みなさまおはようございます。
我々は令和の時代を無事にスタートすることができました。
この時期に国民一斉10連休を取ることが意義があると思います。
その一方で、ただでさえ祝日が多い日本が10連休により他国より遅れを取るのは確実であるため、どう挽回するかを真剣に考えなくてはいけないと思います。
前回の記事でも書いたように、人間のやれるべきことのキャパは驚くほど大きいのです。無限と言ってもいいほどです。
ただし、時間の使い方においては、残念ながら限界があります。
例えば、スーパーのレジを通過する時、僕はあらゆる知恵を絞って、店員さんとのコンビネーションにおいて物事をなるべく並列に行うよう努力します。
これにより、レジの通過時間は半分くらいにはなるかもしれません。でもそこが限界です。
時間というものは誰に対しても等しく与えられた「有限の足枷」とも言えるでしょう。
よって、時間が制限を加えるところの行いにおいては、何かを達成するために、何かを犠牲にすることが必要になってきます。
例えば僕の場合、数か月前までは、毎日とても多くのFC2会員さんを訪問していました。
僕は、多くの方を毎日訪問すること自体、とても意味があると思っています。
よく、「そんなに無理することないですよ」とおっしゃっていただいた方があり、ありがたかったですが、実は無理とかそういうことではないのです。
物事に与する時、全体をくまなく捉えるのか、概要だけ捉えるのか、自分が興味のあることだけ捉えるのか、について、それぞれのどれをも一度は真剣にならないといけない、という考えなのです。
それをどうバランスさせるかは、内容によりさまざまですけど。
それぞれをテキトーにやるのではなく、悩みぬいて真剣に取り組むのです。
ですからブログにおいても、多くの人を徹底的に訪問することをやれるだけやってみようと思いました。
でも、一方で時間の問題というのが立ちはだかります。訪問にはとても多くの時間が必要なのです。
そして、一方で、別の大事なことをやらなくてはいけない事態になった時、時間のキャパの制約がある以上、そこをどう考えるかです。
ブログにおいて多くの人を訪問することが惰性になっていなかったか、もうその目的は達せられたのか、を考えるとともに、別の重要なこととのバランスをどう考えるか、そのあたりを真剣に考えました。
そして、数か月前から毎日の皆さまへの訪問を省略させていただいています。
よく皆さまも書いておられるように、継続も意味があることだし、やめることにより別のものが見えてくる意味もあります。
ジョン・レノンが晩年のインタビューにこう答えています。
自分はこれまでずっと、ヒット曲を量産するという過酷な使命を続けることもできなかった(できないけど何とかやったという意味)し、やめることもできなかった。
まさに進退窮まっていたわけです。
もうどうしようもないしんどい状況ですね。
そんな時にヨーコという、別の枠組みを与えてくれる人が現れて、ジョンは救われたというわけです。
実は僕も今、会社の仕事において、続けることとやめることの2者選択ではよい結果をもたらさないような状況となった、と自己解析しています。
すなわち、別の枠組みの導入が必要と考えています。
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