日本語と英語の違い

言語はそれ自体の性格や文化がある。そして得意・不得意もある。

日本語は叙情的な表現が豊富であり優れている。
書き言葉と話し言葉が異なり、固い言い回しと柔らかい言い回しも使い分けられ、喜怒哀楽も微妙に表現できる。
男性と女性、大人と子供の話し方の違いもあり、恋の囁にもその独特の話法がある。
だから、その文を見る(聞く)だけで、どんなモードでのことなのかがわかる。
一方、英語はこうした区別が苦手である。その文を見た(聞いた)だけでは状況がわからない場合が多く、前後関係からの推定が必要になることが多い。

逆に英語は主語・述語・目的語の関係、単数・複数、時制の一致、冠詞、抽象名詞か具体的名詞の違い、などが厳格であるが、日本語はそれらが曖昧である。
よって、科学論文を書いたり、状況証拠を記述する時などは英語の方が的確である。

日本語は繊細な部分まで表現しようとするが、英語は合理的にできている。
今の中学英語がどうなっているか知らないが、我々が中学の頃に習った英語は、今になって思うと少し変に思うことがある。
例えば、動詞の原形で始まる文は命令文である、と習った。
しかし、後に実社会で触れた英語ではこれは必ずしも正しくない。
正解は「原形は命令の場合もある」である。そして、命令ではない場合の方が多い。
考え方としては、主語が省略しても意味が通じる時に動詞の原形が文頭に来る、というわけである。
それが命令を意味することが前後関係から明確なら命令文であり、それが敬意を意味するなら敬意文であり、単に二人称(あなた)の主語を略していて動作を意味する場合もある。

例えば、人に椅子に座ることを勧める場合には"Sit down"と言う。いちいちpleaseをつけなくても、その人に座ってもらう行為そのものが敬うことを意味するので、原形でよいのである。

あるいは、人に道順を教える場合は、日本語では「**を曲がってください。そして次の角で**へ曲がってください」などと、いちいち「ください」をつける。日本人はそれをそのまま英訳して"please**, and please**"といちいちpleaseをつけるから、おかしな英語になってしまう。
自然な英語では、単に道順だから、淡々と動詞を言うだけでいいのであり、道を教えていること自体が相手を敬っているのである。

もう一つの日本語と英語の大きな違いは、日本語には「厳格用語」と「平易用語」の区別があるが、英語ではあまりない。
例えば、「日米和平会談」などと言う場合、英語では"Japan-US Peace Talk"である。
日本語で「和平」は厳格用語であり、ふつうの会話では「平和」という平易用語を使う。
「会談」とtalkの関係も然りである。
英語の用語は子供の会話でも政府の用語でも基本は同じであり、前後関係でのその「重さ」が変るのである。
なお、英語にもいわゆる"big word"というのがある。例えば、degnity、significantのような一般会話ではあまり使わないような思い言葉である。しかしこれらの意味するところは、上述の日本語のもつ厳格用語とは違う。その話は割愛させていただく。

以上のような日本語と英語の違いが興味深く現れていたTV番組が昨日あった。
NHKアーカイブズ「ジョン・レノン没後30年」である。
この番組は素晴らしかった。
ジョンとヨーコの名曲Imagineが広く世の中に行き渡った背景と状況を余すところなく伝えていた。

番組中でヨーコさんが言っていたのは「あの曲はこんなにbigになるとは思っていなかった」と。
多分それは事実だろう。ジョンたちは宗教家や思想家のような大上段に構えて作った曲ではないだろう。
ジョンの才能や苦しみを分かち合うヨーコとの愛を、あのような言葉で普遍化した一種のメッセージなのだと思う。
しかし、あそこまでbigになったのは、アーティストとしてのジョンとヨーコの才能だと思う。

番組のもう一つの大きな功績は、加藤登紀子さんがImagineの名訳を紹介したことである。
上述した英語のもつ本質を素晴らしく解析している。
この曲の詞は"Imagine"という原形で始まるゆえ、多くの日本語訳では、「想像しなさい、***ということを」とか「想像してごらん、***と」などとなっている。
しかし加藤さんは言う。この曲で言う"imagine"はそんなに強い意味はない。「想像」という言葉を敢えて使うほどでもない、と。
そして、この曲全般に使われている名詞はそんなにbigな意味ではない、と。

次の訳が加藤さんが番組で紹介したものである。味わっていただきたい。

「天国なんかどこにもないんだ。 そう思うことは簡単なこと。
地面の下に地獄なんかなくて 頭の上には空があるだけ。
世界中の人々が きょうのために生きている。
国なんてどこにもないんだ。 そう思ってみることは難しいことじゃない。
なにかのために殺したり 殺されたりすることもなく 宗教もないんだ。
世界中の人々が 平和の中に生きている。
そんなことは夢の中の出来事だと あなたは言うかもしれない。
でもそう思うのは わたしひとりじゃない。
いつかあなたも そう思うようになり 世界は一つになるんだ。」

どうだろうか。私は、加藤さんの訳は本来のジョンとヨーコのメッセージにかなり近いと思う。
命令形"imagine"の動詞には深い意味はなく、名詞中心の英語表現も、日本語に直すには叙述を中心に書いた方が分り易い。

それにしても加藤登紀子さんにはすっかり惚れこんでしまった。
これまでは、獄中結婚の印象ばかりがあったのだが、昨日のTVを観て、本当に頭がよく素敵な人だと思った。
なんか、ヨーコさん以上にジョンをわかっている部分もあるような気がする。

いや、もちろんヨーコさんはジョンの最高の妻であり、また一人の人間として超一流である。
でも言葉や表現がアーティストなので、解釈が必要である。
それに対し登紀子さんは、解析的な言葉でジョンを語るのである。
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Coffee Break Beatles No.66 「ポールの低音、ジョンの高音、ジョージの音楽センス」

ビートルズのボーカルの裏声ではない最高音はOh Darling!のレ(ポール)であり、最低音はI'm A Loserのソ(ジョン)であろう、ということは以前書いた。
解散前の1970年のポールのソロアルバムMcCartneyまで含めれば、最高音はMaybe I'm Amazedのファ#である。

では、ジョンの最高音はどうだろうか。
私がざっと見回したところ、Happiness Is A Warm Gunのラではないかと思われる。
ジョンは初期のうちからソは頻繁に出していて、ポールのシと合わせた3度のハーモニーがとても美しい。

では、次にポールの最低音はどうだろうか?
おそらく、All My Lovingのミだと思われる。
普通ミなどは男の声として当たり前の領域だが、ポールはやっとこさ出しているのである。
本当にやっとこさであり、声量もなく音程も不安定になってしまっている。

この曲、ポールとしてはもっと高いキーで歌いたかっただろうが、
出だしF#から始まり階段状に下りて行くベースラインがEまで下がるのがポイントなので、このキーになったものと思われる。

ところで、このAll My Loving。あまりに有名なジョンによる3連符のリズムギターは本当に素晴らしい。
しかしベースラインも素晴らしい。
初期の頃はモノラル重視のため、ステレオ版においても片チャンネルは楽器、もう片チャンネルはボーカル、のようなミックスダウンになっていることが多い。
折角のAll My Lovingのアイデアがこれではつぶされてしまっている。
もう一度この曲を最新のステレオ録音で作ったら大変素晴らしい曲になるであろう。
ライブハウスのようなところで演るにもよい曲である。

私も20代の頃、バンドでこの曲を演ったことがあった。
メンバーの関係で、私は3連符を弾きながらボーカルをとることになった。
マスターするにはかなり時間がかかった。
頭で考えているうちは、この2つの作業は両立しない。
ロボットのように3連符を弾くような状態になって、やっとボーカルができるようになった。

ジョージ・ハリスンの音域はどうだろうか。
私はまだ真剣に調べたことがないのでなんとも言えないが、おそらくはそう高くも低くもない音域であろう。
ジョージは、初期はジョンやポールほど積極的に曲を作っていなかったが、音楽的センスはかなり高かったと思われる。
ハーモニーやコーラスにおいても難しいパートをしっかりこなし、立体的なボーカルサウンドの立役者だった。
前にも少し書いたが、ジョージの作曲でポールのベースのアイデアが加わったものが、かなりな名曲になっていたので、Harrison-McCartneyというクレジットでもっと一杯作ってくれたら、すごい名曲がもっとたくさんできていたに違いないと思う。

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Coffee Break Beatles No.65 「The Long And Winding Roadの難しいリズム」

ビートルズの素晴らしさは実に多角的であるが、演奏的に難しいところはそれほど多くない。
挙げるとすれば、ポールの高いキー、コーラス、正確なペース・リズムといったところだろう。
あまりないが、たまに「これは難解」というのもある。

一つ挙げると、The Long And Winding Roadの出だしですぐ始まる「ジャ、ジャーン、ジャ、ジャーン」という4拍のリズムだ。
冒頭で"The long and winding road”と歌った直後に現われる「あれ」である。
映画Let It BeとNakedに収められているオリジナルのバンド演奏では、全部の楽器が一斉に同じリズムで「ジャ、ジャーン、ジャ、ジャーン」と鳴り、有名なフィル・スペクターによるアレンジではオケの楽器がたくさんこのリズムで鳴る。前半の見せ場である。

この部分、最初聴いた時は訳がわからなかった。複雑なリズムだし、メトロノームのようなカウントが全然なく、全楽器が一斉にこのリズムで鳴るので、一体どんな符割で鳴っているのか、見当もつかなかった。そして、"that leads"の"lead"のところから新しい小節が始まるのかと思いきや、半拍ほど遅れてE♭の3小節目が始まる。「どういうこっちゃ?」
最初は、わざと変則的に遅らせているのかと思った。

高校生の頃は、この難解なリズムが訳もわからず、何となく似せて弾き語っていただけだった。
しかし大学に入った頃、このリズムにメスを入れようと思って、自分がメトロノームになったつもりで4拍子のペースを打ってみたところ、確かにビートルズたちのE♭の第1拍目は3小節目の頭と一致していることがわかった。
当時はそこまでわかるのに精一杯だったので、しばらくはその状態でペンディングとなり、大分年月が経過した。

そして、2004年にNakedが発売されたのを機にこの問題をもう一度徹底的に考えてみた。

話を最初の4小節("The long and winding road that leads to your door"まで)に限る。
まず、ボーカルの特徴は、最初の"road"、"leads"、2番目の"road"が、直前の小節から半拍先んじて入り(いわゆる「前入り」)、次の小節の頭にタイでつながっている。
ボーカル前入りの中で「ジャ、ジャーン、ジャ、ジャーン」も少し変則な入りなので、余計に難しくなっているのだ。
最初の「ジャ」は、最初の"road"と歌った後の1拍後に始まるが、2小説目の頭からは半拍遅れて始まる。
だから、感覚的には安定した始まり(ボーカルの1拍後なので)なのだが、絶対位置としては変な場所を歌い奏でているわけである。
「ジャ、ジャーン、ジャ、ジャーン」の4つの音の拍の長さは、それぞれ「半、1、半、1&半」となる。
2004年はここまで解明できた。

そして今日。いろいろ苦闘した挙句、「なんだ簡単なことじゃないか」と溜飲が下がった。
ボーカルの前入りはあまり深く考えないで、まずはピアノなりギターで4拍子の単純な伴奏で歌ってみた。
最初は違和感があったが、"that"の部分が2小節目の3拍目と重なっているので、かなりシンプルな曲になる。
そしてわかったのは、「ジャ、ジャーン、ジャ、ジャーン」の最初の「ジャ」は1拍目から半拍遅れただけ、そして最後の「ジャーン」は4拍目を半拍早く入っただけなのである。
要するに、「ジャ、ジャーン、ジャ、ジャーン」は2小節目の4拍子の4拍のリズムとほとんど変らないわけで、ほんの少し符点をつけただけなのである。
そう考えると、ものすごく単純なリズムとして捉えられる。各プレイヤーも容易に頭に入るから、コンマスなども必要ない。

というわけで、長年引っかかっていたものが今日やっと完全に解けた。
しかし全ての楽器が一斉に鳴るなんて、考えたなあ。
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Coffee Break Beatles No.64 「ハ長調はなぜ少ない?」

昨日の祝日も例によって、手足にオモリをつけて歩行訓練を行いました。
そして、例によってi-Podを全曲ランダムモードで聴きながら。
全曲ランダムモードいいですよ。是非みなさんにもお勧めします。

5kmのコースも終盤にさしかかる頃、それまでの曲とは全然違う、「彗星」のごとく(注;いい意味というわけではありません。とにかく他と違うという意味で)響き渡る曲が現れました。
Let It Beであります。
Let It Beがこれからかかるぞとわかって聴くのと、予想していないのがいきなりかかるのとは違いますね。Let It Beというのはそれほど異彩を放って聴こえます。

その理由として考えられるのが、この曲はハ長調だからではないか、と。
古今東西、ハ長調の楽曲は大変少ないんです。
ビートルズにおいても、さーっと考えただけでも、Hello Goodbyくらいしか思い浮かびません。

ハ長調は初めて学校で習う音階です。そして、ピアノをはじめ鍵盤楽器はハ長調を標準に設計されています(つまり白鍵)。
だから、ハ長調は音楽の標準という印象を我々持つのですが、教育音楽以外はハ長調の曲は少ない、というかほとんどないんです。
これは大きな謎です。

鍵盤楽器以外の種類の楽器ではハ長調に標準設計されているものはほとんどありません。
ギターやベースはA(イ)(ラ)やE(ホ)(ミ)が標準になっています。
ロックの世界ではキーA(イ長調)が多く、キーE(ホ長調)も多いです。

A(イ)が数える1番目の位置にある背景はわかりませんが、人間がオギャーと生まれる音(440kHz)でもあるので、そこが一番安心するのかもしれません。
実際弦楽器ではAで一番弾きやすいようにできています。
鍵盤楽器以外では、ハ長調(C)を推薦するような楽器は、見当たりません。

さらに興味深いことは、ピアノ専門の曲(クラシックなど)でも実はハ長調の曲はほとんどありません。
ショパンをはじめとする名曲の数々は♯や♭だらけの曲が多く、黒鍵を多用します。

ここで、ピアノの根本的なところをじっくり考えてみます。
そもそも黒鍵よりも白鍵の方が弾きやすいのでしょうか?
そんなことはないのではないでしょうか?
人間の手の作りを考えてみますと、白鍵のみ弾くようなのっぺらとした作りにはなっていません。
黒鍵を取り混ぜる方が演奏は楽で、かつよい演奏ができるのではないでしょうか?
黒鍵の音階を頭にタタキ混むのは白鍵よりは大変ですが、一度タタキ込んでしまえば、黒鍵の方が都合よいかもしれません。

こう考えると、白鍵であるハ長調はピアノの標準設計である、という発想から外れる必要があるように思います。
むしろ、教育のために黒鍵を使わなくて済むようにしているだけではないでしょうか?
そして、教育用には、成熟した音楽ではあまり使わない音階、つまりハ長調、を選んだのではないでしょうか。
そして、本当の音楽は黒鍵を使うように。

さらに、本当の音楽と教育用の音楽の調を敢えてすみ分けたのかもしれません。ただしそのことは必須かどうかわかりません。

言えることは、ハ長調の音楽は、あの「おじぎ」の伴奏に象徴されるように、「よい子ちゃん」音楽に聴こえます。
もし、学校音楽教育がギターを用いて、イ長調(A)を標準として行ったなら、少年少女たちをもっと素直に音楽の世界に憧れるのかもしれません。

しかしそれにしても、ビートルズのLet It BeやHello Goodbyはハ長調のよい子ちゃん音楽の要素もありながら、それだけでは終わらない魅力を持っています。
私を含め多くの若い人が、音楽に対する一種のつまらない感覚から楽しみの世界へいざなってくれたビートルズはやはり素晴らしいですね。

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ビートルズ解析例 その9-2 (微修正)

昨日の解析例その9「Yesterday 7小節の謎を解明する」は、新たなモチーフのもとオリジナルなアイデアを提供させていただいた、と思っている。しかし、最後の結論がいまいちインパクトに欠けていた。
昨日から丸1日考え抜いて、ここに微修正をするに至った。

昨日の論旨としては、Yeterdayは短調の標準でもなければ長調の標準でもない、両方の要素が出てくるし、明確な繰り返し単位も認められない、多彩なコードが出てくる。
人間に喩えれば、人間の胴体に、鉄の頭、プラスチックの手足をつなげた「サイボーグ」のようであり、それでいて違和感を感じず、全体が素晴らしい一つの個体の生き物のように感じる。

このような異種のもののつなぎ合わせゆえ、もはや標準的小節数の理屈が当てはまらなくなり、合計7小節でもおかしくなく感じるのではないか、と。
ここまでは多分間違っていないと思う。

では、何故この異種の接合体が不自然に感じないのかの理由として、昨日は、「GとCの2音しか弾かない」特殊なGのフォームが緊張感をもたらし、いわばGmのようにも聴こえて、マイナーコードたちとうまく取り継ぐからではないか、と説いた。
しかし、今日、それを訂正したい心情が沸き起こってきた。その理由は次のような事実からである。

ビートルズ解散後、1976年のWings USAライブあたりから、ポールはYesterdayを弾き始めたが、出だしのフォームは「普通のG」であった。つまり、B(3度)の音をも含む普通のGだったのである。レコードの奏法(GとCだけ)の方がいいが、普通のGでもそんなに変に感じなかった。そしてその後もついぞポールはレコード方式で演奏したことはない。
あのレコードの奏法はもしかしたらジョージ・マーティン(プロデューサー)に指示されてのことかもしれない。最初はポールは普通のGで作曲して、ジョージに強制されたのかもしれない。
1965年前半の時点では、まだまだポールも音楽的に完成されていなかっただろうし、マーティンの力も強かったと思う。その反動で後のライブではマーティン方式から逃れたのかもしれない。

そして、もう一つ。Anthology(解散後大分経ってから編集された秘蔵テイクの数々)でポールがYesterdayを生ギター1本で弾き語る部分がある。
ポールは、「僕はGで弾くけど、聴こえるのはFだよ」などと言いながら弾いている。
このことからも、コード進行(メジャーGで始まる)そのものはポールのアイデアであろう。

実際私もギターを取り出して弾いてみたが、普通のGでもレコード方式のGでもそんなに変らない気がする。
どうもポイントはここではない、と結論するしかない、と思われた。

そこで話を元に戻し、Yesterdayのコード進行に再度注目する。
冷静に観察すると、まず変っていることが、2小節目でF#mという通常キーGでは決して登場しないコードが登場すること。
これに伴い、この部分のメロに♯が2箇所付き、明らかに特殊な工作の一つと言える。

もう一つ今日、大きな特徴に気が付いた。
この7小節、前半と後半の境目がどうもはっきりしないのである。
神田川みたいに明確な繰り返しパターンがあれば分り易いが、Yesterdayの場合、1小節目と5小節目がGであることが共通な他は、まったく進行が違う。
5~7小節がGで始まる起承転結部分かというとそうでもない。
5小節目(G)(here to stay. Oh)は詩の意味からも音階の意味からもスターターではなく、「途中」なのである。
もしスターターなのなら、3小節という中途半端でこんなに自然に終わるわけはない。
5小節目は明らかに4小節目(C、D7)(Now it looks as though they're)の「受け」である。
しかし、では4小節目が後半の頭かというとそうでもない。
C、D7という脇役的コードは、神田川でもそうであるように、「副題」でしかない。頭を取り持つコードではなく、その前のコードの受けなのである。

となると、4小節目は、3小節目の受けと、5小節目の予告を双方兼ねた存在と言えないか?
4小節目は3小節目の受けであるのは普通であるにしても、通常は4小節で一旦仮帰結するのだから、5小節目が4の受けになることは普通ない。
つまり、「C、D7」が4小節目に存在していることがかなり変っていると言えよう。

なぜこんなことになったかと言えば。まず1小節目のGから2小節目の頭のF#m7に無理やり橋渡ししたこと。
まずここを不自然にやったこと。
コード理論を無視した展開である。
これはおそらく、「半音下げギター感覚」のなせるわざであろう。
If I Fellなんかで出てきたように、バレーを1フレット下げてコードを弾くと結構いい感じになるのだ。
そこから、コードが展開して、展開して、展開してGに戻る。
3回の展開のうち、どれも似た感じで展開するので、どこかで真っ二つにぶった切れない。
6小節目の後半のA7もポイントだ。A7も通常Gではあまり出ないので、後半3小節でうまく最後、Gに戻した。
このトリックをより自然に見せるためにメロディーがうまく取り持っているのであろう。

あるいは、別の見方をすれば、最後の7小節目は、やや不自然にとり急ぎ終わっている感があるので、All You Need is Loveのように最終節のみ3拍子で終わるようなノリかもしれない。

今日は以上とする。
まだまだ謎の完全解明ではない。
一生のテーマかもしれない。

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ビートルズ解析例 その9

- Yesterday 7小節の謎を解明する! -

通常の4拍子の曲の場合、8小節で主テーマ(1番、2番というあの単位)を構成するのが普通である。たまに12小節や10小節もあるが、とにかく偶数の小節数である。
主テーマの出だしは普通、キーのコードが2小節以上続くのがオーソドックスだが、時々付随コードが先行する場合もある。
ビートルズはこれらの関係においても、大変多彩なやり方で多くの曲を発表した。

オーソドックスな構成の例としては、Help!。キーのコードであるAで出だしの2小節を演奏し、8小節で主テーマを終える。大変安定した運びの曲調ゆえ、安心して聴いていられる。
オーソドックスゆえ、時として印象の薄い曲に陥りがちだが、そこはメロディと編曲のよさでハイクウォリティなものに仕上がっている。

非オーソドックスな例としては、All My Loving。キーはEだが、出だしはF#m。
8小節で主テーマその1がB7が終わり、引き続き主テーマその2が同じメロで始まり、8小節後にめでたくEで終わる。
この曲、キーEなのに、最後で安定的にEで終える他は、Eはほとんど出てこない。
にもかかわらずそんなに不安定に聴こえないのは、いろいろ出てくるコードに共通する関係はEのみしかないので、聴く人がEであることを自然に自覚するからだと思う。

そして、ビートルズにはこうした説明ではつかない超例外の曲がいくつかある。
その代表例はYesterday。超名曲の一つである。
この曲、弊解析例1でも登場したように、全音下げチューニングのギターでGのフォームで弾くことを特徴とする。しかもそのGは根音であるソと5度の音のレしか出さない。
Yesterdayが超変っているのは、主テーマが7小節なことである。
定石を打ち破った冒険野郎であるが、その変わり者ぶりが聞き手を完全に翻弄している。(我々はあれがあたかも標準であるかのように聴いている。)

実は私が中学くらいの頃、Yesterdayを初めて聴いた時「何か変だなあ」とは漠然に思った。
しかしその後、この曲が超メガヒットと知ると、受け入れる気持ちが強くなり、いつの間にか変なイメージも消えてしまった。
この「7小節のトリック」を解明した人はまだいないのではないだろうか?

では解析を始めよう。
解析に当たって比較例として使わせていただくのは、かぐや姫の「神田川」です。フォークの超大ヒット作である。
Yesterdayと神田川は共通点があり、ある意味似た曲風だが、相違点もあり、Yesterdayの謎を解くにはよい比較例だがらである。
かぐや姫さん、尊敬を込めて使わせていただきます。
ここでは便宜上、この両曲のキーをGとする。

まずかぐや姫のコード進行は次の通りである。数字は小節を示す。
1:Em、B7、2:Em、3:C、D7、4:G、B7、5:Em、B7、6:Em、7:C、D7、8:G

このように、Emを中心とするマイナーコードが多用されている短調の曲である。
1~3小節目のコード進行が5~7小節で繰り返され、安定した印象を感じる。

次にYeterdayのコード進行を見てみよう。
1:G、2:F#m7、B7、3:Em、Em7、4:C、D7、5:G、GonF#、6:Em7、A7、7:C、G

まず気付くのは、神田川の2、3小節とYesterdayの3、4小節が同じであること。
そして、神田川の1、4、5小節とYesterdayの2、5、6小節が「似ている」こと、である。
つまり、神田川の1~5小節とYesterdayの2~6小節は「似ている」。
そして、それ以外の小節は全然違う。

大きな違いは、神田川は、4小節ごとの基本的に同じメロとコード進行をを繰り返して、主テーマ8小節になるのに対し、Yesterdayは、明確な繰り返しがない。
Yesterdayを敢えてブロック分けすると、1、「2と3」、「4と5」、「6と7」の4ブロックである。
そしてそれぞれのブロックの最後で韻を踏んでいる。
しかしコード進行はバラバラであり、繰り返しの規則性がない。

もう一つの大きな違いは、神田川は明確な短調なのに対し、Yesterdayでは「一応」長調である。
「一応」と書いたのは、長調にしてはマイナーコードが多すぎるし、Gの部分のギターフォームが上述したように、2音しか使っておらず、通常のGより緊張して聴こえる。
つまり、短調っぽく聴かせておきながら、完全に短調に入る前に長調に戻り、最後は長調でしめる。
しかしその長調も緊張している。
よって、全体的に短調と長調の中間領域といえよう。

材料でいえばハイブリッド材料のような設計だ。
つなぎと進行がおかしくならない範囲で異種のものをつなぎとめたことと、その「接着剤」が特殊フォームのGで取り持ったことが大きな特徴と結論付けられよう。
要するに、つなぎ合わせの人造曲なので、小節繰り返しのセオリーは当てはめられないのであろう。
リスナーとしても「何か変だな」と無意識には感じながらも受け入れてしまう。

材料で言えば、疎水性のポリマーに親水性のポリマーをブロックさせてミクロ相分離構造を作ることにより、血液は人造ポリマーであることを認識できず、血が固まらないのと似ている。
結局、音楽の作曲って技術開発と似ているな、と思う。

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Coffee Break Beatles No.63 「ルーフトップ。Part 2」

「ルーフトップ」とは1969年1月30日にロンドン・アップルビル屋上でビートルズが予告なしにライブを行ったイベントの俗称でして、その様子が映画Let It Beに収録され、その音源もいろんな形で紹介されています。
それまでしばらく彼らは公衆の面前にはライブとしては現れなかったから、そのセンセーショナルな出来事として有名ですが、音楽的にも見所が多く、いろいろ語られるところであります。

9月25日のこのCBBコーナーで「ルーフトップ。Part 1」と称して、主にポールのベースの名演について書きました。
今日は別のテーマで書かせていただきます。

このルーフトップ、実はLet It Beに収められている部分は「ほんの一部」であって、その全体はものすごく長いのです。いかにもあの映画は一つのライブのような流れに見えますけど。
なぜそんなに長いかと言いますと、各曲2、3回演奏したからなんです。
例えば、映画で1曲目のGet Backはいかにもオープニングのように見えますが、実はあれは2曲目であって、あの前にGet Backを1曲演奏しています。

Don't Let Me Downなんかも3回演っているんですが、毎回毎回随分演奏とボーカルが違うんです。
それもバンドの力量だと思いますね。少し時期が違えばバンドのカラーが変るので違う演奏ってよくありますが、同じステージで違う風に演奏っていうのはあまり聞いたことがありません。
映画では、最も受けのよさそうな演奏のテイクを選んでいるようです。

2004年に発表されたCD "Let It Be Naked"では、なんと各テイクから名演の部分のみを引っ張り出してつなぎ合わせたというのですから驚きです。
エンジニアの力量もさすがながら、つなぎ合わせたものが違和感なく聴こえるような材料を与えるビートルズもさすがです。少なくともテンポが違ったら合わせられませんので。
ただし、私個人的にはI've Got A FeelingはオリジナルアルバムLet It Beに収められているテイクの方が好きです。特に出だしの部分がオリジナルアルバムのテイクの方が野生っぽいボーカルでいいです。
Nakedの人造曲のところどころに、私の好きなテイクが時々現れ、「ああここはいいな」なんて思ってしまいます。一番の聴かせどころのサビの"All these years've been wondering around,..."のところが私の好きなテイクが取り上げられているので、まあいいですけどね。

ルーフトップのほぼ全貌はThe "Let It Be" Reharsalsという非正式盤(今は海賊版とは言わないんでしょうか?)に収録されています。
音源もほぼそのままです。
演奏の合間のアドリブなどもよく聴けます。そのあたりを聴いていますと、ビートルズの音楽的な高さがひしひしと伝わってきます。
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Coffee Break Beatles No.62 「成功の姿を描く」

ここ数日人生論的な話をさせていただいている。
「丸ごと食う」、「確率の話」、「プラス思考」と来たので、今日でしめるために、「成功の姿を描く」という話をしよう。
この4項目を実践すれば、成功の方程式が見えてくる。
私がビートルズあるいはいろんな人達に学び、自分なりに咀嚼しまとめ上げたものだ。
今日は自分の体験も交え紹介させていただく。

「成功の姿を描く」というのは、物事を思い立った時点で、自分が目標を遂げ成功した状態をイメージし、それを信じ込むことにより、本当に実現する、という考え方だ。
実は、佐藤富雄先生が「口ぐせ理論」と称して既に立派な体系をまとめておられる。こちらを参照されたい。
私の場合は、佐藤先生理論を知る前に体験的に同様のことを身につけていた。

きっかけは、私が30少し過ぎの頃、前の会社の上司でいろんなことができる人がいて、いつも私に言っていたのは、「あることをやろうと真剣に思った瞬間、もう8割方できているんだよ。」と。
「そんなうまい話はあるまい。」とは思ったが、生来素直な私はすぐにその言葉を信じ込み、自分でもやってみることにした。
(注; 今日の話題とは異なるが、あることで自信を持っていたり非常に楽しんでいる人の言うことを真に受けすぐ取り入れることは大事なことである。そこには自分にはないものが必ずあるのだから。ただし詐欺に引っかからないように。)

私は30代で大きな目標を2件立てた。一つは運動系、もう一つは頭脳系のものである。
立てた時点ではとても成就などできそうもない「夢」みたいなもの、いや夢を見ることすらおこがましいようなものだった。
でも、「もしや」という期待を込め、自分がそうであるイメージを浮かべてみた。そしたら、頭の中で何らかのパスがイメージでき、「できないこともない」と思い始めた。
そして間もなく、「どうしてもやり遂げたい」という非常に強い願望が芽生え、日々の努力を開始したのだ。
成し遂げた際のイメージ作りは頭の中だけでなく、具体的、実体的な対象物を作ったりもした。
結局、予定より大分超過したが、2件とも達成した。

なぜこのようなやり方が夢を叶えるのか。その理論は佐藤先生が詳しいが、一つには「継続は力なり」ということがある。
常に継続の努力をするとはどういうことか。
仮に、ある目標に近づくために、1日+1%の向上を課すことにする。1%だからわずかな努力でよい。
ただしこれを100日続けるとどうなるのか。
数式としては、1.01の100乗 = 約2.7 である。
なんと、わずか前日の1%アップを100回繰り返せば最初の3倍弱にもなってしまうのだ。
これが2回前に話した確率の理論である。(一つ一つの達成確率は高いので、これをしっかり積み上げること)
これに対し、「成功の姿を描く」ことは、継続のための明確なベクトル(目標に向けての確固たる流れ)を形成することになる。

私の経験上、本当にこうなると断言する。運動であろうと、文化的なものであろうと、人間関係だろうと、...。
継続の努力は大変なジャンプアップをもたらす。
ここでさらに、「丸ごと食う」、「確率を把握する」、「プラス思考」を合わせれば、その努力は正しい方向に向き、かつ有効なものを取り入れ、目標に向け音を立てて近づくのである。これこそが成功の方程式である。

今私は新たな大きな目標を2件立てている。
同様のやり方で努力中である。

最後に、ご参考までに私の冒険論を紹介しよう。
私の音楽以外の趣味の一つが「冒険」である。
しかしその定義は下記のようなものであり、植村さんのような大それたことばかりを指すのではない。
具体的には、地形を徒歩で制覇したりすることである。しかし、それのみでなく、生活の全てに冒険の要素がある。

では皆さんの成功を祈る。

(私の冒険の定義)
人は何故冒険するのだろうか? 
敢えて困難なことに挑戦する姿は一部の人々には美しく称賛されるが、また他の人々にはばかばかしくしか映らない。
冒険はやはり自分のためである。
冒険は人を成長させる。

「物事はやろうと思った時点で7割が既にできたと同じこと、そして計画を立てた時点で9割ができたと同じこと」
私の人生で導いた大切な持論である。
そして、
「冒険とは、自分が思っている能力のおよそ1割上を狙うことである」
さらに
「新しい1割は、それを成し遂げる前の自分よりも2割を高めるものである」

冒険を語る上でもう一つ大事なことがある。
「思い立ったらすぐに実行する」ことなのである。
ただし何の実態的計画もない思いつきのことを言っているのではない。
普段から十分にそれを計画しうる頭脳的・能力的下地があって、それを実行するモチベーションが沸いた時に一気に実行することなのである。
私は、冒険に限らず人生の節目の大きな行動は皆この乗りでやってきた。そしてこのことが結果的に非常に意味があったことが多い。

「時間ができたらやろう」とか「結果が容易に予測できる」ことは冒険の名に値しない。
自己を本質に迫り、自己を進化させることこそ冒険の名に恥じないのである。

テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

Coffee Break Beatles No.61 「プラス思考」

昨日のCBでは、ビートルズが出現できた確率はかなり小さいが、それが形成される過程での一つ一つの事柄は十分達成可能な(=確率はそう低くない)ことであり、その積み重ねであそこまで登りつめたのであろう、と考えた。
今日、お話しさせていただくのは、「プラス思考」についてである。昨日の話と少し似てはいるが、また違う観点である。

「プラス思考」は世の中で割合頻繁に言われることであり、皆さん多かれ少なかれ取り入れていることだろう。
でも、私が今日お話しするような真のプラス思考を実践している人はそう多くないのではないだろうか?

次のようなことはよくプラス思考と捉えられている。
ビートルズのデビュー当時、デビュー曲はプロの作曲家に作ってもらった曲にしよう、という話が強まっている中、ジョンが自分たちのオリジナルでどうしてもやるんだ、と突っぱねた話。
確かにプラス的な主張であるが、私がここで言う「プラス思考」は違う。
同じ現象を見る立場の違いで、プラスにもなったりマイナスにもなったりする、その「プラス思考」だ。

例えば我々な身近の例を挙げてみる。
小遣いの大変少ない亭主がいたとして、マイナス思考は「オレは何て不幸なんだ」と考える。プラス思考は「オレはカネを使わない楽しみ方を必死で勉強できる機会を与えられて幸せだ」と考える。
以下、→前が現象を、(-)以下をマイナス思考、(+)以下をプラス思考を意味して、さらに例を挙げてみる。

自分は社交的ではない。→(-):友達にも恵まれず不幸な人生を送るだろう、(+):人の気持ちを考えられる人間になれ、最後には大変幸せになるだろう。
自分の苦手な仕事に就いた。→(-):経験も浅いし仕事では活躍できないだろう、(+):今の仕事を覚えれば、かつての経験とも合わさり大きな仕事ができるだろう。
彼女は自分を見ず、他の男の方ばかり見ている。→(-):自分は彼女に愛されない不幸な男だ、(+):彼女は普通の人より人を思う気持ちがある。オレにはさらに大事にしてくれるだろう。

まだまだいくらでも例はある。
こう考えると、一つのことでも大変大きな見方の違いがある。
プラス思考を身につけた人間と、そうでない人間が10年くらい経過したら大変な差になると思われる。

ビートルズにおいては、メンバー本人たちもスタッフたちも、そしてファンたちも、プラス思考が非常に多かったと私は思う。
例を挙げてみよう。

ポールは左利きだ。→(-):楽器演奏上不利だから、ボーカリストになるか、音楽を諦めよう、(+):ステージのレイアウト上おもしろいから、積極的に左利きギター(あるいはベース)で演奏しよう。ピアノにおいても低音重視のユニークな奏法を編み出そう。
ハイテクなリードギタリストがいない(ジョージさんゴメン!)→(-):冴えないロックバンドにならざるをえない、(+):多彩な演奏形態が取れる。あるいはコーラス重視のバンドにしよう。
デビュー直後にジョンが結婚した。→(-):人気上マイナスである、(+):このような困難を克服してこそ美しい芸術が生まれる。
ジョンが東洋のドラゴン(ヨーコのこと)と結婚した。→(-):何てジョンはかわいそうなんだ。ヨーコはビートルズを壊した、(+):ジョンの内面を初めてわかる女性が現れた。ヨーコは大変素晴らしい女性に違いない。

私は、ビートルズのメンバーたちはそれほど抜きん出た天賦があったわけではないし、デビューする頃でもそれほどのものでもなかったと思っている。
事実、ドラマーを臨時で変えてみたり、非オリジナル曲でデビューさせる話もあったくらいだから。
よって、その成功はプラス思考の積み重ねだと思う。

とにかく、プラス思考は人間を進化する方向であり、キャパの許す限り取り入れたい発想法である。
しかし、何でもかんでもプラス思考をしまくり他人に迷惑を与えるようではいけない。
そのあたりが人生の妙なのである。

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Coffee Break Beatles No.60 「確率の話」

物事の起こりやすさ、即ち確率、がどの程度であるのか、把握することは意味があると思う。
確率が実際に身近に起こりうるほどのものなのか、天文学的に小さいのか。
対象は地球の存続を危うくしかねない重大な事柄から、身の回りのささいなことまで、なるべく正確に把握しておくに越したことはない。

お年玉年賀ハガキというのがある。抽選会でお姉さんが矢を打って(今は違うのかな?)当選番号が決まる。
なにしろ毎年、切手でさえそう簡単に当たらないのだから、1等のお年玉など雲の上の存在だった。
その確率は一体どの程度のものか、昔は考えたこともなかったが、とにかく自分や周囲のものは決して1等になど当たるわけはない、いわゆる「天文学的」に小さい確率だ、という感覚であった。

ところがである。20年位前に同じ社宅に住んでいた人が1等のビデオカメラを当てたのだった。
それはそれはビックリした。うらやましいというより、それが周囲で起きたことにびっくりしたのだ。
そしてさらにもっとびっくりしたことがあった。
その人が近所の郵便局に賞品を取りに行ったら、「毎年この局で1等は1~2件出るんですよ。」と言われたとのこと。
「何っ!!」。天地がひっくり返るほど驚いた。
なんせ、1等賞品なんてイメージ的には各県に数名程度の少なさと思っていたのに、この小さな居住区で1~2件も出るとは!

「そんなバカなはずはあるまい」と思いつつも、早速確率を大雑把に計算してみた。
当時、1等は6桁の数字がフルに当たらなくてはいけなかったはずで、それが3通りの当たりがあったように記憶している。6桁の数字は100万通りの番号があるが、そのうち3通りが1等なのだから、1枚の年賀ハガキが1等に当たる確率は1/33万である。

では、自分に近い平均的な1軒の家庭が一生のうちに1等に当たる計算をしてみよう。
1軒あたり1年に200枚の年賀ハガキが来て、1軒が50年続くとしよう。
式としては、1/33万 x 200 x 50 であり、計算結果は約3/100、即ち3%である。
そうなると、俄然身近な確率とある。3%はまだまだ小さいが、約1/30であり、その辺にすぐ見つけることができる数字である。

1つの郵便局が受け持つ居住区の人口が5,000人として、いろんな家庭があるから、1人あたりの毎年の年賀状は平均50枚と考える。
そうすると、その居住区で毎年平均的に1等が出る数は、5,000 x 100 / 33万 = 1.52 である。
まさに上述の話を裏付ける計算結果になった。

考えてみたら、もっと簡単な検証法もあった。
お年玉ハガキにはA組****のような4桁の組番号が書かれている。AとBがある。
4桁必要なんだから、少なくとも組み数はA、B各1,000よりは多い。
各組に1等の当たり番号があるのだから、日本全国で1等の当たり総数は、どんなに少なく見積もっても1万を少し割る程度。
おそらくは数万と思われる。1億2千万の日本の人口のうち数万といえば数千分の1の確率である。
だから、毎年どこかの数千人(家庭であれば数百軒から1,000軒程度)の集団の中には必ず1等が当たることになる。

いろいろ数字が出てきて、ややこしかったかもしれないが、とにかく、身近に起きて全然不思議はない確率である。

そしてもっと驚くべきこと、というかありうることが起きた。
その10年くらい後、なんと我が家でも1等が当たったのだ!
その驚きは、とんでもないことが起ったということよりも、身近に起りうるものだと悟ったことが現実化した驚きであった。
ただし、賞品がデジカメ(しかもチャチな)だったので、当選確率はそれ以前より上ったのであろう。

大変前置きが長くなったが、本日言いたかったのは、ビートルズがこの世で出現する確率はいかほどか、を考察したいのである。
このようなバンドは天文学的確率でしか出ないのか、それともすぐに起りうるのか?
それを知るには、個々の積み重ねを解きほぐし、その個々の確率を知るのがまず第一である。
これまで言ってきたように、ビートルズはいろんな小さいことの積み重ねがかなりうまく行った末のことだと思う。(The Legendの回参照)
そしてその個々のことが起きた確率はそう小さくない。
だから、そうやって一歩一歩をしっかり考えて行けば、その末に大きな成功が待っていると言えよう。それこそが大事なことだと思う。

そしてさらには、ビートルズを超える幸せを世の中に与えることは、そのような積み重ねで考えて行くべきだと、考えている。

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Coffee Break Beatles No.59 「丸ごと食う」

私がこれまでの人生において培った基本的に大事なことの一つに、もの(ごと)を「丸ごと食う」というのがある。

一番わかりやすい例は、モンゴルの草原で暮らしている人々が、山羊などの動物を丸ごと食う、ことが挙げられる。
人間は生きていく上で必須な栄養素や元素を摂らないと、すぐには死なないまでも健康上支障を生じる。
文明的な購買や農耕により得られる食べ物が限られている彼らは、不足する栄養素やミネラルを摂るにはどうしたらよいか?
答えは、ある動物を丸ごと食うことである。
動物は必要なものを全て摂取しており、体の中に蓄えている。
その動物の一部しか食わないと、必要なものを摂り損ねかねないが、全部食えば漏れがないのだ。
そして往々にして、普通は食わない部位に必須元素などが含まれていたりする。
エスキモーの人々がアザラシ等を丸ごと食うお陰で、健康上何も支障がないのと同様だ。

我々日本人はここまで動物全体を食わなければならない必要には迫られないが、食物はなるべく丸ごと食った方がいい。
米やパンはなるべく胚芽まで食う方がいいし、魚を頭から食い、動物の内臓を食う方がよい。

そしてこのことは食べ物のみでなく、行動や考え方でも同様だと思う。
例えば、一つの新聞を丸ごと隅から隅まで読む。文章詳細をくまなく読む必要はないが、最低見出しは漏らさないように読む。
新聞社というのは、ありとあらゆるジャンルを担当する人の集まりであり、基本は全ての人が自分の担当する記事を載せたがっている。
そのような背景で生まれている毎日の新聞は、世の中を完結していると言ってもいい。
だから、自分の興味のある部分だけを読んでいるより、全くくまなく読むことにより初めて見えてくるものもある。
単に細かい知識が増えた程度ではなく、何か大きなものが見えることもある。
だから、私は毎日一つの新聞を「丸ごと食」い、自分の五感に訴える記事はテーマによらず切り抜くのである。

同様に、ある人間も丸ごと愛する方がよいし、ある客は丸ごと受け入れないとだめだと思う。
若い頃よく上司が「清濁呑め」と言っていたが、最近その意味がわかるようになってきた。
自分の感覚だけ大事にしてお客さんを判断しても始まらないのだ。
「森を見ずして木を見るな」とも言われるが、「丸ごと食え」はまたそれとも少し違う。
「いいとこ食い」をせずに丸ごと食うことにより初めて大事なものを培える、という意味だ。

そして、我らがビートルズも丸ごと食う対象にピッタリなのだ。
どのロックバンドでも自分たちしかない世界があり、素晴らしいのだが、特にビートルズはいろんな面で多彩であり、短期間ながらもとても完成し完結した世界を気付いた。
それを「丸ごと」全部捉えることは前術の理由で意義深い。
音楽においても、社会へ与えた影響でも、人間関係でも、精神世界でも、また、メジャーなことでも、マイナーなことでも、ポジティブなことでもネガティブなことでも、ビートルズを丸ごと食えば見えてくるものがある。必須摂取元素のように、ごく小さなことでも非常に大事な作用をする仕組みも見えてくる。培うものも大きいし、幸せにも近づけると思う。

ただし、ビートルズを「これ以上ない存在」と捉えると、神のような存在になってしまう。
彼らも人間だし、完全完璧などということはない。
彼らが世界に対し与えてくれたことよりも、さらに人々に幸せを与えることも、形は違うかもしれないけど、できると思う。

ビートルズを歴史上の大きなできごとと考えて解析しておくことは決して無駄にはならないと思う。
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Coffee Break Beatles No.58 「正確なペース、リズム」

前にも少し書いたが、新進気鋭のピアニスト辻井伸行さんをかつて指導した先生が言っていたことで、とても興味深いものがあった。
「いくら音楽センスがあったとしても、それを実際に表す運動神経がないとだめだ。彼はそれが優れている。」と。
楽器を弾くための運動神経とは何か? まだほとんど論じられたことがないテーマだと思う。興味深い。

おそらく一つには、正確にペースを刻むことができ、頭で描いたリズムや強弱を正確に表現できることが挙げられるだろう。
この点に関してビートルズのメンバーたちは皆優れていると思うが、特にポールが優れていると思う。

彼らがバンド演奏をしている時の正確なペースも素晴らしいが、ポールが単独で弾き語りをしている時や、一人多重録音をしている時に特にそれが顕著であると思う。
ポールは正確なペースを刻むのに、脚で拍を取る動作が多いが、体全体を使ってペースを刻んでいる。
楽器を体全体で捉えているようだ。ラケットを使うスポーツが手だけでプレイせずに体全体を使うのと似ているだろう。ポールが楽器を弾く姿は、まるで楽器を弾くために生まれてきたかのように美しい。

1970年のポールのソロアルバムMcCartneyは一人多重録音なので、ポールのそんなペース、リズムの取り方がひしひしと伝わっている。どの曲も素晴らしいが、特にMan We Was Lonelyがこの意味で素晴らしい。

ポールは正確なペースを刻むが、演奏はごくわずか(譜面には現せない程度に)ため込んでから弾くようだ(いわゆる「後ノリ」)。 そして、その正確なリズムも、ごくわずかはばらついているだろう。 しかし、その微妙なぶれこそが人間的である。
その反対がカラオケである。機械で強制的にリードされたペースに楽器が合せているからか、カラオケの音楽は無味乾燥である。そこが私がカラオケをイマイチ好きになれない理由である。
しかしカラオケを交流の場と割り切れば、それはそれで楽しいのである。職場では私はカラオケ大好き人間と言われている。歳を取ると丸くなるものである。

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Coffee Break Beatles No.57 「コード進行 Part 2」

ビートルズのメンバーたちは、作曲においてはコードの概念が主体であったことが想像に難くいない。
映画Let It Beの中のスタジオセッションで、Maxwell's Silver Hammerを演奏するシーンで、ポールはコードが変るところでコードネームを言いながら歌っている。
スタンダード的名曲Yesterdayにおいても、Anthologyでポールはコードネームを言いながら弾いている。Yesterdayは、ポールがじばらく頭の中で構想が浮かび、"Scrambled Egg"という仮題でストックにしまってあったという。それがどのようなものだったのか興味深い。とにかくAnthologyを聴く限りはコード的発想が強かったように感じる。

彼らはどの程度コード進行のセオリーを勉強したのか、また定石を意識したのか、本人たちが直に語っているのはあまり聞いたことはない。

同じくAnthologyでポールはFrom Me To Youのコード進行は、「普通とはちょっと違うんだぞ」っていう感じで、サビの部分のGm7のところをワンポイント工夫のように言っていた。
あるいは、ジョンが、リズムギターを弾きながらフレットを実験的に動かしながら作ったように思われるIf I Fellがある。このような定石を無視したようなコード進行も、センス次第でこのように心地よく聴こえるところが、ビートルズのすごいところである。

あるいは、コードがどんどん変っていろんなところに行きまくり、やっと戻る曲として、A Day In The Life、Maybe I'm Amazed(正確にはポールのソロアルバムだが)がある。「よく戻ってきたな」という感じである。これらもまた心地よいから不思議だ。
同じ例でシカゴのColor My Worldがあり、おもしろい。

転調の曲も多い。
Eで始まりFへ行く転調が有名だ。ギター、ベースで1フレ上に動かすだけでいいからだろう。
And I Love Her、You Are Going Lose That Girlがこの例だ。
キャロルのファンキーモンキーベイビーもこの例である。

最後に、部分的に何のコードで弾いているのか不明、というのもある。
例えば、Somethingでベースが階段状に下がりながら盛り上がるシーン、あるいはThe Long And Winding Roadでの逆にベースが上りながら盛り上がるシーン。
どなたか詳しい方がいらっしゃれば教えてください。
こういうのは、普通やろうとしても考えつくものではないだろう。

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Coffee Break Beatles No.56 「ジョンの粋なリズムギター, Part 2」

CBB No.28 Part 1ではジョンの粋なリズムギターとしてAll My Loving(特にサビの部分)、She's A Woman、Doctor Robertを挙げました。
今日も3曲ご紹介しましょう。

まず初期からはI Call Your Name。
この曲はユニークな経歴を持ちます。1963年にBilly J. Kramerにジョンが作った曲であり、その翌年ビートルズとしても発表しました。
Long Tall Sallyを含むEP盤でイギリスで発表され、アメリカではSecond Albumに収録されました。
そういえば最近はEP盤やアメリカ盤はすっかり影をひそめました。それはそれで味があったのですが。
Meet The Beatlesに似た日本デビュー盤もありましたっけ。
後になってこの曲はRock'n'Rollというオムニバス盤にも収録されました。70年代だったと思います。当時加工精度が悪くひん曲がった輸入盤のレコードを買いました。それでもちゃんと演奏できたのです。

さてこのI Call Your Name。作曲家ジョンとしてまだ少し素人っぽさが残る曲です。そこがいいですけど。
ジョージの12弦ギターとジョンの粋なリズムギター、そしてジョンのセクシーな節回し、これだけで最高の仕上がりになっています。
ジョンのギターはメリハリあり、大変表情豊かです。

中期からは、超有名なHelp!です。
このリズムギターは「粋」を超えてかなりな芸術の域に達していると思います。
この曲は1番、2番、3番とテーマが変って演奏表現も変って行きます。
それをリードしているのがジョンのリズムギターです。
特に3番の繊細なリズムギターは超一級品だと思います。

そして、後期からはDon't Let Me Downをご紹介します。
別のCBBでもこの曲のギターをご紹介したことがあります。
この曲のリズムギターは基本はオープンコードのEと普通のF#mをコードストロークするシンプルなものです。
しかしこの曲はとても心地よく聴こえます。
ルーフトップの演奏などを聴いていると、ジョンのリズムギターはもやっとした音色ではありますが、他の楽器ととても協調して弾いているのがわかります。
リズムや強弱で深みのあるサウンド、そして他の楽器との連携。そんなところが特徴だと思います。
映像を観るとジョンの手首はものすごく柔らかくしなっています。そんなところもサウンドに貢献かもしれません。
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もしもビートルズが10年続いていたら....

If The Beatles had continued for 10 years, ……...


ビートルズの活動期間はご存知のように1962年から1970年の8年間であった。 実質的には7年である。
歴史には"IF"はないと言われる。
しかしこのブログではこのルールを破ってみたい。

そこで、次のような仮定を置くことにする。
「もし、ビートルズがあと2年続いたら(1972年まで)、何が起きていただろうか?」

まずはビートルズの解散後の様子をざっとおさらいしてみよう。

ジョンは以前にも増してヨーコとの精神世界により深く入って行った。
彼らはメッセージソングの数々を発表し、人々の心に訴えかけた。
そしてジョンはショーンが生まれてからは「主夫」になった。

ポールは新しいバンド「ウィングス」を結成し、音楽活動をさらに発展させ活躍した。
しかし全般的に彼の音楽は、ビートルズ時代よりもポピュラーで、軽い感じで聴けるようなものになった。

ジョージは解散後間もなく、音楽的な才能を爆発させた。
3枚組のアルバムAll Things Must Passは大変有名である。
ビートルズ時代は彼の音楽は既に素晴らしかったけれど、多作ではなかった。

リンゴは多彩な才能を発揮して、数々のショービジネスで活躍した。
音楽的にも他の元ビートルズメンバーのセッションに参加したりもした。

では次に、もしビートルズがもう2年続いたら、何が起きていただろうか、を考察してみる。

まずジョンの場合であるが、既に1969年からヨーコと深い関係にあり、解散前において既に彼らの意思は固いものがあった。
ゆえに、たとえビートルズがもう2年続いたとしても、ジョンとヨーコは同様のスタイルが続いたものと思うし、他の3人のメンバーに与えた影響も少なかったと思う。

ポールはきっと音楽的アイデア、例えば低音を厚くするような(私がこのブログで最近強調しているように)、をさらに展開していたことだろう。
彼の洞察力溢れるベースプレイは特にジョージの曲に多い。例えば、Something、While My Guitar Gently Weeps、Here Comes The Sunなど。
もしジョージが1970年以降もビートルズとしてもっと多くの曲を書いていたなら、ポールはベースプレイで、あるいは他のやり方でジョージの曲に加担していたことだろう。
そしておそらくは、Lennon & McCartneyに替る作詞作曲家コンビHarrison & McCartneyが誕生していたかもしれない。

最後にリンゴの場合は、彼の多彩な才能が開花して、オペラとかミュージカルだとか映画などの様々な芸術的なショーが生まれていたことだろう。
ビートルズは音楽家よりも幅の広いアーティストとしてのグループになっていたことだろう。

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The Beatles, as you know, was active from 1962 through 1970. That was only eight years. Substantially seven years.
It is said that history never allows any "IF" discussions.
But in this blog I would really like to break this rule.

So, let me set an assumption here as follows.
IF THE BEATLES HAD CONTINUED FOR TWO MORE YEARS (TILL 1972), WHAT WOULD HAVE HAPPENED?

At first let me review the status of the four members after The Beatles broke up.

John went into the mental world with Yoko more deeply than before. They released several message songs whose lyrics make people impressed.
John became a house husband after Sean was born.

Paul arranged Wings as the new band, and made much and great music activities.
But generally his music became more popular and light hearing rather than the music of The Beatles.

George generated his music power explosively right after the dissolution.
The three disc album "All Things Must Pass" is very famous.
His music at The Beatles was already excellent, but he could not make very many at that time.

Ringo acted in various fields of show businesses with his multiple talents.
He sometimes joined music sessions of other members even after the dissolution.

Then let me consider what would have happened for them if The Beatles had continued for two more years.

First in the case of John, he was already in a deep relation with Yoko since 1969 and their intention was so tight even before the dissolution.
So, even if The Beatles had continued for two more years, I think John and Yoko would have continued their style similarly and given little affection to the other three members.

Paul would have further extended his ideas of music such as making low tone part in variety (as I have been stressing in this blog).
His insightful bass plays were seen especially in George's songs (eg, Something, While My Guitar Gently Weeps, Here Comes The Sun, etc.).
If George had composed much more songs after 1970 as The Beatles, Paul would have contributed to George's songs with his bass plays or other ways.
An excellent composer pair "Harrison & McCartney" might be born instead of "Lennon & McCartney".

Lastly in the case of Ringo, his talent would have cause some nice artistic shows such as operas, musicals or films.
The Beatles might become a group who are wider artists than musicians.

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ビートルズ解析例 その8 

- 低音を厚くする-具体的方法 -
Analysis Example about Beatles, Part 8
- Thicken low tone part - Detailed methods -

ビートルズ解析例 その7ではSGT Pepper's Lonely Hearts Club Bandは何故よいと言われているのかへの解析を試み、「低音が厚いのではないか」という仮説を出した。
1/fゆらぎが心地よいと言うことと一致するように思われた。
低音が厚い曲はSGT以外にもあり、それらを厳選すればSGT以上のアルバムもできるのはないか、とも考えた。
今日は「低音を厚くする」とはどういうことか、具体的に考え、ビートルズのどの曲がそれに該当するのかを考えてみる。

低音を厚くするということを、今日は次のようなことであると仮定する。
1.ベースの音を根音と5度の音のような単純な音だけで2ビート、4ビート、8ビートを刻むのではなく、いろんな音を選び、そのリズムも多彩にする。
2.ベースの音色も多彩にする(弾き方、処理)。連続音なども出しより多彩にする。
3.低音楽器としてベース1本ではなく2本、ないしはベースと他の楽器を併用する。

ホワイトアルバムが結構低音が厚い曲がある。例を挙げ、その理由を()内に番号で示す。

Dear Prudence(1)、Ob-La-Di, Ob-La-Da(3)(オクターブのベース)、While My Guitar Gently Weeps(2、3)(ベースの和音演奏、音色も多彩)、Why Don't We Do in the Road?(3)(ピアノとベースのハーモナイズ)、I Will(3)(人の声でのベースを模す)、Birthday(1)(ギターと同じリフ、多彩な音階)、Yer Blues(2)(ピックの弾き方)。Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey(3)(ダブルのベース)、Helter Skelter(2)(ベースのハンマリングオン演奏)、Savoy Truffle(1、2)(音選びと音色が多彩)

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At "Analysis Example about Beatles, Part 7" I tried to analyze why SGT Pepper's Lonely Hearts Club Band is evaluated well, and my hypothesis was that the low tone part of the songs was thick.
It was also believed that the hypothesis was consistent with a theory that "1/f fluctuation" be comfortable for human being.
I further thought that songs having thick low tone part existed in other albums than SGT, and that we could arrange an album better than SGT by selecting such songs surely.
Today I will try to understand the meaning of thickening low tone part and identify which songs of Beatles fulfill this requirement.

My assumption today for thickening low tone part is as follows.
1. Regarding how to use the bass, not simply play a two, four or eight beat using only root and the fifth tone, but select various tone and make the rhythm in variety.
2. Make the tone color of the bass in variety (how to play, treatment of tones). Make the tones more in variety generating continuous tones, and so on.
3. Regarding instrument as bass tone, use double bass instruments rather than single, or co-use bass and another kind of instrument.

There are some songs having thick low tone part in "White Album". Below listed are the examples and their reasons are shown in the ( )'s.

Dear Prudence(1), Ob-La-Di, Ob-La-Da(3)(double bass with octave difference), While My Guitar Gently Weeps(2,3)(code play of base, tone color in variety), Why Don't We Do in the Road?(3)(piano and base harmonizing), I Will(3)(base tone imitating by human voice), Birthday(1)(same melody of refrain for guitar and bass, in variety tone selection), Yer Blues(2)(how to use a pick), Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey(3)(double bass), Helter Skelter(2)(bass playing by hammering-on), Savoy Truffle(1,2)(selection of tones, tone color in variety)

ST Rocker
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Welcome to my Beatles blog !

Dear people outside Japan or foreign people living in Japan,

My pen name is "ST Rocker" (ST stands for Science and Technology). Welcome to my blog!
In this blog I analyze Beatles from various technological viewpoints, and try to find out new funs of Beatles or much happiness to be given to many people.

I am 53 years old now, and I work for a chemical company as a marketer.
Until five years ago I have been working for another chemical company as a researcher or product development engineer or manager for 24 years since I graduated from a master course of a university.
My hobbies have been music, running, mountain climbing, writing essays, enjoying alcohols, and so on.
For the 24 years I was located in a country side which was quite usual with most engineers in Japanese manufacturing companies.

In most cases such engineers are not good at communicating with the society and have not much hobbies.
But in my case I was trying to find out my own ways to enjoy my life productively.
One of them was to enjoy music, especially Beatles, with many unique approaches and ways.
Here in this blog, I would like to introduce these kind of funs to you.

Beyond music, Japan is not so successfully acting (and even other countries).
I think, one of its root causes is that we may not pay much attention to "quantitative" analysis.

Qualitative analysis is by judging the matter by a spot understanding, while quantitative analysis is to lead a conclusion about an question systematically and considering conditions and probability understanding.
Discussion about the relationship between CO2 and global worming would be a good example.
"Less CO2 exhausting is good for global warming" is a kind of qualitative statement.
But in order to conclude our best way to answer the global warming, our answer should be delivered through quantitative analyses.

In this blog I will try to apply quantitative approaches to Beatles.
Of course, I will not be so strict, but do flexibly and enjoy Beatles.
My dream is that we might create a new type of music that can bring much happiness to people.
And even, if the new music exceeds Beatles, that would be the ultimate goal of mine.

Please have your comments freely and let me know your any ideas!
See you everyday.

Sincerely,
ST Rocker

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Coffee Break Beatles No.55 「"中ビナ"のアルバムRubber Soul」

前回は張り切って硬派なことを書きましたので、今日はリラックスです。
肩の力を抜いて自然体で何か一つアルバムを聴いてみようと思い、帰りの電車でRubber Soulを聴きました。

このアルバム、名作だとは思うし嫌いではないのですが、何故か普段は進んでは聴かないのです。
ロックでもない、アイドルでもない、後期に見られるメッセージ性の強い曲でもない、なんかニワトリで言えば中ビナのような感じです。
そしてどの曲もなんか似ているんですよね。

なんか、「いざ聴こう!」と思って構えて聴くと、「うん、なかなかいいじゃないか」と聴き惚れるんです。
ある特定の楽器のおもしろさを引き出そうとするような演奏が聴き応えありますね。

ところで、このアルバムからリッケンバッカーのベースが使われるようになったと言いますが、具体的にはどの曲なんでしょうか?
知っている方いれば教えてください。
これはヘフナーで録音した曲だ、これはヘフナーだ、を聴き分けるにはどのようにしたらいいのでしょうか?
両者の機種はサウンドにはどのように貢献するのか、同じ曲でも使い分けたらどんな違いになるのか、など興味深いです。

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ジャンル : 音楽

私の目指すもの(技術系出身者の責務)

台風は期待通り土曜には行ってしまい、日曜は野球観戦をすることができました。(土曜に予定があった方、すみません。)
しかし、台風一過とはならず、冷たい小雨が時々パラパラと来る寒~い観戦となりました。

さて、「理科系のビートルズ」ということでこのブログをやらさせていただいていますが、このへんで考えを少しまとめてみようと思います。
少々固い話で恐縮ですが、今日のところはご辛抱くださいませ。

我々理科系出身の者の使命の一つは、企業や研究機関で技術や製品を開発し、国力向上の重要な根幹を作ることにあります。
では、私のように少し違うフィールドで理科系的バックボーンを生かすにはどうあるべきでしょうか?
私の考えは以下の通りです。

今日のこの議論では「理科系」というと少し誤解を招くと思いますので、「技術系」と言うことにします。
前にも少し書きましたが、技術系の要諦は何かと言いますと、自分の専門知識を持っていること以上に基本的な考える基礎が重要です。
すなわち、物事の「因果関係と定量性」をしっかり吟味できること、にあります。

いろいろな社会現象において、「これはこうだ」とスポット的に論ずるのが「定性的」であるのに対し、「定量的」は条件や量的効果を考察して、実際に起きうるかどうかを検証する概念です。
例えば、今非常に重要である環境問題を例に取ります。

下記に羅列する事柄はどれも「定性的」には正しいことです。
*CO2が増えると温室効果で気温が上昇する。
*石油等の炭素資源を消費するほどCO2は増える。
*ものすごく長いスパンで見れば地球は寒冷化している。
*長いスパンで見れば地球は小氷河期を脱し温暖化しつつある。
*数十年の周期で地球は温暖化と寒冷化を繰り返しており、今は温暖化の時期に当たる。
*日本の観測点の多くはここ10年くらい気温が上り続けている。
*大都市はヒートアイランド現象で気温が上っている。
*田舎の気温は100年前とほとんど変っていない。
*太陽の黒点の数の増減と地球の気温は連動している。
*気温が高いほど水(海水)に溶け込むCO2の量は減少し、大気に放出し、大気中のCO2濃度が高くなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

では、これらの要素を元に一つの重要な命題である「人間のCO2排出活動により深刻な地球温暖化をもたらす」ことの真偽を検証するにはどうしたらいいでしょうか?
上記のような非常に複雑なファクターの寄与率や相互作用を検証する、すなわち「定量的」検証が必要なわけです。
別の言い方をしますと、定性的な回答とは、ある命題に対してYesかNoかの見解だけを与え、定量的な回答とは、その命題に対し「**%の確率で起り得る」あるいは「***の条件では起り得る」のような立体的な見解を持つことが大きな特徴です。

定量的な見解は物事が現実的に起り得るのか、あるいは可能性はあっても大変起こりにくいのか、に対して解を与えてくれます。
そして、できれば世の中が真に必要としている「骨太のベクトル(潮流)」を導き出すことこそ重要なのであり、我々技術系出身者が定量的手法によって導き出す使命があるのではないかと考えます。
上の環境問題の例で言えば、「人間のCO2の排出が地球温暖化の主原因であるので、我々は速やかにCO2排出を大幅に削減すべきだ。」なのか「現在10年くらいのスパンで起きている気温上昇は、人間が排出しているCO2の寄与は極めて少なく、地球そのものの変動の一環である。また、大都市の気温は地球温暖化とは別の機構で上っている。従って、石油等の資源の使い方は地球温暖化とは切り離して考え、将来的な長期の管理計画を策定すべきである。」なのか、どちらを訴えるべきなのか。まさに重要な我々の責務と考えます。

ビートルズの捉え方も、なにもここまで大上段に構える必要はありませんが、基本的な考え方は同じです。
ビートルズのいろんな楽しいことを単発で(=定性的)捉えるのももちろんいいですけど、
私の目標は骨太の潮流を捉えるべく、定量的な解析を試みます。
じっくりじっくり取り組みますので、結論は急ぎません。

私の考えでは、ビートルズは人々の幸せに大きく貢献しました。
今の世の中は昔よりもずっと大変で厳しく辛いことの多い世の中になっています。
ビートルズに学び、ひいてはビートルズよりももっと幸せなベクトルを提唱したい。
まさにライフワークです。
プロフィール

ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
ご気楽にコメントください。

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