Coffee Break Beatles No.79 「最近の番組から」

今年もいよいよ最後の日となりました。

最近、NHKハイビジョンの「ベスト・オブ・ベスト」という企画などもあり、再放送も含めて注目すべき音楽番組がたくさんありました。
大体のところは見ました。
その中から今日は2つ挙げてみます。

一つ目はカーペンターズの番組です。
5年前にやったものの再放送でしたので既にご存知の方も多いでしょうけど、よい番組でした。
カーペンター兄妹の兄であるリチャードがインタビューに答えることを中心に番組が構成されていました。

最近この番組に限りませんが、インタビューに価値のあるものが増えてきました。
そして、何十年も前のことが、こうしたインタビューなどを通じて今、よりわかるようになってきた気がします。

それにしても思ったのは、リチャードは音楽の申し子のような才能の持ち主であるに加え、かなり確信的に自らをそして周囲を動かしていたようでした。
人柄や考えも共感を持てました。そして「自分は本当はリードボーカリストになりたかった」という興味深い話も聞けました。
リチャードはポール・マッカートニー以上に音楽的な才能はありそうでした。ただ、リチャードはよりワンマン的な感じがしました。
同じく才能あふれた妹カレンは、いまいち自己主張が下手であり、気の毒な方向に行ってしまった気がしました。

もう一つは今年作られたNHK、BBC、Best Films共作の「ジョン・レノンの魂」というドラマです。
最近のイマジンのイメージはジョンの一部が誇張され過ぎているだろうから、ジョンの内面を生々しく描こう、という作者の気概はよく伝わるおもしろいドラマでした。
出演者も本物に似た人物を揃えるなど、凝っています。

大体本当のことが描かれているという気がしましたが、一つ気になったのは言葉の問題です。
ドラマの日本語吹き替えでは、結構きつくて下品な日本語が使われていました。そしてそれは「少し違うな」と思いました。
ビートルズたちは、特にジョンは、皮肉的なこととか、時に狂気的なこととか、前衛的なこととか、よく言っていました。
しかし、それらは下品なもの言いだったかというと、違う気がします。

英語では丁寧語と下品語の違いが基本的に存在しないので、前後関係で判断しないといけません。
ジョンは基本的には紳士であったと信じます。
そうでなければ、ヨーコさんが最近のお話の数々でジョンをあのように語るわけはありません。
一度このドラマを原語で観てみたいと思います。

それでは、皆様今年は大変お世話になりありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えください。

ST Rocker
DMM.com DVD通販、レンタルなどの総合サイト
スポンサーサイト

テーマ : 音楽
ジャンル : 音楽

今年の技術大賞

皆様、今年もいよいよ暮れようとしていますが、いかがお過ごしですか。

このブログではScience(科学)とTechnology(技術)という観点を一つの切り口でやってきております。
私のペンネーム"ST Rocker"のSはScience、TはTechnologyから来ています。

本来、Scienceは基礎理論、Technologyは応用(工業)技術、ということでしっかり分けないといけませんが、我が国では曖昧に使われることが多く(例えば「筑波科学博」と称して科学も技術も扱う)、むしろ理科か文科の違いが重要視されています。 (欧米では逆に基礎理論か応用の違いを重視)。

本当は「基礎理論か応用か」と「理科か文科」か、という2種の分類があるので、その掛け算ですから、都合4通りのパターンがあるわけです。
さらに私の主張としましては、理科と文科の分け方も単に既成概念的分け方ではなく、政治とか社会問題とか芸術などの従来理科系的要素のあまり立ち入らなかった分野にも理科系的要素を当てはめる、つまり論証と定量の概念を適用しましょう、ということであります。

そんな中、真の「技術」というテーマでしっかりと捉え制作している素晴らしいTV番組があります。
何度か申し上げているように、TBSの日曜18:30からの「夢の扉」であります。

理科系的テーマに限らず、大変独創的でかつ日本の国力のアップにつながりそうな極めて有力な研究テーマが紹介されます。
すでにビジネスになっているもの、あるいはその一歩手前のものが多いです。
ごく最近で言えば、東京女子医大の大和教授の「細胞シート」。その前は、太陽光を取り入れ日中の電灯の光とするもの、などなど。
極めて独創的、個性的、でも大変骨太な考えであり、大変重要なものであります。
日本人が得意としている積み上げ型のものであり、アメリカや最近の韓国やアジアの新興国のような組織型やIT型、マネジメント型ものとは違います。ノーベル賞の田中耕一さんのあの地道な感覚と共通します。

なにも権威ある大学の教授に限らず、町工場の社長さん、家庭の主婦の方、というように主役はどんな人でもよいのですが、共通するのは、独創的な考え(ただし地道な経験に基づくもの)、信念、地道な努力、そして結果として確実に人々を幸せにすること、といったことです。
こうしたすぐれた研究がもう何人も取り上げられています。

現状の日本は、サムスンにやられっぱなしでコストダウンや海外シフトしか考えられないエレクトロニクス、貴重な金型職人が中国にノウハウを教えないと就職口がないこと、などなど産業の空洞化が一層進んでいます。
是非国策として、夢の扉で取り上げているような優れた研究を事業化し、海外に高く売り、国内に雇用を一杯作らないといけません。

私のこの研究は夢の扉に比べればまだまだ劣ります。もっと目的と方法論をすっきりさせる必要もありそうです。

私は特別な人(団体)にのみ賞賛を与えるのはあまり好きではありませんが、「夢の扉」の企画・制作力は突出していますので、
「夢の扉」に2010年の「技術大賞」を贈ります。

2010年12月29日  ST Rocker

テーマ : 実用・役に立つ話
ジャンル : 趣味・実用

Coffee Break Beatles No.78 「久しぶりのピアノ弾き語り」

最近、ピアノの前に荷物が散らかっていたので、弾くに弾けず大分遠ざかっていた。
しかし年末に近づくにつれ、多少は片付いてきたので、昨日久しぶりにピアノを弾き、弾き語りをしてみた。
このところ、「解析」に熱中し、それなりのまとめを得られたのではないかと思っているけど、左脳が少々疲れたので、リラックスする目的と、解析したことが多少は実演にも効果をもたささないかな、と淡い期待から弾いてみた。
自分の奏法というのは、何かの大きな意識改革がないとマンネリ化し進歩をもたらさないから、今回これほど考えたんだから、何かご利益(りやく)はあると期待した。

まずはいつもの儀式。
ピアノのフタを開け、椅子に座り構える。
一切のキーを叩く前に、The Long and Winding Roadを歌う。出だしはいきなりボーカルだ。
"The"の音はレだ。
さあ。よし、今日も合ってた。

やっぱり、弾きながら歌うのって、カラオケとは随分違うなあ、というのが率直な印象。
久しぶりで指も固いし、やはりリズムを自らキープするのは難しいねえ。
少しメゲそうになるが、一生懸命書いたいろんなことを思い出し、その気になって弾き始めたらわりといい感じになってきた。
右脳と左脳が手を取り合って弾き歌うといい感じだ。どっちかがリードしすぎるとおかしくなる。
コードさえ合えばよいという安易は感覚を捨てること。自分の中の「1/fゆらぎ」を意識して、キーとなる音をしっかり出そう。
バリエーションも豊富に。

次はLady Madonna。
少しは前よりマシになったかもしれないけど、この曲は全くポールに脱帽だ。
そんなに難しいピアノじゃないけど、ポールのリズム感とアクセント、そして微妙な「オカズ」。
そしてもっと驚きは、そんなセンスあるピアノに対し全く独立したボーカル。しかもセンス抜群。
この曲は正直、完璧を狙うのは諦めよう。

お次はLet It Be。
これはどうにか少しは進歩があった。
以前ブログでも書いたように、ラの「be」の音が初めてしっかり出た。
そして全体にマンネリっぽかった伴奏が少しは改善した。
でも満点にはまだほど遠い。

そしてMaybe I'm Amazed。
LIBと同じくマンネリ伴奏と高音化は改善した。
しかし一番高いファ#の音は出なかった。
昨日はご近所さんがいたので、あまり張り上げるボーカルはちょっとためらわれた。
もし頑張れば多少はいけたかもしれないが。

あと何曲か弾き語り、まあまあだった。
よいリラックスになった。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Analysis of The Beatles, Example No.12 "Demonstration of Proposition" (Summary in English)

Dear readers,

Here in this blog I have been emphasizing the importance of "corrective verification and quantification" with which we should think the direction and verification about politics, global warming and all our matters in the society as well as special technological matters.
This way of thinking has rarely been applied to music or arts, but I would try to apply this to The Beatles in order to analyze why they became so successful and consider if we could create any more success superior to The Beatles.
I believe that this way is unique and the process is interesting, and finally this will bring happiness to us.

One of the most key things in the above way of thinking would be how to demonstrate (prove) a proposition like "A → B".
"A → B" means "If the statement A is true, then the statement B is true."
If the proposition "A → B" is demonstrated to be true, A is called "necessary condition" for B, and B is called "enough condition" for A.
If any example as A which does not satisfy B, the proposition is demonstrated to be fault.

If both the propositions, "A → B" and "B → A", are demonstrated to be true, A and B are called "necessary and enough" condition for each other.
In this case the regions A and B are exactly equivalent.

In any field and theme, building a proposition and its verification are very important.
Otherwise, the discussion is just of interest and will never lead useful result.

Here, I define that the statement B is "Become successful like The Beatles".
As I told above, finding out necessary conditions A would be my hope.
Ultimately I would like to find out a necessary and enough condition.

So far my idea of candidates for A would be the following which have been delivered through my analyses up to now.
A1 = "Low-tone part is in variety (better 1/f fluctuation)"
A2 = "There were many and in variety leaderships and corresponding follower ships in the "bigger" definition of The Beatles (ie, The Beatles containing the surroundings")"

Then I would propose possible causes of A1 and A2 as follows.

A1-1 : The bass player (ie, Paul) had talents in music and was originally a guitar player.
A1-2 : The bass (and guitar) was semi acoustic.
A1-3 : The bass and guitar was in short scale.
A1-4 : John had multiple art talents and affect on Paul's music sense
A1-5 : The Beatles and the related people had scientific senses as well.

A2-1 : The producer (ie, George Martin) and other related people surrounding The Beatles were excellent and very positive, and made good decisions.
A2-2 : The members of The Beatles were continuously very positive and aggressive, and drove the surrounding people aggressive.

Sincerely yours,
ST Rocker

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

昨日のカラオケでは...

昨日は地元でスナックを借り切ってのクリスマスパーティでした。
別のグループ何組かとの合同の借り切りでした。
ですので、初めて会った方々が多かったでした。ご年配の方が多かったですね。
当然ながら大カラオケ大会になりました。

私は、カラオケが世の中に現れる前から弾き語りをやっていたので、昔はカラオケは好きではありませんでした。
野球で言うとバッティングセンターみないなもんで、ただ機械に合わせて歌うのがあまり好きではなかったのです。
それに昔は、魂が抜けたようなロボットみたいな演奏であり、キーも低く(昔は原曲キーなどはなかった)、選曲もほとんど演歌に限られました。
わざとらしい映像も好きではありませんでした。
それに比べると今では随分改善されました。

カラオケは「ただ歌う」とはいっても、必ずしも簡単ではありません。
弾き語りでは自分の生の声が自分でよく聴こえますが、カラオケではマイクの声しか聴こえないので、音程を取るのが大変です。
そういう意味ではバンドも同じですが、バンドは演奏を自分らでコントロールできるのに対し、カラオケは一方的に合わせる難しさがあります。

だんだん私も歳を重ねるにしたがい、「カラオケなんて音楽じゃない」などという屁理屈はなるべく考えないようにし、むしろ「難しいものに挑戦するんだ」という素直な気持ちになっていきました。
また、会社、お客さん、友人、そしていろんな集まりで皆と一緒に楽しむことを心がけてきました。
今ではいろんな人から私はカラオケ大好き人間と思われています。

そうはいえ、演歌はまだまだ知らないです。今でも大半のお客さんは「カラオケ=演歌」ですから、本当は接待の時に歌える演歌のレパートリーを増やさないといけないんですが。

そんなわけで、昨日も演歌をあまり知らない自分が、この場をどう盛り上げようかと考えていました。
そして自分の番が。
考えた末、まずは加山雄三の「お嫁においで」にしました。
友人は私が英語の歌好きなのを知っていますが、初めての人が多い中いきなり英語の歌は白けます。
最近私はダイエットに成功したのと、昨日は小ざっぱりした格好で行きましたので、好青年(いや好おっさん)を演じて「お嫁においで」を思い切り明るく熱情的に歌いました。
そしたら結構ウけました。おばちゃんが多かったせいもあるでしょう。

これでしめしめ顔を売った私は、次はいよいよ英語。ジョン・レノンのImagineを歌いました。
さすがに洋楽を普段聴かれないご年配の方々も今年はTVで結構Imagineを観た(聴いた)ようです。
「あら、あの歌ね」なんて表情で熱心に聴いてくれました。
これも情感たっぷりに歌いました。

そして次はキャロルのファンモンキーベイビー。
今度はこちらから何も言わずとも立ち上がり踊る方々が現れました。中にはロカビリーのように手を取り合い踊る方々も。
そして私は時々、「Hey, Twist! Twist!」とシャウトしながら、永ちゃんぽくセクシーな節回しで熱唱。
大いに盛り上りました。

次はビートルズのAll My Loving。
このブログに何度も書きましたように、普段は3連符とかベースラインに興味が行くんですが、昨日はボーカルのメロディーに思いを集中します。
本当にこのメロはいいですね。
最後の二人のポールがハモるところは高音部を歌いました。音はしっかり出すことができました。

最後はユーミンの中央フリーウェイ。
最近の低音を厚くするとよい音楽になる、という持論を発表させていただいていますが、ユーミンの曲も低音が厚い曲が多いです。
この曲は初めてカラオケで歌いましたが、結構歌えました。
女性にしてはキーが低いので、原曲キーで裏声なして歌えました。

思いましたのは、歌は情熱を込めて歌うとよく歌えます。
作者の気持ちになってその詩の意味を味わい、自ら表現するように歌いますと、言葉自体にパワーと情熱が乗ってきます。
これは何事も一緒ですね。

どっちか言うと昨日は右脳を使った気がしました。
最近左脳を集中的に使ったのでバランスが取れた気がしました。

テーマ : 実用・役に立つ話
ジャンル : 趣味・実用

ビートルズ解析例 その12 「AならばB(命題の論証)」

ここ数日、理科系・技術系的考えの基本として「物事の正しい論証、定量的扱い」をキーワードとして挙げました。
今日は、その中でも重要な部分を占める「命題の論証」について紹介させていただき、そしてビートルズに関する命題を考えていきます。

おそらく多くの方は高校の数学の初歩で命題の論証について学んだのではないかと思います。
例の「AならばB」です。
「A」という条件が満たされた場合、必ず「B」という事柄は成立しますよ、ということが証明された場合、この命題「AならばB」(「ならば」は記号「→」で示すこともあります)は「真」(正しい)であり、成り立たなかったらば「偽」(誤りである)となります。

命題が真である場合、AはBの「必要条件」といい、BはAの「十分条件」といいます。
簡単な例を挙げますと、A=「Jさんは東京都民である」、B=「Jさんは日本国民である」、とするなら、Aであるなら100%必ずBでありますから、命題「AならばB(A→B)」は真(正しい)です。
また、A=「Jさんは埼玉県民である」、B=「Jさんは日本国民である」とした場合も、命題「AならばB」は真です。
ところが、A=「Jさんは日本語を話せる」、B=「Jさんは日本国民である」とした場合は、命題「AならばB」は必ずしも成り立たず「偽」となります。すなわちこの場合、AはBの必要条件ではありません。

このように、必要条件Aは十分条件Bの一部である、あるいは集合の図で描くとBはAを完全に包含していることになります。
Aの集合がもしBの集合から一部逸脱している場合は、Aは必要条件とは言わず命題は成り立ちません。上の「日本語が話せる」の例では、外国人で日本語を話せる人の部分もあるからです。

命題においては、「逆は必ずしも真ではない」という法則があります。つまり、「AならばB」が真であっても、「BならばA」は必ずしも真ではない。
でも、たまに逆も真である場合があります。
例えば、A=「Jさんは日本に戸籍を持っている」、B=「Jさんは日本国民である」は、両方向「真」です。
こういう場合、AはBの(BはAの)「必要十分条件」である、といいます。記号では、A⇔Bと書きます。
この場合、集合Aと集合Bは完全に一致していて(同じもの)、互いに例外を含みません。

基本的説明が長くなり申し訳ありませんでしたが、要するに、政治とか、地球温暖化とか、あるいはどんな一般社会のことでもそうですが、重要な事柄を命題化することは大変重要でありまして、いかに骨太で「真」である命題を見出せるかがキーとなります。
また、必要条件Aは十分条件Bを成り立たせるためのごくほんの一部なのか、あるいはかなりの部分を占めるのか、あるいはまた、Bを成り立たす別の必要条件Aがあるのかの理解・解明が大事です。
そしてさらには、Bに対しての必要十分条件Aを見出すことが一つの究極の目標ともいえます。

地球温暖化を例にとってみましょう。
今現在我が国における大方の論調は次のようになっています。
A=「近代以降人間は化石燃料を大量に消費しCO2濃度を上げている」、B=「地球が温暖化している」とすると、命題「AならばB」は真である。
政府要人も含めてほとんどの人はこの命題を疑わず、そこから先の"how to"(我が国はどうやってCO2を減らすか)のみに感心が行っています。

私が勉強してきている限り、もっと根源的な部分をしっかり論証する必要があると思います。
まず、地球が温暖化していると言いますが、ここ10年くらいの温度上昇のデータが温暖化という結論にしてよいのか、また、それが仮にYesだったとして、10年程度のスパンの温暖化を問題にする必要があるのか(地球はもっとずっと長い周期の温暖化、寒冷化を繰り返しており、ずっと問題なくやってきている)。
さらには、現在の大気中CO2増大は人間の工業活動の仕業なのか、それとも海水温上昇による「結果」なのか、など。

詳しくはとても書ききれませんが、地球温暖化を論ずる場合、まずは「問題は何なのか」をしっかり定義し共有すること、しかる後に、上述したような大事な基本的ファクターの数々の、どれがどれの必要条件なのか、そして問題をズバリ言い当てる「必要十分条件」は何なのか、を突き止めることが究極のゴールとなると考えます。

長い前置きにお付き合いくださり、ありがとうございました。
では、命題の論証をビートルズに当てはめてみます。

ビートルズにおける命題「AならばB」において、Bを「ビートルズのように大成功を収める」とします。
それを成り立たせる必要条件A、さらには必要十分条件Aは何であるか、を考えていきましょう。
もし「A」がとてもシンプルな内容のステートメントの必要十分条件になり得れば、それは大変センセーショナルな発見ということになります。
残念ながらそうはならず、Aは複数の事柄が組み合わさったステートメントにより初めて必要条件になりうるかもしれません。

では、Aの候補を挙げてみます。これまでこのブログでお話ししてきたことです。

1)全員が楽器を弾きながら歌った。
2)シンガー・ソングライターだった。
3)ベーシストにいろんな楽器が弾け、音楽性の高い人間がなった。
4)ベーシストは最初ギタリストであった。
5)セミアコースティックのベースを用いた。
6)コーラス、ハーモニーを重視した。
7)最高のリズムギタリストがいた。
8)ショートスケールのギター、ベースを用いた(初~中期)。
9)高音ボーカルに挑んだ。
10)芸術全般、生活全般がアーティストである人間がいた。
11)プロデューサーおよび関わる人達が優秀で、乗り気を示し、よい決定を下した。
12)全般につき理科系的発想も多かった。
13)低音領域を厚くした(1/fゆらぎ)。
14)継続的な心意気があった(周囲の関わる人間を本気にさせる)。
15)多様なリーダーシップがあり、それに呼応するフォロワーシップがしっかりしていた。

さてでは、これから解析するわけですが、お断りしておきたいのは、上で掲げたファクターは全てではないということです。多分に漏れがあるでしょう。
また、今日出す結論も決して最終結論ではありません。解析のプロセスを見ていただくのが重要と思っています。
最終結論はもっとずっと時間をかけて導いていきます。

もう一点お断りしたいのは、Bのステートメントである「ビートルズのように大成功を収める」に関しては、ビートルズと完全に比較できる対象がない、ということです。
マイケル・ジャクソンとかカーペンターズとか、超スーパースターはいますが、タイプが異なり、ビートルズと同類の成功を収めたかどうかはわかりません。
よって、今日のところは、命題の真偽を導くのに推定がやむを得ないということです。

では、考えていきましょう。
上記1)~15)の各がBの必要条件であるかどうかを判定してみましょう。要するに、何かさえ満たせば絶対にビートルズ的に成功する、という条件があるか、です。
「AならばB」が偽であることを証明するには、「AなのにBでない」という「反例」を一つでも見つければよい、と数学では規定されています。
つまり、Aを満たすのに、ビートルズのような成功を全然収めなかったミュージシャンの例が一つでもあれば、それは偽です。

明らかに偽であるのがわかるのが、1)、2)、6)、8)、9)、です。
ここから先が理科系的考えの要諦です。
これらは一見、ビートルズの重要な要素である気がします。
しかし、これらがあっても成功しなかったミュージシャンはいっぱいいますので、反例が存在し命題は偽となります。

紛らわしいのは、1)や2)(全員が楽器を弾きながら歌い、シンガーソングライターである)のことは、「ビートルズであるための十分条件」であり、ビートルズたらんための必須な条件ではありますが、「これさえ満たせばビートルズ的大成功を収める」という命題との間には何の関係もありません。
このあたりがポイントの一つです。一見必要条件そうに見えるのでその発想が囚われて真の必要条件が見えてこない、というのは我々社会に頻繁に見られます。

私の今現在の考えでは、13)(低音を厚くする)と15)(多様なリーダーシップ)が比較的必要条件に近いのではないかと考えます。
例えば低音については、今のところ反例は見つからず、ビートルズの中でも名曲、ユーミンやキャロルなどの大ヒットメーカーもこれに従います。

ステートメント13)と15)はいきなりそうなったのではなく、何がしかの因果関係があります。
13)(低音を厚くする)を導いた原因としては3)、4)、5)、8)が考えられます。
15)(多様なリーダーシップ)を導いた原因としては11)、12)、14)が考えられます。

現段階ではここまでです。
現状では、低音の厚さと多様なリーダーシップでいかにいろんな人を巻き込み活用するか(=創造性の源となる)が有望ではないかと考えています。

ただし、ビートルズたちあるいは周囲の人も含め、自らは上のようには考えていたわけではないでしょう。
多様な要素や体系を取り入れ検証する感性と考え方、そしてその底辺に流れるしたたかで継続的な心意気、が必然的にあのような結果を招いていったことでしょう。
無意識だったかもしれませんが、自然のうちに「論証と定量性」が生きていたに違いありません。

基本的には1)~15)はどれも大事な要素ですが、必要条件、十分条件、包含関係、因果関係をもっとしっかり解明して、よりすっきりとした、ビートルズ的大成功を収めるための必要条件、必要十分条件の解明を行っていきます。
さらにその先には、ビートルズを超える音楽の創出を、この考え方の延長にて試みることにします。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.77 「Driving Forceは?」

このブログは「理科系」あるいは「技術系」の見方、というのを一つの柱にしています。
これまで理科系・技術系的考えは専門的な場所(企業とか研究機関)に集約されすぎていたので、これを一般社会にも当てはめて、人々の生活をもっと豊かにしよう、ひいては日本を世界を変えられないか、というのが本ブログの狙いです。

理科系・技術系の考え方の本質を短い言葉で言うとすると、「物事の論証をしっかり行う」ことと「定量的に扱う」です。
物事をYesかNoかで扱うだけでなく、その事がどんな条件でどんな確率で起りうるのか、を示すことです。
企業の研究ですとか、大学の研究では当然ながらこうした考えは徹底されているのですが、政治とか社会の仕組み、あるいは最近取りざたされている温暖化問題などでは、この考えは不足です。ましてや、芸術関係でこのことが取り上げられたことはほとんどありません。

理科系・技術系ということで目新しい考えだ、ということで興味を持ってくださる方も多いので、ありがたいですが、私の意見としましては、「奇をてらう」のではなく、「実はこれこそが本来的なものであった」という結論を導こうと考えています。

そして、もう一点お断りしておきたいのは、私は理科系至上主義ではありません。文科系も理科系も合い補うべきと思っています。
また、以前も申しましたように、理科系、文科系という分け方は日本独特のものであって、欧米では理論学と実際学の分け方をします。理科であろうが文科であろうが、理論で考えるものと、それを応用して実際に使うかの違いを重視します。
欧米においても(当然ですが)、理科・技術においては論証と定量を重視します。
日本においては世の中の重要なポストは文科系で占められているためか、一般社会において理科・技術の考えが欧米に比べ軽視されているように思います。

理科系・技術系の考えを一般的にわかりやすく紹介しているのが、大槻義彦先生、武田邦彦先生です。
昨日もTVでやりました毎年年末恒例の超常現象の番組で大槻先生は理科系的考えを強調されます。
大槻先生自身、早稲田でプラズマの研究をされ、人工火の玉を作っていたくらいですから、本来超常現象には興味があられるはずです。
霊の現象とか、超能力に対して科学者は、現代に証明されている理論で論証を行います。
いろいろな実験や検証を行い、それでも現代の科学体系に則らないものを新種の現象としてさらに探求していくのです。
そのプロセスはまさに定量的です。
超常現象を信ずるか信じないか、という入り口から入ると全く科学的ではない。そこを大槻先生は噛み付くわけです。

政治の世界においても、例えば「高速無料化」をよさそうかよくなさそうか、を感覚的に捉えてはだめです。
経済学などの重要な体系を用いて定量的に検証し、その適否を結論付けないといけません。私が提唱する「理科系・技術系的方法」とはこの意味です。

この考え方は、何も固い話ばかりにとどまりません。
もっと気楽な意味で、物事の起こりやすさやその条件を考えることをやってみましょう、という意味です。

一昨日の「リーダーシップとフォロワーシップ」においては、ビートルズにはいろんな種類のリーダーシップがあったことと、それに呼応するフォロワーシップもしっかりしていた、と述べました。
では、なぜそうしたことが起り得たのか、そのdriving forceについて書くのを忘れました。
とにかく、周囲に関わるいろんな人の盛り立てで成功した、と言ってもいいビートルズですが、単なるラッキーでしょうか?
重要に関わった人が仮に10人として、その10人は全員かなりの寄与をします。
単なるラッキーだとしたら、一人が寄与する確率は10%ほどでしょう。
それが10人全員寄与するとなると、10の10乗分の1、すなわち100億分の1となります。
これでは低すぎます。

一人ひとりがビートルズに対しひとかたならぬ注目を示し、大変な努力を行い、寄与率を相当高めた、と考えざるを得ません。
ここから先は文科系的考えですが、おそらく、周囲の人に魅力的なオーラを発信しつづけていたビートルズがいたことでしょう。
それは「継続した心意気」だと思います。「俺たちは必ず自作自演で大成功するんだ」という意気でしょう。
永ちゃんの「オレは必ずビッグになる」というのも然りでしょう。
継続した心意気。全ての成功の原点になると思います。
DMM.com DVD通販、レンタルなどの総合サイト

テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

リーダーシップとフォロワーシップ

最近テレビで菅さんや岡田さんのお顔を見ていると並々ならぬご苦労とストレスが感じられ、大変お気の毒である。
野党の頃は生き生き溌剌としていたが、責任ある立場になるとこうも変わってしまう。

日本の政治は永らく"how to"(いわゆる陳情政治)でやってきた。
安定していた時期はそれでよかったが、こうも激変する世の中では、政治の仕組み、経済の仕組み、税金の仕組み、産業の仕組み、年金の仕組み、そういうことの専門家の解説や意見を聞かないと難しいと思う。
いくら責任ある立場だからといって、ご自分たちだけで考えず、「参謀」を置けばよいのである。
これまではいろんな背景があってこうなったのだから、それを恥ずことはない。時代の要請が起これば、それに対応すればよいのである。

アメリカ発の実力主義、独創性、リーダーシップといった事柄を、日本人はその真意をあまり理解しないまま妄信的に取り入れてきたと思う。
たいていの日本人は「これではとてもいけない」と、不安にかられ、何をどこまでどのようにやればわからぬままにもがき苦しんでいる方々が多いと思う。かつての私もそうだった。

だいたいアメリカ人は、ごく一部の人を除いてそんな無理なことはやっていない。
ましてや「無から有を生み出すような独創性」とか「混沌とした事態を自分の力量だけで解決、導こう」なんていう孤高のリーダーシップなんていうのもない。
独創性は、人のマネをしまくっているうちに自然についてくるものだし、リーダーシップは「フォロワーシップ」(リーダーシップを受ける側の人の考えや行動のあり方)と対になっているもので、双方の協力あって初めて実現する。
アメリカ人はそうしたことをよく理解しているので、不必要なストレスは溜めないのである。
ただ、アメリカやヨーロッパの場合、合理性を重んじ、その組織のルールを徹底させる。予めやることをよく打ち合わせ合理的に決めてから取り掛かる。
そうした土壌の中で、自分の能力以上に頑張りたい人はそうすればよいし、そうでない人はそこそこ頑張ればよいわけである。

日本においては、歴史的に開拓的な考えはあまりないことから、欧米式の合理的ルールはあまりなじめないと思う。
やはり、和を重んじ、阿吽の呼吸でやるのが日本人らしい。
欧米と共通なのは、独創性やリーダーシップの基本的考え方、そして組織においてはなるべく骨太の「ベクトル」がある方がよい、ということだろう。

なるべくしっかりした国策があった方がよい。
しかし、それがなくとも、個人レベルでも考え方をしっかり持っていれば、必要以上に苦しむこともなく、そしてやりがいのある生活を送れると思う。
ビートルズを例に学んでみよう。

最近、ベストヒットUSAやジョン・レノンの特番を見る機会が多く、ビートルズの初期の話をいろいろ学んだ。
ビートルズは、思ったよりも随分いろんな人が周囲に絡んでいて、どの人も成功のためにひとかたならぬ立役者だったのである。
例えば、ジョージ・マーティン(プロデューサー)、レコード会社のスタッフ、マネジャー、美術学校の同輩、教会の職員、スチュ・サトクリフの恋人の女性...などなど。
初期に限らず、中期も後期も、ファンを含めいろんな人が関与して成功に寄与した。
ビートルズの大成功の中でメンバー本人たちの寄与ももちろん卓越しているが、その寄与率はせいぜい10%程度ではないだろうか。
メンバーたちはごく普通の人間たちであり、ほんの少しの能力の優れた人間である。
自分たち自ら「無から有」を作り出した部分はあまり多くないだろう。

これら全体を「ビートルズ」と考えた場合、仮にメンバー本人たちが「リーダー」としたら、偉大な「フォロワー」で成り立っている。
そして、本当は誰が(何が)リーダーだかよくわからない。
別にリーダーを特定しなくてもよいと思う。
ビートルズ「4人の中でリーダーを特定できないのと同じように、「ビートルズ現象」全体の中のリーダーは不明である。
何もがリーダーでありかつフォロワーである。

それは夫婦の間でも一緒である。
夫がリーダーシップを発揮しているつもりでいても、実際は妻がリーダーを取っていると考えることもできる。

ただ、誤解していただきたくないのは、リーダーがいないくてもよい、というのではない。
チリの鉱山の落盤事故では有能なリーダーがいた。
ここでいうリーダーとはマネジメントのリーダーである。そして有能なフォロワーたちがいた。

要は、リーダーとは定義の仕方で決まるのである。
「ビートルズ現象」においてマネジメントをリーダーと定義するなら、リーダーはブライアン・エプスタインである(後期ではビートルズ自身)。
ビートルズにおいては、いろんなリーダーの定義があり、それぞれの定義に優秀なフォロワーがいる。
最後に一言でまとめれば、ビートルズの大成功は、多面的なリーダーシップとフォロワーシップのコンビネーションによるものと言えるだろう。

テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

Coffee Break Beatles No.76 「ジョンのスタイル」

昨日は、かつてスタイルがほぼ同じであった矢沢永吉さんとポール・マッカートニーを比べさせていただいた。
今日はジョン・レノンのスタイルについて考えてみたい。

ジョンは間違いなく超一流のアーティストであり、スーパースターである。
その中でも、ポールと組んでLennon=McCartneyの作詞・作曲コンビ、そして演奏しながら歌うスタイルを大成功させたミュージシャンである。

音楽的に超一流であることはもちろんだが、ジョンの才能や活動は音楽に限っていない。
美術学校を出たように絵の才能はあるし、詩や叙述、さまざまなメッセージ発信...と、「総合的」な芸術家だったと言っていい。
また、ヨーコと一緒になってからは、生活そのもの、いや、生きることそのものが芸術家であった。

音楽に関しては、少年期はポールの方が進んでおり、ポールからギターを習ったりしていた。
ジョンの音楽的な最大の特徴を挙げるとすると、世界で最もうまいリズムギタリスト、艶やかでセクシーなボーカル(解散後はそうでもなくなったが)、人の心に訴える詩とメロディー作り、多くの楽器をそつなく、正確なリズムで弾ける総合演奏力、といったところだと思う。
要するに、音楽だけとってもこれだけできる一流のミュージシャンはなかなかいない。
ただ、スタンダードの名曲の作曲やマルチプレイヤーとしての能力はポールの方が上だった。。
しかし、ジョンの作曲による名曲も十分に多いのである。

では、ジョンのスタイルと同じないしは似ている日本人のアーティストはいるだろうか?
今日このことを考え続けていて、あることに気が付いた。
日本は「分業」が多いのである。
今でこそ少なくなったが、作詞家、作曲家、編曲家の専門家がいるし、歌手やバンドもパターンが決まっている方々が多いように思う。
そして、音楽以外の芸術(美術など)をもやるミュージシャンはいらっしゃるだろうか?

音楽界のみならず、全ての業界が分業している。
ソクラテスのように哲学家であり科学者であるような人はほとんどいない。
私がこのブログで主張しているように、理科系や技術系の感覚で音楽を楽しむ人も少ない。

強いて挙げさせていただくと、ユーミンさんがクロスオーバーの芸術家でしょうか。
ジョンのように生きること全般をテーマに、そして方法論も含めて発想フリーである人が日本にも出ればおもしろいと思う。
そしてそういう人を進んで受け入れる土壌もあればいいと思う。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.75 「永ちゃんとポールの違い」

昨日もまたさいたま市の実家へ車で行ってきました。
いつものようにいろんな音楽を聴きましたが、キャロルのCD「ファンキー・モンキー・ベイビー」を聴きました。

最近の若い方はキャロルをご存知ないかもしれません。
矢沢永吉さん(以下「永ちゃん」と呼ばせていただきます)がその昔、ジョニー大倉さんらと組んでいたバンドで、永ちゃんはベースを弾きながら歌っていました。
そのベースがポールと同じヘフナー(あるいはそのコピー国産モデル)でした。
シンガーソングライターといい、ベースの機種といい、高音のボーカルといい、作風といい、ポールと似ている部分が多くありました。
キャロルのご本人たち自らが、ビートルズの影響を受けたと言っています。

私はキャロルは好きだと言っても、CDは「ファンキー・モンキー・ベイビー」しか持っていません。
もっといろいろ揃えたいと思っています。

主題曲「ファンキー・モンキー・ベイビー」は超ヒットした軽快ロックンロールナンバーです。
この曲はビートルズのI Saw Her Standing Thereに似ていると思います。
キーはともにE。ベースを8分音符で忙しく奏でるところも同じです。
躍動感あり音をたくさん生産しているベースが曲を支配しています。
そしてその忙しいベースを弾きながらの高いキーのボーカル。
ヘフナーがまさにピッタリの曲です。
「ファンキー・モンキー・ベイビー」では、さらにマイナーコードも入れているので、相当忙しいベースとなっています。

そしてこのCDの後の方の曲のいくつかでは、ベースの音に工夫を凝らしています。
While My Guitar Gently Weepsに通じる高音ベースの粋な音、Paperback Writerに通じる小気味よい音などです。
これらのベースの音は心地よい感覚をもたらしてくれます。おそらく1/fゆらぎに通じるものがあるのではないでしょうか。

永ちゃんはその後、ご存知のように、ステージではベースを弾くのはやめ、ソロボーカリストとしてよりビッグになっていき、音楽を超えたところでもメッセージを発信し続けています。
一方、ポールはベースを弾きながら歌うことにこだわり続けています。一生このスタイルを変えないでしょう。

どちらも偉大で、非常に多くのファンの支持があります。
どちらのスタイルがよい、とは言えませんが、なぜ二人が違う方向に行ったのか、興味があります。

永ちゃんの場合は、非常に多彩な才能と発信があると思います。
もしジョン・レノンがリッケンやエピフォンのギターを弾きながら歌い続けるのは少し違和感があったのと同じ理由ではないでしょうか。

その点ポールは、根っからのロックンロール人間であり、音楽以外のメッセージはあまり似合わないのではないでしょうか?

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.74 「ビートルズだって酒に溺れる時もある」

忘年会シーズンたけなわですね。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
正直、私は酒が大好きです。
一人で飲む酒も、みんなとワイワイやりながら飲む酒も両方好きです。

理想的なお酒とは、ほどよい酩酊状態が持続し、気分がハイで幸せな気持ちになり、楽しく、悪酔いもせず、翌日は二日酔いもせずスッキリ。
こんな理想なお酒はあるのでしょうか? あるいは、そういう飲み方があるのでしょうか?

よく言われるのが、「日本酒は次の日に残るので焼酎の方がよい」と。
実は私は大の日本酒ファンなので、この発言には少し反論があります。
私ならずとも、日本人である以上、まず日本酒を好きになってもらいたい、と切に思います。
酒に酔うメカニズムと酔わないメカニズムに関して、私がこれまで新聞、本、テレビなどで聞き知ったことをご紹介しましょう。

まず、悪酔いの原因はアセトアルデヒドであることがわかっています。アセトアルデヒドは、アルコール(正確にはエチルアルコール)が代謝する過程で発生する物質です。
つまり、エチルアルコール→アセトアルデヒド→酢酸→二酸化炭素と水、というように酸化を中心とした化学反応が進んでいきます。
エチルアルコールは酩酊状態や血管の拡張などの作用を起こし、いわゆるハイな状態にさせてくれます。

しかし、アセトアルデヒドが作られますので、それが悪酔いを起こします。
体内のアセトアルデヒドの濃度が高かったり、長く存在すると悪酔いの症状が大きくなります。
言うまでもなく、酒を大量に、しかも短時間のうちに摂取するほど、アセトアルデヒドの濃度が高まります。
ただし、酒の強い人(私もそうですが)は、上の酸化反応がどんどん右に進むので、アセトアルデヒドでの存在時間が少ないため、悪酔いがあまり起こらない、というわけです。

このように、酒をたくさん飲んだり、酒が弱い人が悪酔いをしやすいことがまず基本であることが、おわかりいただけるでしょう。
では、酒の種類とか、飲み方がこうしたことに影響を与えるのでしょうか?

私の知る限り、次の2つのことが悪酔いを少なくさせるようです。
まず一つは、アルコールの分子の周りに水の分子がきれいに「水和」していることが、悪酔いを少なくするようです。
水和とは、水の分子がアルコールの分子の塊に配向してきれいに取り囲んでいる状態です。
つまり、極端な話、工業用アルコールを水で薄めて焼酎の濃度にしても酒にはならず(香りとか味は除きます)、すぐに悪酔いしてしまうでしょう。
酒は、醸造酒であっても蒸留酒であっても、多かれ少なかれアルコールは水和されていて、アルコールそのものの味はしません。
ただ、作り方の丁寧さの違いから、単なる混ぜ物に近い代物から、水和の進んだ高級ものまで様々です。そして高級なものほど酔いにくいのは経験的に知られています。

水和の進んだ酒ほど代謝が起こりやすい、すなわち上の反応がどんどん右に進み、アセトアルデヒドが存在時間が短いそうです。
そして、よくできた醸造酒、すなわち日本酒やワインが水和がよく進んでいるそうです。
私の考えですが、日本酒が残るというのは、飲む時にアルコールがどのくらい体内に入っているかあまり自覚できないで飲んでいるからだと思います。
つまり、水和が進んでいるので飲みやすいので飲み過ぎたのではないかと想像します。
最近、日本酒を冷酒で飲む人が多いですが、冷だとあまりアルコールの存在が感じられず、日本酒らしくないようにも思います。
昨日の忘年会では、紹興酒をロックで飲むことを勧めてくれた人がいましたので、やってみましたが、慣れていないためか、アルコールがどれだけ入っているかわからず、後で大分酔いました。

もう一つ悪酔いに効果あるのがクエン酸です。ズバリ、レモンですね。
クエン酸も上の反応をどんどん右へ進めます。
ですので、ほどよい酩酊状態が長く続き、かつ二日酔いが少ないです。

よって、私のお勧めとしましては、その酒が古くからよしとされている方法で飲むことが一番よいのではないか(日本酒で言えば燗)、ということと、レモンハイですかね。

前置きが長くなりましたが、我らがジョンやポールも酒に溺れた時期がありました。
ジョンは「失われた週末」(ヨーコと別居していた時期)には西海岸で相当飲んだくれていましたし、
ポールは1970前半の頃も酒に溺れていたとのことです。
稀有な芸術家のジョンとポールも酒に溺れる。あまりよいことではありませんけど、人間的な親近感を感じますね。

これから正月にかけ、飲みすぎには気をつけましょう。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.73 「ガイジンって・・・」

最近は我が国も国際化が進んで、外国人への理解も大分進んだが、未だに我々日本人は「ガイジン(外人)」というものにある種特別の見方がある。
ここで言うガイジンとは、欧米人、とりわけアングロサクソンを中心とする白人を指す。
その昔は日本人はガイジンに劣等感を示し、ひたすら追いつけ追い越せで来た。
今でも、大柄な体つき、高い鼻、青い目、長い脚、違う言葉などから、ガイジンは我々と随分違う考え方をするのではないか、という漠然たる感覚がある。
でも実際はどうなのだろうか?
私がこれまで聞き知ったことや、学校を卒業以来ずっと外資系で働いてきた経験から「ガイジン」を語ってみたい。

見た目だけでもガイジンは日本人と随分違っているように見える。
しかし、遺伝学の示すところでは、人種の違いによる遺伝子の差は大変小さく、人の個性の差程度だという。
実際、我らがジョン・レノンは日本を愛し、日本人以上に日本人っぽいところがある。

ノーベル賞級の独創的な研究とか、ベンチャービジネスを起こすというような点においては、確かに欧米人の方が日本人よりリードしているように思う。
また、欧米の教育、とくにアメリカにおいては、リーダーシップ、自己主張、プレゼンテーションなどを小さい時より徹底的に鍛え上げる。
しかし、そうしたことを自らエンジョイし実践できる人は少数派だと思う。
私が付き合った欧米人の多くは、内面では繊細で優しい人ばかりであった。

あまり知られていないことだが、欧米、特にアメリカは、日本以上に根回しの社会である。
例えば、アメリカの大企業で若くしてマネジャーになるには、いかに上司に目をかけられるか、である。
リーダーシップやプレゼンはスマートにできなくてはいけないし、うまく実績を上司を通じてアピールできることが肝要である。
物の本質、というより、いかにキーパーソンに誤解を与えず手柄をアピールすることに大きなエネルギーが注がれる。

アメリカンドリームは確かにある。でもそれは、本当にユニークで超実行力のある一握りの人への賞賛だ。
大半は根回しで風見鶏へのエネルギーが注がれる。こうしたアメリカの二面性はわかりにくい。

いつの頃からか、日本でも欧米式プレゼンの美しさを求められるようになった。
私は、あのPowerPointで視覚に訴えるやり方が嫌いである。
そもそも、プレゼン方法で理解度が変るような提案は大したことはない。
お名前は忘れてしまったが、MITの日本人の先生が、「パソコンツールでのプレゼンはダメであり、ホワイトボードでの説明に勝るものはない」と言っていた。大賛成である。

ものの提案は短くシンプルなほどよい。
御託を並べないと通じないような提案はろくなものではない。

建国や支配の歴史からか、欧米の理想とする姿はわからなくはない。
しかし、大方の人間の志向するところはむしろ日本人的なものではないだろうか。
欧米人も本当は日本人をうらやましがっているのかもしれない。
そして、もしかしたら、日本をよしとするジョンに対して危機を感じていたアメリカ人もいたかもしれない。

このことを自覚すれば、日本は自信を失う必要はない。むしろチャンスだ。
「ガラパゴス」を再び世界標準にすることに挑戦しよう。

そして、思うに、欧米人、いや全ての人種の差は非常に少ないだろう。
その昔、その土地の気候風土によって「わずかな差」(皮膚の色とか体の形とか)の適正により人種が形成されたのであろう。
しかし、人の生きる個性はおそらくその差を超越して存在すると思う。

なぜなら、もともと日本人は異種の外来の人種の集まりに過ぎず、特有の遺伝子は持っていない。それなのに、立派なアイデンティティがあるのだから。
DMM.com DVD通販、レンタルなどの総合サイト

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.72 「そういえば♭が少ない」

ビートルズの曲には何長調(キー)が多いとか少ないとかの話を少し前にしました。
ロックだしギターが中心だから、イ長調(A)やホ長調(E)が多いことを話しました。
そして、ハ長調(C)は少なく、Let It Beに見られるように一聴して違う雰囲気があることも話しました。

最近、ビートルズの楽譜をパラパラ見る機会があったものですから、見回してみたところ、♯はいっぱい出てきましたが、♭はほとんど出てきませんでした。
子供の頃、姉がやっていた難しいピアノの楽譜は♯も♭もたくさん書いてありました。
感覚としては♭の方が多かったように感じました。

「変」とか「嬰」のつかないハニホヘトイロハでは、♭のつくのはヘ長調(F)だけです。
しかし、変ロ長調(B♭)、変ホ長調(E♭)はピアノや管弦楽ではよくあります。

ざっと思いおこした限りでは、ビートルズの曲で♭のつくのは、へ長調(F)としてHey JudeとYesterday。
変ロ長調(B♭)としてOb-La-Di, Ob-La-Da、変ホ長調(E♭)としてThe Long and Winding Roadが挙げられます。
もうちょっとは他にもあるでしょうが、いずれにしても少ないです。
♯のつくA、E、G、Dの曲が多いです。

なぜ♭の曲がとても少ないのでしょうか。
一つは、ギターやベースが弾きにくいからと思われます。
ローポジションを弾かざるを得ない場面が多いのですが、ベースとしては(ギターもですが)音が低すぎ弛み過ぎると思います。
ですので、Hey Judeのベースではローポジションを弾いたりハイポジションを弾いたりめまぐるしく変りバランスを取っているようです。
そこがかえってよかったりします。

気のせいかもしれませんが、♯のつく曲はブルージーであり、♭はやや陽気、というかノーマルに聴こえます。
要するに、♭はポールの好きなポップな曲のイメージです。
ビートルズももっと♭の曲を増やせば底辺が広がったかもしれません(いや、既に十分広いですけどね)。
でも、ジョンのもつイメージは♭ではないので、ポールも少し遠慮していたのかもしれません。

そういえば、ハ長調(C)の曲は、Can't Buy Me Love、Something、Imagineもありました。
先日は、Cの曲は「よい子ちゃん」音楽に聴こえる、と書きました。
たしかに、Can't Buy Me Loveはその気があります。ロックなのでそういう意図で作ったのではないでしょうけど、聴いた感じがそうなので、この曲はあまり不良っぽく歌えないのです。

ジョージの作る曲は♯の数も少ないようです。GやDが多いです。
その理由はよくわかりません。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.71 「ジョンが亡くなっても」

ジョンの没後30年ということで様々な特番や企画が行われている。
30年目のあの日の衝撃は忘れがたいが、起きてしまったことは受け入れざるを得ず、今日のこの日まで来ているわけである。

ジョンがその後も存命であれば、さらにどんなアーティストとしての活動ができたのかを思うと返す返すも残念である。
しかし、40年で残したジョンの偉業は大変大きく、亡くなってからも我々が彼の活動を発展させることができる。
それほど偉大なアーティストだったということだと思う。

ジョンを実際に撃ったのはマーク・チャップマンであるが、本当は国家権力によるチャップマンの催眠誘導だった(反戦運動などのため)、という指摘がよくある。
実は私もそう感じざるを得ないところがある。
チャップマンはジョンのファンではなかったらしいし、精神異常でもなかったし、ジョンに恨みもなかった。要するに動機が全然ないのである。
さらには、直前の行動3日間が空白であり、その足跡を第3者に故意に変えられていたとのこと。

このような状況で刑が確定する裁判制度とは何だろうか。疑問を感じざるを得ない。
しかし今さらこのことを問うたところで、ジョンは戻らないし、国家権力がかかわっていたなら、民主主義どうこうよりも次元の違う話だから、どうしようもない。

ジョンはヨーコと出会ってから反戦運動に打ち込み始めた。
もちろん戦争はない方がいいに決まっており、愛と平和に満ちた世界は誰しも望むのである。

しかし、戦争を起こす判断は人間の気持ちとはまた別の次元のものがあるように思う。
要するに、優れた芸術家であるジョンが敢えて「反戦」と唱える必要がなかったのではないか、とも思える。
それよりはもっと純粋に「愛」を唱え、「憎しみ」や「殺人」を戒める、そういう草の根のメッセージでよかったのではないか、と思う。
そのことが自然に戦争に反対な気持ちを人々に植え付けていくと思う。

敢えて「反戦」と言ってしまうと、戦争を企てる位置にいる人達に対し「ネガティブ」なメッセージとなる。
数日前にこのブログでも書いたように、こういう複雑でデリケートな問題(戦争)はなるべくポジティブな言葉で語った方がよくないだろうか。

戦争というのは、単に憎しみ合う気持ちだけから発するのではない場合がある。
例えば、イスラム教では「ジハード」という考えがあるし、ユダヤ教は神の教えを絶対とし、カナン(今のイスラエル)の地に住むよう指示する。

こうした状況で戦争をなくす(あるいは減らす)には、ジョンのような情感で訴えるのみならず、政治的(いい意味での)、心理学的、人間工学的などの努力が必要になるだろう。
それがないままに、強力なカリスマ性があるジョンとヨーコが「戦争反対」と言ってしまうのは、少し問題があったように思う。

ジョンとヨーコの作り出した精神世界は全く素晴らしい。
それをベースに真の世界平和を実現するのは我々の仕事だ。
単にジョンの音楽やメッセージの思い出に浸っているだけでは、ジョンも浮かばれないだろう。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.70 「一番好きな曲, Part 3(私の大事な213人の子供たち)」

私のこれまでの人生で培ったことの中で最も大きなことの一つは、「人を注意したり改善を促すにはネガティブな言葉を使わず、ポジティブな言葉を使う」ということです。
人は皆、ポジティブな(正の)エネルギーをもって生まれてきているはずですから、よほどの悪事を故意に働く悪人でない限り、ネガティブな(負の)言葉で制されるのは本意ではありません。

私たちは子供や部下に注意をする場合、ネガティブな言葉を使いがちです。
例えば、部下は頑張って製品を売っているのに、客先で場の空気を読めないケースが多く、信頼が低下してきて売上も減る傾向が見えているとします。
ネガティブな言い方とは、「おまえはいつも空気が読めなくてだめだなあ。そんなことだから信頼を失うんだ。もっと人付き合いに慣れないといかんじゃないか。」などです。
それに対しポジティブな言い方とは、「君はいつも頑張っているから俺は将来を見込んでいるぞ。ただ、客は言外に物を言う場合が多いから、君がそうしたことを読み取ることができたら、鬼に金棒だ。どうだ、これからしばらくはその点を俺と一緒に研究してみないか。」などです。

断っておきますが、部下を甘えさせるのではなく、ここぞという時は愛情をもって非常に厳しく叱ります。
しかしのべつ叱っているのはいけない。

昔、課長職研修かなんかで、部下をポジティブな言葉だけで注意するという訓練を模擬的事例の数々でやったことがありました。
これは驚くほど効果的であり、言われたほうもネガティブな言葉で言われるよりかえって言っている意味がわかり、自分も努力しようとするようになるのです。
ただ、この上司は常に褒めてくれる人と捉えられたら見くびられますので、怒ったら怖い人という印象は植え付けた上で、褒め、ポジティブな言葉で注意することが肝要です。

同様なことが子供を育てる場合にも言えると思います。

前置きが長くなりました。
私の一番好きなビートルズの曲は何? という問いに対しては、絶対的に1つの曲を挙げることはできませんが、「こういう意味においてこの曲が一番好き」というのはいくらでもあります。

もし自分の子供が何人もいる場合、きっと「おまえはこの点で一番だぞ」「あんたはこの点で一番だよ」などと、どの子も必ず「一番」があるに違いありません。
ビートルズの213曲があたかも自分の213人の子供だったとして、同じ言葉を皆にかけたくなるでしょう。
超有名ヒット曲は「一番」を言い易いですが、マイナーな曲も必ずなにかの一番があるに違いありません。

このCBBでは一番好きな曲のテーマでPart 1ではI Saw Her Standing Thereを、Part 2ではOh! Darlingを挙げました。
今日は3人目の「子」としてShe Said, She Saidを挙げます。
この曲は一般にはマイナーと捉えられています。アルバムRevolverに収められています。
ジョンの曲で、ドラッグの影響も言われています。

私はこの曲は思い出深いです。
25歳の時の冬、愛車アコードにスキーの板とチェーンを積んで、親しい友人と暗いうちに日光へ向け出発しました。
そしてアコードには、アキバで買ったカーステ、アンプ、スピーカーを手作業で配線した自家製カーコンポを装着。
当時流行り始めていた貸しレコード屋でRevolverを借りカセットテープにダビングしたのでした。
友人とアコードに乗り込み、カセットをONにするとかかったのがShe Said, She Said。

印象的なギターとボーカルがマニアックで意識が高揚したし、なんともドライブ感あり、「いざスキーへ!」というとてもハイな気分になったのを今でも思い出します。
ところで余談ですが、当時はスキーに行く時、チェーンをいかに手際よく装着できるかで女の子からのモテ方が決りました。今はどうなんでしょうか?

とにかくこの曲はハイにさせてくれる不思議な曲でした。
しかしそれが何故なのか今まであまり深く考えたことがありませんでした。

最近の帰宅時の電車での習慣に今日も倣い、この曲を何度も聴いてみました。
すると、すると。またまた今日も発見です。
とはいえ、知っている人は知っているので、特ダネにはなりませんが、私的にはすごい発見でした。

最初はこの曲は12小節の4/4拍子で始まります。
そして、She said you don't understand what I say. I said no no no no no.の部分で2/4拍子に変る(多分)のです。
そして驚くなかれ、次のWhen I was a boy,...で何と3/4拍子に変るのです!
もうびっくり。

今まで気付かなかったくらいに3拍子が現れるんです。
あの印象的なギターをはじめとした曲調が変らぬまま、拍子がポンポンと変る。
それがおそらく無意識のうちにドライブ感を高め、ハイにさせてくれるのでしょう。

あっぱれ、ジョン!
合掌。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

ビートルズ解析例 その11 「ベース。セミアコ vs ソリッド。」

最近、帰りの電車の中で毎日何かしらの発見があって楽しい。電車に乗っている時間の合計は1時間に満たないのだが。
物事何でもそうだと思うが、「絶対にやってやろうと」思って取り掛かるとたいていはできるものだ。
逆に、漫然とただ時間をこなすだけで臨むと成果はあまり得られない。

若き企業研究者だった頃、「今日は必ず何か発見して見せるぞ」と張り切って1日に臨むと、何らかの発見は得られるものだ。
田中耕一さんほどではないが、そんな1日の発見が製品の実用化の大事な手がかりにもなったことがある。
1日で成果を上げられれば1年の成果はすごく大きくなるだろうし、1日で成果を上げられなかったら1年なにも進歩しない可能性もある。

さて今日のテーマはベースの機種についてである。
前から気になっていたのは、1965年にリッケンバッカーよりソリッド型のベース4001型がポールにプレゼントされ、アルバムRubber Soulから使われ始めたことになっている。
それまでポールは、バイオリンの形をしたカールヘフナー社のセミアコースティック型のベース500-1型を愛用してきたのだが、65年後半からリッケンに移行し、その後2機種を使い分け、解散後はリッケンを中心にソリッドに完全移行する。(ただし、1989年以降はまたヘフナーを使う機会が現れる。)

ビートルズの中期からソリッドベースが導入されたことにより、サウンドにどんな効果がもたらされたのか、ずっと関心があった。そして、65年以降、どの曲がリッケンでどの曲がヘフナーなのか、も知りたかった。
しかし私はそれを聴く耳を持っていなかった。
若い時バンドをやっていたとはいえ、私はエレキ楽器の聴き分けにはそんなに詳しくない。
また、「ビートルズに関しては誰にも語り負けたことはない」とはいっても、ある曲が誰が何の機種で録音したのかなどの情報はそんなに詳しくはない。
なので、今日書くことは多分に間違いがあると思うので、ご存知の方は是非正していただきたい。

で、今日帰りの電車に乗るや、「ならば理屈の上で考え、ヘフナーとリッケンの違いを自分なりに聴き分ける方法を帰り着くまでに確立しよう。」ということで、早速考えに取り掛かった。
セミアコはポロボディーを持つのでやわらかい音がする、などはよく言われるが、そういう捉え方ではなく、しっかり原理を考えることにした。

セミアコはホロがあるとは言っても、音を拾うのはマイクではなく、ソリッドベース同様、ピックアップである。
ピックアップは、弦の振動による磁力線の「ぶれ」を検出し、電気信号に変える。
だからセミアコもソリッドも、弦とピックアップの関係なのである。

違いは何かというと、ソリッドベースでは弦とボディーは共鳴しないが、セミアコベースでは共鳴する。
ソリッドでは純粋に弦が固有に振動する状態のみを捉える。
一方、セミアコは、弦とボディが共鳴、物理学的に言うと共振、を起こす。
具体的には、弦とボディの振動数が同じか、公倍数がある場合に影響を及ぼし合い、音が鳴る(音をもらう)のである。

詳しいことはともかく、弦にすれば、弦だけをつまびくよりもたくさんの音が鳴るわけである。
であるなら、セミアコでは音がブロードに聴こえ、音程を聴きにくいのではないか、と電車の中で考えた。
つまり、ある曲がリッケンで演奏していたなら音程を聴きやすく、ヘフナーなら聴き取りにくいのではないか、と仮説を立てた。
ここで言う「音程を聴きやすい」とは、絶対音感のことではなく、自分なりの音階で聴き分けられると言う意味である。要するにコピーできる、という意味である。
「聴き取りにくい」とは「音を同定できない」という意味である。

この仮説は我ながら興奮した。もしこれが事実ならすごい発見だと思った。
そしてがむしゃらにi-Podをカバンから取り出し、典型的な曲を聴き比べてみた。
完全にリッケンを弾いていることがわかっているAll You Need Is Love(あの衛星生中継でリッケンが映っている)と、ヘフナーで演奏したルーフトップの曲のいくつかを聴き比べてみた。
そして思わず手をポンと打った。「仮説が合っているぞ!」。思わず叫びそうになった。
All You Need Is Loveのベースは音が取れる。でもルーフトップは音があまり取れなかった(明らかにベースのメロを元から知っている曲は除く)。

そして次は、アルバムHelp!とRubber Soulを聴き比べた。
するとすると、結構古いベースだと思っていたRubber Soulの曲々のベースの音が取れること、取れること、そしてHelp!の曲々のベースの音が取れないこと、取れないこと。
この極端な差には本当にびっくりした。あまりの差に、これを書いている今も興奮が収まらない。

そして、Rubber Soulの中に例外があった。Nowhere Manである。このベースは聴き取りにくい。これはヘフナーなのだろうか?

Sgt. Pepper'sはヘフナーで録ったというのを聞いたことがある。
そして改めて聴いてみたが、やはりベースの音が取りにくかった。
ただし、Sgtの曲のベースのメロは知っているのが多いので、判断がしにくい部分もあるので、断言はできない。
Lovely Ritaは聴き取りやすい。リッケンだろうか?

White Albumの曲もいくつか聴いてみた。
リッケンとヘフナーが使い分けられているようである。
ベースの名曲Dear Prudenceのベースの音程は取りにくかった。これはヘフナーかもしれない。

そしてあの革命的ベースの名曲Paperback Writerを改めて聴いてみた。
音程が大変取りにくい。きっとヘフナーであろう。

では、セミアコとソリッドとどちらがよいのだろうか?
以前書いた1/f揺らぎの議論において、低音を厚くする方が聴くに心地よいという仮説を立てた。
その意味からするとセミアコ=ヘフナーが心地よいと言える。
しかし、ソリッドはサウンドコントロールが豊富であるので、そちらで厚くすることもできるだろう。

それにしても、Don't Let Me Downのように、一体どの音で弾いているかわからない「魔法」のようなベースはセミアコのなせる業なのかもしれない。
初期においても部分的にベースの音の取りにくい曲が結構ある(All My Lovingなど)。そしてそれは間違いなくいい曲だ。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

人々が幸せになるとは・・・

いつもこのブログを読んでいただいている方々、そして今日初めて来ていただいた方、ありがとうございます!

昨年9月13日の第1回記事「所信表明」を読んでいただけばわかりますが、私は本当は、人々を幸せにする仕事がしたくてこのブログを始めたのでした。
会社や家庭での問題点を考えて、その解とか、どのように考え行動したらよいか、などを考え対話しながら、確立していきたいと思っていました。
しかし、それだと、一つのブログで扱うにはテーマが多くなり過ぎると思い、テーマをビートルズに限ることにしました。
ビートルズを楽しんだり解析したりすることは、間違いなく幸せなことと断言できます。

また、理科系(あるいは技術系)が捉えるビートルズのおもしろさを是非知ってもらいたいと思いました。
物事を楽しむ対象は多いほど幸せだし、捉え方も多いほど幸せだと思います。
理科系的な音楽の楽しみ方は潜在市場だと信じています。

そして、ビートルズは一つの世界(world)だと言えます。
それを一通り知ればある世界全体を知ったのと同じほどの得るものがあります。
よく「世界を100人の村に喩えたら」というのがありますが、あれと似ていて、ビートルズを楽しみ解析していくうちに、いろんな面から「幸せ」を追究できると思っています。

さらには、将来的にはビートルズを超える音楽をプロデュースしたいとか、「幸せ学」を確立したい、といった私の夢もあります。
そうしたことをこのブログを通じて実現できたらいいなと思っています。

ではまず、人が幸せな状態とはどんな状態なのか、を考えてみましょう。
私の考えでは、希望を持ち、世の中や人に貢献でき、その達成感を味わうことではないでしょうか。

ではなぜ、今の時代、幸せではない人が増えてしまっているのでしょうか?
それは、人々が生きる方向がばらばらになってしまっているからだと考えます。

会社でも社会でも家庭でも、人々が幸せになるには、ある一定の共通した進むべき方向があるべきだと思います。
人々をがんじがらめにするほどの規則などではなく、個人の個性が十分に生きる範囲での、ゆるく、しかし骨太の「ベクトル」が必要だと思います。しかも、間違っていない向きのベクトルが。

例えば、高度成長時代の日本は「産業や経済を成長させるんだ」という大きな骨太のベクトル(内容と方向とその太さ、長さ)がありました。
別の例では、よいか悪いかは別として、古い時代の「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」「婚姻はこうあるべき」などのはっきりとした規範が日本にはありました。
人々は概ね、基本のベクトルに沿った中で個性を発揮し、誰しもがその人特有のモチベーションを持ち得、達成できたのです。

ところが今はどうでしょうか。こうした共通のベクトルがなくなってしまいました。
会社でも家庭でも、「何をどうするか」について、一人ひとり考えが別になってしまい、その行動の表し方もバラバラになりました。
どこへどう進んでよいかわからないのですから、まず多くの人が不安になります。
そして中には人の足を引っ張ったり、ポリティカルに動くといった、地道な努力とは違う方法で自分の立場を上げようとする人が出てきます。
そして実際の雇用状況や給与が低下することによる苦しい社会になってきています。

私が思いますに、今でも日本人は老いも若きも優秀であり、一生懸命努力していると思います。
例えば、製造業の人達は今でも「積み上げ」による大変優れた技術を開発し続けています。
平均的な能力や努力は今でもイスラエルなどと並んで世界トップクラスだと思います。
最近、韓国の液晶TVその他の躍進が大きいですが、積み上げによる技術は日本が未だ世界一だと思います。

だから、日本には本当はしっかりした国策が必要なのです。国がリードして、産業も規範も太いベクトルを作るべきなのです。
韓国、台湾、中国、インド、シンガポール、マレーシアにはそれがあります。
彼らは皆、堂々とした英語を話します。
日本人は能力あり頑張っていながら、伏し目がちでひ弱な英語を話します。

国策がすぐには期待できないなら、一刻も早く影響力のある行動を起こし、提唱していかないといけません。
しかしまずは、個人レベルでできることは何でしょうか。

それこそが、昨月に書きましたCoffee Break Beatles No.59~62の「丸ごと食う」「継続は力なり」「プラス思考」「成功を信ずる」です。
これらを励行すれば、自分も相手もプラスに考え実行していくわけですから、やりがいが起ります。
お上から何かのベクトルを与えられなくても、私たち自らが何か正のベクトルを生み出すことができるでしょう。

そしてさらにその根底にあるべき考え方は、やはり「真面目さ」であると思います。
赤井英和さんが出てくるTVのCMで、「赤井さ~ん、何でそんなに大きくなっちゃったの?」「何でやろな」「きっとずっと真面目にやってきたからよ。」「そう、真面目が一番」。
CMの意味は別にありますが、私は人生の基本はこれだと思います。人々が皆真面目に生きれば、そんなにおかしなことにはならないでしょう。

ビートルズとは、もちろん4人のメンバーが大変なアーティストであるわけですが、「ベクトル」により支えられ、自らも進歩したのだと思います。
そのベクトルとは、スタッフ、マネジャー、ファン、そして一般市民が作り出したものであり、それに合せてビートルズメンバーたちも頑張った部分も大きいと思います。

さあ、もっともっとビートルズを楽しんで、解析してまいりましょう!

ST Rocker
DMM.com DVD通販、レンタルなどの総合サイト

テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

ビートルズ解析例 その10 「ドラムス。リンゴ vs ポール。」

今日は珍しくドラムスのお話です。
私はドラムはほとんど叩いたことがありません。20代にバンドをやっていた時には遊びで結構いじりましたが、その程度です。
ですから、いろんな曲を聴いてもドラムスに関してはほとんどコメントできないのです。

そんな私ですが、今日は少しおもしろいことを発見しましたので書いてみます。
はじめにお断りしておきますが、今日書くことは自信がありませんし、間違っている可能性が高いです。
ですので、ドラムスにお詳しい方、是非コメントをいただたく思います。

ビートルズのドラマーは言うまでもなくリンゴ・スターです。
大変魅力的で個性的、そして実力のあるドラマーです。
また、いろんな面でエンタテイナーであり、彼の存在はビートルズの幅を広げます。

こんなビートルズのドラムスに突如異変が起こります。
White Albumでのポールのドラムスです。
その登場の背景にはハッピーではない部分もありましたが、とにかくインパクトがありました。
単にリンゴの代行という意味に留まらず、サウンドはリンゴのものとは異なっており、ドラマー・ポールの登場を世に印象付けました。

そして、その後のジョンとポールだけの録音などを経て、マルチプレイヤー・ポールへと成長して行き、1970年の解散前のソロアルバムMcCartneyで、完全一人多役演奏アルバムが出来上がるに至りました。

今日は、リンゴとポールのドラムスの何がどう異なり、それは何故何かの解析を試みます。

リンゴのドラムスもポールのドラムスも、どちらも素晴らしいのですが、とにかく聴いてその違いがすぐにわかるのです。
では、何がどう違うのか、これまで表現できないでいました。
知っていたこととしては、リンゴもポールも左利きで、ポールは左利き用にドラムをセットしていたのに対し、リンゴは右利きのセットのまま演奏していたことです。
そしておそらくは、二人のドラムスの機種も違うだろうし、皮の張り方も違うだろうから、そんなことで違って聴こえるのかなあ、くらいに思っていました。

今日、帰宅の電車の中で、音の違いを言葉で表現してみようと、一生懸命に聴いてみました。
するとわかったことは、ポールのドラムは、「スタン」というような跳ねる感じに聴こえるのに対し、リンゴのドラムはポールに比べれば「ドン」という感じでドラムに力が加わっている風に聴こえます。
別の表現で言えば、リンゴのドラムは、手でドラムをしばらく押さえつけてミュートする感じ、ピアノで言えばペダルを踏まないで鍵盤をグーと押さえ込んだ感じ。それに対しポールのドラムは、叩く寸前にスティックが自重で落ちるほどの力でドラムに当たり、ポーンと跳ね、ミュートもしないでしばらく余韻で鳴っている感じ(ピアノで言えばペダルを踏んだ状態で鍵盤をポンと叩いたような)です。
もちろん、これは極端な表現であり、両者の差は大変小さく、どちらも「スタン」も「ドン」も両方の成分があるのですが、その成分の比が異なり、敢えて分ければ上のようになるという意味です。

物理学の用語で言えば、ポールのドラムは反発係数が高く、ピアノの弦をハンマーでポンと叩いたような感じです。
なお、この違いは、シンバルとバスタム以外のドラムでの話です。(シンバルとバスタムの二人の違いは私にはよくわかりません。)

ポールのドラムスが跳ねるようなものが事実とすれば、私の素人考えですが、毎回同じに打たないと汚く聴こえるのではないでしょうか?
そこはリズム感のよいポールのこと、うまくこなしているのでしょう。

では、「スタン」と「ドン」のどちらがいいのか。それは曲調により使い分けるのがよいのでしょう。
ポールの「スタン」がよく生かされている曲は、私の意見では、Back In The USSR、Why Don't We Do It In The Road?、The Ballad Of John And Yoko、Every Night(アルバムMcCartney)。

リンゴのドラムはさすがに本職だけあって、多彩であり、「これがこう」と一口には言えません。
ビートルズの名曲の数々を仕上げてくれた重要な要素です。
中でもAbbey Roadの最後のソロではその重厚で多彩なドラムスには目を見張ります。

おもしろいな、と思ったのは、White AlbumのSavoy Truffleです。このドラムはおそらくリンゴでしょうけど、ポール的に聴こえます(跳ねています)。
想像ですが、White Albumでのポールの仕事ぶりを見て、「俺もそのくらいできるわい」と気張って見せたのかな、と。

以上が正しいとして、その音の違いは何から来るのか、考えてみました。
ポールがドラムスを演奏している動画や写真は少ないのですが、Coming Upの動画をYou Tubeで観てみました。
ドラムのシーンのアップがなかなかないのですが、数少ないチャンスで観ると、まず自然なポーズで力を抜いて叩いているな、という感じがします。
そしてついに、一瞬ですが、ポールのドラムを打つ手がアップになるシーンがありました。そしてついに発見したのです。
ポールの左手は、スティックを中指、薬指、小指の3本で握っていました。人差し指は浮かせていました。
そして手首を基点にポンと叩いていました。これなら反撥しますよね。

そしてリンゴ。
ルーフトップなどの映像を一杯観てみましたが、イマイチ手元のアップが現れません。
でも、遠目ではリンゴはスティックをしっかり握り、肘を基点に振り下ろしていました。いわゆるパワフルドラムです。
逆に言うと、この振り方で早打ちや複雑なリズムを正確に打てるのだから大したものです。

ポールは敢えてリンゴとは違うスタイルで臨んだのかもしれません。
それにしても、ビートルズの活動で忙しい中、ポールはいつドラムスを覚えたのでしょうねえ。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.69 「創造は模倣から」

言うまでもなく、ビートルズは魅力的な音楽を数多く生み出した。
「創造」(create)という言葉がピッタリ来る。

では、創造はどういう仕組みで生まれるのだろうか?
昨日も少し書いたが、私は若い頃、作曲を試みたことがあった。
しかし、できてくる曲は最大公約数的で、当たり前で魅力のない曲ばかりであった。とてもビートルズの曲のように光った曲は生まれなかったのである。

創造というのは、なにも作詞作曲に限らず、仕事でも趣味でも生活でも必要なことだし、その難しさは基本的に共通のように思える。
仕事で自分のオリジナルのアイデアを生み出せるようになったのは、おそらく40歳過ぎだったと思う。

何かを生み出す、というより自然に次から次へと湧き上がる感じだった。
決して無理に「無から有」を生み出していたわけではなかった。
無意識のうちに経験を参考にしていた自分がいた。

11月27日のベストヒットUSAの中の"The Legend"(大いなる伝説)でも語られていたことがある。
ジョンとポールの作詞作曲コンビは昔からいろんな音楽を聴きまくっていて、彼らの名作と言われるものも、大抵は何かの曲からヒントを得て作ったものだと。
やはりそうだったのだ。
無から有は生まれない。
天才ビートルズも模倣からスタートしていた。

であるなら、なるべく素直な方がいい。
自分にないものを素直に、貪欲に取り入れるアンテナがある方がいい。
そして、自分のものとして取り入れる時、自分なりに工夫して取り入れてもいい。それこそがオリジナリティではないだろうか。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.68 「やりにくいものを作るすごさ」

今日、さいたま市の実家に車で日帰りで行ってきました。今はなきジョンレノンミュージアムの近くです。あの閉館は残念でしたね。
車の中は例により音楽鑑賞および歌唱練習。

何曲も歌いましたが、その中でいつも不思議に思う曲があります。Ob-la-di, Ob-la-daです。
この曲、キーは高いんですが、そう驚くほど高くもない。しかし、歌うのがすごく苦しいんですよ。
持久系の運動をずっとやってきた私ですが、もう心拍がバクバク苦しいのです。
今日、ようやくその理由がわかりました。
「ブレス」(息継ぎ)がないんです。そう、あのV字型の記号ですね。
まるで、無酸素の400mを駆け抜けるような苦しさです。
でも、この長さを一気に歌うのがこの曲の魅力ですので、ブレスを忘れた駄作ではないんです。

こういう歌いにくい(あるいは演奏しにくい)曲やフレーズを作るのって、容易ではないと思うんです。
なんせ、自分でやりにくいものを敢えて作るのは難しいと思います。
若い頃、一時期作曲を試みたことがありますが、自らが浮かぶ曲はやりやすいものばかりでした。

今日は、こうした「やりにくい曲やフレーズ」をよく作ったなあ、というのをいくつか挙げてみます。

初期ではまずI Saw Her Standing There。
この曲のベースは8ビートで、フレット間を大忙しで行き来しなくてはいけない忙しいベースです。
でも、これをやりながらポールは溌剌と歌います。
やってできなくはないが、かなり難儀です。
64年のTV出演時のフィルムなど見ますと、ポールは余裕で弾いています。手元など全く見ず涼しい顔で。
ショートスケールのヘフナーベースとはいえ、これは立派です。
これとほぼ同じことをやってのけたのが、キャロル時代の永ちゃんの「ファンキーモンキーベイビー」でした。

次はAll My Lovingでのジョンの3連符リズムギター。
これは別のテーマでも何度も登場しましたので、詳細は繰り返しません。
3連符ですので、ある拍ではダウンストロークから、ある拍ではアップストロークから始まるという、頭が混乱するワークです。
しかもライブではジョンは歌いながらこれをやります。(レコードではポールの二重録音ですが、ライブではジョンが歌います。)

後期ではジョンの超難解で字余りの詞を挙げてみます。
All You Need Is LoveとThe Ballad Of John And Yokoの詞が特にすごいでしょう。
とにかく、とても多くの単語が並べられ、詞のもつ勢いだけでも相当なものです。
これがきれいに音符に乗り、しかも小気味よいポールのベースにもしっくりフィットします。
この歌2つは難しすぎて、さすがの私も完全な弾き語りができたことがありません。
でも、一度狙ってみましょうか。
もし、これを完全に歌えたら、ジョンの気持ちに近づくかもしれません。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

Coffee Break Beatles No.67 「ルーフトップ。Part 3」

1969年1月30日、ロンドン・アップルビル屋上でのいわゆる「ルーフトップ」セッション。なにかと話題を提供してきました。
映画でもネットでの映像でも、いろんなシーンを観られますけど、一つの注目は当時のロンドンのオフィスの様子ですね。

ビートルズが予告なしに演奏を始めたので、周りのオフィスからはOLたちやサラリーマンたちが続々と観にやってきます。
当時、モデルのツイギーが流行っていましたので、街にはミニスカートのすごいスタイルのよい女性が闊歩します。
その反面、オフィスからは、ちょっと太めだけど、なかなか魅力的な(私的にはですけど)理知的な女性達がビートルズを観に来ます。

男性のサラリーマンは、さすがロンドンの中心地ですから、固くてスマートな人達が出てきます。
一人キッシンジャーに似た人が言います「たしかに彼らはいい音楽を奏でるけど、ここはビジネスエリアですからねえ・・・」と。

しかし、私的にはあの太めのOLの方々いいですよ。
日本のOLの方々は少し痩せ過ぎていますね。
ルーフトップのOLたち。健康で、溌剌と、そして好奇心旺盛。素晴らしいです!

DMM.com DVD通販、レンタルなどの総合サイト



テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

昨日のカラオケでは...

いよいよ師走です。
そしてジョンの没後30年が近づいてきました。

昨夜、取引先の商社さんと飲み、二次会でカラオケのあるお店へ行きました。
とても素敵な店でした。またお店の方も素敵であり、とてもよい時間でした。

例により私の歌唱のトレーニング効果を自己採点してみます。

Don't Let Me Downのポールによる「シ」の音は全く問題なく出るようになりました。
この曲はもう卒業したと言っていいでしょう。

次はLet It Beの「ラ」です。
"be"とハネ上る部分のラです。
少し前にCBBのコーナーで「なぜ出ない(ラの音が)」というタイトルで、この曲のラの謎につき解析を試みました。
"be"という「イ」の音だから出ない、という結論にしました。
これがLet it "buh"という「ウ」の音なら容易に出るので、最初はウから慣らし、だんだんイに移行する、といっただましだましの方法で最終的に出るようになりました。
また、「絶対に出る」と信じて歌うと本当に出る、という効果もあります。

そんな訳で、昨日はLet It Beのラは完全に出ました!

そして、最難関の高音の曲。ビートルズではありませんが、レッド・ツェッペリンのRock'n'Roll。
ロバート・プラントここにあり、というような超high keyな曲です。
結果としては、まあまあでした。
信じて歌うと結構出ますね。
これって単に気のせいとかでなく、信じるということは、体にそのような準備をさせることのようにも感じました。
ただ、この曲、まだまだ自分のものになっていません。
あと何千回も歌わないといけないのかもしれません。

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

プロフィール

ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
ご気楽にコメントください。

最新記事
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
FC2カウンター
Number of visitors
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード