あの気象庁は今・・・・?

こんばんは。

病気の方は順調に回復していますが、7月まで薬の投与を受けなければならず、日によっては気分が悪いことがあります。
いい気候になったので、たまに昼間のオフィスから抜け出し付近を散歩したりします。
お堀端も近いので足を延ばしたりして、気象庁の前を通ったりします。
そして、気象庁といえば若かりし日の苦い思い出がよみがえります。

時は1973年、高校1年の夏休み。
夏休みの宿題として、「テーマは何でもいいから自分の体を使って研究をし、まとめなさい」というのが出ました。
私は昔から気象大好き人間でして、小学校の低学年から親に気象の専門書をねだったりしていた超マセガキでした。
特に好きなテーマは台風と降雪。

宿題のテーマとしてある台風の記録をまとめようと考え、自分の体を使う=自分でデータを気象庁に調べに行く、と考えました。
当時、お天気相談所ができたばかりで、広く国民にサービスすることを宣伝していました。
そこで該所に電話して目的を話したところ、「いろいろな資料を持ち帰ることもできますよ」という内容の返事でした。
電話の相手は男性か女性かは忘れたが、若い人でした。

そこで夏休みのある日、カンカン照りの中、神田から結構長い道のりを歩きました。
「お天気相談所」といっても特別な部屋とか担当者がいたわけではありませんでした。。
むさ苦しそうな黒い腕抜きをしたような「いかにもお役人」という感じの4、50代の男性がいました。

その人に目的を話すと、返ってきた返事に愕然としてしまいました。
それはそれは傲慢で不遜で汚い言葉でした。
要は次のようなやりとりでした。。
「おまえ、そんなものが用意されているわけはないだろ? 見たい資料があるなら、見せられるものについてはここで見ていい。」「コピーかなにかさせていただけるのですか?」「そんなわけないだろう。自分でノートに写すんだよ。」「ノートは持ってきませんでした。どうしたらいいですか?」「そこの購買に売っているから買ってこい。」

そこで購買に行ったところ、薄くてさえなく、しかもバカ高いノートと鉛筆を買って、資料を写し始めました。
「これしかない」と渡された資料はほとんど役に立つものではありませんでした。

純粋無垢な少年として本当にショックでした。
言われた言葉自体もショックでしたが、それ以上にテレビでのあの感じよい「お天気相談所」の説明と、実際にやっている人間の傲慢さのギャップがショックでした。
なぜ罪もない人間に罵声を浴びせなければいけないのか、全く理解できませんでした。
「ああこれが役所というものか」と少年ながら思ったものでした。
あの電話の若い人はきっとまだ入ったばかりで毒されていなかったのでしょう。

この体験は、将来役所とか気象の仕事には就きたくないという衝動を与えたものでした。
ああいう態度は全部の人にあるとは限らないけど、あれ以来気象庁の仕事には?を感じずに「いられませんでした。

私は出張でアメリカへ何度も行きましたが、気象に関することの充実ぶりには目を見張りました。
ある地域の1週間先の天気が細かく予報されており、それがかなりの確率で当たるのです。
それにひきかえ日本の気象の予報は確率が随分低いという印象です。

私はアウトドアの活動が好きなので、土日の天気は大変大事です。
しかし日本の気象庁の週間予報により週末の行動計画を立てることはほとんど不可能でした。
日本が海に囲まれている難しさかもしれませんが、それにしても疑問でした。

ただ、気象庁の名誉のために言っておきますが、去年くらいから週間予報もかなり改善された気はします。
民間の予報会社ができたことによる競争からでしょうか。

今のお役所であのような言葉使いをする人が一人もいないことを祈ります。
今回の保安院においても、全く謝罪を表さないこととか、出席者のいない外国人記者向けの会見を開くなど、ヒューマニズムの基本的なところで疑問を感じます。
公務員はもともと非常に優秀な方々ですので、なんとかよい人間性を表してほしいと思います。

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リーダーシップ論

原発の状況は収束に向かっているとはいえ、「こんなはずじゃなかった」という漠然たる鬱積が、被災地や風評被害を受けている方々はもちろんのこと、国民全般に蔓延している。

我々の疑問は大方次のようなものだと思う。

1.原発の初動対応が適切ならここまで放射線漏れが起きなかったのではないか?
2.(水素爆発等で)初期に結構な放射線漏れが起きたが、これに対する対策がなされなかった。
3.放射線による健康被害(大気、土壌、水、野菜、海水全て含め)は具体的にいつ、どこで、何がどの位の確率で起こるのか? が全然明確でない。そしてそれに対する対策が明確でない。
4.首相あるいは官邸のメッセージが不明確で、何をどうしようかが明確でない。
5.言われなき被害を受けている農家や事業者が多い。

3月30日付けでこのブログで、僭越ながら「私が首相だったら」というタイトルで原発の初動対応につき、私ならこうやる、という例を書かせていただいた。
長年の企業で苦しくも培ったリーダーシップとは何か、という持論からである。
私が言いたかったのは、リーダーシップには2通りあり、平時の場合と有事の場合ではやり方が異なるだろう、ということ。

今回のような有事では、何より即断即決が重要。そしてリーダーがメンバー(ここでは国民)に対し明確な言葉で方針を示す必要がある。
よきに計らって民意を全て慮って「最大公約数」のような表現を発するような暇はないのだ。
平時でのリーダーシップの考え方はここでは省略するが、簡単に言うと、現場を任せて権限を委譲することにある。

有事のリーダーシップはビッグボス(ここでは首相)がチームのリーダーになり、情報および意見がリーダーにすぐに報告され、リーダーが即決するシステムが有効であろう。そのためには、最も有能で判断の的確なサブリーダーらの存在が何より重要である。
その道に関しては全幅の信頼を寄せるに足る人物の配置が必要だろう。
事が起きてから人選に入るのでは遅い。

原発事故のようなトップ危機のためのタスクフォースのメンバーは予め決めておく必要があるだろう。
そして、事が起きてから首相のリーダーシップの良しあしを議論しているようでも遅い。
有事での基本的なリーダーシップのあり方は、どこかにしっかり規定しておくくらいがよいだろう。
政権が代わってもおいそれとは変わらないような仕組みが必要だろう。
憲法に規定してもいいかもしれない。

放射線による被害に関しては、広島、長崎原爆やチェルノブイリでのデータによる定量的な予測、気象データなどとの関係による飛散の予測などの重要な領域での、最も信頼に足る人物をサブリーダーに据え、現状よりもっと具体的な可能性と対策を提示できたはずである。
そのことにより、危険な部分や場所にはよりしっかりした対策を、そして危険が少ない部分や場所には必要以上の対策を打たない、ということができたはずだ。

テレビで専門家が一般的なことを言っても国民は判断できない。
政治にはリーダーシップとベクトルが要る。
政府が危険だと判断した地域の野菜や海産物を政府が買い上げる位の政策があってもいいと思う。

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Coffee Break Beatles No.94 「解散後のアルバムの数々」

Don't let Me Downの全パートの音程分布の解析と、それに続くThe Long and Winding Roadの編曲、さらにはNorthern Songs, Ltd.への訪問で著作権の調査、などの大きな作業が控えていますが、最近は人の勧めもあり「やや薄め」な人生を送っていますので、そんなに焦らずスローペースで物事を運ぶようにしています。

これまでの人生では半導体に関わる材料の開発に大きな力を注いできましたけど、ソフトとかIT全般の使い勝手においてはどちらかというと奥手です。
ただし、機械や電気は大好きであり、ハンダごて片手に装置をいじくり回すのは好きなので、いわゆるアナログ人間と言えます。
ちなみに、今現在実用されているIT機器のほとんどは、中で起きていることは実はアナログです。
本当のデジタル機器というのは、例えば量子ドットのような仕組みが出てきてからの話です。

私のバナーにもあるように、DMMから動画をダウンロードするのは得意ですが、なぜかCDをダウンロードするのが苦手です。
以前TSUTAYAでポール・マッカートニーのRAMというCDをダウンロードしようとしましたが、なんでも先方のファイルの形式に不備があったようで読めませんでした。
先方の社員の人がその後対策を取ると言っていましたが、未だにno responseです。

そんなわけで、CDは買うか、近所のTSUTAYAに足を運んで借りるか、しか未だにできません。

ビートルズに関しては、デジタルリマスター版が発売された際にTSUTAYAでも一斉に貸し出しましたので、ほぼ全CDを聴くのは不自由しません。
問題は解散後のCDです。

我々が高校や大学の頃は、レコード屋へ行くと、メジャーなアーティストの棚にはほぼ全アルバムが置いてあったものです。
しかし今やCD屋ではメジャーであってもせいぜい半分ではないでしょうか。
それだけ時代も流れ、アーティストの数も増えたので、置ける数に限りがあることはわかります。

でも、解散後のビートルたちのアルバムがほとんど置いていないのは何とも寂しいです。
そもそも、どのアルバムがCD化されているのかもよくわかりません。

そこで、You Tubeをいろいろ見てみました。
こちらは結構な曲がありますね。
検索の仕方にほんの少しのコツが要り、ズバリのバージョンを探し当てるのに若干の手間が要りますが。
You Tubeにより、懐かしのポールのRAMやジョージのLiving in the Material Worldの曲の数々を聴くことができました。
当時リアルタイムでレコードを買い、少年ながらに感動していた部分がそのまま再現され、とてもよい思いをしました。

You Tubeというのは音質がやや犠牲になっているのでしょうか?
ちゃちなPCで聴くと音割れや音飛びも起こるようです。
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私の読書

私は読書が大好きだ。
ただし趣味=読書とは捉えていない。読書は生きるための土台であり、飯を食うようなものだからだ。

40代前半くらいまでは、恐ろしいほどの冊数の本を読んだ。
家族4人分の市の図書館のカードを使って、毎週20冊くらいの本を借りて読んでいた。
もちろん本を買うことも多かった。

このブログでも書いたように、私は「哀しい田舎の技術者」だったので、小遣いはほとんどゼロ。
走るとか、本を読むとか、音楽を解析するとか、お金がかからなくてかつ深遠なテーマに没頭していた。

本はジャンルや作者にこだわらずに何でも貪り読んだ。
毎週のように新しい発見があり、興奮の連続であった。
特に新しい物の見方の作家に出会う喜びは計り知れない。その作家の一連の本を読むことになる。
小説も読んだが、それほどはたくさん読めなかった。

結局、市の図書館の蔵書はほとんど読んでしまった。
結構大きい図書館だったので、冊数も相当多かったはずだ。

おかげで自分の中にかなり多くの視点ができた。
人と話をするにも幅が随分広がった。
そして、自分の書くパワーもついた。

50歳を過ぎると、読むよりは書く方が多くなった。
ある程度までの若い時期は「吸収」が必要だが、人間一生吸収しても仕方ない。
50歳を過ぎたなら「発信」の時機だと悟り、実践しているつもりである。

話は変るが、翻訳のことについても触れてみたい。
残念ながら未だに翻訳本(外国語を日本語に訳した本)はわかりにくいものがほとんどだ。
正直、読む気が起きない。いっそのこと原書を読んだ方がわかり易いことがある。
翻訳家の方には大変申し訳ないが、未だに直訳的なものが多いから、不自然な日本語になってしまっている。

比較して申し訳ないが、映画やテレビの字幕や吹き替えは自然な日本語が使われており、問題を感じない。
翻訳家の方々も是非参考にしてほしいと思う。
読みやすい翻訳本が多く現れれば日本人の資質も上ると思う。
是非頑張ってください。

最近ちゃんとした老眼鏡を作ったので、本を長時間読むのが疲れなくなった。
また、いろんな本を読んでみたいと思う。

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Coffee Break Beatles No.93 「草食系」

ジョンとポール、そしてヨーコとリンダは菜食主義者として有名だ。
この件私はあまり詳しくはないが、大体次のような感じである。

ポールは1969年から菜食主義を開始したと聞いたことがある。
リンダは自然食品の会社を経営していた。
牛乳やチーズなども禁じて真の菜食なのか、許されるのかは私は知らない。

ジョンとヨーコも一緒に生活を始めてから間もなく、自然食品(菜食中心)を実践している。
ただ、軽井沢でのすき焼きやしゃぶしゃぶの料理へ行った写真もあるから、肉を全く食べなかった訳ではないだろう。

「草食系男子」とは渡辺淳一による有名な造語だ。
最近の男子は草食が増え、活動的にも性的にも淡白になっているという説である。
医学的な因果関係はあるのだろうか?

人間にとっての「必須アミノ酸」というのがある。
体内で合成できないので、食物やサプリで摂る必要がある。
調べてみたところ、必須アミノ酸は牛乳や大豆にも含まれてはいるが、やはり肉により摂取するのが一番効率がよいようだ。

とにかく、人間は肉を食わなくても一応生きて行け、健康な生活は送れるようではある。
しかし活動面や精神面に与える影響はどうであろうか?

ビートルズ解散後のポールとジョンの作風があっさりしたのは草食のせいだろうか?
特にポールは解散後はルーフトップで見せたような野太くギラギラした感じがなくなり、「さわやか好青年」のような音楽になった。
だが、ドラッグは続いていた。
動物を殺すより植物を吸う方が罪が少ないと考えたのだろうか?

ドラッグのせいかどうかはわからないが、ポールのギターのフレーズは単なる好青年だけではなく、イカしたフレーズも一杯あった。
ジョンも音楽以外のメッセージは鋭いものがあった。

ドラッグではなく肉食を続けていたら、彼らはどんな音楽を発信したのか興味がある。

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Coffee Break Beatles No.92 「これからの若者の起爆剤」

ビートルズが大成功した要因はこれまでいろんなことが指摘されてきましたし、私自身もこのブログでいくつか自説を発表してきました。
そんな中、間違いなく大きな要因の一つと言えるのが「多くの若者のハートをしっかり掴んだ」ということです。

体制からフリーな立場で新しい音楽を作り出し、それがまた聴くに心地よいものであったこと。
しかも実力があり、音楽界をも変えるほどのインパクトをもたらしたことで、どんな若者にも「ビッグになれる夢」を与えた、ということだと思います。

ビートルズの出現の時代は確かに有利だったと思います。ロックがまだあまり市民権を得ていない時期でしたから。
ビートルズ以後のアーティスト達は、ビートルズほどのシンプルで大きなインパクトを出すには少し状況が複雑になった分、不利でした。

今現在は、さらに世の中が複雑化し、昔のように経済が単調に右上がりするわけではなく、とりわけ若者は将来が見えにくくなっています。
しかし、若者は昔も今も変らず、ポテンシャル能力は大きく、将来に向けた何がしかのパワーを秘めているはずです。
そして、そのパワーの内容が昔と今では違う気がします。

私の考えですが、今の若者はITにかなり影響を受け、自らもITにより世の中を主体的に変えたいと思っている人が多いのではないでしょうか。
人と人とのコミュニケーションがITの発達により昔とは変りました。そして主体的な情報発信においても、若者のパワーは大変なものがあります。

音楽においても、旧来の音楽産業の中でスターが出てくる構図よりも、何がしかのITが関与しているもの、さらにひいては自分もITを通じて新しい音楽の出現にかかわりたい、そんな期待を抱いている若者も多いのではないでしょうか。
音楽を「感覚」として捉えるのは既に限界に達していると思います。
これからのアーティストは、作風とか演奏スタイル、メッセージなどで革新的なものを従来感覚で発信するのは難しいと思います。

そこで、音楽をITの立場から捉えれば、全く新しい切り口が見えてきます。
僭越ですが、私がこのブログで行っている解析もその一つです。

若者がITを駆使して新しい音楽に参加し、これまでにない斬新で革命的な潮流を起す。
まだまだ具体的なシステムは浮かびませんが、是非是非これから考えて行きたいことです。

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ビートルズ解析例 その16「Don't Let Me Down解析途中経過報告」

こんにちは。

Don't Let Me Down (Naked)の音程分布解析をいよいよ昨日から始めました。
やり方は、「その15」でThe Long and Winding Roadに対して行った方法と全く同じです。
採用したフルバンドスコアも同じものです。

昨日まででベースのパートのみ解析が終わりました。
本当は全部のパートを終えてから報告しようと思っていたのですが、ベースのパートのみにおいて驚くべきことがわかたので、興奮冷めやらず、ここに途中経過を報告します。
まず、解析前に抱いていた予想を再度簡単に述べます。
Don't Let Me Down (Naked)のベースは、165kHzのEの音(ルート音)を一番多く出して、そこを三角形の底辺として、高い(周波数の大きい)音に行くに従い徐々に出現頻度が小さくなるという「きれいな三角形」の分布形だと想像していました。
階段状に音をふんだんに使いながらもルート音を重視するベースの使い方、と捉えていました。
曲全体としてもベースが全体の三角形の底辺をしっかり支えることにより、全体を1/fに近づけている、と考えていました。

ベースの解析の結果を添付図に示します。

ビートルズ解析 その16

上の図に見られるように、トータルとして165kHzのEを頂点に、高音に行くに従い頻度が減っていくというきれいな三角形になりました。
本当は曲全体の中でベースの役割を考えないといけませんが、ベースのみでもきれいな音程分布になっていました。
ほぼ予想に近い結果です。
総じて言うと、F#m7というコードを採用したことにより、F#(2度)とC#(6度)という音が多くなり、きれいな分布の基礎を作ったと言えます。

驚いたのは、「題」(テーマ)によりベースの分布が全然違った、ということです。
下の図は上の図の拡大図です。題別の分布が見やすくなっています。
この曲の構成は、イントロ、前題("Don't Let Me Down"とシャウトするところ。計4回)、主題(”Nobody ever loved me like she does."から始まるところ。計2回)、副題("I'm in love for the first time"で始まるところ。1回)、コーダ(エンディング部分)から成っています。

驚くべきことは、各題においての音程分布は全然きれいになっていない。ところがトータルするときれいになる!
前題のシャウトの部分では高音をふんだんに使い緊張感を高めています。
主題ではルート音を中心にして落ち着いた分布を見せるが、分布はきれいではありません。C#をとても多く使っています。
副題では余計な音はほとんど使わず、ほとんどルートのEとオクターブ上のE(330kHz)を多用しています。
コーダは図には載せていませんが、副題に似た分布で、最後はEで締めています。

トータルとは、各題の登場回数も考慮に入れての総出現頻度です。
各題におけるいびつな分布が相殺されて、全体としてきれいな分布となりました。
これを意識的にやったのかどうかは大変興味があります。
計算でそうやったわけではないと思います。感覚的に各題に変化をつけていったのでしょう。
ルート音であるE(165kHz)を大事にして、そこへ回帰しよう、回帰しよう、という意図はよく見てとれます。

このように、また新たな発見があり、ビートルズの魅力の一端が見えました。
ただ、強いて言うと、オクターブ上のE(330kHz)を少し使い過ぎのように思います。

これから先の作業は、ベース以外のパートの解析を行い、曲全体としての見解を引き出します。
そして次にはThe Long and Winding Roadのベースの編曲に挑戦したいと思います。

ST Rocker

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年下にも席を譲ろう

Don't Let Me Down (Naked)の音程解析は、やる前からとてもワクワクしています。
きっときれいな三角形が描けるのではないか、と想像しています。
こういう時って、慌てずにじっくり取り組むのがなぜか快感です。
「少し薄くなった方がいいんじゃない?」というようなこともよく言われますので、リラックスした時間も持とうと考えています。

数日前、いつも乗る電車路線が信号機トラブルにより半分の本数に間引きされ、さらに遅れも生じたことから、都心に近づくと超満員状態になりました。
私はいつも始発駅から座ります。その日も座りました。
超満員になると、私の目の前に立っている人たちは網棚下の支柱や窓枠に手をついて全力で後ろや横からくる力を支えないといけません。
これは女性にとって容易なことではありません。よほど筋肉質な女性かスポーツをやっている(いた)女性でないと、倒れ込んでしまいます。
その日もそういった女性の方々がいました。

私の目の前に立っていた中年の女性(私よりは若そう)が、やはりこのような状態になりかけていました。
どう見ても手での支えが限界そうです。
そこで私はためらわずに「座られませんか?」と声をかけたところ、最初の瞬間はやや躊躇されましたが、事実上耐えられないことはご自分でもよくわかっているのでしょう、快く座っていただきました。

震災後ACのCMが頻繁に流れ、妊婦さんやお年寄りに席を譲るべきであることが大分流布されたと思います。(本当は当たり前のことなんですが。)
優先席に座ってもらう対象の人たちはどういう人たちなのか。それは言うまでもありません。
でも、それだけでよいという訳ではないと思います。

目の前で立っているのが若い人であっても、大そう疲れていそうだったり、調子悪そうだったり、立ったまま眠ってしまっていたら、私は席を譲ります。
その際若い人はびっくりしますが、私が熱心に「お疲れのようだから座ったら?」と勧めると、大抵は意思を汲んでくれて座ってくれます。
そして大抵の場合、その人は座る必要があったと見え、心からお礼を言ってくれます。
断っておきますが、自己満足の世界ではなく、実質必要な人に譲るべき、という意味です。

さらに言えば、立っている人が元気そうであっても、場合により席を交代して座ってもらうのもいいと思います。
始発駅でたまたま座れた人が、自分の地の利を利用していつまでもふんぞり返っている道理もありません。
長丁場の路線であれば、ひとしきり時間が経った時点で、「替りましょうか?」くらいの声かけがあってもおかしくないと思います。
そんな文化になればいいなと思います。

私はいかつい体つきと日焼けした顔、そして歳には見えないことから、人から席を譲られたことはありません(笑)。
それはそれで満足しています。
でも、最近病み上がりの関係と、特定の薬による作用で、どうしても座る必要があることがあります。
そういう時はあまり進んで席を譲ることもできません。
よく妊婦さんがバッグに「おなかに赤ちゃんがいます」という札をぶら下げていますけど、「私は調子悪いです」という札をぶら下げるわけにもいかないですしね(笑)。

要は、みんなが相互助け合いの精神を持てば、余計な配慮など一切せずに、必要な人が必要な時に席を譲ってもらえるようになるはずです。
我々日本人の全てがそのような考えになってくれることを願ってやみません。

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Coffee Break Beatles No. 91 「She Loves You(三単現)」

ビートルズの初期には簡単なSVOまたはSVCの文型の曲名が結構ある。
She Loves You、And I Love Her、I Call Your Nameなどなど。
ただし後期にもI Want Youのような例外もある。後期は凝った曲が多くなったことで、原点に回帰したいジョンの意向があったのだろう。

それにしてもShe Loves You。よくよく考えれば妙なタイトルだが、むしろそこにミリオンセラーたるものがある。
Lovesの"s"は、中学の英語でさんざん習った「三単現」(すなわち三人称・単数・現在)だ。
中学の時はとにかく尻を叩かれてロボットのように三単現のルールを覚えたものだ。

時は流れ、いろんな英語の試練に耐え、ふと英語の仕組みにつき深く考えるような心境になってきた。
三単現。なんでこんなルールがあるのだろう? というのが率直な疑問である。

ネットで調べたところ、実に明解に解析された方がいらっしゃいました。下記サイトご参照ください。

http://www.geocities.jp/will_be_king7/english1.html

これまでの経緯に私見を加え、見事に推論されています。
要点のみ言いますと、英語は昔は全ての人称に特有な動詞の変化があった。フランス語のように。
時とともに次第に簡略化され、三単現以外は同じ変化(過去、現在)をするようになった。
何故三単現のみ変化が残ったかについては、筆者の方の私見では、三単現の主語の名詞には聞いただけでは単数か複数か区別がつかない場合(例えば、語尾に"s"が付く固有名詞)があるから動詞で区別するのだ、と。
この説は説得力があると思う。

では何故、三人称・単数・過去の変化は省略化されたのだろうか?
多分、過去よりも現在の方が大事だから。(えらいeasyな発想!)

では次に、何故そもそも欧米人は複数と単数の区別を厳格にするのだろう? (同時に何故我々はそれに無頓着なのだろう?)
正直、単数・複数を分けなくても前後関係で類推できる場合が多い。それに、類推できなくたって大した実害もない。
ここから先は私見である。

大雑把に言えば、複数の物は一般化あるいは集合物(悪い言葉を使えば「十羽一からげ」であるのに対し、単数の物は、具体化したものあるいは概念を表した物といえよう。
極端な言い方をすれば、複数は「連中はこんなもんさ」だけど、単数は「あいつはこんなことしおるで」、「この水ちゅうもんは低きにながれるんやで」(なぜか関西弁)のようなノリではないだろうか。
つまり、言いたいことは、話し手・聞き手にとって三人称単数は三人称複数よりも重要な情報である、と。
だから英語の文化なんだな、きっと。

She Loves Youの場合は、特定の「あの娘(こ)」は君のことが好きだぞ、という踏み込んだ文章だと思う。
これがもし"They Love You"だったら、あのグループの娘たちは皆、君に気があるよ、程度だろう。そもそもThey Love Youなどという文はありえないだろう。
They Like YouとかThey Need Youとかであろう。
Theyには女も男も区別がないのだから、所詮「連中」程度のものであろう。
(見下すという意味ではなく、一人ひとりを意識しないで全体で理解すると言う意味。)

他の例で言えば、Apple sells i-Pad.のように、会社が一個人のように捉えられることもあれば、
アップル社員を一般化した意味で、They love their company.などのように使う場合もある。
私の推論が伝わったなら幸いである。

別のあるネットの記事によれば、アメリカ教育省は2020年をメドに三単現の"s"を廃止する、とのこと。さらに、その後不規則動詞も標準変化に変更することも検討中とのこと。
ただしこの記事の真偽を私は知らない。

もし、廃止されるとしたら、確かに楽だし、とりたて不都合も起きない気がする。
ただ、私が考えた文化は廃れてしまうようで、寂しい気もする。

もう一つ私の推論では、三単現の"S"とか冠詞(the, a)などという英語のルールは、日本語にない論理的なものであるので、話す時に自動的に論理的になるのだと思う。
もしこのルールがなくなると、英語が感覚の言語になり、欧米特有のディベート的な文化も減り、国力も下がってくるのではないだろうか?

似た意味で、日本語の「ら抜き言葉」がある。
「ら」は本来、尊敬、可能、受身などの区別を行う文字であった。
これがなくなることで不都合は起きないのか?

さらに余談だが、最近の日本語に気になるところがある。テレビのキャスター等も随分使うようになってきたから気がかりだ。例を挙げる。
1.二重敬語。「亡くなられる」、「おっしゃられる」等。「亡くなる」、「おっしゃる」でいいはずだ。
2.謙遜語としての「お」を付ける。「お電話をしました」、「ご挨拶をします」、「ご回答です」。自分のことに「お、ご」は要らないはずだ。
3.やたらに「させていただく」を付ける。丁寧に話したいのはわかるが、当たり前のことまで「**させていただく」と使ってしまったら、本来の意味で使う時に薄れてしまう。
4.若い人は他人に父、母のことを「おとうさん、おかあさん」と言う。最初は冗談かと思っていたが、今や20代以下の人で父、母と使う人がほとんどいなくなった。同様に、自分の妻のことを口語で「妻」という(40代以下の男性はほとんど使う)のはおかしいと思う。妻は文語であり、法律語だ。たしかに他にうまい言葉がないので「妻」と言いたくなるのはわかる。昔は、「女房」、「家内」、「カミさん」などと言った。どれも味のある言葉だが、古臭い。しかも「家内」は今や差別語だし、「カミさん」も逆の意味で差別後だ。「女房」の本来の意味するところを知らないけど、まあまあいい言葉ではないだろうか。夫のことを「旦那」という女性(若い人も含め)が多い。これはまあまあかもしれない。いずれにせよ、妻、夫の口語での他人に向けての言い方は今後要ディスカッションだろう。
5.「が」の本来的(=逆説)でない使い方。ニュースのアナウンサーに多い。例えば、「本日、福島原発に特殊装甲車が8時間にわたり放水しましたが」というアナウンサーの言葉を聞いた瞬間、「ああ、うまく行かなかったのか..」と悲劇的な想像をしたら、次の言葉で「*号機水温が下がりました。」と。なんだ、びっくりさせるなよ、と言いたくなる。「が」を順接の意味で使うケースが最近多い。
6.最近少なくなったが、語尾上げや「*の方(ほう)」。方(ほう)というのは昔は、そう小出しにせず、ここぞという時に使ったものだ。例えば、息子が帰省して、親父と一杯指しつ指されつ。ひとしきり飲んだところで、親父がおもむろに一言。「ところでお前、あっちの方(ほう)はどうだ...?」。

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ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
ご気楽にコメントください。

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