野田さん、本当に頑張ってくれ!

冷たい夜の冷気がシャキっとしていていいですね。

さて、同期の野田首相。
今日も自民党にいじめられていた。
歳も一緒だし性格も似ていそうだから、我が身につまされる。
本当に気の毒だ。

私は今の民主党ファンではないけれど、人間=野田さんには同情してしまう。
あのように吊るし上げたら誰だって回答に窮するではないですか。

少し前の野党時代の民主党もそうだったし、今の自民党もそうだけど、野党は批判することそのものが仕事だと思っている節がある。

在野から権力を批判するのは大事だが、批判のための批判ではないはずだ。
単に選挙のための批判ではないはずだ。

まずは国民の幸せのため。そしてそのための政党の存在意義と政治理念と基本政策。
与党と野党が常に逆向きなわけもない。
同じ向きでも方法論が違う時だってある。

常に批判なのではなく、むしろ提案してこちらになびかせたらどうか。

野田くん、本当に頑張ってくれ!
っていうか、やっぱり国の組織を変えないとダメそうだなあ。
アメリカの大統領は演説時に原稿を読んでいるのは意外に知られていない。
ライターがいるのだ。
でも最後は大統領が決める。権力が集中している。
きっと参謀もしっかりいるだろうし、何を論議すべきかを自分の下の組織からしっかり煮詰まって上がってくるのだろう。自分は基本理念とかじ取りに集中できる。
だからオバマが野田さんのように吊るし上げられて窮地の回答になることもない。

今のままでは野田くんがかわいそうだ。
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テーマ : 野田内閣
ジャンル : 政治・経済

日曜の朝、じっくり考える

おはようございます。
また今日も素晴らしい秋晴れを迎えました。
こんな時、日本人に生まれた喜びを感じます。

ここ最近我が身に降りかかっている「危機」をどう乗り越えるのか、さらには利己的のみでなく社会に貢献するにはどうしたらいいのか。
こんな素晴らしい朝こそ考えどきであります。

ポイントは、こんな時こそ休日には心技体を刺激しリフレッシュし、普段よりちょっと高い位置に立って、攻撃的・主体的・崇高的な考えを立ててみる。
自分が考えてきた人生の要諦を今こそ自分自身で実践すべき時が来たと思います。
日本のみんなが負のエネルギーにさいなまれることがないように、そして他人の足を引っ張るのではなく、他人のプラス面を互いに引き出して確実に前に向かおう。

昨日は、身の周りの雑事をなるべく片づけ、家の中に溜まっていたホコリを掃除機で吸い、自分のPCも掃除しましたところ、気分がすっきりし、大事なことをじっくり考えることができそうです。

先週、我が同期の野田君(いや失礼、野田首相)が所信表明演説を行いましたので、このことを考えてみます。
彼は歳も学校も同じだし家も近いし、まじめな性格といい気を遣うことといい私と共通点が多いです(ホントかいな?)。
ですので野田君のことは自分のことのように心配だし応援したくなるのです。

彼は頭がよく、36歳の時日本新党から初当選し、新進気鋭の若手として頑張ってきました。
野党時代は鋭い論調で質問したりしていたのは有名です。

リーダーシップはあると思いますが、小沢氏的なアクの強い親分的な「政治力」は苦手のようです。
そして、最近指摘されているように、自分の専門である財務に目が行きがちなところがあります。

そして先週の所信表明です。
一字一句新聞で読みました。

彼らしいまじめで誠実な文面でした。
でも正直、常識的なことばかりでした(1点、国家戦略会議を置くのは彼のアイデアで、いいことだと思います。)
彼が野党時代に言っていた鋭さとは違います。

首相の所信とは本来、常識でもいけないし、枝葉末節なことでもいけなく、理念を示すべきだと私は考えます。
でも、民主党の現状ではいたしかたないところもありますね。
野田さんには少し気の毒な環境ですから。
党内あまりにバラバラな意見ですし足を引っ張り合うし、野党も批判が強く、そんな中、全ての意見を総合すると、最大公約数的になってしまい、のっぺらとした所信表明になってしまったのでしょう。
これは人間誰でもありがちだと思います。

でもそこは首相、なんとか骨太の理念を示すべきです。
本人に頑張っていただくのはもちろんですが、国民一人一人が主体的に考えるべき時がやってきたと思います。
そうでないと日本の危機は乗り越えられないでしょう。

基本的に大きな改革的理念がない限りは、枝葉末節をこねくり回し、他人の足を引っ張る状況が続くでしょう。
では、改革的理念とは・・・。

私の考えでは次の2点に集約されます。
1.国家の成長戦略(新たな産業、資源政策等で飛躍的成長を試みる) → 全体のパイを増やさないと斬新な問題解決はできない(債務超過解消、震災復興、年金問題、外交等)
2.国の組織の仕組みの再考 → 何をやるか、どうやるか、意思決定の迅速化、検証の適正化 (適材適所の人間を配置し、組織力を高める)

いっそのこと、「大統領制を検討する」と発表したらどうでしょうか。
外国はビビると思います。ただし別の意味(軍国主義の再来)でビビるかもしれません。
諸外国は、日本が一致団結したら怖いことを知っています。

野田君、お互いに頑張りましょう!

テーマ : 野田内閣
ジャンル : 政治・経済

性の多様化

おはようございます。
こちら関東は秋晴れのよい天気です。
日本はこのような超いい天気が1年のうち何日もありません。
私が以前仕事でよく出張していたカリフォルニアは年間のほとんどが超いい天気でした。うらやましいですね。でも何年も住み続けるとのっぺらし過ぎて退屈するかもしれませんね。

私の楽しみといえば、酒、食べ物、音楽、もの書き、運動、山、本、政治、起業願望、そしてサイエンス。
最近サイエンスのお話をあまりしていなかったので、今日は生物の話をいたしましょう。

人間は男と女から成り立っています。当たり前です。
でも、生物全体を見渡してみるとこれは当たり前ではありません。

哺乳類は確かにオスとメスがはっき分かれています。
でも昆虫など生物をいろいろ見てみると実にさまざまな「性のあり方」が見られます。

ゾウリムシのように性がなく、自分のコピーを永遠に作るだけの生き物もいます。
生物界に「性」が誕生したのは、遺伝子を組み替えることにより環境に強くするためと言われています。

でも、性別を作ると出会いが必要になりますし、交配もしないといけませんし、いろいろ生きる上で面倒な仕組みが必要になってきます。
性がない方がラクなわけですから、生物の種によっては妙案が生まれます。

例えば、ミジンコのように普段は性がないのですが、環境が悪化した時だけ性別ができるものもいます。
またカタツムリやナメクジは、行動力が少ないので、なるべく出会いを大事にしたいというので、各個体にオスとメスの機能を併せ持っており、交配時に互いに精子を出し合い、自分の卵子に授精させ産卵します。一体どんな気分なんでしょうねえ?
交配時にどちらかがオス役またはメス役になる雌雄同体もいます。
また、ある年齢になって初めてオスかメスになる種もいます。

そして、最近まで私も知らなかったことなのですが、ある種の生き物は性別が2種以上あるものが結構たくさんいるとのことです。
例えば4種、8種・・・。中には32種なんてのもいるらしいのです。
自分以外の種であれば全て交配が成り立つのもあれば、特定のグループ間ならOKなものとか、いくつかパターンがあるようです。
これは驚きです。ある意味合理的な仕組みですね。なんとなく楽しそうだし。
人間は生物のトップだなんて言っていられなくなりそうです。

この話を聞いて人間にも思い当たる節があります。
最近では男らしい人と女らしい人に必ずしもくっきり分かれなくなりました。
性転換も認められるようになったし、ニューハーフ、女装家、同姓愛、男らしい女性、女らしい男性など多様化しています。
そしてそれらは立派に存在し、互いに尊敬し愛し合っています。

性のあり方の良しあしが世の中の状況と関連するのは人間でも然りだと思います。
何百万年か前、アフリカでアダムとイヴから生まれた我が人間。
その人間が世界戦略(地球上のありとあらゆる所を人間が占領すること)するためのベストな性のあり方が「男と女」というくっきり二分された方式だったのでしょう。

今や人間は地球を占領しつくし、国家間の調整や、環境や資源の将来を考えるべき時代になりました。
当然大昔同然の遺伝子ではいけないはずです。

iPSの技術もできてかなりのことができるようになりました。
でも、もっともっと根本的な部分である「性のシステム」はどうあるべきか、について人間もそろそろ真剣に考えるべき時が来たのではないでしょうか。

刺激的なタイトルでしたので、期待された方、失礼しました(笑)。

テーマ : 生物学、生態学
ジャンル : 学問・文化・芸術

褒めるか叱るか

こんばんは。
かなり久しぶりの1日2件のアップです。

このところ、メンタルへルス的に我が身を人体実験しているような感じです。
悩みは人を成長させる機会の一つですから、あってもよいものですが、この国では不必要な悩みが多過ぎるように思います。

ネガティブな効果しか残さないような悩みは排除し、全体として国力を高めるようにしなくてはならないと思います。

今日は人への評価という観点から「悩みの交通整理」を試みます。

一つの極端な事例として、マラソンの高橋尚子選手を育てた小出監督は、100%褒め言葉で指導したとのことです。
そしてこの対極にあるのが、軍隊や一部のスパルタ教育にあるような、叱りまくりです。

前者はよいところをより引き伸ばし、後者は悪いところをつぶします。
どちらも原理的には改善がされるはずです。

世の中には褒め派と叱り派がいて、それなりの論点を展開しているようです。
しかし、これらを系統的に整理して使い分けることを考えている人にまだ出会ったことがありません。

詳しい論拠は省略しますが、戦略的な場面では褒め式が、画一的に物事を習得しなくてはいけない場合は叱り式が有効だと思います。
我が身でも随分確かめてきました。

そして重要なことは、一昨日も申しましたように、人間は誰でもこの世でのポジティブな役割があり、それを自覚して初めてネガティブな評価、即ち叱り、を受け入れられると思うのです。

軍隊や子供の教育の一部においては叱りが主体であるべきなことは異論はないでしょう。
一昔前までの学校や部活、会社などは叱りが主体でした。
しかしこれからもそうであってよいのでしょうか? ここがポイントです。

結論を出す前に、叱り式が成り立つ要件を考えてみます。
軍隊は進むべきベクトルは決まっているし、隊員に課す事柄も大体決まっています。
それに鑑みて叱るわけですから、叱られた方もある意味合理性があり、納得するのではないでしょうか。
個人の存在自体を否定しているのではなく、単に行いを指摘しているだけだからです。

子供を叱る場合は、親が子に十分な愛情を示すことにより、子の自我を保ちつつ叱るので、これまた大きな問題には発展しません。
ただし、愛情がない場合は問題が起こるでしょう。

マラソンランナーを世界一にするなどの超戦略的な事柄は褒めることが重要なのはよく理解できます。
そして私の意見ですが、今や学校、部活、会社などの集団では今よりも褒めの要素を増やさないといけない気がします。

私の世代でも学校、部活や会社に入りたての頃は叱り中心で指導を受けてきましたので、いきおい若い人に対し自分がやられたようにやっても効果がない場合が多いのです。
いろんな要因が考えられますが、我が国の成長戦略があまり(というかほとんど?)なくなり、国のあるいは集団内のベクトル(進むべき方向)がバラバラになったことが最大の要因と考えています。
つまり、評価する側もされる側も価値基準がまちまちというわけです。
こんな中で不必要な叱り式評価が蔓延したら自己否定を起すケースも増えるでしょうし、全体の力も落ちるでしょう。

よって、今の段階では教育上基本的なことのみ叱り式とし、そこから先は褒め式にすべきではないかと思います。
ただし、褒めるといってもただ甘やかすことではありません。
褒め言葉だけでも物の道理は教えられます。

我が国を強めるための国策が十分に行き渡ったら、それに合わせて叱り式を増やしていけばよいと思います。

テーマ : それでいいのか日本国民
ジャンル : 政治・経済

Coffee Break Beatles No.113 「歌いにくい曲」

こんばんは。

最近ブログの看板と違うことを書き続けましたので、さすがに怒られそうですので、久しぶりにビートルズの話題を書きます。

今日のテーマは歌いにくい曲。
音程の話ではありません。

ビートルズはとても歌いやすい曲もあれば、歌いにくい曲もあり、本当にバラエティーに富んでいます。要は多彩なんですね。

まず歌いにくいパターンとしては、世紀の詩人ジョンが作った難解な曲が挙げられましょう。
まず頭に浮かぶのがAll You Need Is Love(愛こそは全て)。
メインメロが超字余り的詞で、途中変拍子もあったりして、歌いにくいことこの上ありません。
この曲ばかりは若い時に歌うのを放棄してしまい、今に至っています。
それでいて、全体から受ける印象は明るく軽快な曲。これぞビートルズです。
一度この曲のボーカル、挑戦してみましょうか。

これに似た忙しい詞がThe Ballad of John and Yoko(ジョンとヨーコのバラード)のサビが終わるところです。
そういえば、Please Please Meのサビも忙しくて歌いにくいですねえ。

次いでは、同じくジョン主体に作った曲Ticket to Ride(涙の乗車券)。
これまたサビが早口になっています。(サビで忙しく歌って緊張感を持たせているのでしょうか。)
ポールとハモることろ、she ought to think twice, she ought to do right by me.のところ。
それこそタモリの空耳的に歌わないとやっていけません。

ポールの曲は歌いにくいのはあまりありません。
メロディーが完璧なものが多いせいもあるでしょう。
そんな中、Another Girlは歌いにくいです。
前にも書きましたように、詞もメロディーも不安定。
あの感じを出すのは難しいと思います。
カラオケにあったとしても誰も歌わないんじゃないでしょうか。
アルバムHelp!では、この曲の後に安定なYou are Going to Lose that Girl(恋のアドバイス)が来て、ぐっとメリハリがつきます。

今日はこのへんで。

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悩みを乗り切るには

こんばんは。

ここ数日、休日の過ごし方の記事を書きました。メンタルヘルス的な意味からです。
そしてほぼ同じタイミングで我が身に仕事上の悩みがのしかかりました。
正直かなりしんどいです。
そんな中、皆さんが多く読んでいただき、そしてコメントやメールをいただき大変ありがたく感じております。

悩みを解消する術や人への助言をライフワークの一つにしようと考えている私にとって、
「紺屋の白袴」じゃいかんと思い、何とか我が身の悩みを乗り切ろうと思ってます。
さらに、なるべくストレスをためない方がよい体調でもありますし。

以下私の考えを述べさせていただきます。
なお、今のところ私はこれに関する専門家ではありませんので、くれぐれもご参考程度になさってください。

まず、悩みというのは即効性の妙薬はない、と思います。
悩みの主たる原因が相手にある場合、相手が激変すれば別ですが、悩みはほとんど自分の中にあると思います。

次には、やけ酒を飲んだり、愚痴を聞いてもらったりなどのこと(私はこれを「ネガティブ解消法」と呼びます)は、いっときの癒しにはなりますが、何ら根本的な解にはならないと思います。
風邪を引いた時に飲む咳やくしゃみ止めの対症療法と思ってください。

やはり本質的な解決とは、体質を改善し、自分を向上し、自分の生きる道を見出す、そのプロセスを見出した時に悩みを乗り切れると思います。

人間は、どんな人であれ必ずこの世で存在する価値と意義と役割を持っています。
そしてそれが他者に何らかの形で影響を与え助けているはずです。
ですから、この世はポジティブの連鎖で助け合いつつ成り立っているはずです。
しかし、たまに、何らかの要因で負の影響が我が身にふりかかり、そしていくばくかそれを受け入れないといけない。

自分に対する負の評価をどのくらい受け入れ、どのくらい改良しなくてはいけないのか、そこが悩みの最も悩ましいところです。
もし自分が既に培っているものが大きければ悩みは小さいわけです。

決してやってはならないのが自分の全否定です。そして全肯定もいけないでしょう。
忘れてならないのが、自分のポジティブな存在価値があることです。

ポジティブな部分を確実に残しつつ、より若い時であれば、自分への負の評価を多めに取り入れればよいでしょう。
若いので、吸収する力が大きいですから、自分の実態より厳しく評価して、たくさん向上して、悩みが終われば成長した自分がいることでしょう。

それに対し、歳をとってくれば、これまで培ったものが多いので、改善すべき部分が少なくなるはずです。
だから、歳をとれば必要以上に悩まず、物事を解決できやすくなるのではないでしょうか。
頑固という意味でなく、それだけ奥深い価値観ができているはずで、懐の深い話し合いができるはずです。
これが大人と言われる所以だと思います。

ここ数日私は、攻撃的な主体的目標を持てば精神状態がぐっとよくなると書きました。
この発想法は、自分の存在意義を再確認するのによい方法ですし、長丁場での自己の向上にもよいきっかけとなるはずだと思います。

・・・とまあ、書きました。
「五十にして惑わず」が自分のモットーではありますが、しんどいものはしんどいねえ(笑)!
風呂入ってから「教科書にのせたいなんとか」の録画を見るかな。
今日は巨大生物の特集。
生き物好きな私にはたまらない企画です。
そうそう、それで思い出したけど、いろんなことに興味持っていた方が精神って癒されますよ。
では。

テーマ : メンタルヘルス・心理学
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本人が実証しないと

こんばんは。

昨日あのような記事を書いておきながら、今結構仕事でへこんでおります。
50を過ぎて惑わずが自分のモットーではありますが、しんどいものはしんどいね。
そう、だからこそ昨日書いたことを本人が実証しないと。

昨日申し上げたことを一言で言えば、「攻撃は最大の防御なり」。
攻撃といっても人さまに危害を与えることじゃない。
自分の中の攻撃的主体性です。

いくらへこんでも自分の主体性を失ってはいけないと思うんです。
そこで、今の私の攻撃的主体性とは・・・?
はい、何日か前にブログで書いたことです。
それを復唱することにしましょう。

そして、今起きていることも決して無駄なことではないので、吸収すべきことはしましょう。

そしてもう一つ。主体性をもつと言ってもやり過ぎないように。

神よご加護あれ (あとは祈るのみ)。

では、録画したTVタックルを少し観てから寝ます。
おやすみなさい。

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休日のストレス解消法(補足編)

こんばんは。
今日は昼間は天気がもちました。

今日も心技体を充実させ、今ワインをいただいています。

今私は会社で少し悩み事があると申しましたが、これまでの人生において私が部下を苦しめた方が多いと思います。

このブログでも随分書きましたように、物事を論証するにはどうしたらよいか、そのことはどういう意味を持つのか、などについては私は大変こだわります。
これまでいろんな部下にも随分厳しく(厳し過ぎる)当たってきたのではないかと思います。
だから余計にさっきの話が生きてくるわけです。

もう一つは、先ほど書いたことはポイントではありますが、頑張り過ぎないことです。
考えることは大事ですけど、それを実際なし遂げなければならないという義務感にさいなまれないでください。

私は頑張ることが好きでしたので、精神的には充足していましたが、頑張り過ぎた部分がありました。

考えは崇高に、でも実行はほどほどに、ネっ。

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休日のストレス解消法

こんにちは。
なんか妙な天気が続いています。
少し蒸し暑いですね。

さて、ストレスなるもの、ある程度は必要なものみたいですが、溜まり過ぎはやはりよくないと思います。
休日にストレスを解消できたらいいと思いませんか?
私自身、もう何十年もこの問題に悩み、取り組み、どうにか自分なりの解消法を見出したつもりですので、紹介したいと思います。
ただし、私は専門家ではありませんので、あくまでご参考までお願いします。

ポイントは大きく分けて3つあると思います。

まず1つ目は、なるべくいろんな場に出向くことです。
毎日主に相手にする人たち(例えば会社の上司、姑さん、配偶者)の中だけでずっと過ごすと、ストレスを発散しようとしても、自分の中で勝手に悲観的ないしは楽観的に考えが回っていくだけですので、逆にストレスをさらに溜め込むことになりがちです。

そこで、平日では得られないコミュニケーションを行うのです。
普段とは違った人たち、集団と接触を図ります。
そこでは普段とは違う価値観や問題意識があり、普段の自分の悩みが客観的に、場合によりちっぽけに見えてきます。
また、自分はいろんな場で、人を助けたり、役に立っていることが自覚できたりします。
なるべく普段とは違った場、そしてより多くの場に属しし、コミュニケートするのがよいでしょう。

ちなみに私の場合、平日はもちろん会社中心ですが、休日は、市のスポーツ施設を中心に集まるランニングの会、山の会に属していまして、土曜の夕方は施設のジムで汗を流し、仲間と談笑します。また、時々飲みに行ったり、山へ行ったりします。
さらに、学生時代のサークルの関係、特別な人たちや仲間、近所の人たちとの交流もあります。もちろんこのブログも交流の一つです。
これだけチャンネルを増やしておくと、一つの悩みに縛られにくくなります。

2つ目は芸術と運動です。
心身のバランスの働きと脳内での物質の作用だと思われますが、専門家でないので詳しい機構はわかりません。
けど、経験上確実に言えるのは、休日に運動と芸術に触れた時は確実にストレスが減ったことが自覚できます。

私の場合は、土日のうちどちらかはできれば楽器に触れるようにしています。
音楽を聴くだけでも効果ありますが、楽器を弾きながら歌うのが私には一番効果的なようです。
運動については、土曜のジムの他に日曜にウォーキングまたはジョギングをします。
きっと「心技体」が充実することで体にはよいのだと思います。
日曜の夜に軽くアルコールでリラックスし、月曜からの仕事に備えます。

最後3つ目は、その悩んでいる事柄を自分の最大のテーマとしない、です。
ちょっと禅問答のような言い方ですが、説明いたしましょう。

大きな悩みがある時は、そのことがとてつもなく自分にとって最優先の重要事であり、かつ自分にそれが欠けていると思いがちです。
でもそれは大抵の場合正しくありません。
そこで、自分にとって本来最優先にすべき事を敢えて声に出して確認するのです。新たに考え出してもよいでしょう。
しかもなるべく攻撃的・主体的な発想がよいでしょう。
例えば、「私は起業するんだ」「私は**の人たちを助けるんだ」「私はボランティアをするんだ」などなど。

当たり前の話ですが、自分は自分の主体性に基づいて生きるのが人間です。
自分の生きる道とは何かを自覚できればおのずと悩みは少なくなるものです。

さらに、3つ目の内容の発展としては、「悩みは複数持つのがよい」というのがあります。
これは時々言われることです。
複数の悩みは違った内容ですので、各が互いに客観的に捉えられ、ドツボにはまることがないわけです。

私など、若い頃、ある上司に苦しんでいた時、休日に、「今から20km走るけど、この苦しみはあの上司の苦しみよりしんどいはずだ。だから20kmを走りきったら上司の悩みなんてどっかに行くはずだ」なんて自分に言い聞かせていました。
そしたら、それって結構効くんですよ。

そしてさらにはですね、私の場合、「第2の名刺」をもう作っちゃったんですよ。
このブログでいろいろ書かせていただいているような、シンクタンク構想やコンサルのこと、そして趣味である音楽や冒険(注;このブログではまだほとんど書いていませんが、半島を徒歩で横断するような冒険を毎年やっています)ことも書き添えてあります。
まだ「即副業」というわけには行きませんが、これからライフワークにして行きたいことをタイトルしてあるわけです。
会社の仕事はとても大事なことはもちろんですが、自分のライフワークはさらにその発展形にある、と考えればがぜん精神衛生にはよいのです。

かく言う私ですが、今もまた会社で悩みあるんです...。
いつになってもしんどいですね。

テーマ : メンタルヘルス・心理学
ジャンル : 心と身体

ありがとうございます!

おはようございます。
すごい雨ですが、皆さまの所は大丈夫でしょうか?

このところこのブログにとても大勢の方においでいただき、拍手もコメントも一杯いただき、どうもありがとうございます!
言いたい放題のオヤジのブログですけど、こんなに読んでいただけるのは本当にうれしい限りです。

第1回記事を見ていただくとわかりますように、本当はこのブログは音楽ではなく、「幸せ学」を追究したくて始めようとしました。
企業内での幸せと戦略、日本人の幸せと戦略。せっかく本質的によいものをいっぱい持っている日本人なのに、国力は次第に落ち、人々の間にも軋轢やストレスが多くなっています。そして、何をやったらよいかわからなくなりつつあります。

そんな日本を是非変えたい。そのために後半生を捧げたい。そう思いました。
そして、草の根の活動の一環としてこのブログを活用させていただきたい、と思いました。

でも始めようとすると、このテーマでは幅が広すぎて一つのブログで扱うには散漫になってしまうだろうと思いました。
そこで、テーマをビートルズに絞ったのです。
ビートルズも一つの大きな幸せ学の一つですからね。

ビートルズを楽しむことだけでもとても大きな幸せです。
でもそれをさらに超える音楽(あるいはビジネス)を作り出すことができたら、さらに日本中、世界中に幸せを生みますし、新たな雇用もできるだろうと考えたのです。
ビートルズを超えるなんて恐れ多いですけど、一度しかない人生、その位の大志を抱いてもいいのではないでしょうか。

これまでの記事で、ビートルズを楽しむにはどうしたらよいか、ビートルズの成功の要因は何か、欠けていたものはなにか、さらには超えるにはどんなアイデアがあるか、など大分考え、書き留めることができました。
一度まとめてみたいと思います。
そして新しい編曲やビジネスを始めるには、どんな人にどう協力をお願いしたらよいのか、なども考えてみたいと思います。

そしてもう一つは政治の問題。
ここ最近、ブログでも随分いろんな記事を書かせていただきましたように、民主党に問題がないわけではありませんが、誰がリーダーになったとしてもこの仕組みでは気の毒です。
本来政治とは、国の基本的仕組みと理念を考えるべきですが、現状では「何をやるか」の所在が曖昧なため(注;筆者意見です)、「どうやるか」と混同したり、対症療法(例えば子供手当)のようなことしか出てこないということになります。

それに引き換え、中国、韓国その他アジア各国はしたたかな戦略を持っています。
私は、個人の能力とアイデアレベルでは日本は未だにダントツだと思っています。
やはり戦略の部分ですね。
今度の野田政権の国家戦略会議は考え方としてはよいですが、もっと大胆なメンバーを入れないと。

例の年金修正案をそのまま採用して、若い人たちに失望を与えないように、国家の戦略をもつ。
こちらも大分書き留めましたので、まとめられたらいいなと思っています。

では、休日リラックスしましょう。

ST Rocker

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Coffee Break Beatles No.112 「何回弾き語ったか」

こんばんは。
いよいよ秋も深まりましたね。

自分がもし数の上で競えるものがあるとしたら、ビートルズの曲を弾き語った回数である。
ピアノまたはギター、そして時にベースを使ってである。

中でも間違いなく一番多いと断言できるのが、ピアノを弾いてのLet It Beである。
15歳頃から弾き語り始め、学生の頃はおそらく1日平均数回は弾いていたと思う。
今でも最低1週間に一度は弾くので、これまで通算で平均週に3回ぐらいだろうか。

仮に週3回として、15から今まで何回弾き語ったか計算してみよう。
3x52x39=6,084(回)
いやあ、我ながらすごい。
ギネスに載るほどすごくはないだろうけど、日本人でこれを上回るのは数人ではないか。
世界では数十人か数百人か。
本人だってこんなに弾いていないだろう。

Let It Beは比較的簡単なコード奏法とは言え、あのリズム感と強弱、間の取り方は超絶品であり、なかなか真似できない。
6,000回弾き語る中で、毎回毎回ごくわずかながら上達してきたのである。
ボーカルの最高音はラなのでそう高くないが、なぜか出しにくい。
以前このブログで原因を究明できた。つまり、"be"の部分なので「イ」の音なので出にくいわけだ。
もし「ア」や「オ」の音なら出しやすい。
このポイントは未だに修行中である。

以下、通算弾き語り回数の多い順に並べてみる。おおざっぱな感覚なので、もちろん順番に自信はないが、Let It Beが首位であることだけは確かだ。

<ピアノ編>
1. Let It Be
2. The Long and Winding Road
3. Lady Madonna
4. Hey Jude
5. Oh! Darling
6. All My Loving
7. You Never Give Me Your Money
8. Maybe I'm Amazed
9. Martha My Dear
10.You Gave Me the Answer

<ギター編>
1. Yesterday
2. Blackbird
3. Mother Nature's Sun
4. I've Got a Feeling
5. Don't Let Me Down
6. Two of Us
7. She Loves You
8. The Night Before
9. If I Fell
10.Please Please Me

<ベース編>
1. I Saw Her Standing There
2. Day Tripper
3. All My Loving
4. I've Got a Feeling
5. Get back

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ジャンル : 音楽

電車の中で(Part 2)

こんばんは。
いつもおいでいただきありがとうございます。

この頃は昔より通勤事情がよくなったとはいえ、まだまだ混雑はひどく、遠距離通勤・通学でご苦労されている方も多くいます。
インフラの整備ですとか、首都機能のあり方、住宅の整備などの国策で改善しうる点もあろうかと思いますが、日本の地理的要因(平野が少ない)も大きいと思います。

外国の大都市では東京のように駅や電車が大混雑ということはあまりなく、結構スイスイしているんですね。
多分、外国ではのっぺらとした土地が多いので、「面」で発展し、ネットワークを作るからだと思います。
インターネットの仕組みと同じで、人や交通は空いたところを適宜通ればよいわけで、一点に集中しないわけです。

一方日本では、面ではなく「線」や「点」で発展してきましたから、このような集中が起きるのでしょう。
日本のこうした混雑集中を抜本的に改善するのは簡単ではありませんが、企業の本社を田舎に持って行き、ITを活用して仕事をするとか、いくらかの策はあると思います。

そんな日本の電車事情ですが、日本人はマナーはよいのでしょうか?
いろんなガイジンと話をしてわかったのは、日本人のマナーのよいのは、電車待ちを整然と並んだり(ドイツでは列など作らず適当にドアになだれ込むそうです)、ゴミを散らかさないとか、車内を汚さない点ではないかと思います。

一方、日本人のマナーがよくない点はやはり、席を譲らない人が多いことだと思います。
震災等で証明されているように、日本人の相互扶助精神は大したものです。
でも、こと電車内での着席については、独特の習慣、というか日本人の感覚があるようです。
少なくとも、お年寄りなど本当に席を譲るべき人が現れても席を譲らないシーンが多いです。
優先席とか女性専用車が存在すること自体恥ずかしいことです。

なぜ席をあまり譲らない状態が起きてしまっているのか。
私が思いますに、始発(あるいは遠方)から乗った人が座る権利がある、という(暗黙の)ルールができてしまったからだと思います。

確かに、1時間も乗る人と1区間しか乗らない人では、前者の人に座ってもらうのがよいのは当然ですが、始発でないがために50分も当然のごとく立つ人がいるのはどうも理不尽な気がします。
指定席とか余計なチャージを払ったのならともかく、同じお金で一方の人はは座り続け、もう一方の人は立ち続ける、なんておかしくありませんか。

もし思いやる気持ちがあるのなら、例えば30分経過した時点で、前に立っている人に対して「そろそろ替りましょうか?」を声をかけたっておかしくはないと思います。
席を是非必要としている方々(お年寄りなど)は言うに及ばず、そうでない方々にもこのくらいの気持ちは示したってよいではありませんか。

私は、前に立っている人がたとえ学生さんのように若い人でも、大そう疲れていそうに見えたら「座りませんか?」と声をかけます。
すると、最初はびっくりされるのですが、すぐに「ありがとうございます」と言って座ってくれます。
逆に、いつぞや二日酔いの朝、30分近くもノンストップの通勤快速に乗ったら途中で気分が悪くなり、前に座っている人(中年男性)に「すいません、緊急事態なんで席を譲ってくれませんか?」と言ったら無視されました。すると隣に座っていた若い女性が「いいわよ、ここへ座って」と快く譲ってくださいました。あのご恩は一生忘れません。

テーマ : 日々出来事
ジャンル : ライフ

大統領制

こんばんは。
今日はすごい風でした。
そんな中、鍛えるために2時間の行軍に行って参りました。(要するに、クロスカントリーです)

さて、我が日本はますます政治が混迷を極めています。
優秀な人たちが努力されていて、頭が下がりますが、どうも気の毒な環境です。

このブログで少し前に、日本では"what to do"(何をすべきか)の機能の所在が不明確で、力も弱い、いっそのことそのための府を作り、「四権分立」にした"らどうかと提言しましたところ、大変大きな反響をいただきました。ありがとうございます。

民間企業では、実績を上げないといけませんから、日々その組織はどうあるべきか考えています。
そして今の世に生き抜くための最良の組織を持っているわけです。
それに比し、国の組織はそう簡単には刷新できないですよね。天皇陛下のご意向も伺わないといけませんし。

私は今、民間企業で"what to do"を考える仕事をしています。事業企画ですね。
そしてそれは、営業(国で言えば行政)、法務(国で言えば立法)、QC(国で言えば司法)とは独立した機能です。

我が国日本の国力がここまで増した理由の主たるものは、民間企業の努力によったと言っても過言ではないのではないでしょうか。
そして、民間企業の成功の図式は今や、日本から韓国へ移行しつつあります。

国の組織には大きく分けて、大統領制と首相制があります。
大統領の権限は首相より強く、全ての権限が大統領に集中しています。
ですので、何をやるか、どうやるか...など全てを含め大統領の指示が全てを支配します。

つまり、大統領の役割は民間企業の社長と同じです。だから両方ともpresidentと言うわけですね。

かつては、日本が技術・経済をリードしていたので、ある国にとって政治的カウンターパート(日本)がわけわからなくても、とにかく相手しなくてはいけなかったのですが、
今やある部分の産業は韓国がリードするようになったので、アメリカとしても韓国と交渉する機会が増えたわけです。

少なくとも日本は、大統領制は無理でしょうから、"what to do"を決める機能を確立し、アメリカはじめ各国にその機能を確固たるに示すべきでしょう。

正直、民主党幹部各位が言い訳じみた発現を聞くのはもうたくさんです。
でも、それは、「何をすべきか」の権限があいまいな我が国の仕組みの問題でもあるわけです。
私はこの仕事に余生を賭けたいです。

テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

中学・高校英語の過ち(Part 2)-冠詞

こんばんは。
蒸し暑い雨ですね。

Part 1では、英語というのは理屈が先んじるのではなく、日本語とは違う文化をもつ「別のもの」として丸ごと体得してしまう方がよい、と提言いたしました。
今日はそんな中でも象徴的な具体事例を紹介します。冠詞についてです。
英語の冠詞ほど日本人を悩ませるものもないのではないでしょうか。

中学・高校の英語では次のように習ったのではないでしょうか。
定冠詞"the"が使われる場合;
1)前にその物または人が登場した場合
2)この世で一つしかない物(earth、sun、universeなど)
3)序数(firstとかsecond)

これらは部分的には正しいですが、本質を表しているものではありません。
私の最終提言を申し上げる前に少し脱線させてください。

日本語の敬語や謙譲語は英語にはほとんどないですが、英語は文の組み立てや前後関係でそれらを表せます。
では何のために敬語や尊敬語があるのでしょうか。
日本語の「**さん」(人を呼ぶ場合)を考えてみます。
日本語を知らないガイジンから「さん」を使うルールを教えてください、と問われた場合、次のように答えられなくもありません。
1)目上の人 2)女性 3)顧客
あるいは一言で「敬うべき人」と言えるかもしれません。
でも、ルール的に「さん」を説明するのは適切ではないと思います。
日本語の「さん」の持つ奥深い感情は理屈では説明できず、日本語の文化として丸ごと体得してもらうしかありません。
最近、Suzuki-sanのようにさん付けで日本人を呼ぶ欧米人が増えていますが、大抵は誤解して使っています(例えば、"san"は日本人の名前の一部とか)。

では英語の"the"はどうでしょうか。
日本語には冠詞がありませんが、別に不便ではありません。前後関係で意味が通じるからです。
よって、英語も冠詞は本当はmustなのではなく、一種の文化なのではないでしょうか?
少なくとも、"the"や"a"を使うルールをきっちり示すのは難しいと思います。

私の意見としましては、"the"は話し相手と同意の相槌を打つための英語の文化なのではないかと思います。
具体例を挙げてみます。
AとBという2人が、バツ2のポールという人が3番目の妻を探そうとしていることを話しています。

A: Do you know Paul?
B: Yes. Was he devorced twice?
A: Yes, he was. Do you know the second wife?
B: No. But I know he is looking for a third wife.
A: That's right. The third wife should make him happy.

Bは(そしてもしかしたらAも)2番目の妻が誰だか、どんな人か知らないのです。でもtheなんですね。
それはAとBの間で2番目の妻が確たる存在したことを同意しているからですね。
Third wifeは序数ですけど、誰だかわからないので相手と同意しようなく、"a"が使われるはずです。

過去形でもaが使われる場合があるのではないでしょうか?
例えば、「昔々、ポールという人が住んでいたとさ。ある時ポールは最初の妻に語りかけた。....」
このような場合、a first wifeではないでしょうか。

以上のように考えていくと、我らがThe Beatlesの意味が少し違って見えてきませんか。
敢えて日本語で表わすと、「元祖ビートルズ!」、「あなたのビートルズ」..そんな感じでしょうか。

TV番組「ベストヒットUSA」の1コーナーである"The Legend"を「大いなる伝説」と訳しているのは名訳だと思います。

テーマ : 英語
ジャンル : 学問・文化・芸術

電車の中で(Part 1)

こんばんは。

6年半前の転職以来、電車通勤をしています。
首都圏の電車はまだまだ混雑していて快適とは言えませんが、その昔「酷電」と言われていた頃に比べれば大分よくなりました。
私は中学以来学生時代はずっと、与野駅(現さいたま市)から電車通学でした。
当時は今より路線の数が少なかったし、少子化はまだ始まっていなく、フレックス等もなく、その混雑集中たるやものすごかったでした。
通常運行なのに、人の圧力でドアの窓ガラスが割れるなんてこともたまにありましたし、体が浮き上がるほどのぎゅうぎゅう詰めは日常茶飯事でした。
朝の電車だけで1日のエネルギーの大半を使ってしまうほどでした。

よくなったとは言え、今は今で電車には新たな問題も起きています。
例えば、事故や遅延が多くなったり。
車内のマナーに関しても未だ多くの問題が見られます。
そして、毎日電車の中で過ごす時間がこうも多くなりますと、いろんなエピソードや人生模様も見られます。
こうした電車内のことをお話しするだけで1冊の本になると思います。

今日は第1回目ですので、少しリラックスした内容から始めます。

最近になって見られるようになった不思議な現象があります。
電車で座っていた人が降車するために立ち上がるのに、電車が完全に止まってから立ち上がる人が増えています。
そしてそれは若い女性に多いのです。
男性や年配者にはあまり見かけません。

我々のような昔の人間の常識ですと、電車が駅のホームに差し掛かる少し手前に減速を始めた頃を見計らって立ち上がります。
そしてできる限りドア付近まで移動して、十分余裕をもって降りられる態勢にしてから、停車を待ちます。
そうでないと、人をかき分け無理やり降りることになり他人に迷惑ですし、自分自身も余裕を持てませんから。

もし車内がガラガラなら全然問題はないでしょう。
でも、ガラガラだろうが混んでいようが、ドアに近かろうが遠かろうが、そうする人はします。

人に迷惑になる、というより何でそんな発想になるのかが不思議です。
時には停まる直前に立ってみたり、またある時には十分余裕をもって立ってみたりなら理解できるんですが、毎回毎回判を押したように、停車したのを合図に立ち上がる、それがとても不思議です。
電車が少しでも動いている状態で立ち上がるとフラついてしまうからでしょうか。

だからと言って、そのことが大きな問題になることはあまりないようです。
ただ、次のような場合はちょっとぎくしゃくしてしまいます。
自分が座席の前に立っているとして、自分の前に座っている人がなるべく早く下車してほしいのは誰しも共通な願望だと思います。
もし前の人が次の駅で降りないなら別の電車に乗り換えよう、なんていう場合に、前の人が停車後に立ち上がるのはあまりよいタイミングではありません。
時機を逸してしまいますから。
駐車場が満車の時、買い物から帰ったら、待っている車のためにもすぐに出てあげる方がいいのと似ています。

若い女性の方、真相を是非教えてください。

テーマ : 日々出来事
ジャンル : ライフ

中学・高校英語の過ち(Part 1)

こんばんは。
秋のよい気候が続いていますね。

さて、日本人の英語力が弱いと指摘されて久しいです。
この混乱の時代に来てなおさら、英語は外交の道具として重要になりつつあると思います。

日本の中学や高校で習った英語が実際には役に立たないことが多い、あるいはさらに弊害になっていることは、以前から指摘されています。
では、具体的に何がいけなかったのかを考えたいと思います。
私自身英語のエキスパートとは言えませんが、30年近く外資系企業で過ごした体験から、身にしみた事柄を紹介したいと思います。
このテーマは1回では語り尽くせませんので、今日はPart 1とします。
「こんな単語や表現は実際に使われているのを見たことがない」と言った事例も少しずつ紹介します。

ではまず、大局的なこと、基本的なことからお話ししましょう。
中学・高校英語の最大の過ちは、英語を理屈で教えたこと。
あたかも数学や物理の公式のごとく、文法を中心に理屈を教え、それに則って英から和、あるいは和から英へと変換(訳)をしたのです。

語学はスポーツや芸術や人生勉強と同じく、理屈が先行すべきものでなく、体得が先であり、理屈は後から付いてくるものと考えます。
理屈を先に学んで、考えながらスポーツをすることなどできないのと一緒です。
もし英語が、日本語からパズルのように一定のルールで変換できるなら、理屈先行もありでしょう。
でも英語と日本語の変換は一対一対応ではありません。
英語には日本語と違った仕組みがあり、ひいては考え方が違うのです。

ある脳科学の研究によれば、英語を使う時に働く脳の部位が、日本語を使う時のそれとは違うとのことです。
もしこれが正しいなら、日本語⇔英語の変換という作業をやると本物の英語には太刀打ちできないことになります。
要は、英語を使うには「英語脳」を使って英語の発想になりきることです。
そのため、学習法としては、文法等の理屈はほどほどにして、話や文を丸ごと覚えるのがよいように思います。
ビートルズの詞を丸ごと覚えるのも効果的でしょう。
例えば、All My Lovingの詞"Remember I always be true."において何故"be"という形態が使われるのか、理屈から入るより、メロディー付きで感覚から入った方がものになりやすいと思います。

スポーツ等で「理屈は後から付いてくる」とよく言われます。英語でも一緒です。
順番は後でも、後には理屈がしっかり根付きます。

先日うちの会社のオフィスで、昼休みにガイジンから電話がかかってきたのを若いモンが対応していました。
その若いモンはやたらにsorryを連発しています。
日本語だと「・・・申し訳ございません、**はただ今昼休みで外出しております・・・」のようになるので、それを直訳したからでしょう。
英語を話すネイティヴの人はsorryは本当に申し訳なく思った時しか使わず、小出しにしません。
そして、約束の電話をほっぽらかして外出しているならともかく、普通に昼で外出している人など申し訳ないはずがありません。
これが英語の考え方の一例です。

こういうセンスを身につけていないと、外交などの場面で見くびられてしまうかもしれません。
中国、台湾、韓国の人は発音はよくない(失礼)ですが、逞しい英語を話します。

では次に具体的事例を紹介しましょう。

英語の授業でさんざんやった感嘆文。
What a beautiful mountain that is!
How tall you are!
こうした文を欧米人が話している、あるいは書いているのを一度も見たことがありません。
ただ、What a shame!というのを一度だけ聞いたことがあります。
感嘆文というのは文法的に存在しえても、実際使うには不自然な気がします。

次はpretty。
教科書には「かわいい」という意味で多用されていましたが、これも一度も聞いたことがありません。
Beautiful、lovelyなどはよく聞くのですが。
Prettyは死語ではないことは知っていますが、少なくとも、中学時に「かわいい⇔pretty」という一対一変換であるが如くの感覚を与えてしまうのが問題だと思います。

次は謙譲語(へりくだり)。
日本語には謙譲語が言葉として存在しますが、英語にはほとんどありません。
しかしだからと言って英語に謙譲の考え方がないと思うのは性急です。
英語は前後関係や文章の組み立てでそれを表します。
例えば、相手方を訪問する場合、相手を中心の立場として捉えるため、動詞としてgoではなくcomeを用います。
英語では、言葉そのものよりも実際の状況を重視しますので、"Sit down"のように原形(注;日本では命令形と呼ぶ・・・適切な呼称ではない)であってもその意味するところが敬っているのならそれでいいわけです。
Pleaseという言葉はここぞという時に心を込めて使います。
ですから、日本語における「***してください」を全部pleaseと訳すと大変おかしなことになるばかりか、本当に敬意や謝意を表す瞬間を伝えにくくなり、コミュニケーションがぎくしゃくするでしょう。
ただし、こうした日本人の特性は最近研究され始めていて、以前ほどはギャップがなくなってきたようには思います。

では今回はこれくらいで。

テーマ : 語学の勉強
ジャンル : 学問・文化・芸術

Coffee Break Beatles No.111 「Happy Birthday, John and Sean !」

こんにちは。

このよい秋晴れの今日、ジョン・レノンと息子ショーンが共に誕生日を迎えました。
もしジョンが生きていれば71歳。ショーンは1975年生まれですので、36歳になりました。
あのかわいかったショーンが今や立派な大人の男になりました。
ヨーコさん、おめでとうございます。

私はジョンに関しては音楽的、芸術的なことはもちろん好きですが、それとともに人間ジョンとしての生き方、特にヨーコとの愛の姿が好きです。
このテーマについてしっかり書いたことがあります。このブログで2010年9月6日に「ジョンとヨーコ、愛の姿」として載せました。
よろしければ月別アーカイブでご覧ください。

ご存じのように、ジョン一家は1977年以降、何度も日本に来ていました。
その当時は、ジョンの主夫としての考え方があまり理解できず、ジョンたちに会いに(見に)行くという発想が起きず、今から思うと大変残念なことをしました。
大学のサークルの1年先輩の人が1978年の夏休みに軽井沢まで見に行ったそうです。うらやましいです。

その後私は、ジョンのアルバムを見ながら浅間山に行って、ジョンの写真に写っていた岩と同じものがあるのに感動したりしました。
ま、それはともかく、ジョンほどの一流の芸術家の心の孤独とか苦悩は大変大きいようです。
その心を満たし、さらには新しい世界を芽生えてくれたのがヨーコさんだったというわけです。

短くも人生のエッセンスが凝縮されたアーティストだったと思います。

Forever, John !

テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

ウナギの生態

ウナギは日本人にとって実に旨い食べ物である一方、わからないこと、難しいことがあまりに多い。

まずは養殖。
浜辺でシラスウナギを捕ってきて大きく育てるのは昔からやっている。
でも卵から育てるのは至難の業だった。
最近、近畿大が卵を産ませ、孵化し、成魚に育て、また卵を産ます、という完全人工養殖のサイクルを達成した。
素晴らしいことである。
あとは生産性とコストだが、これまた難しく、時間がかかることであろう。

もう一つは天然ウナギの生態。
ウナギは海のどこで産卵し、どこでどう大きくなり、どのルートで日本等に来て、そしてまたどうやって海に戻るのか。
割と最近まで全くわからなかった。
こんなに身近にいる魚(魚らしくないが)なのに、基本的なことがわからなかったのはすごい不思議だし、それゆえ、それを知りたい好奇心はずっとかき立てられていた。

ウナギの生態に一生を賭けられた方がいらっしゃる。
東大の塚本勝巳先生だ。
長年に渡る地道かつ鋭い研究から、最近、ウナギの産卵場所をほぼ特定し(マリアナ近海)、受精卵の採取に成功した。
これまた大変素晴らしいことである。

以前から新聞等で塚本先生の活動は存じており、大体は知っていたが、具体的にどんな研究の方法で場所を特定したりするのか、そして観測船はどんなものなのか、はずっと興味があった。
先週BSで特集番組があったので、食い入るように観た。

一番驚いたのは、産卵場所は10m(10kmではなく10m)立方位の狭い枠の中で、10万匹位のウナギが集まって、新月の夜に一斉に産卵するらしいそうだ。
あの広大な太平洋の中のわずか10m立方。
まるで砂漠の中で落ちた指輪を探すようだ。
理由は、それだけ集中している方が食われないかららしい。

あちこちの沼や川にいるあのウナギが、広大な太平洋の1点を皆目指すとは到底考えられない。
泳ぎにくそうな体だし、頭がそんなによさそうにも見えない(失礼)のに。

ポイントは、塩分が急に変わるラインのようなものがあり、それに沿って行くのだろう、と。
研究の方法はいろんな科学に共通するものだった。
何ごとも信念と努力、解析の基本、そして若干の運だ。

番組では塚本先生のお人柄と観測船の様子が余すことなく描かれていた。
久しぶりのいい番組だった。

テーマ : 自然科学
ジャンル : 学問・文化・芸術

仕事の浮き沈み

こんばんは。

急に涼しくなりましたね。
暑いよりいいのかもしれませんが、これより少し暖かい期間を経てから涼しい方がいいような気がします。(贅沢かなあ?)

さて唐突ですが、
人生は浮き沈みがつきものです。
浮いてばかり、あるいは沈んでいるばかりという人はまずいないでしょう。
かく言う私も、少し前から仕事において「沈み」の時期です。

何年か前は絶好調の仕事ぶりでした。
自分で好調と思えるだけでなく、仕事上関係する人たちも明らかに買ってくれていたし、フレンドリーな関係も多かったでした。
でも今は、個人的には貴重な仕事上の友人は多い一方、評価はよくないですし、大きなマイナスの風のようなものも感じます。

そして、これまでの人生において仕事上、浮きと沈みを数年単位の周期で繰り返してきました。

若い頃の私は、沈みの時期は多いに苦しみ憂いました。
自分に全く自信がなくなり、自己否定もし、これまで歩んできた道をネガティブに考えるようになったりもしました。
逆に、浮きの時は自信過剰で舞い上がっていた気がします。

今や年の功を重ねるにつけわかってきたことがあります。
実は浮いている時も沈んでいる時も、自分の能力とか実体はほとんど変っていないのです。
でも、自分を評価してくれる人が言う言葉は「一面の」事実です。
この「一面の」という意味が大事ですね。
ある部分は確実に正しいが、その他の部分には間違いもある。

そして重要なことは、沈んでいる時は、その一面の事実を謙虚に受け止めること、そしてその一方で、それが全てのように飲み込むのではなく、自分を維持することです。
浮いている時は、逆に人の褒め言葉を話し半分に聞きましょう。

要は、自分への正の指摘も負の指摘も適度に受け止め、次のステップでの成長の糧にするのです。長いスパンで成長すればいいのですから。
いちいち大げさに受け止めていると自分も苦しいし成長も見込めなくなってしまうでしょう。

昔はよくしてくれた人が今や厳しいことや嫌なことを言ったり、距離を置くようになってしまうこともあります。
でも、それは国と国との盟友関係も時と場合でコロコロ変るではありませんか。
人も全く同様だと思います。そういうものなので、必要以上に気にしないことです。
自分を信じじっと構えれば必ずよいことがあります。

以上が、私がこれまでの人生の仕事において培ったことです。
若い人たちに送ります。

若者よ、大志あれ。
この国をよくしよう。

私も頑張ります。

テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

プロフィール

ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
ご気楽にコメントください。

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