とやんないと出ない。
The NightやA Hard Day'sの場合はラの前に息継ぎが少しできることがわかった。
でもLet It Beの場合は、It(ソ)とBe(ラ)がスラーのように連続していて息継ぎが出来ない。
ソの延長でラを出さないといけないようだ。相当余裕のある高音発声人でないとダメのようだ。
まだまだ吾輩の高音トレーノングも足りないのかもしれない。

今日の実験はここまで。
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Coffee Break Beatles No.39 「なぜ出ない?」

中学の時、ロックにピアノがカッコよく使われることに驚いたLet It Be。
姉貴に聞きながら、そして先日紹介した79年発行のThe Beatles' Soundによる解析を参考にしながら、あの独特のポールのピアノを解明して、これまで延々とLet It Beを弾き語ってきたこの吾輩。

これまで計何千回弾き語ったのか、数えようもない。
そして毎回毎回、わずかずつであるが上達しているのである。
この曲はやさしいようで結構難しいのである。

声域が全般に高めであることから、結構苦しいボーカルである。声が出せたとしても汚い声になりがちだ。
一方、高い声を出す訓練も吾輩はずっとしてきて、その最近の成果は何度か紹介した通り。

Let It Beの最高音はラである。
Let It Be, Let It Be...と繰り返しシャウトする場面での2回目の"Let It Be"の"Be"がラである。
少しせり上がってのラだから、簡単ではないのは間違いないのだが、高々ラである。
でもなぜか、なぜか、吾輩はこのラがうまく出ないのである。
このラはこの曲の見せ場だから余裕を持って出したい。

同じラでも別の曲では余裕もって出るのに。
例えば、The Night Beforeのサビの最後の"makes me wanna cry"の"cry"のところ。結構簡単に出る。
あるいは、Two Of Usのサビのところとか。
A Hard Day's Nightのサビのところとか。

Let It Beでラが出ないことは我ながら興味深い。
本メロで息が上がってしまって余力がないからか?
あるいは、今思いついたのだけど、ピアノを弾きながらだと顔が下向くので喉が折れるからだろうか?
今深夜なので実験する訳に行かず、今度の土日に実験してみよう。

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Coffee Break Beatles No.38 「初のマルチ演奏アルバムMcCartney」

ビートルズに秋風が吹いていた1970年4月、ポールは初のソロアルバムMcCartneyを発表した。
それまでもジョンが映画に単独出演したり、ヨーコとのプライベートアルバムを出したりと、既にその兆候は始まっていた。
だからポールにとってはこのアルバムは自ら仕掛けたというより、やむを得ずといったところではないだろうか。

このMcCartney。一般には評価は低い。
何故って、えらい即席仕立てのような印象を受ける。アレンジはおそろしくシンプルだし、半分はインスツルメンタルだ。
しかし、実はファンにとっては垂涎のアルバムだ。スタジオでのアドリブが存分に聴けるからだ。

本当のファンはアドリブ演奏を聴きたい。
ポールもそれを聴かせたかったのだろう。
ベースやギターやドラムは、こういう音を出せばカッコいい、というところをファンに聴かせたかったのだろう。
そのためには他のメンバーがいたら、その人に悪くて全体を重んじるだろう。

だから一人なのだ。
であれば、一人マルチプレイを思う存分楽しもう、ということになったのだろう。

しかしこのアルバムなんとなく暗い。
この暗さを真面目に聴いてしまうと、アドリブのよさが入ってこなくなる。
だから暗さは無視して聴くに限る。

でもなんで暗いのだろう。
既にリンダと結婚していた。
ある記録にいればポールは荒れていたとのことだ。酒を喰らいやけくそになっていたそうだ。
言われてみれば、ジャケットに写っているポールの顔写真は無精髭で老けている。

ただ、Maybe I'm Amazedだけは暗くなく、しっかり作ってあると思う。
もともとビートルズ作品として発表したかったのかもしれない。

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Coffee Break Beatles No.37 「メロディーメーカー」

この世のメロディーはもはや出尽くしてしまったと言われて久しい。
音階とリズムの組み合わせは無限にある、とは言っても、普通の人間が心地よいと感じるメロディーはそうはないはずだ。
奇妙奇天烈な音階とリズムを組み合わせたところで、それこそ1/fを大きく逸脱するだろうし、聴いてて心地よいはずもない。

ビートルズには駄作がないわけではないが、大半は耳に心地よいナイスメロディーである。
1960年代だからまだまだ未使用のメロディーがいっぱい余っていたというわけではないと思う。
既に古典から含めて音楽はかなり成熟していた。ビートルズがデビューする頃にも結構苦し紛れのメロディーを作っていたアーティストも見られた。

先日紹介したHow Do You Do Itという幻のビートルズのデビュー曲は、作った人には失礼だけど、いい曲ながら、やっとこさ作ったような印象を受ける。
よかった、あの曲でデビューしなくて。

かくいう私だけど、メロディーを生み出すって難しい。
心地よいメロディーってどうしても、どうやっても考え出せないのだ。
考えるとどうしてもHow Do You Do It的になってしまう。

よく最近の創造性の議論では、無から有は生まれない、だから模倣の積み重ねを繰り返すうち、いつの間にか創造が生まれるのだ、と。
あるいは、複数の座標軸が合わさった時に新しいものが生まれるのかもしれない。
自分らしい人生は単調な環境の先には生まれて来ないのと似ているかもしれない。

それにしてもどうやって生み出したのかなあ、あの美しいメロディーたち。

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日曜の定番

私の趣味は? と訊かれたらまずは「音楽」であるが、もう一つ大きな趣味として運動がある。
30歳の頃からランニングに目覚めてからしばらく没頭し、フルマラソンを走ったりしていた。
最近では走ることよりも、いろんな場所を踏破するような「冒険」や山に興味が向かいつつある。

体は定常的に鍛えており、土曜にはトレーニングジムに通う。
三島由紀夫ではないが、人間、中年を過ぎても結構筋肉は付くものだ。
私の場合は、45過ぎてから太ももがなぜか発達し、今ではジムで一般男性としては一番脚の筋力がある。
その代わりなぜか手の筋肉がなかなかつかない。
健康の意味からは下半身に筋肉が付いた方がよいそうだから、ちょうどいいか。

こんな私の日曜の定番は、適当な距離を走ったり歩いたり。
最近は三浦雄一郎を真似て、脚と手に錘をつけて約6kmを歩く。

そして、この時間を利用してi-Podを聴く。しかもランダム再生にしてi-Pod中の全曲を聴くのだ。
ビートルズの音楽は大変よくできているし、バリエーションもある。だから極端な話、ビートルズだけを聴いていても全ての音楽的興奮が得られると言ってもいい。
でも、やはりもっと音楽的には幅広くなりたい、というわけで全曲を聴くわけだ。

6kmを歩く間はランダム再生で流れる曲は絶対に飛ばさず聴くことを守る。
そうでもしないと好きでない音楽を聴く機会はなかなか訪れない。
おかげで大分好みを広げることができた。

例えば、Simon & Garfunkelなどは以前はタルくてなかなか聴けなかったが、最近はどっぷりと聴けるようになった。
ギター1本の歌ならS&Gはビートルズよいいいかもしれない。
ジョンやポールもアコースティックギター伴奏の名曲を残したが、いわゆるフォークソングの真髄はS&Gをもって初めてわかる気がする。

土曜にトレーニングジム、日曜にこのウォーキング、そしてさらに休日のどっかでピアノまたはギターを弾けば、心技体のバランスが取れ、どんなすごい悩み事があっても大抵は生き返るのである。

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Coffee Break Beatles No.36 「ルーフトップ。Part 1」

1969年1月30日、ロンドン、アップルビル屋上での演奏。いわゆる「ルーフトップ」。
この斬新なシーンは賛否両論あれど、ビートルズの数々の名シーンの中でも格別のシーンであることは間違いない。

当時必ずしもうまく行っていなかったビートルズだが、バンドとしての原点に帰ろうと、ロックと生演奏にこだわった選曲と演奏がなされた。
ルーフトップを観るとビートルズらしい演奏が聴けるのだ。

ルーフトップの話はこれから少しずつして行くが、今日はポールのベースの話。
永遠の愛器カールヘフナーベースを持ち出し、"Bass Man"というシールを貼って演奏するポール。
ルーフトップの中でベースが印象的な曲は、Get Back、I've Got A Feeling、Don't Let Me Downであろう。

Get Backのベースは、基本はAとDの8ビートだ。
私は24~6歳の頃、バンドを組んでいてGet Backをベースを弾きながらボーカルを取るという夢が実現した。
しかし、ただ8ビートを刻むだけだと全然サマにならないのである。

ルーフトップの映像を観ると、Get Backでポールは右手を始終ものすごく忙しく動かしている(注;ポールは右手はフレットを押さえる手)。
ただAとDを刻むだけなら右手は静止しているはずだ。
もしかして毎拍、毎拍ハンマリング・オンをしているのだろうか。例えばソ→ラ。しかもソを打つやいなや瞬間的に右手はラをオンする。
それがあの「ブン、ブン、ブン、ブン」という蜂がうなるようなベースになるのだろうか。
ハンマリング・オンが毎回毎回ものすごく速くそして正確でないとサマにならないと思う。
1回でも失敗したらすごく目立つことになると思う。
また、AとDを打つ以外に時々入る変則メロもものすごくカッコいい。レコードにはないものである。

Don't Let Me Downのベースは音選びの妙としか言いようがない。
キーがEだからこそできる超ハイポジションの心地よい音がうなる。

I've Got A Feelingは「ビートルズ解析例その2 (嗚呼ベーシスト)」をご覧いただきたい。
ブルーノート音階をふんだんに使い、ちょいワル音楽のムードたっぷりのベースである。
ビートルズの場合は正道のちょいワルといったところか。

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Coffee Break Beatles No.35 「初の本格解析本」

ビートルズに関して初めて突っ込んで解析した本がある。私にとって大事な本だ。
なぜかこの本は実家に置いてある。
実家に帰った時、暇になると自分の部屋(子供の頃から大学まで使っていた部屋)に入りこの本を手に取る。
いつになっても色あせない本だ。

ビートルズ解散後しばらくは、社会現象とか解散後のメンバーの活動の紹介などを音楽雑誌がしばしば行っていた。
しかしビートルズとは何だったかをつっこんで解析した本はなかった。

前置きが長くなったので紹介しよう。
1979年、CBSソニー出版、「THE BEATLES' SOUND」。 A4版で割りとブ厚い本。

内容は、曲の構成、楽器の解説、作風、コード進行、演奏法、詞、サウンド、ボーカル、コーラス、録音法、プロデュースなどなどテクニカルな事柄を中心に非常によく解析してある。
特に、ビートルズとして特徴的な音作りと演奏法をいくつかピックアップし、譜面化したことが素晴らしかった。

私もこれから随分影響を受け、参考にさせてもらった。
また、あの当時にしては抜群のセンスをもって解析してある。
まだCDがなかった時代に頭が下がる。

ただし、唯一の欠点はこの本、日本語が下手クソなのである。
残念だなあ。
文章を書き直して再発行してもらいたい。

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Coffee Break Beatles No.34 「ジョンの亡くなった日」

ジョン・レノンの命日=1980年12月8日。現地時間で。夜に射殺されたので、日本時間は9日になっていた。

当時私は化学系の修士1年生。
1980年12月9日は、いつも通り黙々と自らのテーマに関する化学実験をこなしていた。
確か午後1時か2時頃だったと思う。
近くの研究室の一つ下の後輩が興奮気味に我が実験室に駆け込んできて、「ジョンレノンが殺されちゃったよ!」と。

「おいおい悪い冗談はよせよ」と、この私。
しかしその後輩は研究をサボってずっとラジオを聴いていたので話に間違いはなさそうだった。

思い切り打ちのめされた。
ことの真相がどうのよりも、ジョンの死が本当なら一体オレはどうやって生きていけばいいんだ!?
なによりジョンは心のよりどころだった。
しばらく活動がなかったから心もとなかったが、ようやくDouble Fantasyを出して、オレの生きる道筋を示してくれていた。

その日は放心状態のまま帰宅した。
家族と夕食を取った後、皆でお決まりのNHKのニュースセンター9時を観る。
この番組は我が家ではすっかり定番になっていた。
既にあの時キャスターは磯村さんではなかったと思うが。

番組が始まり、そのオープニングで案の定ジョンの死の報道。
ジョンの肖像写真は、長髪に丸眼鏡だったが、67年暮れか68年頃と思われた。今でもくっきり覚えている。
そしてそして、信じられぬことに、あの「ズンチャッチャッチャ、ズンチャッチャッチャ...」というおなじみのギター伴奏が鳴る。Yesterdayだ!
一体何たることだろか!?
さすがの親父も何か違和感を覚えたようだ。

今ではこういう間違いを回避する術はあるはずだ。しかし当時はなかった。
一種の航空機事故のようなものである。
当時(1980年)の番組の制作責任者であろう40歳以上の人は、おそらくYesterdayの作者は誰だったが知る人は少なかっただろう。

しかし問題は知っていた、知らなかったではなく、チェック機能がなかったことである。
当時のNHKの資料によれば、ジョンはビートルズのリーダー、ビートルズの代表曲はYesterday、そしてYesterdayの作詞作曲はJohn Lennon & Paul MacCartneyになっている。ジョンが最初に記されているいうことで、Yesterdayの主たる作者はジョンと思ったことであろう。

しかし、やっぱり思い切り変だ! 1980年のNHKよ、何かが思い切りおかしい。今でもおかしなことがあるのかい?

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この3日間で学んだこと ~ウイルスと人間の関係~ 

この歳にもなると体内で起きている現象がなんとなくわかってくる。
風邪のウイルスが私の人体に侵入し風邪を発症した。その後の症状の変遷は単調なものではなかった。
単にウイルスと人体が戦ったというわけではなく、両者のせめぎ合いというか、場合によっては相手を利用しているふしもあった。
人間は偉そうなことを言っているが、本当はウイルスと人体(より正確には生体細胞の働き)には微妙な関係が古くから出来上がっている。両者は敵でもあるが、時として共生関係にあるのだな、

と実感できた。

3日間の大半を寝ていた。こんなありがたい(?)ことは滅多にないので、自分自身をしっかり見つめ、テレビやインターネットをしっかり見ることができた。
体内で起きた現象を自分なりに解釈し、医学界の解釈とも合せてウイルスと人間の関係をまとめてみた。

ウイルスというのは遺伝子であるが、自らの細胞を持たないため生き物の細胞に侵入して増殖をする。
ウイルスを生物と呼ぶかどうかは未だに決着がついていないそうだ。
ウイルスはその昔、特定の生物の細胞内に定常的に存在した遺伝子だったかもしれない。
しかしそれが変異を繰り返すうちに、その生物にとって好ましくない作用を引き起こすようになり、その生物の維持が難しくなった。

以下、生物を人間に限って話を進める。
かつて人体内で変異して凶暴化した遺伝子があったとして、その遺伝子が独立し、生きている人間の間を渡り歩くような戦術に打って出たのがウイルスという話もある。
その場合、一人ひとりの人間を適度に弱らせて(=自らを増殖して)、そして渡り歩くのである。弱らせ過ぎれば宿主がいなくなってしまう。

では、ウイルスは人間にとって害だけだろうか?

私は健康とか体力に自信があり、風邪を引かない術も身に着けていると自負している。
しかしここ数ヶ月、夜の眠りが浅くなってきた。夜頻繁に目が覚めるようになってきた。
そのせいで昼間に眠くなり、なんとなく体調も悪くなってきた。
快調な目覚めというのも久しく体験していなかった。

今回風邪が発症して1日目。熱がまず上がる。
ウイルスも活動開始だが、防御反応である発熱も開始する。
私の脳の中では何かのやりとりがあった。「おい、ウイルスよ、ここのカギを開けてくれないか。」
そして私は深い眠りに落ちる。
ここ最近、”そこの部分”は眠れていなかったところだ。
睡眠に”そこの部分”も”ここの部分”もないだろう、と思われるかもしれないが、そんなこともない。
感覚的には何層かの睡眠の段階があり、ここ最近は浅い段階での睡眠にしか妥協していなかった気がする。

第1日目の夜は”第2ステージ”まで睡眠できて調子がやや向上し、熱もやや下がった。でもまだ正常ではない。
でもあまり寝ていてもよくないと思い、適度に起きたりし、一度買い物にも出かけた。
しかし夕食後、熱がまたかなり出て、相当辛くなった。
しっかり寝たが、かえって寝疲れし、熱も下がらない。朝起きた時は最悪の気分だった。

発症の初期は寝るのがよさそうだが、後半は寝るほど悪化する気がした。
初期は睡眠は疲れを取る作用があるだろうが、後半の睡眠は体が休み過ぎてウイルスが図に乗るのかなとも思った。
人間は適度に活動して入る方が免疫力が高そうだ。活性酸素をある程度出すからか。

よって3日目は、無理しない程度に起きて、そして休むの繰り返しを行った。
そして早目に就寝。
寝る直前にまた脳内で会話が聞こえた。「おいウイルス、今度はここの鍵を開けてくれないか?」。
しかし私は思った。「そこは禁断だぞ」。でも開けてほしい...。
そして目覚めたら朝6時。一度も起きずに6時間以上眠り続けたのだ。しかも目覚めすっきり。
こんなことは一体何年ぶりだろうか。

この3日間に私の体内で起きたことはかくも複雑なことだった。
ウイルスと人体のせめぎ合いと共生。
そして、私の体は間違いなく生き返った。
ウイルスが特定のボタンを押してくれたのだろうか。一種の劇薬のようでもある。あるいは豊作をもたらすナイルの氾濫のようなものか。

人間がワクチンを作るとウイルスの方が変異して耐性のある種ができることがある。
その様はとてもハイテクなのである。さらに人間がそれを封じる技術をつくればさらにウイルスは改良型を開発してくる。
ウイルスにとってみればせっかく人体との間に築き上げた共生関係なのに、ワクチンなどという余計なものが介入してきて厄介だと思っているかもしれない。

人間は(および他の主たる生き物も)今たまたま脳という場所が”社長”として体全体の働きをコントロールしている。
しかし本当は個々の細胞(=”現場”)の方が知恵があり、真実を知っているのかもしれない。
本当は各器官の方が頭もよく働き者であるが、各器官間の連携が必要なため、仕方なく脳を指令集中係にしたのかもしれない。

それを勘違いして、脳が思い上がると破滅を招く、ということではないのだろうか。

Coffee Break Beatles No.33' 「ルーフトップトリビア 決着!(訂正&補足)」

いやいやすみません。凝り性なもんで、先ほどの件で訂正と補足を加えさせていただきます。

あれからYou Tubeをフルスクリーンにして見直してみました。
すると、ずれていたのは3小節ではなく2小節でした。今度は自信があります。映像が音よりも2小節遅れています。即ち次のようです。

2回目の間奏が始まりジョージの映像が出てくる瞬間は、実はポールはまだ歌っています。つまり直前のサビの最後のところです。
カメラがジョージからジョンとポールにシフトした瞬間が本当は2回目の間奏が始まる瞬間です。
事実、8拍遅れでジョンの12フレットのチョーキングが見られ、身を屈めてアピールしていることがわかります。

よってカメラがシフトした瞬間はまさにポールのシャウトが終わった瞬間であり、
かろうじてポールがマイクに近く何かを言ったように見えます。

次にベースの解析をしてみました。
もし映像と音が合っていれば、映像がジョンとジョージに変わった瞬間から1小節毎にD→A→A→Aですが、私の推定が正しいとするとA→A→D→Aです。
少しわかりにくいですが、どうやら正しそうです。

もう一つの傍証はジョージのアクションです。
ギター間奏というのはバンドの見せ所ですから、サイドギタリストとてそれなりのアクションを見せるはずです。
なのにジョージのあの無味乾燥のカッティングギターのアクションはおかしいです。
バンドをやったことのある人間からすれば、そんな非協力的なやつはやな奴です。

いくらこの曲はポールがジョンに気を遣った曲とはいえ、ビートルズの中では最も性格のジョージのこと、仲間のリードにふてくされるはずはありません。
よって、編集する人間のセンスだと思います。間奏が始まる瞬間にあんなアクションがあり得るわけないんですから。ジョージにも失礼です。
そういえば、映画Let It Beを高1の時始めて観た時、子供ながらにこのシーンが変だなあと思っていました。

もちろん時代のせいもありますよね。今であれば映像と音がずれているなんてあり得ませんけど、当時は鷹揚だったのでしょう。
そして編集の人間が十分な知識がないために、見せ所を誤って流してしまった、そんなところでしょう。
たしかのこのルーフトップの映像、キーとなる演奏部分に必ずしも映像がついてきていないことがあります。

日本はさらに昔はひどかったでした。
ジョンが亡くなった日のNHKニュースセンター9時のオープニングでジョンの写真とともにYesterdayが流れたのですから。ジョンも天国でさぞかしズッコけたことだったでしょう。

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Coffee Break Beatles No.33 「ルーフトップトリビア 決着!」

風邪は快方に向かってきました。
風邪の最後の方は寝すぎるとかえって体が弱り風邪のウィルスに活動期間を延ばさせてしまうようです。

今日You Tubeを観る機会があったので、ルーフトップコンサートのGet Backの演奏も観てみました。
下記がアドレスです。

http://www.youtube.com/watch?v=-6G7MkBMVxE&a=GxdCwVVULXfH-k_IVzQbQcibTdWOSgKg&list=ML&playnext=1

以前、「ビートルズ解析例その4(我が青春のギター)」で、映画Let It BeのGet Backの演奏部分で映像と音が合っていないところがある、と書きました。
早速マサジョンさんが映像を入手し確認いただき、2回目の間奏の部分で確かにジョンのギターの位置取りがおかしいようです、とのコメントをいただきました。

You Tubeの映像は映画と全く同じでした。
この演奏はルーフトップの中では2回目のGet Backなのですが、映画ではオープニング曲のように演出されています。

では映像ご覧ください。
問題のシーンは2分05秒から始まります。マサジョンさん言われるように、2回目の間奏の部分です。
間奏の出だしは、カメラはジョージを捉えます。この曲ではジョージは控えめなカッティングギターです。

ジョージの映像を2小節(注;この場合1小節4拍とします)映した後、カメラはそのまま左へスライドし、ジョンとポールの演奏する姿を斜めから捉えます。ただしポールの指使いは見えません。

そしてやはり! ジョンの演奏は間違いなくずれていました。
ではど、れだけずれているのか、そして前にずれているのか、後ろにずれているのか。
何度も繰り返し観てみました。

まずわかったことは、第5弦の12フレットで行うあの印象的なチョーキングでチェックするとわかりやすいので、測ってみますと、12拍(3小節)映像が遅れているようでした。
間奏の部分、ジョンは似たフレーズを2回繰り返しますが、そのうちどっちなのかについては、指の動きの煩雑さから1回目だと思われました。

では1回目のフレーズと仮定し、3小節映像が遅れていると仮定しますと、
「間奏開始」であるはずのジョージの映像ではまだ間奏が始まっていなく、その前のサビの最後のサビの部分ということになります。

次にジョージのカッティングギターを見てみましょう。
基本はAとDの2種のみです。
ここで楽譜の助けを借りました。1982年シンコーミュージック発行の「ビートルズ・サウンド」というフルバンドスコアに近い楽譜です。ここ数日私が申しております花の1980年代の楽譜です。
それによればジョージのギターはオープンコードなのですが、通常のAとDでなく3本の弦しか使わないように書いてあります。

そこで映像を観てみますと「2回目の間奏開始」であるはずのジョージの2小節分の映像において、途中で押さえが変わるのです。
これがもし歌と音声が同期しているなら、2小節分Aのままのはずであり、押さえが変わるはずがありません。

サビの最後の3小節はA→D→Aと変わります。ここでまた一つ証拠が増えました。

そして次に述べますことが徹底的な証拠であることがわかりました。

3小節映像が遅れているとしますと、「音の間奏」が始まるジョージの映像部分はまだポールは歌っているはずです。
いや、それどころか、カメラがジョンにシフトしてからもなお1小節がサビの最後となり、そこではポールはまだシャウトしているはずです。
いや、そんなはずはないだろう! と自問自答を込め、もう一度恐る恐るYou Tubeを観てみましたところ、何とポールがマイクに向け何かしゃべっている映像が確認できました。

何か大きな論文を仕上げたような気分で充足感一杯です。
風邪も吹っ飛びました。

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Coffee Break Beatles No.32 「幻のデビュー曲」

実は夏風邪を引いてしまいました。
夏風邪はバカが引くと言いますが、本当です。
この連休ほとんど寝ていました。しかし、テレビや録画した番組をじっくり観ることができ、それはそれでよかったです。

たまった録画番組の一つがベストヒットUSA(日曜午前1時~、BS朝日)でした。小林克也さんの語りが魅力的なロックファン必見の番組です。
その中に"The Legend(大いなる伝説)"というコーナーがあって、最近はビートルズを取り上げています。
ビートルズで起きていたことを内側から紹介するもので、大変興味深い企画です。小林さんの朗読もまた味があってよいです。
シンシア・パウェルの悲劇的な話とか、ビートルズデビュー時の知らせざる逸話とか。

先日はビートルズのデビュー曲に関する逸話をやっていました。
ジョージ・マーティンはじめスタッフたちは、デビュー曲として有名な作曲家(ミッチ・マレーとか言うそうです)の作ったHow Do You Do It?という曲を用意し、ビートルズにレコーディングをさせました。
しかしジョンはジョージ・マーティンに対し「こんなクズな曲はやっていられない。俺たちは俺たちの作った曲でやる」と言い放ったそうです。その後の運命を変えた歴史的発言だというわけです。

How Do You Do It?は、その後別の歌手が歌い、イギリスNo.1になったそうです。
それで、どんな曲だったかというと、下記のYou Tubeにはビートルズ録音のものがありますので、聴いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=BmwZCJANN7k

確かにまあまあよい曲ですが、要はイイ子ちゃんソングであり、その後ビートルズが発するしびれるような魅力はありません。

しかしいずれにしても不思議なことは、結局のオリジナルのデビュー曲であるLove Me Doも正直ややイマイチですし、最初の録音ではリンゴに代るプロのドラマーでやらせたり。
ビートルズにふさわしい鮮烈なデビュー曲として、オリジナル曲の持ち駒はなかったんですかね?

One After 909、I Saw Her Standing There、From Us To You(From Me To Youの前身)などの曲はデビュー前から持っていたのになぜ採用されなかったのでしょうか?

Love Me Doに続く2曲目はマーティンとして他の作曲家を押したそうですが、ビートルズはそれを異を唱え、Please Please Meをどうしてもやりたい、と。それに対しマーティンは「今のままではだめだ。もっとアップテンポに改良してこい!」と指示し、早速それに応えたということです。

デビュー当時はビートルズにはまだ課題があったのかもしれませんし、また既にオリジナル曲の魅力があったとしてもマーティンはもっと着実なやりかたで売り込んで行きたかったのかもしれません。

それにしてもこのジョージ・マーティンという男、本来のプロデューサーからは随分逸脱したところまでやっていたわけです。

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Coffee Break Beatles No.31 「最近の楽譜」

Oh! Darling以外の3曲(You Really Got A Hold On Me、Yes It Is、This Boy)も12/8拍子ではないか、という件について昨日自分なりに結論を出そうと考えた。
出勤の帰りの電車の中でi-Podで改めてこの3曲を聴いてみた。
You Really Got A Hold On Meは、ちょっと12/8には苦しいような気がした。
しかし残りの2曲はしっかり12/8を刻んでいるように聴こえた。意識的にそのように作っているようにも聴こえた。

その後、島村楽器に立ち寄ってみた。
楽譜のコーナーで3曲を確認した。
ポピュラー楽譜の老舗のシンコーミュージックの楽譜を見たら、You Really Got A Hold On Meは4/4拍子として書いてあった。
4分音符の3連符が記載してあった。
一方、他の2曲は12/8拍子で書いてあった。

シンコーの楽譜でそう書いてあるのだからそれで間違いはないだろうが、
他社の楽譜でも念のため再確認しようと思った。
同じ曲でも会社により採譜が違ったりしないか興味もあったので。
しかし、シンコーミュージック社以外のビートルズの楽譜は見つからなかった。
棚を見ると、ビートルズに限らず全体の7割くらいがシンコーの楽譜だった。すごいシェアである。
なんか契約でもあるのだろうか。

最近楽譜を見る機会がなかったので、昨日楽譜をいろいろ見てみた。
大昔(1970年代)の楽譜はコードさえ合っていればよい、というようなものだったが、
1980年代に入るとオリジナルに近い譜面の楽譜が出始めた。
場合により完全フルバンドスコアも出てきた。

しかし最近また手抜きの楽譜が増えた気がする。
例えばピアノ伴奏の曲など、コード以外の構成音はボーカルのメロと一緒に書いてある。そのため完全ピアノ採譜でなくなっている。
譜面通りに弾いたとしてもオリジナルからはかなり遠いものになるはずだ。
そしてフルバンドスコアもかなり少ないようだ。
詳しい譜面はコストに合わないのだろうか。
もちろん、自分の耳で音を取るのが一番ではあるが、この最近の楽譜事情、少し寂しいものがある。

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Coffee Break Beatles No.30 「ワールド・スーパー・ライブ」

NHKハイビジョンで今週13日から16日まで毎日22~24時に「ワールド・スーパー・ライブ」という特集番組が放映された。
新旧名バンド、名ギタリストを様々な角度から紹介し貴重な映像を流すという番組だ。
女性の進行役に加え、Charと野村義男がギター抱えながらコメントや対話を行い、アドリブ演奏もするなどなかなかの番組だった。

この番組の存在に気付いたのが、既に第1夜が始まって半分くらい経ってからで、慌ててそこから録画した。
残念ながら第1夜前半を逃してしまったので、早速NHKに問合せ&要望のメールを打ち再放送を要望した。
NHKの回答としては「残念ながら再放送の予定はありません。しかしお客様のご要望は担当部署に伝えます」とのこと。

まあ、物事こんなもんかな。
地上波だけの番組ならなんとか追い切れるけど、衛星は正直追い切れないね。
結構いい番組が変な曜日の変な時間帯にやっていたりする。
だからといって最初から全部チェックするのもしんどい。
今ではなんか好きな系統の番組を検索するようなシステムもあるそうな。
私もともと理科系ではあるけど、便利なシステムを駆使するのは実はあまり得意じゃない。
そこが年なのかなあ。

結局、3.5夜分を録画しDVDに落とした。まだ全部はよく観ていない。
ビートルズも紹介されているようだったが、きっと多くはないだろう。

ここで紹介されたアーティストたちは、言わばエレキや楽器の性能を極限まで引き出した人達である。
そこのところは確かにビートルズよりもすごいと思う。
しかしビートルズはもっと音楽全体的なアイディアにより斬新な物を生み出したと言えよう。
仮にビートルズが楽器の性能をも極限に引き出したとしたら、それはものすごいことだが、正直そこまでは要らないと思う。
何が焦点だかわからなくなりファンがついて行けないだろう。

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Coffee Break Beatles No.29 「12/8拍子 その2」

先日のCoffee Breakで、Oh! Darlingが12/8拍子だと書きましたところ、いくつかコメント、情報をいただきました。
私が思っていたよりも12/8拍子の曲はこの世にあるようです。

そしてネットを見ていましたところ、下記のビートルズの曲も12/8拍子だという記事を見つけました。
You Really Got A Hold On Me
This Boy
Yes It Is
Yer Blues

これは驚きでした。ビートルズの12/8拍子はOh! Darlingだけだと思っていましたので。
なるほどこれらの曲を改めて聴いてみますと12/8であることがわかります。
でも、Oh! Darlingのように聴くからに12/8だ!というのとは違います。
This Boyは確かに結構12/8に聴こえますが、Oh! Darlingほどではない。
他の3曲は言われてみないと12/8ということが意識もできませんでした。

私は音楽の専門家ではありませんが、拍子というのは、明らかにこれだと言い切れる曲と、どれを当てはめたらよいか迷うようなグレイな曲があるのだと思います。
例えば、12/8とはいっても本当は4/4拍子あるいは2/2拍子なのだけど3連符が多いだけとか。
あるいは、8/12よりも6/8に本当は属すのではないか、とか。
12/8であるからには、リズム単位が8分音符が基本であり、1つの表現を12拍の単位で表現するようになっていることが必要だと思います。
そうして考えると、This Boy以外の3曲は2/2拍子のようにも聴こえます。

ではOh! Darlingはなぜ12/8そのものに聴こえるのでしょうか?
まずは楽器のリズムとアクセントが12/8拍子忠実に鳴っているからでしょう。
特に第4拍と10拍のコードギターはそれを印象付けます。

次に、ボーカルのメロディのリズムだと思います。
実はボーカルはものすごく高いがリズム的には忙しくない。
しかし忙しくないが、拍取りは粋だ。4拍子の観点からは符点の位置を多く取る。
かといって単純な3連符などでもない。独自のリズムなのです。

ここまで来て私は数学を思い浮かべました。
素数というのはこれ以上割り切れない数字です。
もしOh! Darlingのボーカルのリズムが割り切れたのなら、4/4拍子か2/2拍子、あるいは6/8拍子への焼き直しは可能かもしれません。
しかしこの曲の拍取りはこれ以上割り切れない。
だからOh! Darlingはれっきとした12/8拍子なのでしょう。
そしてあの1974年の沢田研二の曲も立派な12/8拍子に聴こえました。

以上、勝手な論法ですみません。
音楽のご専門の方がいらっしゃいましたら是非コメントをお願いします。

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Coffee Break Beatles No.28 「ジョンの粋なリズムギター, Part 1」

今日はジョンの粋なリズムギターを紹介しましょう。
リズムギタリストとしてジョンは世界的な評価を受けています。
ビートルズ初期の頃から既にその先駆けが見られました。

例えばAll My Lovingのサビの部分の表情豊かなリズムギター、She's A Womanの印象的な拍を刻むコードストローク。
She's A Womanにおいては一つとして同じストロークはありません。

そして今日紹介したいのがDoctor Robertです。
アルバムRevolverに入っている曲です。
はっきり言ってマイナーソングです。
その後ビートルズはアルバムの中の曲は一つとしてマイナーソングはなくなりますが、Revolverは「即席作曲」の曲が含まれる最後のアルバムです。
この頃のジョンの特徴として風刺をテーマにした曲が多いのですが、この曲もそうしたものの一つです。
ただ、エレキバンドとしてのシャキっとしたサウンドをこの曲は持っている。
そして何よりリズムギターが最高だ。マイナーソングであるゆえ余計にリズムギターの名演が目立つのです。

まずすごいのが、この曲でリズムギターが曲感を決めていることです。
不規則なのだが絶妙な拍を刻み、しっかり曲をドライブする。
この基本の中で非常にバラエティーに富んだ弾き方をします。
6弦全部を弾くこともあれば、特定の弦のみ弾くこともある。
ダラーっとストロークすることもあれば、シャキっとカッティングもある。

私はこのジョンのリズムギターを聴いて、演説する人のようだとも思いました。
演説をする人の声はメリハリをつけてストーリーが出来上がっている。

まあ一度聴いてみてください。

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ああ日本

こちら関東は今現在(20:30)真夏の蒸し暑さだが、夜半に前線が通過し秋の乾燥したさわやかな空気に入れ替わるとのこと。ああ待ち遠しかった!!

日本の国力や技術が後退したと言われて久しい。
かつて日本のお家芸であったDRAMや液晶パネルやTVなどはサムスン初め韓国勢、そして台湾勢に完全にやられている。悔しい限りだ。
ただ、液晶で言えば、構成する部材そのものはまだ大半が日本製であり、外国はなかなか真似できないのである。

寄せ集まりの民族からなる我が国日本は、特有の遺伝子はないはずであるが、なぜかとても優秀である。そして真面目である。
ノーベル賞の田中さんに象徴されるように、一見無意味な実験ももったいないからこなし、粘り強い検討の末実用化にこぎつける。この態度は韓国、台湾にはない。
その代り日本の欠点は、目的と手段を混同してしまうことだ。この点は欧米に一日の長があり、アメリカナイズしている韓国、台湾が強いのである。

DRAMはじめとする半導体の研究や量産は地道な検討が求められる。
もともと優秀な人間が半導体メーカーに入社し、毎日日付が変わるほどまで頑張るのだ(今はそこまでではないかもしれないが)。
工場の敷地内に寮や社宅がある場合もあるので、そこまで頑張っても大丈夫なのだ。
それでいて彼らは給料は安く、文化に乏しく、田舎で小遣いもままならぬまま、地味な暮らしをしている。
私のライフワークの一つは日本の技術者の解放にある。

しかし信じたくない事実もあった。
ごく一部の大手半導体メーカーの技術社員が、小遣いほしさに韓国のメーカーに呼ばれ、週末を使い技術を教えてきたことがあるそうだ。
サムスンの技術や管理方針や投資は確かにすごいのだが、日本の貴重な技術もパクられたのも事実であろう。何たることか。
しかし逆に言えば、ここまで日本の技術者は報われていないとも言える。
日本の技術のすごいことの一つに金型技術がある。最近のリストラにより職を失った日本の金型職人、あるいは定年後の職人が職を求めて中国の企業に就職することが最近大変増えているそうだ。そして中国に金型技術がしっかり根付いているとのことだ。

アメリカUCSB教授の中村修二先生は、かつて日亜化学で青色LEDの製造技術を開発したが、その報酬は特許出願時の補償金1万円のみだったため、億の単位の発明の対価を求めて訴訟を起こしたのは、技術者の処遇の象徴的例である。
さらには、今年、某国立大学の世界的に有名な電子デバイスの大家である教授が、納入業者と結託して1億以上の私的横領を行った。要するに、日本の技術者は、能力や業績に応じた報酬を得にくいのである。

高度成長の時代は進むべき目標が明確だったから、ひたすら頑張ればよかった。目的と手段をはき違えがちな日本人でも大きな成果を出せたのである。
しかし今や成長は終わり、各企業が自ら考え目的を設定し、それに合わせた手段を取らないといけない。
日本は従来から営業とマーケティングの区別がわからず、同じ人間がやったりしていたし、時に営業の重鎮が会社の方向に口を出すなんてことはあたり前だった。

しかし本来、営業とマーケティングは水と油の関係であり、混同のしようがないのである。
戦争に喩えてみればよくわかる。
前線兵士(=営業)と作戦官(マーケティング)は一緒であるはずがない。
この道何十年傭兵をやってきた兵士がいたとして、この人が「あの国は今攻めるに潮時でっせ」などと言っても仕方ない。
もっと自分らを俯瞰して何を国家としてやるべきかの戦略があっての初めての戦術である。

以上の前置きでビートルズを見てみる。
前線営業でありかつ開発メンバービートルズのメンバーたちは大変優秀な社員だった。
そしてブライアン・エプスタインは事業部長で人事部長、さらにはマーケティング部長も兼ねていた。
彼は非常に優秀であり、その戦術は当たったのである。
そして、生産本部長であり、かつ中央研究所長のジョージ・マーティンもまた大変優秀であった。
このようにビートルズ株式会社は優秀なメンバーと戦略、そして生産、販売がうまく行った。
ビジネスの角度から見ると十分に理解できる。そして、誰かが、あるいは何かがかけてもその売上は随分下がったと思われる。

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Across the Universe

猛暑もようやく最後を迎えました。
ここ数日高温ですが湿度が低いようで比較的過ごしやすいです。
昨夜なども「これで熱帯夜も最後か」と思うと名残惜しかったです。

先日NHK教育TVの「サイエンスZERO」を観ていましたところ、全宇宙のうち我々のこの物質世界はたかだか4%に過ぎず、残りの96%はこれまでの物理学ではわからない暗黒物質または暗黒エネルギーで構成されているとのこと。
従来の物理学に従えば、銀河間の万有引力により宇宙は次第に縮小へ転じるはずですが、事実は膨張が加速しています。この事実を説明するには、従来の物理学に従わない巨大なエネルギーが存在するわけです。

仮説によれば、そのエネルギーは一種の斥力のようなものであり、物と物の距離が大きくなるほど強くなるとのことです。つまり、我々の身近な範囲を見れば従来の物理学が支配的なのですが、宇宙全体のマクロな視点に立てば斥力的なエネルギーの方が支配的だということになります。

その暗黒エネルギーの正体はまだわかっていません。そしてそれがさらに加速度的に増すのかそうでもないのかもわかっていません。
もし加速度的に増していくのなら、約1,000億年後には全宇宙の全ての物は完全に引き裂かれてしまう"Big Rip"なるものが起るという試算もあります。
約150億年前にBig Bang(ビッグ・バン)で突然始まった宇宙ですが、最後にはBig Ripで消滅してしまうかもしれない。
ジョンがAcross the Universeで歌ったように、宇宙はuniverse、すなわち永遠に存在するもののように思われていますが、実はものすごく動的なものであり、そして刹那なものであるようです。

その中でもたまたま今という時期、そして銀河系の中の太陽系、しかも地球という場所という、超ラッキーな時間と場所により我々人間は存在しています。
まさに奇跡のスポットと言えましょう。

宇宙がこれからどうなるのかはこの世で最も重要な問題です。
しかしここまで研究対象の立ち位置を上げるべきか。
はたまた、ビートルズがもたらしたことを研究することの意義は、この宇宙問題の中で何なんだろうか。

時々こうして視野を広げながらビートルズ解析、さらに進めたいと思います。

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Coffee Break Beatles No.27 「一番好きな曲, Part 2」

前にこのコーナーで「一番好きな曲」は一つではない、と書きました。
そもそも「一番好きな曲はこれだ」などどすぐ言えるバンドは一流ではないでしょう。
先の一番好きな曲ではI Saw Her Standing Thereを挙げました。

今日は一番好きな曲としてOh! Darlingを挙げます。
その理由は「一番頑張っているから」です。
まずは歌ってみてください。しんどいでっせ!
まずはキーが高いんです。

一つのエピソードは、ビートルズ公式発表213曲のうちで、裏声ではなく一番高い声を出したのがこのOh! Darling。
最後のI never do you no harm.の"do"の音がレであり、ビートルズ最高音。恐ろしいほどの高音なのです。
でもこの曲はその象徴的な一音のみならず、キーが高いままガナリ立てるとにかく大変なボーカルなんです。
こんな厳しいボーカルだからインパクトもある。
そしてなにより「ご苦労さん」なんです。
あのポールでさえも、この曲の途中から喉をつぶし、ガラガラ声になってしまっています。
おそらくこの曲で声帯を痛めたのでしょう。その後の解散後のポールの声は張りを失っています。
そしてさらに、70年のソロアルバムMcCartneyでのMaybe I'm Amazedでも声をつぶしました。

そしてこの曲は世にも珍しい12/8拍子。
内外でこの曲以外で流行った12/8拍子は沢田研二のあの曲しかありません。曲名を忘れてしまいました。残念。
忘れもしないあの1974年の高2の九州1週の修学旅行。
1週間共に過ごしたバスガイドさん。ちょっとブスだったけどけなげでかわいかった。
我々がいじめ過ぎて(愛のいじめだったんだけどねえ)1回泣いちゃった。
その最後のバスを降りる瞬間に流れていた曲がこの沢田の12/8拍子の歌だったんです。
感激しましたね。修学旅行とガイドさんの素敵さに胸打たれ、そしてOh! Darlingの粋なセンスが胸を打ちました。

Oh! Darlingでは12/8拍子のアクセント部分にスライド奏法の和音ギターが印象に鳴ります。
ジョンのギターと言いたいところですけど、こういう時って、ポールがしゃしゃり出るんですよね。
このギターはポールの仕業かもしれません。

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Coffee Break Beatles No.26 「Anthology」

いやあ、本当に涼しいです。これで平年並みですって。
普通ってこんなに楽だったんですねえ。

今日の帰りの電車の中ではi-PodでAntholgyを聴きました。
Anthologyは、オリジナルとは違ったテイク、ある楽器を取り除いた構成とか、それまで海賊版でしかなかったライブ音源を最新の技術で仕上げたりなどの作品です。
ビートルズファン以外にはあまり意味のない作品ですが、ファンにとってはとても興味深いものです。
あっ、こんな弾きかたしてたんだ、なんていう発見が相次ぎます。

いくつか興味深い事例を紹介しましょう。
ポールのピアノがよく聴こえた曲として、Lady Madonnaは以前のCoffee Breakで取り上げた通りです。
The Fool On The Hillも驚きです。
この曲にピアノが使われていたことも知らない方も多いのではないでしょうか?
Anthologyではピアノ一本で弾き語るこの曲が聴けます。
その後のポールのピアノの特徴ともなる低音コード奏法の先駆けとなるような興味深い弾きかたです。
アクセントの強弱と位置取りの妙からマンネリ化しない、表情に富んだ伴奏です。

次はI Am The Walrus。
この曲はオリジナルでは音が一杯あって、ちょっと前衛作品風に聴こえます。
しかしAnthologyではシンプルな構成で、ロック風で、小気味よく聴こえカッコいいです。
この伴奏楽器は何ですかね。オルガンでしょうか。ギターではない気がします。
ジョンはオルガンをギターみたいに弾くのが得意です。The Night Beforeは、どう聴いてもリズムギターのような伴奏なんですが、なんとオルガンとのことです。

もう一つ。東京公演の幕開けを飾るRock'n'Roll MusicとShe's A Woman。
東京公演についてはエッセイの第1章で詳しく書きました。
東京公演の演奏はとてもひどく聴こえるのですが、本当は結構うまく演奏していたのだけどPAやミキシングの段階での技術の低さからあんな風になった、というのが私の主張なんです。
なにしろ、出だしのRock'n'Roll Musincでは、演奏が始まったのに楽器の音がしばらく聴こえてこないんですから。
Anthologyではなんと結構ちゃんと聴こえます。どういう技術で焼き直したか知りませんが、私の主張を裏付けるような演奏が聴けます。

興味は尽きませんね...。

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Coffee Break Beatles No.25 「セミアコースティック」

今日は台風のおかげで猛暑が解消されました。実に久しぶりです。
そして、チビ台風と思っていたら随分雨が降ったようです。風もそこそこ吹きました。
台風から格下げされて熱帯低気圧になっても十分な被害を出したわけです。
昔は台風の弱い状態(最大風速が17m/s以下)を「弱い熱帯低気圧」と呼んでいました。
11年前、「弱い熱帯低気圧」が日本に来襲した時、神奈川の玄倉川でキャンプをしていた人達が中洲に取り残されてしまい、悲しい被害が出てしまいました。
風こそ弱かったものの、雨は十分強く、「弱い」という呼称は人々に警戒感を下げるため、それを機にただの「熱帯低気圧」に改めたのでした。

さて、ビートルズ。
このところメンタルな話が続きましたので、このへんでまたテクニカルな話をしてみようと思います。

ロックバンド、あるはエレキバンドとして有名なビートルズですが、その実はそれほどロッキーな音源ではありませんでした。
それよりはメロディーやコード進行、そしてコーラスなどに特徴を置いたバンドであり、その道具としてエレキを活用した、というのがより妥当な捉え方ではないでしょうか。

中でも「セミアコースティック」(通称「セミアコ」)の楽器を多用したことが大きな特徴ではないでしょうか。
ギターのセミアコはままあることですが、ベースのセミアコはあまりありません。

セミアコは、弦の振動をピックアップで捕え、音に変換するのはソリッドギターと同じですが、ギターにホロ(空洞)を持ち、弦同士が共鳴するようになっています。
従って、アコースティックギターのような共鳴音も取れるし、ピックアップによる空気を介さない直接振動の音も取れる、という二面の音を同時に取るというわけです。

想像ですが、ギターやベースの音をオーケストラのように考え、ボーカルを引き立たせようとしたのではないでしょうか。
ただ、楽器選び、特にカールヘフナーベースの選択はもっと別の現実的理由もあったはずです。
しかし、理由の順番はこの際大して重要ではないでしょう。
結果としてよいものが得られれば、理由は後付けでもよいと思います。

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ビートルズ解析例 その5

- ジョンとヨーコ、愛の姿 -


心の安らぎとビートルズ


これまでの4章ではビートルズの音楽的解析を様々な角度から試みた。自分の音楽的な感性と取り組みからビートルズを主としたポップな音楽への憧れと、いかに一介の音楽好き人間がとことん楽しみ、解析する喜びを書いたつもりである。技術系サラリーマンとしての解析手法も十分に発揮できたのではないかと自負している。
しかし、解析はもうこれで十分であろう。解析云々ではなく、音楽から、あるいはミュージシャンから心から安らぎを得たい、リラックスしてそして感動できる、そんな要素があってしかるべきなのである。
ビートルズに限らずそうした要素が得られるミュージシャン、アーティストは多いし、また人それぞれ感じ方が違う。言うまでもないことだが。私の場合も精神的安らぎを与えるアーティストはいろいろいるが、やはり、ここまでこれだけビートルズ解析を中心に行って来たわけだし、ビートルズの連中にとりわけ心打たれるというか相通じるものがあるので、最終章としてもビートルズの心を綴ってみたい。

母の死とビートルズ

私としてビートルズの面々に好感を持てるのは、彼らは結構若い時に苦労しているからだ。とりわけ、ジョン、ポールは、14、15歳という多感な時代に母親を亡くすという大変な試練を経ているのだ。男子にとって母親を亡くすのは大変つらいものだ(もちろん女子もそうではあるが、男子にとってはより辛い)。そしてそのつらさは男子の年令が若いほどつらくなる。
私は、43歳の誕生日を迎えた1日後母を失った。76歳であった。76歳とはある意味では「老年」と定義できるから、その歳で死んだのだから、諦めがつくのではないかと思われるかもしれないが、当事者としてはとてもそんなものではない。今や女性は86歳の平均寿命である。平均寿命とは、幼児期に亡くなるケースや自殺や不慮の事故も含む。ごくありきたりに生きている女性の平均寿命、別な言い方をすれば、私の母親の世代の女性の病気か寿命的な亡くなり方は90歳かそれを超えるのではないか、数字の意味では。それからすると私の母は随分早死にで可愛そうである。そして、43歳で母親の死を迎えるというのは今時早い方であろう。とにかく、私の母の死は想像を絶する悲しみであった。

ジョンの母親への愛と、一生

前置きが長くなった。ジョンやポールが中学生時代に母親を亡くした悲しみ、苦しみは想像を絶するものがある。私の母親の死でさえかくほど悲しんだのだから、彼らの悲しみの程度の深さは全く次元が違うものだったと想像する。特にジョンの場合は、幼い時期に母ジュリアが出て行き、ミミおばさんに育てられ、そしてとどめはジュリアの交通事故死だ。ジョン自身が「母親を二度失った」と言っているが、それは冗談でもなんでもない。まさに心底の叫びである。ジョンは、アルバム"The Beatles"で母親のことを歌った"
Julia"を書き、そして解散後の"ジョンの魂"においては"Mother"という曲を絶叫しているのだからその苦しみと、その苦しみから脱皮する苦しさと力強さが見てとれる。ジョンの一生は、ミュージシャンとしての成功という表舞台と、母の死を初めとする人間世界の葛藤と機微そして成長と心の安らぎ、という心の内面の波乱が織り成した実にドラマチックなものであった。

音楽家の感性と職業

音楽や芸術というもの、感性的なものが決め手になることも多いことから、一般の職業とは若干異なり、私生活における生き様も重要なファクターであるとも言われている。しかしそうは言っても、厳然たる職業の一種ではあるし、しっかりしたプロセスを踏まないと音楽もできないし、曲の完成にも至らない。一般の職業同様、steadyな職業的責任とプロセスは避けて通れない。
私生活とはきっちり分けて仕事をする職業的音楽家、芸術家も多くいるのである。もしかしたら、かのポール・マッカトニーも、私生活をあまり表に出さない音楽家かもしれない。
ジョンも最初はそうであったようだ。クォーリーメン時代からシルヴァー・ビートルズ、そしてビートルズでデビューして数年のうちは。端的な例は、最初の結婚相手のシンシア・パウウェル。リバプールの美術学校で知り合い結婚したが、彼女との生活は音楽活動とは切り離していた。また、当時のジョンは、意気がった青年の域をあまり出ておらず、女性に対する対処も他の男たちのそれと大して変わらなかったものとみられる。映画「イマジン」でのシンシアの発言でそのあたりがよくわかる。

何故ジョンとヨーコ?

ジョンは、少なくともビートルズ初期頃までは、普通の男的な感覚で攻撃的な感情をロックにぶつけた部分が多いとみてよいと思われる。それプラス彼本来が持ち合わせていた生来の芸術的な部分を、意識的あるいは無意識的に取り入れながら音楽を作っていったのであろう。
おそらく1964年頃まではジョンの音楽あるいはその周辺のアーティストとして表現する部分は、自分の生き様とは一応一線が引かれていたように思う。言い方を変えればミュージシャン職人の域であったはずだ。それが、時を重ね最終的にヨーコと結婚し居を構えるようになったジョンは生き様そのものを音楽に表し、そして生き様そのものがアーティストとなっていく、それが私の一つの大きな見方である。そしてそのジョンとヨーコの愛情が核となる芸術性=生き方は大変心を打つものがある。少なくとも私は強くそう感じるし、そう感じているファンも多いであろう(その一方逆の感情をもつファンも多いが)。さらに私的には、ジョンの生きて来た足跡にとても感銘を受けるし、ジョンとヨーコの愛の姿、生き方についても自分と照らし合わせたり、自分の生きがいにつなげてきた。
よって、本章ではジョンとヨーコの愛の姿について書き、私のビートルズを中心としたポピュラーミュージック論を締めくくることにしたい。

ビートルズ初期のジョン

ビートルズが1962年にデビューし、その後しばらくは詞も音楽も、グループとしてのアピールもジョンが中心になって創造し表現してきた。ポールもその類稀なる音楽性を既に初期から見せてはいたが、総合的なパワーとして初期においてはジョンにはかなわなかったのである。ジョンは生来の感性と音楽的能力から若者の真に求める音楽を作っていた。特に1964年のアルバム"A Hard Day's Night"はジョンのアルバムと言ってもいいくらいだ。そして本を書いたり絵を書いたりと音楽以外の芸術的アピールもしていた。

1965年”Help”で変調が..

こうした調子に最初の変調が見られたのが、1965年の"Help"ではないだろうか。自分の悩みを綴った詞を取り入れている。「自分は今苦しい、どうか助けてくれ」という内容の詞であり、曲としてはマイナーコードを多めに使いながらも全体としては軽快なポップ調に仕上がっている。映画"Help"のオープニングでこの曲が印象的に使われ、ジョンははつらつとして歌っている。しかし、ジョンは後のインタビューその他で「"Help"では私は本当に助けを必要としていた」と何度も言っている。では何を苦しんでいたのか? それを解く前にもう少し話を進める。

さらにその先は?

"Help"を出した1965年まではジョンの作った歌は十分ポップで魅力的なものが多かった。詞の内容がそれまでとは違った内省的なものが多くなったとはいえ、音楽だけでも十分に万人に訴えるだけのポップ性を持っていた。ちょっと風刺的な歌"Nowhere Man"はとても独特で味わいのある仕上がりの曲になっている。心に悩みがあったとしてもジョンの音楽的力量・感性は相変わらず全開であったといえる。
1966年に入ると、ビートルズは実験音楽、室内音楽に傾倒していく。ジョンもその流れを汲んで高度な音楽を目指していく。そして彼の独特の精神世界と相まってあの名曲"Strawberry Fields Forever"を完成させる。この曲は詞、音楽性、雰囲気が微妙にバランスを取り合い最高の仕上がりになっていると思うが、ポップさにやや欠け、そしてそのことでファンがやや離れてこの曲がヒットチャートNo.1にならないという結果になった。

歴史的出会い

そしてこの1966年、ジョンに歴史的出会いがあった。そう、ヨーコこと小野洋子との出会いである。ニューヨークのある画廊でヨーコが前衛芸術作品の個展を開いていたところへジョンが訪れたのである。ある作品は、脚立が置いてあり、それを登りきったところに虫眼鏡が置いてあり、天井の小さな紙を見るようにできている。虫眼鏡で見ると"Yes"と書いてあるのがわかる。「"Yes"というポジティブな言葉が書いてあったので私は大変感動した。これがもしネガティブな言葉だったら私は全然興味を示さなかっただろう」と、ヨーコへの関心が電撃的に湧いたいきさつについてジョンは何度も語っている。最初私はこれを聞いて「変な話だな」と思ったが、ヨーコが1990年頃に東京で開催した展示会で同じ作品を展示していたのを私も実際に見てみたところ、確かに「なるほど」と思った。しかしいかにもアーティストらしい発言である。
この出会いをきっかけに二人は一気に親密さを深めて行き、ジョンにとっては生き様、考え方、音楽に大きな影響を及ぼし、1969年の正式な結婚を経て「ジョンとヨーコ」という独特の世界を作っていくのである。

ジョンとヨーコが連れあった期間

ジョンとヨーコが連れ合った1966~1980年の期間において概ね次のような時期に分けられるのではないかと思う。1.1966年の出会いから実質的にビートルズが解散状態になりジョンとヨーコが正式に結婚した1969年まで、2.ジョンとヨーコが音楽や反戦活動を活発に行っていた時期(1969~1973年)、3.ジョンが荒れ、一時別居していた時期(俗に「失われた期間」)(1974年)、4.ジョンが音楽活動をやめ息子ショーンが生まれ、ジョンが「主夫」として幸せに家庭生活を築いていた時期(1975~1979年)、5.音楽活動を再開し二人共作の"Double Fantasy"を出した時期(1980年)。
ジョンが出会いから一貫してヨーコに対し抱いていた感情の柱はあると思われるが、その時期々々において少しずつ考え方や感情は変化していったはずだ。二人の間の関係も少しずつ変化し、危機を経ながらもより強固な間柄になっていったと思う。

ジョンは”Help”で何を悩んでいたのか?

まずは、ビートルズの初期に立ち返り、"Help"の頃にはジョンは何を悩み、何を求めていたのか、そしてヨーコの何がジョンの心を満たしたのか、そのあたりを考えてみたい。
ビートルズ時代のジョンの心境は様々な本で書かれているから、ここではごく簡単に紹介するに留めたい(他の本の焼き直しがこの本の目的ではないので)。ジョンはビートルズでデビューした時には既にシンシアと結婚しており、そしてすぐに息子ジュリアンを設けた。しかしビートルズは超多忙だった。売れっ子アイドルが多忙なのは言うまでもないが、ジョンとポールの場合はこれに作詞・作曲、アレンジ、演奏の練習といったことが加わった。しかも年に2枚の自作のアルバムを出すように義務付けられていた、しかもハイクウォリティな作品を、ことは想像を絶する忙しさとプレッシャーとストレスとの戦いであったと思われる。これだけを見ても、夫婦の会話や家庭の団欒などありえないことがわかるというものである。アイドルは孤独だとよく言われるが、ことさらジョンは孤独たっだことは想像に難くない。そしてもう一つのストレスは、常に4人一緒に行動していたこと。いくら旧友の仲とはいえ、度重なるツアーや公演でホテル等で一緒に居るのは耐え難かったと思われる。1966年の東京公演で、ヒルトンホテルを取材したカメラマン浅井慎平氏が、ホテル内で彼らはだまりこくっていたと述べていることからも、その一端が窺える。もう一つのジョンにとってのストレスはポールの存在だったのではないか、と私は考える。1964年まではジョンの創造のパワーはいかんなく発揮されていたし、音楽的な部分も含めてジョンが名実ともにビートルズのリーダーにふさわしかった。しかし、ポールの天性の音楽的才能は早くから少しずつ芽を吹いており、ついにあの名曲"Yesterday"の発表となる。"Help"と全く同じタイミングの発表だ。"Yesterday"のもつインパクトは計り知れないものがある。まずそのジャンルを超越した名曲性にある。従来のビートルズファンはもちろんのこと、ロックに関心がない人々までを魅了するであろう名曲性をこの曲は持っている。そして次には、この曲にはポール以外のメンバーは録音に全く参加していない、というよりも、他のメンバーの存在を想定して作った曲ではないのだ。つまり"Yesterday"はポールのソロデビュー曲といっても過言ではないのである。アイドルとしてグループの和が重要視されていたさなかに、特定のメンバーのみによる作品を発表することはよほどの議論があった(ジョージ・マーティンその他の間に)に違いないが、その名曲性からGOサインが出たのであろう。このことで、ビートルズの中のポールの力関係が上がったと思われる。ジョンにとってはプライドが傷つけられたことであろう。東京公演での"Yesterday"での演奏はエレキで行うのだが、ジョンはポールが編み出した奏法で弾かざるを得なかったのである。事実、「この曲は我の魂ここにはなし」といった表情で演奏していた。

ジョンの脱却の手立ては? そしてヨーコ

"Yesterday"の発表を契機として、ジョンがこれから先々、音楽的にも力関係においてもビートルズのリーダーとしてポールとどのように伍していくのか全く不安だったはずだ。第一、すでに年間2枚のアルバムを出すノルマによりそれまででも一杯々々だったのに、それ以上ジョンにとって音楽世界が広がる自信もなかったし、こんなきつきつの生活を続けることは耐えられなかったのではないか、と想像する。
八方ふさがりになった自分を癒してくれるような人間、あるいは心を托して話し合える人間がいなかったのだ。
いや、こんなことは誰でも言える。これから先が私のさらに掘り下げた想像だ。ビートルズのノルマやファンへのサービス、そしてポールとの葛藤といった事柄は人間ジョンの生きた感覚から生まれてきたものではないということだ。全て見えざる潮流に支配され、自我を失い、生身の人間として褒められたり叱られたり、あるいは意気投合したりなにかに意欲的になれる、そんな当たり前の人間としての基本的なものを失っていたのではないか。
こうした状態で、かつ八方ふさがりのストレスに陥ったジョンが求めるのはどんな人間であろうか? 従順でジョンに尽くす優しい女性だろうか? あるいは悩みを聞いてくれる女性だろうか? いや、違う。こうした女性は一時(いっとき)の慰めは与えてくれるかもしれないが、「ポップなヒット曲を量産しなければいけない」とか「ポールと伍していく」などといった窒息しような将来の呪縛から解かれる訳ではない。当然、男女に限らず同業者の人間や似たような境遇の人間も基本的にはジョンにとっての救いにはならないはずだと思う。私が想像するに、ジョンとは全く違った世界に生き、全く違う(魅力的な)価値観へ向う力強い女性こそがジョンの求める人だったのだろうと思う。丁度、地球の中で蠢き苦しんでいる人間が、地球外にベクトルを向けて行動している人間に救われ、新しい自分の行き方を感化され、そして共有していく、そんな例えが言えよう。そう、これがヨーコなのである。

「別世界」へのベクトル

上で述べた5つのピリオドを通じて一貫してヨーコがジョンに与えたものは、こうした「別世界」へのベクトルである。これによりジョンは救われ、新しく希望に満ちて、八方塞でなく無限の未来を見出した。と同時に、自分のこれまで居た音楽世界も改めて見ることができ、自分なりの新しい価値観でやり直すことができた。当然ながら、ジョンがヨーコに与えた影響も大きく、ジョンのもつ音楽世界、芸術世界によりヨーコの活動も広がったのである。

強い男女間の愛もあった

もう一つ強調したいのは、この二人の間には男女間の強い愛も存在したことである。一般的にはヨーコの容姿は女性としてはあまりよくないと見られている。特に欧米の人たちのヨーコ評は酷評であった。ジョンのファンはなおさらであった。ジョンとヨーコの間は精神世界だけのつながりだったと見る人も多いが、純粋な男女間の愛も強かったのである。

ここで少し脱線させていただきたい。男が女に惹かれる要素に関して一般的に言われていることをここで敢えて繰り返すまでもあるまい。私の場合、これに加えて次のような要素が女性にある場合にその女性を自分のものにしたくなるのである。それは、女性がある種の引け目がある場合である。引け目とは? ちょっと容姿が劣っている、歳を取っている、過去がある、借金がある、家庭環境が悪い...。もしこうした女性の前に男性が現れ、「この男性は好きだが私には不釣合いなので申し訳ない」のように思ったとする。そしてその男性、つまり私、がその女性に魅力を感じた場合、その女性が引け目も持っていることが魅力を倍化させるのである。ここで矛盾が生じる。引け目を感じるのだから、絶対的な魅力も小さくなりがちだ。私がもしその女性に対して、自分にしか得られない素晴らしい魅力(容姿含め)を数多く見出し、かつその女性は引け目を感じている。そんな状態を私はベストと考える。私がその女性を得たトータルな生きがいがベストだという意味である。一種のボランティア精神もあるかもしれない。よく学生時代「中村は女性にはえぐい趣味だ」と友人たちからからかわれたが、それも否定できないし、そして上述した背景があるからだ。
こうした要素がジョンとヨーコの間にあるのではないかと思う。ただし、ヨーコが引け目を感じていたかどうかは疑問である。
それとちなみに、私は女性としてのヨーコ自身も好きだ。

第1ピリオド(出会いから結婚まで)

さて、ともかくもジョンとヨーコの出会い(1966年)があってから正式に結婚する1969年までの第1ピリオドは、ジョンがまだビートルズとしての活動をしていた時期であり完全な"John & Yoko"の世界は形成していないが、ジョンの音楽に対するヨーコの影響ははっきりと現れていた。まず、不特定多数を満足させるポップな曲を作らなければならないという呪縛から解かれ、ジョンは自分の表現したい音楽を素直に書くようになった。曲のポップさよりも自分の感情をストレートに詞にすることに専念した。失った母の想い出と愛、ヨーコへの愛、つらい自分の気持ち、世の中の不条理さ、嫌な人間への揶揄、などなど。ある時期から平和にも大きな関心を示すようになった。
66年以降のジョンの作った曲は、はっきり言ってバンドとしての魅力の部分では峠を越えた。基本は生ギター1本で表現できるような強いメッセージで作ったような曲がほとんどであろう。例えとして日本のフォークに似ている。それでも、時々変拍子を入れたりなどの工夫を凝らしたりとか、ポールによる洒落たベースラインの味付けによりさすがビートルズの曲として仕上がっているものも少なくない。
69年のGet Back Sessionあたりでの苦労などもあったが、全般には自分らしい音楽に満足し、ヨーコとのベクトルも合ってきて幸せな方向へ突き進んでいったものとみられる。そして69年のアムステルダムの「ベッドイン」というユニークな催しに行き着く。愛と平和のアピールを「ジョンとヨーコ」のスタイルで全開だ。

第2ピリオド(ジョンとヨーコの生活・活動が全開)

第2ピリオド(69~73年)はジョンとヨーコが夫婦として生活、活動とも最も盛んであった時期である。まさに新しいアーティストとしてのあり方を世に示した。プラスチックオノバンドとか反戦活動でのヨーコの勇ましい姿がよくマスコミに取り上げられたためか、ヨーコのそういう部分のみのイメージを持っている人も多いが、実はヨーコは女性らしい部分もずいぶんと持っているのだ。
映画「イマジン」を見るとそのあたりがよくわかる。ベッドの中で二人並んで横たわりながら「あなたは~~だから好き」というようなことをささやき合っている。そのヨーコはとてもかわいらしい。また、自宅を訪れた熱狂的なファンをなだめ現実を悟らせる、しかし突き放すのではなく家に招き入れて一緒に食事をする、という人間味のあるジョンの人格が見られる。そしてそうしたジョンを尊敬しているヨーコがいる。互いに慈しみ合う二人であった。
はりきって活動し生活してきた二人であったが、73年ごろからジョンの雲行きがあやしくなる。酒におぼれたり、友人と放蕩生活に入ったり。このあたりのジョンの心境を解析するのは難しい。またしても行き先が見えなくなり閉塞感が出てきたとも見られるが、ジョンもある種ふつうの人間、あるいは自制心にかけた部分も少しはあると見ておくことも必要であろう。別な言い方をすると、ジョンはカリスマ的芸術家とも言えるが、violentな部分も兼ね備えた紙一重な状態だったともとれる。まあ、それだからこそ絵になるロッカーとも言えよう。万事が清く正しい宗教家のような人格であったらつまらないであろう。

第3ピリオド(失われた期間)

そして、74年に冬の時代、つまり別居生活、に入るわけだが、その時ヨーコのとった態度がすごい、というか超越し過ぎている。パン・メイというベトナム人女性をジョンに侍らせたのである。結果、ジョンはヨーコが自分のとって必要な、かけがえのないパートナーであることを昔以上に認識し、ヨーコのもとに帰るのである。あたかも、ヨーコという観音様の手の平の上で遊ばされたジョンのようであった。ここまで達観し、器の広く、そして先を見通せる女性がいるだろうか?

第4ピリオド(幸せな主夫時代)

そこから先のジョンは一途にヨーコ、そして自分の家庭に向いていった。75.10.9にジョンの誕生日に息子ショーンが生まれ、ジョンは"主夫"となり、音楽を一旦停止し、家事・育児に専念するのである。
結論を先に言うと、私はこの時期のジョンが一番好きなのである。その理由を言う前にまずは彼らの状況の変化から。
レコードを全然出さなくなったジョンにはファンは不満だった。主夫としての考えなどは全然示されなかったので、ただ音楽をやめたことだけが目立っていた。私も同様であった。この時期のジョンの考えは80年のプレイボーイ誌のインタビューで明らかになった部分が随分ある。つまり後で知った部分の方がずっと多い。
ジョン一家が毎年日本をお忍びで訪れ、軽井沢に滞在していたことは私も知っていた。しかし前述したように、私は、彼らが音楽をやめてしまったことをnegativeに感じていたので、彼らのお忍び来日にもそんなに興味は持っていなかった。しかし、後でわかるのだが、その当時の一家は幸せであった。ジョンの気持ちも最高潮であった。77年夏に大学のサークルの1年先輩のT氏が軽井沢まで出向いてジョンたちを見たといっていた。さすがに羨ましくはあったが、まさかわずか3年後に亡くなるとも知らず、そして主夫の心情も知らずで、それほど羨ましくもなかった。しかし今となっては、万難排しても見に行くべきだったと悔やんでいる。

主夫ジョンへの私の見方

前置きが長くなったが、ジョンが主夫として充足した気持ちで生活しようと思ったきっかけは語られているようであまり語られていない。ヨーコの仕事が忙しかったことや、ジョンがインタビューで答えているようにパンを焼いたり子供を育てたりすることに喜びを見出したことはよく知られている。
ここから私の推測だが、ジョンは主夫になって、きっと女性の気持ちがわかったのではないかと思う。実際に家事や育児を本格的に始めてみて初めて女性の大変さ、女性の立場や気持ち、そして女性の喜びを見出したに違いないと思う。優しいジョンはとりわけ、これまで抑圧されてきた女性の「負」の部分に心を痛め、女性の解放を願って自ら主夫の立場に深く入り込んでいったものと思う。間違っているかもしれないが、私がジョンという人間をずっと見てきてそう思うのである。
そしてこの私こそがジョンのこの気持ちに大変同感するものがあるのである。ある意味ヨーコと共通する部分のある妻を持ち、しかもその妻は女系家族に生まれ、そしてさらに私には女の子だけが生まれた。これまでは男性中心の社会にだけ生きて来たことが痛感させられた。そして時間はかかったが、女性の解放のためジョンと似た行動をとった部分もある。いわゆるフェミニストのような片意地をはったような気難しい考えではなく、無理なく女性のためを思った行動をとってきた。この境地になって俄然ジョンとヨーコのファンになった。そしてジョンの主夫時代のジョンが最も好きになった。軽井沢の写真集などを見るととてもほのぼのとした家族の姿が見てとれる。7、8年前に浅間山・鬼押出へ行った我々家族で行った際、ジョン一家の写った写真にあるのと同じ小岩が存在していて感動した。

ジョンの名句

少し話がずれるが、ジョンの興味深い言葉の1つとして、「ヒット曲を作り続けることもやめることも両方しんどい。私は両方やった」というのがある。ジョンの長年の心理状態の変遷を端的に示す名句だが、もしヨーコと出会わなかったら、ヒット曲を作り続けることにもがき苦しみながら自滅していたかもしれない。

第5ピリオド(音楽活動再開)

いよいよジョンとヨーコの最終(第5)ピリオドに入る。音楽活動を再開し二人共作の"Double Fantasy"を出した時期(1980年)、そしてこのピリオドは「ジョンの死」という悲運で幕を閉じることになる。
私がジョンの音楽活動の再開のニュースを聞いた時、どれほど喜んだかわからない。そしてもっと驚いたのは、"Double Fantasy"の1曲目"(Just Like) Starting Over"をラジオで初めて聴いた時、以前のジョンとほとんど変わっていなかったことだ。「ジョン節」が健在だったのである。しかもサウンドは勢いを盛り返していた。予想していたのは、もうすっかり枯れ老境の雰囲気で歌うジョンだったが、なんのその。

このピリオドは基本的に主夫時代同様幸せな時期である。興味の対象が無理なく音楽に向いて来たと考えてよいと思う。
それにしても突然の死は理解を超えた。これからどうやって生きていこうか、なんか大事なものを失った気がした。

ジョンの死のもつ意味、そして「ジョンとヨーコ、愛の姿」

40歳という年令は客観的に考えればあまりに早いが、ジョンの場合十分に人々を魅了し訴えかけて来た。姉が「40まで生きたのだからいいじゃない」と言った言葉も妙に説得力があった。
最近Eさん(ピアノの項で登場)が言った素晴らしい言葉がある。「ジョンがもし今でも生きていたら、ジョンが生前に唱えた平和が実現しないのを見てどんなに悲しむだろう」と。

ジョンの死を正当化する気は全くないが、ジョン、そしてヨーコの過した素晴らしい時間は私にそして全世界の人々に十分生きる勇気と感動を与えてくれた。
私の大好きな「ジョンとヨーコ、愛の姿」に感謝して最終章を締めくくることにする。

2004.10.29

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

伯母の葬儀にて

今日は伯母98歳(父の姉)の葬儀に横浜まで行って来ました。
98歳というと、寿命が延びた日本においても長寿の方であり大往生なんですけど、最近の超長寿死亡者がとんでもない事態になっている状況を鑑みれば、こうして親族が集まり故人を偲んでいるのは随分恵まれている方ではないかと思います。

98歳とはいえども死は悲しく、そして割り切れるものではありません。
ましてや、故人がいかに生前に皆に影響力を与えたかで、その悲しみは年齢に比例することなく、ひとえに故人の思いと行いによりもたらされるものと言えましょう。

伯母はまさに子供や孫のみならず、私たち近しい親族にも愛情の限りを注いでいました。
そして、彼女は様々な能力とセンスと感覚をもち、この私に対しても大きなものを与えてくれたのです。
このブログでも書かせていただいているような様々のことのヒントも伯母によるところも多いのです。

今日の葬儀は近親者のみが集まり、「お別れの会」と称して、お坊さんによりお経はなく、宗教は一切オフでした。
その代わり、故人の思い出を語るスピーチを4件。それは素晴らしいものでした。
スピーチっていいですね。おしゃべりもいですけど、スピーチは言わんとすることが凝集しています。
特に親族はその血のなせる親しみや業について言葉で表すことができます。
言葉は時に難しいですけど、最大の媒体となります。

こういう集まりは、故人には申し訳ないですけど、なかなか会えない親戚にはいい機会です。
私思うんですが、人間、50歳越えると自己がかなり確立してきます。
昔は「四十にして惑わず」なんて言い40歳からは完全な大人と思われてきました。
しかし今は40はまだ子供ですね。よって、「五十にして惑わず」ですかね。

だから、こういう親戚の集まりにおいても50以上の人間は本当に円熟した自分を語れる。
自分の生い立ちと今後の人生の抱負を語れる。
若気の至りでもなければ、達観でもない。
自分らしい考えを心より語れるのだ。

とてもよい日でした。

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

Coffee Break Beatles No.24 「なぜイギリス?」

言わずと知れたことは、ビートルズがイギリスのバンド。
その昔は「陽の沈まない所はない」などと言われた大英帝国だが、近代はアメリカにその座を奪われてしまった。
しかし、ビートルズはじめロックの世界は断然イギリスがリードだ。
人口は1/4以下なのにロックは圧倒的に量、質ともイギリスが勝っている。
音楽全体を見渡せばアメリカももちろん負けていない。しかしなぜロックはイギリス??

ではロックの特徴を挙げてみよう。
意識高揚、カッコいい、若者、反体制的、性的、時に中性的、時にアイドル的、時に暴力的、時に非健康的。室内。

では次にアメリカの特徴を挙げてみよう。
大陸、(西部)開拓、男性的、マッチョ、支配的、荒野、主人、狩、リーダーシップ、豪放磊落、陽の光。

ではイギリスあるいはヨーロッパの特徴はというと、極端な話、アメリカの特徴と逆を考えればよい。
世界各所に植民地を持っていたヨーロッパ諸国だけど、本国は概して寒いし地味で、室内で耐え忍んで暮らすのがパターンだ。

痩身でロックを好むやさ男のイギリス。マッチョで一家の柱を好むアメリカの男。
とにかく違うのである。
アメリカ系、ドイツ系両方の会社を経験した私なのでよくわかる。
ただし、もちろん両方に例外はたくさんある。

もともとヨーロッパの封建的世界がいやで新天地に飛び出したアメリカ人。
土地や資源は無尽蔵であるという感覚が未だに支配し、プラス思考まっしぐらのアメリカ人(注;もちろん例外はある)。
自分がデブなこととか、石油使い放題とか、そんな細かいことは気にせず、アメリカンドリームを見続けるアメリカ人。
ポールのピアノ低音奏法だの、そういう「限られた世界」での逆転の発想とかではなく、スケールの大きいこととか、ものすごく新規なこととか、そういうのが好きなのがアメリカ人である。

我が国日本もかつてのイギリスのように「発展のない国」になってきた。
イギリスで起きたビートルズのように、音楽の世界でも革命的な大事件が起きないだろうか。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.23 「弾き語り指南(ピアノ編) Part 1」

ビートルズの特徴はシンプルでありカッコいいこと。普通は両立しないことが両立する。
その秘密はコードのポジショニング(位置取り)ではないか、というのが私の仮説である。

今日ピアノでの弾き語りにおいて、簡単だけど超カッコいい曲を紹介してみたい。

ビートルズの曲でピアノが使われる曲は、ピアノがボーカルよりやや低い音域で印象的に鳴る場合が多い。
普通のポピュラー曲のピアノは多分ボーカルと競争的に使うのだと思うが、ポールの感覚ではピアノの低音重視ということか。
そしておそらくその戦略は当たったと思う。

Let It BeでもHey JudeでもThe Fool On The Hillでも低音の部分が印象的に響いている。
コードが進行する場合も、そのあたりの音が階段状に下がるとか、の手法もあって小気味よく聴こえるのだ。

そして1曲、こういうものよりもさらに飛びぬけてかっこよい曲がある。
Lady Madonnaだ。
これをマスターすればもうモテモテだ。そして宴会でのエンターテイナー間違いなし。

右手は小指でラを弾き、親指でド、人差し指でド♯。ドとド♯をすばやく移動する他は何らテクニックなし。
ただこれだけのことでブルーノートの真髄が出る。
左手はオクターブを交互に弾き、階段状に上がって行き、下がるのみ。
なんとシンプル、そしてなんといかすことか。

ただこの曲、テンポをしっかり取らないと若干薄っぺらく聴こえる。
そしてアクセントもビシっと。
その上に滑らかなボーカルが乗れば言うことなし。

でもポールはもうちょっと一ひねりしていた。
楽譜に載らない不規則な拍もオカズ的に入れて演奏していた。
Anthologyを聴くとピアノがむき出しになって聴けるので、そのオカズがよく聴ける。
ここまでやれれば大人のピアノになる。
モテるどころかイチコロにさせられると思う。

このアイデアは後年ポールソロのMaybe I'm AmazedやYou Gave Me The Answerに引き継がれている。
これらの曲はさらに円熟味があって、自分で楽しむのにもいいし、人に聴かせるのも最高である。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.22 「ベース1本で...」

いよいよ9月の声を聞きました。
しかし相変わらずの酷暑。一体どうなっているんじゃ。
いっそのことここは熱帯の都市シンガポールだと思った方が気が楽になります。
どうせなら1年中この気温で過ごしてやる!とヤケクソになります。
でも今、家の外には虫が鳴いています。暑くても秋になるとちゃんと虫が鳴き出すんですねえ。不思議なもんです。

さてこのところ、ルーフトップの話などが話題になりましたので、あの頃のビートルズの連中の特徴に思いをはせたくなります。
今日はポールのベースに注目してみます。注目といっても本番演奏中のベースではなく、遊びやアドリブのベース。

映画Let It Beを観ますと、スタジオや屋上でのポールのそうしたベースの扱いを見ることができます。
"The Let It Be Rehearsals"というCDを聞くと屋上(ルーフトップ)でのほぼ全部の音が聴け、ポールのベースのいたずら的演奏も多く聴けます。

まあとにかくポールはこのカールヘフナーベースがお気に入りなんだとつくづく思います。
また、この愛機を奏でる五感は発達しまくっている感じがします。本当にイカシたアドリブの数々です。

ただ、ベースを弾きながら歌っている弾き語りはほとんどない気がします。
そう、あのハニワ氏がやっていたようなあれです。あれって決まるとカッコいいんですよね。
しかしやる方は難しい。
なぜかというと、ベースは単音だし低いから音を合わせるのが大変です。
それにベースだけ弾いてベースの作曲をするのも大変です。
行き詰ったら他人の演奏を聴くことですかねえ。

わりと以前の話ですが、あるカップラーメンのCM(カップスターだったと思います)に吉田拓郎が出ていて、ベース1本弾きながら歌っていました。
それがですね、超カッコよかったんですよ。
拓郎さんというとフォークのイメージだったんで、私それほど好きではなかったんですが、あのベース弾き語りには絶句しました。素晴らしい!
拓郎さんの音楽センスのすごさを知ったのはこれが初めてでした。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

プロフィール

ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
ご気楽にコメントください。

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