2010夏 富士山(0m→3,776m)冒険のサマリー

皆さまこんにちは。
一昨年の富士山冒険記をご紹介します。
日本人なら海辺から最高地点まで自分の足で歩いてみたいものです。

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2010夏 富士山(0m→3,776m)冒険サマリー

8月5日~7日の2泊3日で田子の浦の海岸から富士山頂上まで歩きました。
一言で言うと、下の方の暑さが並大抵ではありませんでした。

私は30歳の頃からマラソンとか冒険の入り口のようなことをずっとやってきたので、
いかにしたら苦しいことに耐えられるか(あるいは耐えられないか)をノウハウとして持っているつもりですので、その集大成として、日本人として最もシンボリックな意味でこの冒険を思い立ちました。

また、百人一首でおなじみの山部赤人の歌「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」の気分で、その海から頂まで極めたらどんなに素晴らしいかと思い、計画したのでした。
なお、山部の言う田子の浦は今の掛川のあたりだという説がありますが、今の田子の浦の方が富士山に近いので、私はJRの東田子の浦駅で降りてから海岸に向かい、そこをスタート地点にしました。

今回歩き切ることはできましたが、暑さに関しては尋常ではなく、熱中症の危険も十分にありました。長年の経験からそれを回避して自己をコントロールすることはできましたが、あまり脳天気に語るべきことでもなく、また人にも安易に勧められません。

その前提で、今回の富士山冒険を落ち着いて振り返ってみます。2007年の房総半島横断冒険のような手記を書いたら長すぎますので、要点のみ箇条書きにしてみます。

*1日分の行程も十分きついのを3日も続けるのは本当に切なかった。しかしそこが大きなブレークスルーだった。
*親父はよく軍隊経験を話していた。1日20kmを荷物担いで行軍するのを3日も続ける、と。やはり日本人も韓国のような入隊体験があった方がよいかもしれない。
*田子の浦の海水を汲み、その水で富士山の頂上を清めることができた。日本人の幸せをかみしめることができた。
*麓の樹海のような森の続く中を走る道路は湿度が高く苔蒸していて、ひたすらひたすら上りが続く。本当に地獄だった。
*会社名を記したプレートを作ってそれを持参し歩いたので、会社のPRになった。
*工場の周囲は暑かったり、川沿いは比較的涼しかったり、と環境問題を肌で感じて歩けた。
*富士山は相当自己崩落が進んでいる。あのきれいな円錐状の形が崩れる日が来るかもしれない。
*富士山は若い人で賑わっていた。山ガールは見た目にもよいが、マナーの悪い若者もいた。

冬季の富士山にも今食指が動きつつあるのですが、これは十分注意しないといけませんね。
では。

2010年8月 ST Rocker
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Coffee Break Beatles No.127 「脱帽!女性ギタリスト」

今日はもう寝ようと思って、記事は全然書く予定なかったのだけど、
ふと観たYouTubeにノックアウトされてしまった。

まあ、騙されたと思って観てください。(この言い方って死語?)

http://www.youtube.com/watch?v=gc-Nrbe1xaw&feature=fvwrel

オイラもその昔若い頃バンドで演ったDay Tripper。
これって意外に難しい。

このYouTubeの若い女性、いい音出してる!
しかもオリジナルの奏法を加えて。それがまたいい。

ギターとかベースでしびれる音って男の感覚だと思っていたら、性別なんて関係ないんだね。
この方、結構何本も投稿しているから、寝るまでもう5本くらい観ることになりそう。
GWだから、夜更かしもまあいいか。

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GWに思う

皆さまこんばんは。
GWはいかがお過ごしですか?

私はこの数か月とても仕事がしんどいんです。
その理由は一つ。
それに対して悩むという年頃ではないので、自分はそれに替るビジネスを実行しうるのか? できないならそれに対し何とか耐えうる手段を考えないといけない、というわけです。

ビジネスアイデアはもううなるほど一杯ありますし、あとは形にするだけです。

GWは例年ですと必ず冒険を1本入れるのですが、今年はしんどいので基本は体を休めます。
そこでビジネスアイデアをまとめ実行のための行動計画の作成と、これまでのアイデアのうち、国際的に共有してもよいものを英語化することをGWの課題とすることにしました。

1つ前の記事は、昨年11/28の記事の英訳です。
アクシス・デザインという私のこれからの仕事の中核をなす部分の一つです。

しんどい方がかえって基本に立ち返られるからいかもしれません。

テーマ : 本日の日記
ジャンル : 日記

Axis Designer

Dear readers,

Thank you for visiting my blog!
Here in Japan we are enjoying Golden Week holidays.
How are you doing?

When I was young, I needed to make efforts to obtain coordinate axes which were lack in myself.
But hereafter when I am matured in age, obtaining new axes is not meaningful.
I would rather like to affect my thoughts which are based on my existing axes on the world and the young generation.

One of my "life work" items would be so called "axis designer".
It is, ie, to give any matter an axis by which it can think.

Excusing me for the following very practical examples, I already introduced some ideas in creating new axes in my blog.
Regarding a discussion on necessity of two-thosand-yen bill, consideration of price distribution for goods or services.
Price is determined whether by addition or by multiplication.
What kind of parameter is needed for considering TPP.

I would plan to do axis designs for issues in companies or families, or sometimes in any systems in the living world.

For your information, "axis design" is of my creating words, so there are not yet axis designers in the world as formal profession.

Hefeafter if I do axis designs as my work, I think that very severe new axes will be required for myself.

テーマ : ビジネス
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自動車管制システム

皆さまこんばんは。
GWスタートしました。いかがお過ごしでしょうか?
私は仕事で疲れ過ぎてほとんど計画も立てられませんでした(珍しいことです)。
休むしかないですかね。

こういう精神的に疲れている時は発明を考えるに限ります。
精神的にしんどい時には癒すという考えもありますが、私の場合は攻撃的発想(人に危害を与えるという意味ではなく攻めの発想)を行う方が精神的に回復します。ただし体に負担を与えない範囲で。
私は、つくばから千葉に車で移動する時間を利用して発明のアイデア発想を試みます。

3月10日に発想した発明は我ながらすごいと思いまして、知的財産権を整理してから公開したいと思います。
その雰囲気だけは同日の記事に書きました。
昨日の夜つくばから千葉に車で移動したのですが、昨日は公開できるような発明で実用的な身近なものを発想しようと心がけました。

かねてから私は渋滞の解消に関心がありました。
渋滞する車の列を列車の貨車のように考えて、信号が変わると同時に一斉にスタートするような仕組み(もちろん安全も込みで)を作れないかな、などと考えてきました。
せっかくだから昨日の2時間の間に全く新しい発明をしてやろう、と思いました。

渋滞は経済活動の低下を招くばかりか、時間や資源の無駄使い、そして精神的にも負担が大きいですよね。
そこでいろいろ考え回した結果、よく大きな人気店とか施設や名所、イヴェント会場などは大変な車の列ができ渋滞が大きくなりますので、これを何とか解消する発想を絞り出していました。

こうした場合なぜ車の列ができるかというと、駐車場に進入してからスピードが著しく落ちるから。
ではなぜスピードがそんなに落ちるかと言えば、各車がどこにどう停めたらよいかわからないため、その「どこ」がどう行けばよいかもわからないため。
そしたら答えが出ました。「飛行機だ!」

飛行機は着陸してから最終的にエプロンに駐まるまで、パイロットが自分で考えながら行きますか?
ノー。管制官が指示します。
JL***便、羽田進入路**を使用せよ。***の向きで滑走路***に着陸せよ。
着陸後、誘導路**に沿って陸走せよ。駐機エプロンは**番。

そう、この航空機管制システムを自動車に適用するのです。
各店や施設は1km位手前で駐車場誘導電話番号を道路上看板に表示します。
するとドライバーは自動車電話(または携帯でもOK、ただし車のナンバーを登録しておく)からその電話番号をダイヤルします。
安全上、音声でダイヤルできるような仕組みの方がよいでしょう。

自動車管制システムを操るのは人間でもよいが、大抵の場合コンピューターで大丈夫でしょう。
まずは、受け付けた旨のメッセージが流れます。
「こちらそごう千葉店駐車場誘導管制システムです。お電話ありがとうございます。ただいま、千葉530も35-87のお車の誘導を受け付けました。キャンセルは0、このままご利用の場合は1を発信ください。なお、誘導システムご利用料金は500円です。料金は駐車料金と共に出庫時に精算させていただきます。」
その後、目的場所の確認、一番近いところを選ぶか、どこでもよいか、などの選択に答えた後に、どのゲートを入ってどう進み、最終的にどの駐車場のどこに停めるかを誘導して行きます。

どうですか?
これなら車はスピードがあまり落ちずに駐車場にどんどん吸いこまれて行くので渋滞が起きないわけです。
飛行機だって、管制しなかったら空で渋滞が起きてしまうでしょう。

この発明は実用新案くらいでしょう。
私は実施しませんし、権利も主張しませんので、是非どなたか実施してください。

ところで、パイロットと医者は、今でもなれるものならやってみたい職業です。

では、GW有効に使いましょうね。

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ありがとうございました

皆さまこんばんは。
GW目前ですけど、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?
私は結構仕事でメンタルエネルギーを使い果たしていまして、あまりGWとかまで気が回らないのが本音です。
何とか充電するよい方法を思いつかないといけませんね。

前回記事の冒険記は多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。
自分にとってはよい趣味だとは思っていても、他の人にとってはそうでない場合も多いです。
冒険の話をしても「何てバカなことを」とか思われる方も時々いらっしゃいます。
自分でも半分そう思っているくらいですから、これは仕方ありませんね(笑)。

でも、半島を横断して海から別の海へ行くなんて、背筋がゾクっとするほど興奮しますよ。
北総冒険記の最後に「富士山を海から登れたらいいな」と書きました。
はい、実現したんですよ。2010年の夏に。
近いうちに載せますね、その手記を。
日本人ですから海抜ゼロから一番高いところまで自分の足で歩く。これは究極の夢でした。
しんどいのはむしろ麓の暑さでした。

50歳過ぎてからのロッククライミング(2010年10月)も(自分としては)すごい体験でしたね。
いくら命綱があるとは言っても断崖の絶壁。
この時悟ったのは「登ることしか助かる方法はない」。
企業の研修かなんかに取り入れたら効果的かもしれないと思いました。

2011年に入って病気をしてからしばらく冒険は遠ざかってました。
でもまたうずうずしてきました。
まずは筑波山で足慣らしかな。

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房総半島冒険記 Part 4 「北総横断」 2009-08-14

皆さまこんばんは。
昨日の冷雨とはうって変わって今日は初夏の陽気でしたね。
実は昨日は大腸の内視鏡検査がありました。異常ありませんでした。
だけど若い女医さんだったのでちょっとドキッでしたね(笑)(なんのこっちゃ)
今年初めての有給休暇でしたのでそれなりに休めるかと思ったのですが、検査は体に負担かけますね。
仕事もまだまだ著しい苦境が続いています(本質は素晴らしいはずなんですが、1点です1点)。
今日は3年前の冒険記をお送りします。
今私はつくば-千葉を車で行き来していますが、これと似た道を自分の足で歩いたことがあります。
意味のある街道だと実感できた喜びをお伝えしたくてご紹介します。

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房総半島冒険記 Part 4 「北総横断」 2009-8-14

1.はじめに

2年前の盆休みに房総半島横断 Part 2を成功させた際、私は冒険の醍醐味と冒険の意味するところをしっかり感じ取った。要約すれば、冒険とは自分の殻を打ち破るためのほんの少し未開拓の領域に入ること、そして冒険とは計画した段階でほとんど成し遂げたと同じであること。
冒険とは何も植村直巳のような大それたものである必要もないし、また体を使ったり危険なことに挑むことばかりではない。自分なりの目標設定を行い成し遂げることに意味があり、喜びがあるのだ。
その喜びは表しようのないものであり、私は正に冒険を趣味としていると言ってもいいと思っている。

私が冒険として以前から捉えていることの一つが房総半島の地形を自分の足で制覇することである。そもそも普通の人間では味わえない地形の制覇を体感することと、自分の能力と計画力、実行力を伸ばすために、自分の十分やれそうなことより少しだけ高いところに目標を置くのだ。

最初の房総半島横断は1994年盆休みの自宅~白子海岸を主に走って横断したのを最初として、2007年夏の上総湊~勝浦の完全に海岸から海岸までの制覇(歩きを中心に走りも少し)を成功させた。 私は北総地域の豊かな自然や農作にも興味があったので、それを実体験したくて、今年のGWには自宅から船橋を経由して鎌ヶ谷経由で松戸まで歩こうと、Part 3を実行した。ところが早いペース(1時間6km位)の早いペースと休憩なしがたたって途中でオーバーヒートしてしまい、やむなく船橋市習志野台で行程を終了した。これは悔しかった。

今回は北総を歩く夢を叶えたいのと、シンボリックな意味でも東京湾→利根川という地形横断も実行しようと考えた。無謀な冒険は冒険とは言わない。だから確実に実行できる計画と実践に心がけ、冒険の意義の原点に戻りたかった。周囲のアドバイスでは、真夏の冒険は歳を考えて注意するようにとのことだったので、途中不調になればすぐに中止する勇気を持つことにした。

2.今回の概要

起点は船橋ららぽーとの近くの東京湾岸。終点は印西市木下(きおろし)付近の利根川の川原。2年前のように完全に水際から水際まで制覇したいが、それが許されないなら無理はしないこと。
全行程は約35km。今回は走らず全て歩き。

前日の天気予報では、前線が通過後に日本列島は大陸生まれの高気圧に覆われるので、暑くなるも湿度は低いとのことなので、8月14日決行を決めた。
食べ物、飲み物は全て現地調達。地図は自動車用の地図をコピーして持参。
Tシャツにハーフパンツ、運動靴といういでたち。街中だから倒れることもあるまい。
今回も帽子を持ってくるのを忘れてしまった。

3.記録詳細

6時過ぎに起床。結局就寝中には気象はあまり好転しなく寝苦しかった。まだ千葉の地上には湿気が漂っているようである。外は薄日が射している。まあまあかな。休日朝の定番のトースト2枚とコーヒーを食す。時間はないけど休日朝のささやかな至福の時に浸る。少し休んでから7:15頃車で家を出る。***駅は夏休みとはいえ若干通勤風景があった(写真1、7:29AM)。7:30発の**行きに乗る。車内は混んではいなかったが一応通勤電車の風であった。その中で半パンのおじさんはちょっと妙だ。でも自分ではこのスタイルはまんざらではないと思っている(からタチが悪い)。**で乗り換え。いつもなら東京行きの電車に殺到する通勤客でごったがえすが、今日は暢気なものだ(写真2、8:08)。7:48発の東京行快速に乗る。通勤風景ではあるがかなり空いている。8:07に南船橋に到着した。

ららぽーとの最寄駅であるが、もしかして乗り降りしたのは初めてかもしれない。ららぽーとは車でしか利用したことがなかったから。しかし駅の周辺の地理は熟知している。改札口から海側に出て線路に沿って少し進む。今回の冒険の歩行開始は8:13とする。南船橋駅の写真を撮り忘れたので慌てて振り向き撮る(写真3、8:15)。駅名看板がかろうじて写っているが見にくい。勤め人はほとんどいない。テニスの用品を持った大学生風の男女が結構たくさんいて一定の方向に歩いている(写真4、8:15)。女学生の話し方を聞いていると関西訛りにも聴こえる。どっかから合宿に来ているのかもしれない。話の内容は結構共感するものがあった。とかく気が滅入りがちな冒険の出だしとしてはfriendlyなものを感じほほえましくなった。結局この若者たちはテニス場へ向かった。

若者たちと別れを告げ、船橋オートレース場を左に見ながら少し歩き、さらに東京寄りへ前進するとららぽーとの駐車場、そして前方には連絡橋が見える(写真5、8:22)。
ところで気候としては真夏の暑さや日照りはない。どんより曇っていて湿度が高めである。結局快適でも不快でもない。前日TVの天気予報で言っていた「大陸生まれの高気圧に覆われてカラーっと晴れる」の状態にはまだなっていない。とにかくスタート時の必要以上の頑張りはいいことないから、自重気味に歩く。おそらく5km/h位か。

ららぽーと駐車場を過ぎるといよいよ東京湾岸に到着した(写真6、8:27)。港湾地帯なので浜の状態ではない。しかし手すりを経て海面が間近に見て取れる。冒険だからスタート時に海水を汲みたいところだが、今回においては仕方あるまい。運河を介しての風景の写真も撮ってみた(写真7、8:27)。倉庫の一群だ。右の鉄橋は京葉線。東京湾を背に我が顔を撮ってみた(写真8、8:28)。さあ、いよいよ横断開始!

運河に沿い内陸に向かって歩行開始。このあたりは遊歩道になっている(写真9、8:28)。向こうに防音壁のある道路は国道357号線。遊歩道にはお年寄りとか少しストイック風の男性などがいた。そんなに明るい場所ではない。遊歩道はすぐにやめてしまい、右に沿う一般道へ出た。右後ろを向けばららぽーとのタワーが見える(写真10、8:34)。前方はこんな感じである(写真11、8:34)。人の息吹はあまり感じない。係留している漁船やモータボートの類も撮ってみた(写真12、8:36)。こっち側は小さい漁船が多い(写真13、8:40)。そんなこんなで国道14号に出てきた。「船橋橋」という交差点である(写真14、8:41)。幹線道路まで出たからひとまずふーっと一息。さあ頑張ろう!

さあなじみの14号だが朝で人通りが少なくいまいち元気がない。相変わらずどんより天気だが、黙々と歩く(写真15、8:42)。まもなく先方に、左に折れる(すなわち内陸に向かう)交差点が見えてきたので元気が出る(写真16、8:49)。このあたりは若松という地名。ららぽーとから千葉寄りに少し行った地帯。14号、357号、そして内陸へ向かう要路である県道8号線が交差する地帯であり渋滞の名所になっている。特に357の若松交差点は私が千葉に赴任した1982年からずっと渋滞し続けている。交差点の構造も欠陥だと思う。やっと立体交差が完成するらしい。

車であれば若松の大インターチェンジを8号線へ向かうところだが、多分そこは車専用道路だろうから、手前をこちょこちょと行くことにした。ここは自分の感覚で京成電鉄の線路をどこかで超えいずれどこかで296に合流する腹積もりである。詳しい地図は持っていないので果たしていける確証はないが、自分のこうした感覚には結構自信を持っている。まずは京成の船橋競馬場駅にアクセスした(写真17、8:52)。ららぽーと行きの送迎バスが出ている駅で有名である。かつてはセンター競馬場駅と言った。後でインターネットで調べたら、元は船橋競馬場駅だったそうだ。船橋ヘルスセンターができたのでセンター競馬場になった。ヘルスセンターがなくなったことで船橋競馬場に戻ったとのこと。おもしろい話である。駅のすぐ脇の踏み切りを渡ることにした。京成電車が通過する(写真18、8:53)。踏切待ち中に後ろを振り向くとららぽーと行きのバスを待つ人の列(写真19、8:53)。この時間だとららぽーとに勤める人たちか? 

踏切を越えて線路沿いに少し行くとすぐに前方に県道8号線の高架が見えた(写真20、9:01)。つまり、なかなかいい所を歩いとるわい、とうことで安心。いつも車で通ると気付かないのだが、実はこのあたりは閑静な住宅街であった。住宅街を小刻みにカクカクと曲がって歩く。日照りがないので暑くもないが、湿度が結構あって重苦しい。「天気予報違うぞ!」と言いたくなる。なかなか日本の天気を予想するのは難しいものなのかなあ? 以前アメリカのミシガンに出張に行っていた時は1週間分の天気を結構正確に予想していたのに。するとめでたく8号線に出てきた(写真21、9:06)。8号線に立ち後ろを見渡すと遠方に首都高湾岸線が見える(写真22、9:07)。そして前方を見渡すと「我孫子、鎌ヶ谷」の看板が見える(写真23、9:07)。我が行く方面だ。冒険闘志がかき立てられる。8号線の左側歩道を行くことにした。少し行くとサンクスが見える(写真24、9:09)。第1回目の休憩を取ることにした。GWの苦い失敗を教訓として今回は概ね1時間に1回休憩して飲み物を買うことにする。サンクスでアロエヨーグルトと野菜ジュースを買い、道端の縁石に腰かけてヨーグルトを食べる(写真25、9:14)。ヨーグルトはほとんど写らなかった。もしこの時点で日照りが強ければ帽子ないしは頭巾用タオルを買ったところだったが、曇りなのでしばらくはno帽子で行くことにした。

気合を入れて元気に8号線を行進再開。まもまく前方に296号との立体交差が見える(写真26、9:21)。そして我が顔を撮る(写真27、9:21)。なかなかよく撮れてるぞ。立体交差の下まで来た。反対側にラーメン屋「かいざん」が見える(写真28、9:23)。ここのチャーシュー麺は絶品だ。しかも安い。お薦めの店だ。ただし餃子はしょぼい。右に折れる296と別れを告げ、8号線を前進する。JR総武線を渡る陸橋に出た(写真29、9:30)。越えるとこのような若干くねり上下もある道(写真30、9:33)。私に限らずアスリートならこのような変化は好むはずだ。元気が出、しばらくルンルン気分で行進する。すると前方に東葉高速の高架が見えてきた(写真31、9:50)。車の往来は多い。さらに黙々と進む。調子はよい。しばし行くとそれなりの上り坂にさしかかった(写真32、10:07)。車の量が多い割に道路がよくない。車が数珠繋ぎになってしまっている。千葉県全体の道がまだまだよくない。さらにこんな感じで同様だ(写真33、10:08)。路側帯も狭くなってきた。

左に高根寺というお寺の入り口があったので撮影(写真34、10:11)。こういう瞬間はいいものだ。ものが何であれ、何かが現れると旅人は元気が出るものだ。急に土地が開けてきた。畑や遊休地などと思われる(写真35、10:17)。北総の雰囲気がしてきた。前方を見やるとこんな感じ(写真36、10:17)。緑も多くなってきた。再び街っぽくなった(写真37、10:26)。後ろを見やるとこんな感じ(写真38、10:27)。さらに行くと左側に結構大きい竹林が現れた(写真39、10:30)。新聞で読んだことがあるが、最近の日本は竹が増えすぎて他の木を圧倒しているとのこと。確かにそれ以来注意して観察するとそれをうなずける光景に出くわしたことが何度かある。さらに行くと少し違う雰囲気のところに出てきた。畑と家が混在しているような地域。馬込にさしかかった(写真40、10:38)。ということは木下街道に近い。左を見るとこんな感じ(写真41、10:43)。何畑だろう? 少し進むといよいよ木下街道との交差点である馬込十字路が見えてきた(写真42、10:47)。待ちに待った瞬間である。まさに十字路に到達した(写真43、10:48)。

さあ、十字路を右に折れ木下街道を一路木下へ向かう!(写真44、10:53)。とは言ってもこのように超狭い道だ。逆向きの車の渋滞してるし。歩きにくいこと。路側帯がないに等しかったり、U字溝のコンクリートの蓋の地帯を歩いたりと、しばらく苦労しながらも進む。すると何となく薄日が差してきた(写真45、11:08)。先ほどから定期的にジュースを買ってちびちび飲みながら歩いているので熱中症にはならないだろう。セブンイレブンがあったのでここで少し休憩することにした(写真46、11:12)。

似たような道の雰囲気は相変わらず続く。前方鎌ヶ谷方面に向かう車の列が続く(写真47、11:20)。ここで我が顔を撮影(写真48、11:21)。さっきの顔より少し疲れは出てるね。道路は相変わらずこんな感じ(写真49、11:24)。日差しはどうやら強くなりそうはなくラッキ。もうすぐ鎌ヶ谷のはず。いよいよ新京成電鉄・鎌ヶ谷大仏駅に来た(写真50、11:26)。ところでこの新京成。やけにくねくね曲がっている線路だが、その理由は戦時中に列車の性能を改良するためにわざと曲がりくねって設営した演習線だったとのこと。駅を越えて少し行くと八幡神社という神社があった(写真51、11:26)。中の鳥居から移した姿はなかなか整然としている(写真52、11:28)。本殿も美しい(写真53、11:29)。再び道路に出てから神社とは反対側に鎌ヶ谷大仏が見えた(写真54、11:31)。普通の墓地の中にある大仏だ。珍しい。
ここまで来て今回の冒険の半分は過ぎたように感じていた。しかしそれは甘かったことが後で判明する。

さてここで昼飯にすることにした。冒険家としてはレストランを利用するのは主旨に反するかもしれないが、今回は「安全第一」。ここを過ぎるとおそらくレストランはないだろうから、大仏駅近くのサイゼリアに入ることにした。本来私はこの手のカタカナのチェーン店を好きではない。味がどうのではなく、大食漢の私としては物足りないのだ。しかし今の私はダイエットのため昼抜きの毎日。それからすれば十分な量だ。しかもサイゼリアは何度か入った経験からかなりリーズナブルな内容なことは知っている。それに以前TBSの「ガッチリマンデー」でやっていたが社長が理科系出身だそうだ。そんなことで迷わず入ってみた。ところが応対した女性の店員の対応が悪く一時出ようとも思った。でもガマン、ガマン。498円のスパゲッティを頼んだ。水分もしっかり摂り休憩もしたら疲れはみるみる取れた。

30分弱くらい休み進行再開。道路の感じは少しはよくなってきた(写真55、12:10)。そしていよいよ白井(しろい)市へ入る(写真56、12:14)。以前車で白井駅のそばを通りかかったことが1回あるくらいでほとんど行ったことがなかった地域である。走る仲間が「白井梨マラソン」に出ていたのが印象的だった。最初の梨園の看板が目に入った(写真57、12:26)。いよいよ梨の街白井を堪能できる。そしてこんな梨直売場が現れた(写真58、12:29)。結局こういう感じの直売場はとても多かった。しかも皆似ていた。そしてこんな感じで梨園の看板(写真59、12:32)。 白井は何故梨の名産地なのかがこの目で実感したかったので、ある梨園の淵まで立ち入ってみた(写真60、12:34)。見えている垣根の木の内側一体が梨畑である。土を見てみた。すると私が見慣れている土よりも白っぽくてパサパサしていた。なんか水はけがよさそうな感じである。私が育った与野や今の自宅の**の土はもっと色が濃く粘っこい。この点については後でよく調べて確認してみよう。気のせいか白井のあたりの植生がやや違うようにも感じた。

木下街道をどんどん進む。調子はよい。すると左側に「競馬学校」なるものが見えてきた(写真61、12:47)。後で聞くと結構有名なものらしい。白井の雰囲気は鎌ヶ谷とは違う。**と似た車社会の感じがする(写真62、12:52)。車で買いにくるようなホームセンターのようなものが多い(写真63、12:56)。さらにこんな感じ(写真64、13:00)。人口密度が少ないので、地図上は近そうに見えても距離がある。従って進むのがしんどくなってきた。体力はまだある。 しかし雨がぽつっと来始めた。天気予報によれば降水確率ゼロだからまさかしっかりした雨になることはあるまいが、気になる。雨が原因で冒険中断などいやだからね。傘もカッパも持ってきていないし。

頑張って歩くと変わった形の交差点にさしかかった(写真65、13:01)。交差点は北総鉄道を跨いでいた(写真66、13:02)。さらに行く。街としては統一された印象はなく、最近人口が増えて不自然に街が発達している感じがする。前方にまた変則交差点表示が見えてきた(写真67、13:11)。私の目的地は印西(印西市木下)。その変則交差点を通り過ぎているところ(写真68、13:13)。雨が結構無視できないくらいに降ってきた。まずい。再び木下街道の一本道を歩く。白井小学校の前に来た(写真69、13:20)。このあたりの地名は「根」という。珍しい。印西まで10kmの表示。さあもう少しだ。

雨はどうにか上がってきた。確かにこれなら降水量1mmに満たない。その意味では降水確率ゼロは間違っていない。前方に国道16号との交差点看板が見えた(写真70、13:25)。歩行者は歩道橋を渡らないといけない。歩道橋上から16号を見やる(写真71、13:27)。陸橋を越えると風景は田舎になった。道は狭くてくねっている(写真72、13:39)。すると田んぼが開けてきた。印旛沼土地改良に関する石碑があった(写真73、13:41)。それほど大したものなのであろう。神崎川という小川を渡る(写真74、13:41)。いい川だ。少し行くと白井運動公園の案内板(写真75、13:46)。どうも白井の町並みはとりとめもない。

結構田舎地域に入ったので距離をこなす必要が出てきた。結構疲れがたまってきたし、精神的にもしんどくなってきた。やはり地形を制覇するのは難しいなあ。そうこうするうちネギ畑が現れた(写真76、14:04)。何故真夏にネギ? いろんな無機質な建物や施設が現れ気が疲れてくる(写真77、14:06)。さらに歩くと結構疲れてテンパってきた。一度わき道の森の中で休もうとしたが、腰掛けるところがなく諦めた。また街道に戻る(写真78、14:21)。そして我が顔を撮りカツを入れる(写真79、14:21)。そしてとうとう印西市に入る交差点が見えた(写真80、14:24)。
実はここから動きがあった。

この三叉路は市境を意味するのみでなく、地形的にも文化的にも町並みもガラっと変わる地点であった。今回の横断は山越えはないが、それでもほんの少しの「山」はあった。ここから先徐々に上っていく。さて、三叉路を左道なりに進む。まもなくすると阿夫利神社という立派な鳥居があった(写真81、14:27)。おばちゃんが二人丁度写真を撮っているところだった。別角度から神社の入口を撮影(写真82、14:27)。ゆるやかな上り坂を進むと右手に素晴らしい畑と森の一帯が開けた(写真83、14:35)。調子はよい。日差しが差してきた。はじめて晴れの様相になってきた。昨日の天気予報言うところの大陸からの高気圧がカラっとした空気を運んでいる状態が実感できた。

ごく軽い山越えの感じとなり冒険家としてはよい風情となった。体調も快調になった。すると前方はるか先に平野のような景色が見えてきた(写真84、14:50)。つまり山越えがなされるのだな、とわかる。山もほぼ終了が見えてきた(写真85、14:51)。山をほぼ折り終え平野を見渡すとはるか彼方にふたコブの山が小さく見える(写真86、14:53)。なんと筑波山だ! 筑波山が見える場所まで来たのだ! 東京湾から利根地域まできたのだ! ものすごい感動を覚える。 実は筑波山は千葉の高層ビルからも見える。でも地上で見えるのは明らかに房総の背を越えて利根地域に来ないと見えない。すごいことだ。

さらに印西中心部へ向け進む(写真87、14:54)。水田が広がる地域へ出てきた(写真88、14:55)。水田の向こうに筑波山が小さく見える(写真89、14:57)。さらにどんどん進む。途中でコーラを買い飲みながら歩く。亀成川という川にさしかかる(写真90、15:08)。川の反対側(写真91、15:08)。ゴールのことをそろそろ意識し始める。しかし無理してペースは上げない。森がある一方、人家も増えてきた(写真92、15:17)。さらにこんな感じ(写真93、15:20)。2年前に房総南部横断した際も鴨川の市街に近づいてきたらこんな感じだった。はるか遠方に街を感じる(写真94、15:20)。さらに建物が多くなってきた(写真95、15:29)。と思ったらまた建物が疎になる(写真96、15:33)。遠方に交差点の看板(写真97、15:35)。いよいよ市街地か?

そしてついに国道356号との交差点に来た。ここも立体交差である(写真98、15:38)。向かって左も望む。筑波山が小さく見える(写真99、15:38)。木下市街に入ってきた。前方にJR成田線との踏切が見える(写真100、15:43)。でも少し寂しい町並みだ。そしてついに踏切まで来た(写真101、15:46)。踏切から左方(我孫子方面)線路を見やる(写真102、15:47)。右方(成田方面)も見やる(写真103、15:47)。そしていよいよ成田線と並行して走る道まで来た(写真104、15:50)。木下駅も近い。しかし寂れた街だなあ。場末のスナックなんかが似合いそうだ。

右に行けばすぐに木下駅というところまで来た(写真105、15:52)。しかし目的は利根川だ。左に折れねば。おっ、向こうに土手が見えるぞ(写真106、15:53)。途中に神社あり(写真107、15:57)。いよいよ土手だ(写真108、15:58)。土手に登る階段だ(写真109、15:58)。その向こうに大河があるかと思うとわくわくする半面、なんか少し怖い感じもする。さて階段に登るぞ(写真110、15:59)。うわあ、ついに見えた母なる利根川! 思ったよりすごい大河ではない。怖くもない。そして向こうには筑波山(写真111、16:00)。川の上流を望む(写真112、16:00)。そして下流(写真113、16:00)。川岸に住み着いている人、あるいは作業小屋のようなものがある(写真114、16:01)。土手から木下の市街を望む(写真115、16:01)。

いよいよ川原まで降りてみることにした(写真116、16:02)。藪の間の小道を通り抜けて(写真117、16:03)。いよいよ川原に出た。残念ながら川岸は完全に護岸工事がされていて人が降りることはできない。さっきの小屋の人が自分専用のアクセスを勝手に作っている他は川に下りる手はない。よって釣り人などもほとんどいない。とにもかくにもついにはるばる東京湾から辿り着いた! おめでとう!! 記念撮影(写真118、16:07)。そしてVサイン(写真119、16:08)。ついにやりました北総横断冒険!

時間も時間だから早々に駅に向かう(写真120、16:19)。まもなく木下駅へ来た(写真121、16:19)。なんと阿夫利神社で会ったおばちゃん二人もいるではないか。びっくり。彼女らはどうやってここまで来たのだろう? バスに決まってるね。そしてホームで電車を待つ(写真122、16:23)。このような冒険の後だと少し位の待ち時間など全然気にもならない。

成田行きに乗車。乗り物に乗ることの不思議さとありがたさを改めて感じる。
成田で快速に乗り、千葉で乗り換え、無事に***駅へ着いた。

4.あとがき

今回はとにかく無理せず着実にやったことがよかった。やはり冒険は準備と頭を使うものである。
それにしても35kmは長い。これ以上長くなるとやりきれなくなる雰囲気がした。目標設定も丁度よかった。
しかしなんといっても地形を制覇して東京湾から利根川という全くの別世界を自分の足だけで制覇できたことは身震いをする感動であった。

北総の豊かさは何であるかは残念ながらそれほどわからなかった。でも少なくともしっかりと通過地域の有り様は自分の中にinputできた。

身体的には筋肉痛、足のマメもほとんどなかったが、全身体力はやはり数日先まで疲れをもたらした。

これはあくまで夢ではあるが、富士山を海抜ゼロから登りたい。それこそ田子の浦の海岸で海水を汲み、頂上でそれを注ぎ清めるとか。それにはしっかり体力をつけ、したたかな計画が必要であろう。

                    2009-8-29 ST Rocker  残暑厳しい日に

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そして自分もダムに喩えてみる

皆さまこんにちは。
寒い日ですね。まもなく雨も降りそうです。
火曜からは夏のような陽気になるとか。
なかなかうまく行きませんね。

私自身は引き続きしんどい状態が続いています。
が、月曜は体の検査が丸1日あるので仕事は休みです。
検査とはいえ本当に久々の休みです。ちょっとばかり好きなことをして体を休めます。

私の趣味の一つに新聞の切り抜きがあります。
新聞を丸ごと読んで、興味深い記事や気になった記事を切り取って一旦どこかへ溜めておきます。
数ヶ月か半年くらい経った時点でそれがなお自分にとって有用なら、それを実行したりきちんとファイルしたりします。
これがなんとも楽しい作業なんですよ。
昨日は料理の記事のうち、つくばで作れそうなものをピックアップしました。
ちょっと挙げてみますと、イワシの梅干煮、魚介のトマト煮込み、プライパンパエリア、キャベツのオイスター炒め...
なんだ、みんな酒のつまみじゃないか、と言われそうです(笑)。
ちょっと幸せな気分になりました。

さてこのところ、「ダムに喩えてみる」の記事を連続で書きました。
これはなぜかと言いますと、実はですね、たいていのモノはダムに喩えることができるからです。
たいていのモノは何かを吸収し何かを放出し、そして一定部分のエネルギーを蓄えているからです。
そして、他者に対してエネルギーを供給し(仕事をし)、そして他者からエネルギーを得ている。

今日は、究極の喩えとして、自分をダムに喩えてみます。

人間にはポテンシャル(潜在能力)があり、その高さはダムの落差です。
そしていくつかの能力の質と量があり、体内にそのエネルギーを溜めています。
エネルギーの種類と質はいろいろあります。
それは時に精神的エネルギーであり、時に芸術的パワーであり、そして時に物理的な力であります。
だから、人間に相当するダムは少し複雑な構造をしています。
でも基本は、水がどれくらいたくさん溜まっているのか、その落差はどうなのか、どんな水があるのか、だと思います。

人間というのは、相手が人間だろうと動物であろうと物であろうと、他者に対して有効な仕事をすることが任務であり生き甲斐であると考えます。
それはダムが放水して発電のような仕事をすることに喩えられます。

他者にエネルギーを与えるわけですから、自らある程度のキャパ(貯水量)がないとだめですし、それを補うために外部からのエネルギーの供給が必要です。
人間はダムに喩えられますが、同じく電池にも喩えられます。しかも二次電池(蓄電池)です。
ではどうやって充電するかと言えば、食物であり、芸術であり、他人からの精神的影響などによります。

適度な電気的抵抗をもつ機器に対し仕事をするのが本望ですが、時に不心得な輩に短絡させられたり逆バイアスをかけられてしまい、電池として劣化してしまうこともあります。
それを修復するのは、やはり順当で適度な電圧をもつ外部電源によりやさしくなだらかに充電することです。

ちょっと専門的な話になりましたので、私の例でお話ししましょう。
私はよくいろんな人から「元気をもらいましたよ」とか「エネルギーをいただきましたよ」と言われることが多いです。
それはとても光栄なことです。生きている甲斐があるというものです。
ダムや電池で言えば落差(電圧)、水量(電流)または貯水量(容量)のどれかが大きいからだと思います。

しかし今の私はある苦労がありまして、精神的エネルギーが枯渇されそうです。
貯水量や容量が低下していますので、ポンプで水を汲み上げるないしは充電をする必要があります。
そのためには自分よりパワーの大きい装置でそうすることが最も有効です。

私の場合、その大きな手段の一つがトレーニングジムの仲間です。
ここに出入りする人たちの精神的ポテンシャルは相当なものです。
フルマラソンくらいは普通だし、60超えても100kmマラソンとか、山とかその他活動とか。
特別な趣味はなくても生き方の信念とか。
そこで私は充電されるのです。

実はブログもこの目的を達せられる場の一つだと思います。
ただし文字によるコミュニケーションは注意が必要なので、十分相手を尊重して相手の立場になって、その結果自分への薫陶になるように進めないといけないと思います。

また、30代のころに私がやっていたような年間に本を1千冊くらい読むなどのことも充電になりますね。

結局申し上げたいことは、具体的な私のやったことに注目していただくよりは、自分のダムや電池の仕組みをまず知ることだと思います。
自分というダムや電池はどういう人や物に対しどんな仕事をしているのか、そしてどんな人から充電を受けているのか、の現状を知ることがまず一つだと思います。
そして、今のキャパを維持するのがよいのか、増やすのがよいのか。
そういうことを考えると、むやみに悩んだりむやみに努力するようなことではなくて、一つの「軸」ができると思います。
私がかねがね申し上げている「アクシス(軸)デザイン」とも関連してきます。

では今日はこのへんで。

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Coffee Break Beatles No.126 「やっぱり東京公演は・・・」

こんにちは。
最近、奥手ながらYouTubeをよく観るようになった、と書きました。
昨日いろいろ検索していますと、ビートルズの東京公演(1966年6月30日、武道館)の30分丸々の映像があるのがわかりました。(下記サイト)

http://www.youtube.com/watch?v=qlRGleqYJBk&feature=related

著作権が厳しいビートルズなのによく大丈夫だと思います。
私的には随分久しぶりにこの東京公演を観ました(聴きました)。

その昔私が聴いていたビートルズ東京公演とは、海賊版Live in Tokyoとか、日テレがたまに放映するビデオくらいでした。
そしてその演奏はとても変に聴こえたものです。(ぶっちゃけ、下手に聴こえた。)
しかし本来ビートルズは口パクをやるようなバンドではなく、生で十分な演奏力をもつバンドのはずでしたから、なんでこんなことになっちゃったのか、がずっと謎でした。

そこで書いたのが拙書「技術系サラリーマンのビートルズ論 第1章『ビートルズ東京公演の謎』」です。
お暇な方はカテゴリ欄の該当部分をクリックいただき、最初の記事をご覧ください。

その私の解析の結論としては、あの日の東京公演では実は彼らは下手に演奏していたわけではなかったのだが、下手にそして変に聴こえてしまった、でした。
その主な理由として、
1.武道館の(そして当時の日本の)低いPA技術
2.楽器を半音低くチューニングしていた(Yesterdayの演奏のためと思われる)
3.ジョンとジョージが全く同じギターの機種で演奏した
を挙げました。

昨日改めてYouTubeを観ますと(聴きますと)、1の問題が後処理によりかなり改善されているようで、「聴くからにおかしい」という状態はなくなっていて、まあまあなライブパフォーマンスだな、と感じました。個々の演奏や歌唱を見てもわりとちゃんとやってるな、という印象です。
このことは"Anthology 2"を聴いても同様な改善が感じられます。

彼らは少なくとも一定の音や歌声を出していたと思われます。それがかつての録音ではちゃんと落ちていなかった。
PAやミキシングの問題の他に昨日感じたのは、マイクのグラグラ。
グラグラ揺れて向きがどんどん変わってしまい、ビートルズたちはそれが気になって仕方ない様子でした。
これはニッポンの恥ですね。
当時のマイクは指向性があったのでしょうか。向きがおかしな状態で歌っていた瞬間は音がちゃんと取れていなかったようです。
特に1つのマイクを二人で共有することをパフォーマンスにしていた彼らですから。
この問題は後処理でかなり改善できたようです。

上記要因2、3については後処理では改善できる余地はほとんどなく、相変わらず変に聴こえています。
この年からジョン、ジョージ、ポールは一斉にエピフォン「カジノ」を気に入り、東京公演で使用しました。
東京公演ではこの機種の扱いにまだ慣れていなかったのかもしれません。

特にジョージのリードのトーンコントロールが不十分な印象を受けます。
ジョンのサイドの音色と重なってしまっているシーンも多いですし、ポールのセミアコベースとも音色が似ています。
Day Tripperのリフはジョージのギターとポールのベースがユニゾンで弾くのですが、2つの音色がほとんど同じになってしまい音に幅が出ていません。
同曲の間奏の部分(コードBのところ)のトーンコントロールも明らかに失敗でしょう。三味線のような音になってしまっています。

ステージパフォーマンスについては、ポールはいつものことながらサービス精神満点。
ジョン、ジョージ、リンゴはそれなり元気にはやっていますが、やや暗い表情が感じられます(私の穿った見方でしょうか?)

そもそもステージ向きではない曲をなんでこんなに取り上げたのでしょうか?
公演活動にも嫌気が差していたと思われるあの時期、東京公演にも何らかの無理があったことは想像がつきます。

久々にいろいろ考えましたね。

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ジャンル : 音楽

電池もダムに喩えて

皆様こんにちは。
なぜかまだまだ寒いですね。

そして私はまだまだしんどいんですが、
ふとした町の様子やいろんな人からの温かい言葉やいろんな刺激を感じるとき、幸せ感がパルス状に湧いてきます。
かえってこういう時の方が瞬間的な幸せ感は大きいかもしれません。

今年からスーツを着る機会が圧倒的に減ったので、先ほど安物ですけど、ジャケット、靴を買いました。また、久々に本も買い込んで、自分の回りに並べ幸せであります。

先日、国のお金のストックと流れの関係をダムに喩えましたが、今日は電池をダムに喩えてみます。

電池とは言うまでもなく、必要な時に電気を与えるものであります。
いろんな機器なり電球なりをつなぐと、電気(電流)が流れて仕事をします。

一定量の仕事をすればなくなってしまう電池と充電により再び電気がたまる電池の二種類があります。
専門的には前者を一次電池、後者を二次電池(または蓄電池)と呼びます。

ではまず、より簡単である一次電池をダムに喩えてみます。
ダムには水が溜まっており、一番上の水面にある水門を開けばそこから水が出て下に落ちます。
水が下に落ちる時、ダムの落差(高さ)が高いほど水には勢い(専門的には加速度)がつきます。
また、水門の開け方が大きいほど水量(専門的には単位時間に流れる体積)が大きくなります。

上で言う水の落差が電池の電圧に相当します。
そして水の量が電流に相当します。

使用する機器や電球の違いにより必要な電圧や電流は千差万別です。
電圧も電流も大きくないと動かない機器、両方とも小さくてよい機器、あるいはどちらかが大きければよい機器、というような性格の違いがあります。

高い電圧が必要なら、落差の高いダムが必要です。
最近のリチウム電池のように原理的に高い電圧を発する電池がそれを満たします。
あるいは電圧の低い電池を直列に2つつないだりもします。
あたかもダムを上下に2つつなげるようなものです。

たくさんの電流を必要とする機器(たとえば機械駆動するような機器)は、ダムの水門が大きい必要があります。
そのためにはダムのサイズ自体がある程度大きくないといけません。
小さいダムですと、いくら水門を一杯開けても水はそれほどたくさん流れないでしょう。
電池で言えば、単4よりも単3の方が(電圧は同じでも)取り出せる電流は大きいですし、単2ではさらに大きくなります。
ワット数の大きめの機器は太めの電池を使用するか、並列につないで同じ目的を達成します。

さらに、どの位持続してその目的に使えるか、すなわち電池の容量も問われます。
ダムを想像してもらえれば、ダムに溜まっている水の量が電池の容量に相当します。
大雑把に言えば、(同じ種類の電池であれば)サイズが大きいほど容量は大きいと言えるでしょう。
さらには、使う金属の種類でエネルギー密度が違う(リチウムが一番密度が大きい)ことにより容量も違ってきます。

ダムに喩えると電池の作用がよく見えてきませんか?
違う種類の電池を混ぜて使ったり、古い電池と新しい電池を混ぜて使うのがよくないことも、この喩えから見えてきませんか?

次は二次電池(蓄電池)とダムの関係です。
放電時(機器に対し仕事をする時)の仕組みは一次電池と全く変りませんので、ダムが放水することを想像してください。

充電とはダムに水を再び溜めることです。
ただ、本当のダムとちょっと違うところは、上流の川から水を流し入れるのではなく下からポンプで水をくみ上げるのです。
本当は電池の中では放電時も充電時も化学反応が起きており、その結果として電池内部に電気エネルギー(ダムで言うところの水の量)が放出されたり溜まったりするのです。
単にダムにおいて水が入ったり出たりよりはちょっと複雑なことが起きています。

しかしここではそれは省略します。
要は、充電時にはダムの外部から電池を上回る電気エネルギー(ダムで言う汲み上げポンプ)を投入する必要があるということです。

大体こんなとこですかね。
いかがでしたでしょうか、電池をダムに喩えることは?
この比喩は私のオリジナルと言いたいところですが、これくらいのことはきっと既に世の中で何人も考えていることでしょうから、あまり主張はしませんよ(笑)。

テーマ : 宇宙・科学・技術
ジャンル : 学問・文化・芸術

持つべきものは仲間

皆さまこんばんは。
なんか、まだまだ寒いですね。

実は来週月曜に体の検査があるものですから、酒が飲めるのも今宵限りかもしれないなんて思い(笑)、ちょっといただいています。
つくばのスーパーで初カツオらしきものを買って、それをつまみに、鬼ころし(日本酒)でいただいているんですが、このカツオあまりに旨いんです。
商品説明によれば、鹿児島で獲れたものであり冷凍で運ばれた、と。
ちょっと昔は冷凍モノは味に限界があり、つくばのような内陸地域は漁師町のようなおいしい魚は食えないのが常識でした。

なぜ冷凍モノが味が落ちるかと言えば、水が氷になる時に体積が膨張することにより細胞壁が壊れてしまい、解凍する時にその成分が漏えいしてしまうからだ、と。
それを防ぐために冷凍時と解凍時に高周波を加えることによるそれを防ぐ(メカニズムは忘れました)という技術が開発されたことを観たことがあります。
その技術を使ったのかもしれませんね、今日のカツオはじめ内陸部でうまい解凍魚を最近ずいぶん味わった気がします。

さて、このところしんどい毎日と書きました。
はい、まだまだしんどいんですが、しんどい理由は一部でありまして、本当は仕事の内容は自分の得意なことでもありますし、
よい人材にも恵まれてやりがいの大きいところなのであります。

週に一度のペースでつくばから都心の本社に通っています。
つくばエクスプレスで行くんですが、これが結構楽ですね。
新しい軌道ですので、真っすぐでレールの幅も広く車体も近代的。
混み具合も少ないですし、速度が出るので時間も短い。
なかなかいいですよ。

私はもともと理科系ですが、今の会社では、本社起点で営業やマーケティングや事業企画などもやりました。
この期間はどっちかいうと文科系的な振舞いをしました。
そして本社には素晴らしい仲間たち、先輩たち、後輩たちがいます。

今日も出社すると、わざわざ来てくれて、「**さん、元気ですか? あまりお酒飲み過ぎちゃだめですよ」とか「あの店私の先輩たちも行ってるんですって」とかいろいろ声をかけてくれてすごくうれしかったです。

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お金をダムに喩えてみる

こんばんは。
思いっきりしんどいです。
辛くて切ないです。
こんな時は普段より大きなことを考えてみるに限ります。
マイナスを別のマイナスで癒すのではなく、「マイナス」+「大きなプラス」は「プラス」。
そして新たな「軸」ができるわけですから。
壮大な自己人体実験とも言えるでしょう。

では人体実験始めます。
少し前に、世界を「100人の乗組員の宇宙船」に喩え、日本はその乗組員の一人として考えると、これからの日本はどんな戦略を取るべきかを考えやすい、と書きました。
今日は一国のお金の状態を「ダム」に喩えることを提唱します。

国の経済の状況を表す尺度はいろいろあります。
例えば、財政収支、国債発行残高、GDP、通貨換算レート、貿易収支、資産、税収、政府の無駄使い、などなど。
どれもが重要な指標ではありますが、それぞれに別の切り口から見ていることの理解も重要です。
上で挙げたような指標が一斉に同じ仕組みで連動するなら、話は簡単ですが、今や経済は混沌とし、いかに全体像の戦略を作りそれを詳細に落とし込むかが国のリーダーの腕の見せ所です。

では、お金とダムの関係、お話し始めましょう。
まずは単純な仮定から始めるために、ある会社のお金の状態を1つのダムに喩えてみます。
ダムに溜まっている水、ダムに流れ混む水、ダムから流れ出る水など、全ての水はお金と考えてください。
この際、現金でも債権でも資産でもどっちでもいいです。

リッチなダムとはもちろん水が一杯たまっている大きいダムです。
現金ないしはそれに換わる物がたくさんある方がよいのはもちろんです。
しかし、ダムへの水の出入りのバランスが、出が超過であれば、ダムの水位は徐々に下がり、いつかは枯渇してしまうかもしれません。

水の出というのはお金を使うことです。浪費も含まれます。
水の入りというのは、よそからお金を投資してもらったり借りたりすることです。
自分で稼ぐお金は、ダムの底からの湧き水としましょう。

非常に安定したダムあるいはできてまもないダムにおいては、水をどう張るかは異論のないところでありやり方は決まっているでしょう。
しかし不安定なダム(今の我が国のような)ならば、ダムの貯水量だけ、あるいは水位だけ、またあるいはそれらの増減だけを見て状況判断と今後の対策は取れないでしょう。
あるいはまた、水の入りと出の差、またはそれらの増減だけを見ても同様に判断と対策は取れないでしょう。

水の入り、出、湧き水の現在の質と量、そしてそれらの過去からの経緯をよく分析し、それの何が問題点なのかを抽出し、総合判断と個別判断、さらにそれらの対策を取らないといけません。
決して一つの切り口だけを見てどうするという議論にはならないはずです。対策も一通りあるいは一次元的なものとは限らないと思います。
そして、将来的によく持っていくのには、一時的なマイナスは許容もする必要もあるかもしれません。
例えば、水の出と入りのそれぞれ5年後の流速目標値を設定したとして、そこに至るための道筋としてダムの水位は2.3年はさらに減りその後上昇するようなシナリオが必要かもしれません。

ダムでは借金をうまく表せませんが、ダムにある水のどれほどを返さなくてはいけない、のようなことを想像してください。

以上のように立体的に見て考えないと、お金の溜まりと流れの判断と対策は取れないということに同意していただけると思います。
ダムの比喩にもご賛同いただければ幸いです。

では次に我が国全体のお金の状態をダムに喩えてみましょう。
今度は単純なダムの構造で論ずるのは難しくなります。

ダムが縦方向に仕切りでいくつかに区切られている状態を想像してください。(専門的には「並列」と呼びます。)
それぞれの区割りに対し水の入りと出と湧き水があり、その一つひとつもダムの格好をしています。
しかしこれらの区割りは並んでいて、互いに水門を時々開閉させることにより水の融通ができるようになっています。
全部の区割りの状態は違うのですが、「ある関係」により全体が一つの大きなダムのようにも振舞っています。

区割りは全部で5つくらいあって、それぞれ、政府、民間会社、公共法人、個人などど仮定します。
それぞれの器の大きさを表現するのは難しいですが、まあ、えいやでコンパラと思ってください。

今よく言われるのが政府の国債発行残高が1,000兆円に達し、えらいこっちゃ、ギリシャの二の舞か、国家破産か、などと騒がれます。
そしてそれを救う唯一の方法が消費税増税だ、というような論調もあります。
先ほどのダムの水のたまりと流れの理解から、このような単次元的な議論はほとんど意味がないことにご賛同いただけると思います。

例えば、「政府」の区割りダムに流れ込む水(借金)は確かに毎年増え続けていて、将来返さないといけませんが、
反面ダムに水が一杯たまっているし、政府以外の区割りダムの水位や水の流れがどうなっているのかを分析しないと、政府のところだけで考えても判断できませんよね。(実は他の区割りには水が一杯たまっている。)
さらには、政府以外の区割りがどういう質で水の出入りをしているのかも判断のための大きな情報になります。

消費税増税というのは、政府の区割りダムへの水門を少し開くことです。
全体をよく判断してから開かないと意味のないことになりかねませんね。
どこかでジャジャ漏れになっているところはないか、湧き水を有効に溜めてあるか、間違った水門を開けていないか、も大変重要なチェック項目です。
全て万端よし、というステージまで改良したところで、消費税増税の水門を開け、間違っても逆流など起きないようにしたいものです。

なお、電池もダムに喩えると電圧と電流と容量の関係がわかりやすいと思います。

これにて人体実験終わりです。
確かに意識高揚しました。

テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

Coffee Break Beatles No.125 「さすがYouTube」

こんばんは。
今度こそ心安らかな週末を過ごせると思ったら、土曜に大嵐発覚。
胃袋に石を詰めたようなしんどい土日月を過ごした。
今日あんまり辛いから、先輩に相談して夜飯を付き合ってもらった。
素晴らしいお話とアイデアをいただいて、ある電話を1本して、問題は一つ解決した。
まだまだ問題あるものの、大きなものが1つでも減って随分楽になった。
先輩、ありがとう!

YouTubeというのは、既にかなり前から押しも押されぬ存在であって、
その波及力のすごさはわかっていたつもりだった。
音楽シーンにおいては、アーティストのパフォーマンスのみならず、例えばアマがアーティストをカバーしたり、演奏法を伝授するものもあることは知っていた。

この土日、初めてこうしたアマの方々のYouTube動画を徹底的に観てみた。
テーマは、まずはビートルズ。
あるわ、あるわ、いろんな趣向の動画がある。
それにしても思ったのは、楽器の中ではギターの演奏人口が圧倒的に多いようだ。
ギターに比べれば、ピアノなどの鍵盤楽器はすごく少ない。(クラシック界では話は別だろうけど。)

先日、会社のパーティでピアノの弾き語りをやった時、音楽仲間の先輩曰く、
「君はピアノができるからいいな。バンドではキーボードを探すのが一苦労だ。」と。

ビートルズのいろんな曲のカバーや演奏法紹介を観て、多いに楽しんだ。
そして、「ああこんな弾き方もあったのか」と多いに参考にさせてもらった。
オリジナルに忠実にコピーを目指すものもあれば、独自な弾き方を編み出したものもある。
中には本家ビートルズを上回る演奏法だなと拍手を送りたいものもあった。

外国の人の動画は英語の勉強にもなる。
それにしても、いくら英語を母国語としているとはいえ、「第*弦の第*フレットを*指で押さえ・・・」などの言葉をよくあんなに淀みなく早口で言えるものだ。
日本語は文法にルーズだから、「ここをこう押さえそしたら**で」みたいにテキトーに言えるけど、英語はもっと理屈っぽいにもかかわらずよく頭が回るものだ。

少ないながらピアノのビートルズの演奏法の紹介のYouTubeもあった。
Lady Madonnaを集中的に観てみた。
上からカメラで写しているものなどもある。
大体自分が弾いている弾き方と同じだった。
でも、「なるほど」という新しい発見もあった。

ギターの場合は自分よりかなり上を行っている人が多かったが、ピアノでは自分とあまり変わらなかったのがうれしかった。
クラシックはもちろん自分の演奏はレベル低過ぎだが、ロックはもしかしたらまあまあかな、と思った。
そのうちマジでYouTubeデビューするかもしれない、などと夢想する始末だった(笑)。

テーマ : YouTube動画
ジャンル : 音楽

褒め言葉で語ると

こんばんは。
すごい冷たい雨ですね。

昨日の英文の詞は全くの本心です。
ビートルズの「A Hard Day's Night」の詞に引っ掛けて表しました。
DayがWeekに替っただけです。
ホントにしんどい週でありましたし、今も精神的に思いっきりしんどいです。

日経新聞のCMでこんなの観たことありませんか。
飲み屋で若い男性が先輩の女性に入社面接試験かなんかのアドバイスを聞いている。
先輩曰く「日経新聞読んでる?って訊かれたわよ。」
後輩「そりゃやばいっす!」

これは典型的な減点主義対策ですね。
自分がどうかということより相手の期待するところに100%合わせる、という発想です。

今なお横行する減点主義。
私は、減点主義が効果的に機能するのは次のような組織でしかないと思っています。
1.軍隊
2.子育てのごく一部分
3.体育会のごく一部分
4.(日本の高度成長期の企業のような)やることとやり方が決まっている組織
5.すごく特殊な任務のために登用する人材を広く一般から選抜する場合

マラソンの金メダリスト高橋尚子選手(Qちゃん)を育てた小出監督は、100%褒め言葉で指導したそうです。
私の解釈では、なにもかも褒めちぎったわけではなく、加点主義であったのではないかと思います。
Qちゃんの潜在能力を信じ、プラスの方向をもったベクトルを選び抜き、引き出し伸ばしたと考えます。

小出監督と高橋選手には大変申し訳ない喩え話ですが、次のような想像の会話を書かせていただくことをお許しください。
私が考える減点主義と加点主義の違いを、小出監督の言葉として喩えさせていただきます。

<想像;減点主義の小出監督>
K「おい高橋、なんで今朝はおはようございますの挨拶しないんだ。」
T「・・・・。すいません。」
K「おまえ今朝は顔がむくんでるな。どんな不摂生したんだ? 昨日のタイムが悪かったことと関係あるんじゃないか? 自分でよく考えて、理由を後で報告しろ。そして新しいメユーと食事を考えてみろ。」
T「・・・。よくわかりませんが、昨日の夜更かしがいけなかったのかもしれません。」
K(トラックで)「おい、今日の1kmのスプリットは目標より10秒も遅いぞ。腕の振りをもっと上げろ。
T「はい。」

<想像;加点主義の小出監督>
K「高橋、珍しいな今朝挨拶しないなんて。なんか心配なことでもあるんじゃないか?」
T「あっ、私挨拶しませんでした? 自分でも気が付きませんでした。はい、実は昨日はなぜかタイムが落ちちゃって、おまけに顔が今朝はむくんじゃって。とても監督に顔を見せられなかったんです。」
K「そうか。その顔は美人の高橋には似合わないな(笑) 飯と関係があるかもしれないな。トレーナーによい知恵を出させよう。」
T「わかりました。」
K「ほら、俺に何でも言ってみるもんだろ。困ったことは何でも相談すると自分も改善するし、人にも迷惑をかけなくなるってわけだ。」
T「はい!。そういえば、こんなこともありましたよ・・・。」
K(トラックで)「高橋、今日の走りは無駄がないフォームで、いいぞ! だけどな10秒遅いんだ。 このリラックスしたフォームのまま10秒速めたいんだ。あと1km走る間に何かアイデア考えてみないか。」
T(1km後)「イメージしたんですけど、このフォームのまま42kmを2時間15分で走ることを」
K「いいね高橋、そのアイデア気に入った。やってみろ」

どうですか?
減点主義は単に精神的なダメージを与えるだけでなく、成長のセオリーがありませんよね。
それに対し、加点主義は自分自身に成長の「軸」と「セオリー」があると思います。
また、加点主義は褒め言葉だけでも成り立ちます。が、不足なことを指摘することもできます。

何か不足しているものを補うのに、減点主義のもとに行うのか、加点主義のもとに行うのか、起きている現象は似ていようとも、その意味することろともたらすものはまるで違うと思います。

テーマ : その他
ジャンル : その他

A Hard Week's Night

It's been a hard week's night.
And I've been working like a dog.

It's been a hard week's night.
I should be sleeping like a log.

テーマ : つぶやいてみる
ジャンル : その他

さらに科学考

こんばんは。
やっと春真っ盛りの気候ですね。

こちらつくば研究学園都市は、科学的なことを考えるには最高の環境です。
まだまださくらもきれいですよ。

ソメイヨシノは全部遺伝子が同じ(=クローン)だと書きました。
雄蕊と雌蕊が交配することなく、自分と全く同じ物を接ぎ木で増やすだけです。
だから、ソメイヨシノは花は不要なのです。
本来、花というのは虫を引きつけるためのアトラクションであり、虫による交配を狙ったものと言われています。
だからソメイヨシノの花はこんな短い期間で散ってしまうのかもしれませんね。

ゾウリムシやミジンコなどの生物は、羊のドリーのように、自分と同じ遺伝子をもつ子供を作り出します。
こういう生殖の形態は単為生殖と呼ばれます。
ある意味、ソメイヨシノと同じです。
でも、ゾウリムシやミジンコは環境が悪化すると有性生殖、すなわち他者と交配します。
これって結構頭いいと思いませんか?
環境が悪化しない限り自分のコピーを作り続けるわけで、なんか自分の「意思」のようなものもずっと伝搬されるような気もするし。
たかだか10%の遺伝子が優位(いや優位とも言えない。数が多いだけかもしれない。)なだけで、さまざまな環境破壊や抗争を繰り広げているよりは、ゾウリムシやミジンコの骨太の人生(人生とは言わんけど)の方が幸せと思いませんか?

ソメイヨシノは永遠に単為生殖です。
いや、木は動物のような個体の概念がないので、生殖とは言いません。
正しくは、永遠に同じ遺伝子です。

私の記憶が正しければ、ソメイヨシノは何百年か前に日本の誰かにより人工的に交配してできた人工種です。
交配ができないということは、何か環境的激変が起きた時には生き延びられない可能性があります。

そんな刹那なソメイヨシノだからこそ、日本人はソメイヨシノを愛し、その短い開花の時期を目いっぱい楽しむのかもしれませんね。

テーマ : 宇宙・科学・技術
ジャンル : 学問・文化・芸術

私の「三角形」

こんばんは。
みなさま、お花見はいかがでしたでしょうか?
やや寒いながらもよい天気でしたので、楽しまれたことでしょう。

私は今回の週末は、昨日はさいたま市の実家に行き、今日は千葉の自宅で町内会の総会がありました。
さらに仕事もあり忙しい週末でした。

つくば-さいたま-千葉という3角形は、一辺が約80kmの正三角形です。
各々の辺の移動時間は車で約2時間です。
音楽を聴いたり、考えたりするのに適当な時間です。
今、仕事でへこんでいる私は、何か新しい発明をしてへこみを解消してやろうと思い、今回もこの三角形の移動を活用しました。

今日はつくばに早めに戻り、自宅周辺の大通りを1時間ほど散歩しました。
自宅はつくばの中心地にありますので、錚々たる施設の周りの整然とした美しい道を歩くことができました。
つくばは人造の美しさですね。
自然の美しさはまたもっと別のところで得たいと思います。

昨日姉に連れられて大宮駅の「エキナカ」に行きました。
本当にすごいですね。
店の数といい質といい雰囲気といい。
すごいアイデアと実行力だと思います。
お弁当を買いました。すごくおいしかったです。

このような例を見ても日本人ってすごいと思います。
今、ニッポン悲観論が盛んですが、これはよくよく考えないといけないように思います。
今、一体何が間違っているのか。
後でよく考えてみますね。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

花見での遺伝子論

桜咲く中、本当に寒いですね。
今夜あたりは花見に興じておられる諸姉諸兄も多いことでしょう。

ところでみなさま、この世に咲いているソメイヨシノの全ては同じ遺伝子でできている、ってご存じですか?
そう、彼らは全員一卵性双子なんです。というかクローンです。
つまりソメイヨシノは交配しないんです。
増えるのは全て接ぎ木によってです。

遺伝的条件が全ての木で同じなので、開花の時期は完全に環境の差により決まるわけです。
だから、桜前線はソメイヨシノを使うわけです。

そこで花見酒をたしなんでいる御大、
こんな話を花見ですればモテモテですよ。

木ではありませんが、ゾウリムシなどの単細胞生物も、多くは同じ遺伝子を持ちます。
つまり、自分が分裂して自分と全く同じ子を作るわけです。

ところでこのゾウリムシの遺伝子。
人間の遺伝子の90%と共通だそうです。
人間の遺伝子に一番近いのがチンパンジーで、99%が共通。
ゴリラも98%くらいは共通だそうです。

人間は、自分らは生物の頂点であり、全てを支配していると思っていますが、
他の生き物たちとは、自分らが思っている以上にずっと近いのです。

人間は本当に偉いのでしょうか?
遺伝子が少しばかり多いのが本当に偉いのでしょうか?

経済の失敗を何度やっても懲りない人間。
どうも偉くもなさそうですね・・・・

テーマ : 宇宙・科学・技術
ジャンル : 学問・文化・芸術

Please play as you are.

Hello, everyone!
After the terrible storm yesterday, today cold winds were blowing because of the "west-high-east-low" pressure structure.

Today I had a "nomikai" (drink) with my company fellows in Tsukuba.
There I felt that everyone's sensitiveness be similar to mine.
That is, most people are suffering from difficult relationships with other persons.
But sometimes they do not open the status and keep within them as secrets.

I don't like any calculations.
If you see any greatness at your fellow, please say "you are great" with honest.
Please don't modify your feeling with your any calculation.

If you feel you like anybody, please say the feeling to the person with honesty.

If you loose the game as the result by saying your honesty, it is OK.
It is much better that you loose the game than you win it with some calculation.

Please play as you are.
Let it be!

テーマ : その他
ジャンル : その他

笑えないメールの功罪

こんばんは。
いよいよ4月ですね。
桜もいよいよ咲きましたが、まだまだ寒かったり嵐だったり。

あるCMで母娘の会話があります。
母(電話で)「今メールで送ったのだけど、明日**するわよ。」
娘「やだお母さん、電話したんじゃメールの意味ないじゃん。」
多分みなさま観たことのあるCMでしょう。
微笑ましい母娘の会話ではありますが、実はこれ、私などは半分笑えません。
これまでメールでは相当痛い目に遭ってきました。(実は数日前にもこれが一つのきっかけとなりあることが起きて相当へこんでいます。)
このお母さんの言い分はビジネス、プライベート双方において時として非常に大事なこととなります。

このブログでも何度か書きましたように、メールやネットでのコミュニケーションはまだ高々数十年の歴史しかないので、文化やマナーとして確立されていないと思います。
それに、文字だけの情報ではかなり誤解が生まれる可能性があると思います。
今の若い方々は最初からメールやネットのコミュニケーションで育ってきましたし、絵文字等を使って、我々の世代よりはるかに誤解なきコミュニケーションができるでしょうが、我々世代は時に注意が必要だと思います。

メールの利点(=功)は何かは言うまでもないでしょう。
メールは欠点(=罪)もいっぱいあります。
結論から言うと、メールは罪が一杯あるので、リアルのコミュニケーション以上に相手の立場に立ち、鷹揚な気持ちになり、相手を尊重すべきです。
そして不明点やわかりにくいことがあれば、電話で確認したりします、しかも相手の立場になって。
ましてや切れたり、きつい言葉で批判などしたら、メールでは収拾がつかなくなります。
それはどんな立場の人間だろうと決してやってはいけないと思います。

メールでは誤解もいっぱい生まれます。例えば次のようなやりとりがあったとします。

A: あなたはCさんをどう思いますか?
B: CさんのようにDさんをかばいたくありません。

Bさんの意味することには2つの可能性が生じてしまいます。
1) CさんはDさんをかばっている。BさんはCさんのようにしたくはない。
2) CさんはDさんをかばっていない。BさんはCさんのようにしたい。
つまり、どっちにどっちがかかるかわからないからです。

これを防ぐにはあまり複文的表現はしないで、シンプルな文を理路整然と書くことだと思います。
上の例は単なる一例であり、この手の誤解はメールでは頻繁に生じます。

メールのもう一つの問題点は、返事が来ない状態をどう捉え、どう対処するかが難しいことです。
まずは、何かのエラーでこちらからのメールが届かないのか、あるいは届いてはいても何らかの理由で返事が来ないのか。
さらに、返事が来ないのは忙しくて書けないのか、それとも敢えて出さないのか。
場合によっては、こちらからのメールが不快ゆえ返事を出さないのかもしれません。
もともとメールには一方向性の性格があり、返事の義務もない場合もあります。
さらにはそれらの捉え方も人により千差万別です。
「なんで返事が来ないのですか」などとは書けませんから、さりげなく別の話題で出し、ちらっと「そう言えば**のメールは届いていましたか?」などと探ってみるのがよいのかもしれません。あるいは電話をする機会があれば、ちらっと探ってみるのもよいかもしれません。

やはりメールは便利な反面不完全な通信手段であることをよく理解して、何かマイナーな状態が見て取れたら電話等でやんわりと相手の立場に立って確認するくらいの余裕がほしいですね。

余談ですが、私は今回思い切り落ち込みました。まだ相当へこんでいます。
私は気が小さく弱い人間ですので、大きく落ち込みます。
でも、落ち込んでからが結構強いようです。

私は、相手を攻撃したりとか、逆に塞ぎ込むとかもありません。
落ち込みから解消するために、普段より大きいことを考えます。
もともと大きいことを考えているので(笑)、それより大きいこと考えるのはそう簡単ではないですけどね。
とにかく自分の悩みをちっぽけなことと客観的に把握できる努力をします。

昨日はものすごくおもいしろい本を見つけました。
上念司著「日本は破産しない!」
日頃政治経済において新しい提言をしているつもりの私もこれにはびっくり。
この精神的高揚感が悩みを減らしてくれますね。

でも今回の悩みは大きい。
だから、人間は切れちゃいかんですね。

テーマ : その他
ジャンル : その他

プロフィール

ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
ご気楽にコメントください。

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