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Coffee Break Beatles No.202 「男性にとって快感のベースラインを女性が奏でる」

みなさまこんばんは。
日頃のご愛顧、ありがとうございます。
実は、WiFiが調子悪く、目下のところ、ネットにつなぐのはごく特殊な方法でしかできませんため、みなさまへの訪問をはじめ、種々ご連絡は大分遅れてしまいますことをご承知ください。
できる限り早くの修復を試みます。

2020-6-3(水) 20:20 ST Rocker


みなさまこんばんは。
昨日、累積ご訪問者数が47万人に達しました。
とってもありがたく思います。これからもよろしくお願いします。

毎度のことながら、1週間を乗り切るのはほんとにしんどいですね。
月曜の朝は1週間が終わることは想像もできませんけど、毎回とにかく終わるんですね。
前回書きましたように、半年前くらいからかなりのピンチです。
でもありがたいことに、ピンチの時には必ず味方が現れますね。
そして、ネガティブ勢力に対し、敢えてプラスのプロジェクトを張ってみることを始めました。ありがたい同士とともに。
そして、ネガティブ勢力も巻き込むことになるといいな、ということで。
ネガティブにはネガティブで応酬しない、という自分のブログで書いてきたことや外部でプレゼンしたことを自らに課す、という人体実験であります。
(引き続き、カテゴリ「メンタルヘルス」の記事を読んでくださいませ(^^)/)

仕事のことはまた近いうちに書きます。
今日は極めてリラックスで書きます。シャンパンなど飲みながら読んでね(^^)/

新型コロナについては前回ガチで書いたので、今日はリラックスの話題を書くね。
僕からのちょっとしたお願いだよ。

・お店の入り口の消毒液を手にかけたら、まずは横に移動してから手をこすってね。その場でこすっちゃうと次の人が並んでるからね。
・鼻を出してマスクをしている人、かろうじて鼻の頭にはかかっている人、鼻はちゃんと覆ってはいるどワイヤーをちゃんと顔面に合わせていない人。マスクってウイルスを完全に防げるものではないので、完璧に装着しなくても関係ないという考えも成り立つ。でもこれらのマスクのかけ方ってあんまり見映えはよくないんだよなあ。特に閣僚とか医療関係者とか自治体のリーダーの人がこのようなかけ方だとドッチラケだよね。せめてインタビューに答える時くらいはちゃんと装着してほしいな。けじめだから。
・スーパーやコンビニでお釣りを受け取るのは手渡しでなくてトレイで渡すでしょ。これって非人間的だし、取りにくいんだよなあ。でもこれって仕方ないんだよ。だって、新型コロナって実は手を通じて感染するのが一番多そうなので、トレイで渡すのはスーパーやコンビニの人が一所懸命考えて取ってくれている対策だから。協力しないと。でも、こんな習慣がこれから先も絶対に定着しないように願わないと。
・在宅勤務って、性善説に立てばいいこと一杯あるけど、性悪説に立つとやばいことだらけだよ。下手するとスタンドプレイの温床になるね。メールが定着してようやく30年でどうにかそれなりのやり方のノウハウが確立し始めたのだけど、在宅勤務も、それが定着するまでは30年はかかるぞ。誰だ?働き方改革で在宅勤務を積極的に採り入れようと呑気なことを言っている我が国のリーダーは? それにしても、在宅勤務はコーヒー豆の消費が飛躍的に多くなり困ったもんだ。

では本題に入ろう。

人間は男性と女性が半々である。
男性と女性は同じこともあれば違うこともある。
僕のこれまでの人生において感じるのは、男性と女性で、楽しみ方の感覚がほぼ同じなのは、マラソン、登山、家庭菜園である。
この3つは、男性も女性もほぼ同じ感覚で楽しんでいるように思う。

では音楽はどうか。
男性と女性では大分楽しみ方が違うように思う。

女性はたいてい、ボーカルとか歌詞を重視する。
でも男性はたいてい、リズムセクションとか編曲とか俺ならどう弾こうとかを重視する。

音に関しては、概して女性は高音を、男性は低音を好むと言えよう。
男性はベースという楽器の重要性を理解しているが、女性はそれよりも歌や歌詞のよさを重視する傾向がある。

女性のベーシストというのも、昔からいないではなかった。
でも、本当に男性のベースの好みに沿うような女性のベーシストはいなかった。

しかしである。
どうもこの構図が最近崩れてきたようなのだ。
男性が好きなベースラインを弾く女性のベーシストも最近どんどん生まれ始めたように思う。
それどころか、音楽に限らず、本来男性が好むことを女性がやり始めた例は枚挙にいとまがない。
ということは、これまで男性的、女性的と思われてきたことは遺伝子に刻まれたことではなくて社会的なことなのだろうか?

それはともかく、今日は、本来男性にとって快感なベースラインを女性が奏でている動画を見つけたので、その感動をお伝えする。

ジョン・レノンは数々の超名作をこの世に与えた人である。
ジョンの隠れた名作にHey Bulldog(ヘイ・ブルドッグ)というのがある。
シングルカットされたわけでもなく、有名なアルバムにも収められているわけでもないので、一般には知名度は低い。
イエロー・サブマリンというアルバムに収録された曲である。
この曲はマニアの間ではとても好まれているロックな曲である。
ジョンのピアノがイカしているし、ギターもイカしている。

そして。
この曲のベースが、実はとってもイカしている。
男性はこのベースラインで快感を覚えるのである。
男性はこの音の運びで生きていると言っても過言ではない。

そんな超超男性的なベースラインを女性が奏でるとはびっくり。
最近、ネットで見つけたBalck Areionという方。
Hell Bulldogのベースをメチャメチャ魅力的に演奏していた。



この方、男性の喜ぶベースラインを完璧に理解されている。
というか、もはや今は男性も女性もないのかな。
とにかく、上手くて最高。
彼女、手が小さいのだけど、それをハンディとせず、安定して手首を移動している。
なにより魅力的で大感動。

コメントの1つに面白いのがあった。"i wanna be that bass"(俺はあのベースになりたい)。
これってわかるわ(^^)/
そして彼女のコメ返がいい。"You're great bass"(あなたは素敵なベースよ)。
欲を言うと、冠詞がほしかった(^^;

そしてこちらが本家本元のHey Bulldogのプロモ。
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テーマ : THE BEATLES
ジャンル : 音楽

ピンチの時は必ず味方がいる

みなさまこんばんは。
月曜からお天道様のお顔を一度も見ていませんでしたが、昨日の夕方に突然お顔を見せられました。
そして今日はとてもよい天気でした。でも少し蒸し暑いかな。

お元気でしょうか?
ようやく感染者(正しくは陽性者)数もかなり少なくなってきました。
これから第2波、3波はあるにせよ、第1波の被害は諸外国に比べても極めて小さかった結果となりました。

ならば全てを手放しで喜べるのでしょうか?
答はもちろんノー。
経済と教育に与えた計り知れない損失がよかったのかを真剣に検証しないといけません。

物事何でもそうですが、過去の判断の是非を結果だけを見て評価してはいけません。
今回のコロナで言えば、政府による学校の休校要請と緊急事態宣言(および自粛要請)は、一定の効果は上げたことでしょうし、あの時にこの判断をしたことは1つの考え方ではあります。

ただし、大きな問題がありました。
国民に対する説明が圧倒的に不足していました。
オーバーシュート、クラスター、3密のような説明しかありませんでした。
新型コロナの問題に限らず、物事の難しい判断をするには、立体的でかつデータベースで検討してから判断するべきであり、そしてその判断の根拠を国民に立体的かつデータベースで説明する必要があります。

2月とか3月の時点では、既に中国をはじめとした多くのデータがあり、立体的かつデータベースで検討し判断し説明することは十分に可能であったにもかかわらず、政府や知道府県知事は、とてものっぺらとした説明(”さあ自粛しよう”みたいな)しかしませんでした。
(もっとも緊急事態宣言以後は8割削減とか、再生産数(何人に移す能力があるか)とか、10万に当たりの1週間の感染者数とかの目安的話は出てきたものの、これは後出しじゃんけん的でした。しかも立体性に欠け非常に薄っぺらいものです)

では、どのような検討、判断、説明が可能であったのかを僕なりに考えてみます。
もちろん結果論だけの論点は避けます。

今回の新型コロナは、全ての人に等しく攻撃を与えるのではなく、老人や持病がある人に特異的に攻撃を与えるものです。
この傾向は、インフルなどのウイルス性感染症には共通ではあるものの、新型コロナは特に顕著です。
このことは、2月や3月の時点で十分にわかっていました。
にもかかわらず、全ての国民に等しく行動制限を加えたことが、まず問われます。

今回の場合、「新型コロナの感染を遅らせるために休校・自粛する」ということと、「経済・教育が停滞してしまう」ということを天秤にかけ、この二律背反(トレードオフ)にどう立ち向かうかという挑戦でありました。
ところが、そもそも、2月、3月の時点で、違う捉え方があったはずです。

ハイリスクの人たちは全人口のこく少数(1割程度か)しかいないので、この人たちをどう守るかを考える方がよかったかもしれません。
リスクのない(あるいはとても少ない)大多数の人も含めて、全国民が等しく自粛することがよかったかどうかです。

政府は、緊急事態宣言を出したから収まったと言っていますが、逆にデータは、緊急事態宣言後に急に感染者数が跳ね上がったと読めなくもありません。
1つは、家庭内感染が大きいことと、院内感染が大きいことの事実を見逃してはいけません。
新型コロナの感染は、飛沫感染よりも物の表面を手で触って感染するルートの方が多いという報告もあるとのことです。

もちろん、屋形船的な宴会とかカラオケとかキャバレーのような場所は飛沫感染のリスクは大きいでしょうけど、そうでなければ自粛してもそうかわらないと見ることもできます、むしろ自粛では家庭内感染が増え、スーパーの商品を触ることなどの経路で感染し、院内感染し、という感じで感染が増えていくことすらあると思います。
僕はむしろ、緊急事態の期間の間に感染者数がピークを過ぎて減少に転じたのは、自粛したからというよりも、スーパーやコンビニの「物経由での感染」の対策が急に進み、そして人々の個々の衛生対策意識が進んだことによると思っています。

それともう1つの大きい論点は「集団免疫」。
ウイルス感染症というのは基本的に、一度感染すると抗体が形成され、次には感染しない(あるいはしにくい)という免疫の機能が人間にはあります。
従って、リスクの少ない人たちは、むしろどんどんウイルスに感染して集団免疫を獲得する、という考えがあります。
既に欧米ではこの考えに転換しています。

ということは、今回の新型コロナに対しては、ハイリスクの人たちのみ自粛し、リスクの少ない若者を中心とした普通の人は自粛せず(カラオケのような極端な場所は除く)、集団免疫を獲得するという戦略もあり得ます。
免疫を受けた人は、感染を防ぐ”盾”にもなりえます。
この考えだと、一瞬はかなり感染者数が増え大変な時期がありますが、それを乗り越えると、オーバーオールにはいち早い終息を迎えるということになります。
なによりこの場合、経済・教育に対するダメージは最小になります。

このような戦略で行くことを、緊急事態発令の段階で十分オプションとしてあり得た話ですし、緊急事態の途中でもこのような戦略への転換もできたはずです。でもしなかった。

では、政府とか都道府県の立場になって考えてみましょう。
首相とか知事のような人たちにとっても、もちろん、二律背反(トレードオフ)があります。
二律の一方は当然、人民を救うこと。
ではもう一方は?
残念ながら、経済や教育の停滞ではなく、自己の保身でしょう。すなわち、責任を問われること。

たとえ、僕が上記した「ハイリスクの人たちのみ自粛し普通の人は集団免疫を獲得する」ことが本当の最善の案だと仮に思えても、天秤に載せる相手は自己の保身。
日本のみ感染者が少ないから独自の戦略を採ったということで他国から受ける非難をすごく重視するでしょう。
あるいは、全国民が等しく自粛することによる経済・教育面のマイナスは、首相や知事には大したマイナスではないでしょう。

このように、首相や知事における二律背反(天秤)のバランスは、国民におけるバランスとは著しくかけ離れれいるのでしょう。

さて、前置きが長くなりました。本題を書きます。

ここ半年くらい、かなりピンチです。
再雇用を早く脱して自分の仕事を始めたいのに、ずるずると来てしまったサラリーマン生活。
24でサラリーマンになってから苦節38年。
その中でもかなりのピンチです。

僕がしている仕事の分野が、会社としてピンチですし、僕自身もピンチです。
会社のいやなことって、花粉症みたいで、いやなことが積み重なっていくようです(過去のものが消えることなく加算される感じ)。
だからもし、サラリーマン生活を100年続けろと言われたら、発狂しますね。

日頃、ブログでは会社の困難をどう乗り越えるかについて書き、外部でプレゼンもやっている僕ですけど、自分自身のこととなるとなかなかそう簡単には行きませんね。(紺屋の白袴)
このブログのカテゴリ「メンタルヘルス」にあるようなことを、自らにも読み聞かせています。
みなさまもぜひ読んでください。
そして、この件でご要望あれば出張プレゼンします。(コロナ落ち着いたら)

そしてつくづく思うのは、こんなピンチでも必ず味方はいるということです!
ほんとにありがたいことですね。
人間、信じて生きていれば必ず味方はいるものです。
神様もきっと見捨てないでしょう。

では今日のおまけは、3年近く前のレット・イット・ビー。
ピアノとボーカルとコーラスだけで、しかも曲の一部のみで失礼します。

テーマ : 心と身体
ジャンル : 心と身体

感染もコミュニケーションも掛け算である

みなさまこんばんは。
昨日は雨だったものの、今日を含めとてもよい天気である。
こんなよい天気にはコロナビールがめちゃ旨い。
コップなんかに注ぐのではなく、ワイルドに瓶ごと飲む。
飲み口にライムの切れ端を差して、岩塩を少しまぶすとなおよい。
これで新型コロナウイルスも飲み干す、と。

こういうことを書くのは本当はよくないのだが、超責任ある立場の人間、しかも我々が託している人間だからこそ、敢えて書かせていただく。
最近の新型コロナ関係での安倍さん、小池さんの、国民、都民に説明しているのを見るにつけ、ああこの人たちは現場を見たことがないんだなあ、とつくづく思ってしまう。
説明している時の顔つき、表情、物言い、そして滲み出るもの。
現場の辛苦を舐めた人のものとは到底思えない。
ギリギリの状況の中、進退窮まる中、清濁併せ飲んだ末に、少しでも合理的かつ有意義な決断をする。
そんな経験は皆無の連中だと思った。
国家の存亡、都の存亡がかかっている時に、銭湯で力説するオヤジ、井戸端会議で仕切るオバチャンと同程度の論旨ではないか。

苦節40年のビジネス・パースンから見れば一発でわかる。
ついでに言うと、今回の政府の専門家会議の中心的人物の顔つき、物言いも、一発で御用学者だとバレてしまう。
顔の皺一つ、目の輝き一つとってもろくな研究をしてこなかったことを物語っている。

では以下、僕がなぜこのような判断をしたのかを書いていこう。

もし、存亡の危機にある会社の社長が社員とか株主に対しあんなプレゼンをしようものなら、その社長は即刻辞任に追い込まれるだろう。
あるいは、社長でなくてもある程度責任のあるマネジャーがあんなプレゼンをしたら、やはり即刻降格ないしそれに類する人事措置が取られることであろう。

NGの理由はいくつかあるが、その最たるものが、物事の論証がなされていないこと。雰囲気だけで語ることにある。
例えば、今回感染者数(正しくは陽性者数)の終息を迎えたのは自粛をしたからと証明することはできないにもかかわらず(僕はそう思っていない、民衆の細々とした努力の集大成だ)、そのように断定した前提で説明を進め、今後も自粛するに越したことはないという説明に終始している。
なんとも論理性、定量性に欠けた説明である。データベースで話していない。

僕はむやみやたらに自粛反対、などと言っているのではない。
自粛はとんでもないマイナスを伴うのだから、お坊ちゃま感覚、お嬢様感覚で自粛してください、なんてとんでもない、という意味。

「コロナ解体新書」というとてもレベルの高いユーチューブ番組があって、政府の専門家会議よりもよっぽど優秀かつ説得性があり、真の危機管理の在り方を示唆してくれる。
そのユーチューバーさん曰く「自粛というのは抗がん剤のようなものだ」。
僕はポンと膝を打った。その通りだ!
そのユーチューバーさんはそれ以上、なぜ自粛が抗がん剤なのかの説明はしないで終わってしまった。
そこで僕は、その点を掘り下げて考えてみた。

Aさんというがん患者と、それを診ているB医師がいるとしよう。
Aさんのがんはめずらしいがんであって、これまであまり症例(データベース)がなく、どのように治療すればよいかほとんどわかっていなかった。
しかもAさんは末期であって、あと1年ももつかどうかのように思われた。

そんな中、B医師はAさんに抗がん剤治療を勧め、Aさんは納得して、半年間抗がん剤を受けたのだった。

ここで、抗がん剤のことをあまりご存知ない方のために少し説明しておく。
抗がん剤とは、がん細胞に対しかなり強烈な作用で殺傷せしめる薬剤である。
細胞分裂の速い細胞をがん細胞とみなして、強烈に攻撃を加える。

ここで問題なのは、細胞分裂の速さだけでがん細胞かどうかを見分けるので、正常細胞で細胞分裂が速い細胞もがん細胞とみなしてしまう。例えば、味覚細胞や抹消神経や毛根細胞など。
従って、抗がん剤はこうした正常細胞の一部も攻撃し死滅せしめるのである。
これが副作用である。
がん患者が抗がん剤を受けると、激しい嘔吐感、髪の毛の抜け、手足のしびれ、味覚を失う、倦怠感、体重の減少などに見舞われる。

こんなに激しい副作用に見舞われながらも、がん細胞が減少し、あるいはがんの再発や転移を防ぐことにより、結果的には、抗がん剤を受けなかったよりも受けたことによるプラス効果はあり得るのである。
しかし一方で、あまりの副作用によりすっかり体調を崩し、場合により抗がん剤により死亡することすらある。
さらに、抗がん剤そのものが発がん性を示す場合もあると言われる。

要するに、抗がん剤は諸刃の剣である。
抗がん剤を受けるからとにかくがん治療にとってよいこと、なんてことでは全然ない。
よいことよくないことか拮抗して、総合的に少しはよいことのほうが多い程度、というのが抗がん剤の正しい姿だ。

抗がん剤をやるべきかどうかの判断は、がんの種類によっても違うし、個々の病状にとって違う。
がんの種類によっては抗がん剤はほとんど効かないということもあるし、またあるがんの種類では、こういう場合い効いた、というデータもある。

そして、患者と医師との念には念を入れたディスカションの末に決めるべきものである。

AさんとB医師の関係において、安倍さんの国民に対する説明は次のようである。
前提として、AさんはB医師から半年前に抗がん剤を勧められた。
Aさんのがんの種類に抗がん剤が効いたというデータはこれまでなかったが、B医師はとにかく勧めた。

Aさんは、抗がん剤はいやだったものの、B医師の勧めを受け入れ抗がん剤治療を行った。
それはそれはつらい治療だった。
生きた心地がしないほど身体がつらく、食欲はなく、食べ物の味もせず、髪の毛はなくなり、全ての意欲を失った。
手足のしびれは甚大で、おそらく一生の後遺症となりそうだった。

Aさんは抗がん剤だけに頼るのは心もとないと考え、しかも抗がん剤自体も毒の側面もあるため、自ら考えて、あらゆる民間療法を取り入れた。

半年後、がんはほとんど消えた。
ただし、Aさんの体は消耗甚だしく、精神面もほとんど限界であった。

さて、こんな状況で、AさんがB医師に次のようなことを言われたらどうする!?
「Aさん、抗がん剤、半年頑張ってくれました。抗がん剤ががんを小さくしてくれました。でも気を緩めてはいけません。またがんが再発したり転移します。だから、もう半年抗がん剤を続けましょう。抗がん剤は大変ですけど、ダイエットという本来の目的にも沿うものなので、その意味でもいいことですし」

これが今の安倍さんであり、小池さんである。
(注:ダイエットの喩えは、安倍さんが、「テレワークという本来的なことにも沿うので」ということに引っ掛けた)

もし僕がB医師の上司であったら、間違いなく一発でダメ出しである!
B医師は次のようにAさんに言うべきである。
「Aさん、半年の治療、本当に大変でした。頭が下がります。がんはほとんど消えました。しかしこれが抗がん剤によるものか、あるいはAさんの民間療法によるものなのかは、はっきり言ってわかりません。Aさんのがんにおいては、抗がん剤が積極的に効いたというデータはまだないので、正直手探りの段階です。さて、これからなんですが、がんが再発または、転移しないための予防としての抗がん剤を使う例があります。ただし、Aさんのがんではなく、大腸がんにおけるデータです。大腸がんでは、予防の目的での抗がん剤の半年の投与で、5年生存率が10%上がりました。このデータが、即、Aさんのがんに当てはまるわけではありません。しかし、類似のがんであることから、おそらくは半年の抗がん剤の投与をしないよりはした方が優位的に5年生存率が上がると考えています。副作用はもちろん大きいです。少しでも生存確率があがるために副作用に打ち克つというAさんのご意思があるなら、抗がん剤を勧めます」

以上が前置きである。(すごい長い前置きで失礼m(__)m)

何週間前から、感染を8割減らすために人出を8割減らす目標となり、いろんな繁華街の人出の減少率をモニターしている。
これには大きな数学的な誤りがある。

ある場所に通常10人の人出あると仮定しよう。
話を簡単にするために、Aさん、Bさん、・・・・、Jさんの10人がいつもその場所に繰り出すと仮定する。

数学的にわかりやすくするために、ウイルスの感染を2人の人の間で起こるとする。(本当は3人以上の間で起こることもあるが、それはごくわずかなので無視する)
10人の間で、感染が起きる「2人」の場合の数を考えてみる。
はい、数Iで習った。
2人の組合せは、AさんとBさん、AさんとCさん、・・・・・・・・IさんとJさんというように、45通りある。
数学的には10C2と称するが、今日のところはそこは述べない。とにかく45通りだ。
つまり、誰と誰との間で感染が起こるという可能性は45通りある。

では、人出を8割減にしたらどうなるか?
つまり2人がその場所へ行くわけだ。
すると、感染が起こる2人の場合の数は1通りしかない。
従って、人出を10人から8割減の2人にすると、感染の可能性は45通りから1通りになるので、1/45、すなわち2.2%となる。
8割減どころか9割8分も感染の度合いが減る。

では、人でを半分に減らしたらどうか?
つまり、その場所へ5人が繰り出すとする。
5人の場合、感染する2人の場合の数は、10通り。
従って、感染機会は10/45で22%となる。ほぼ8割減だ。

このように、感染の機会を8割減にしたいのなら、人でを8割減にする必要はなく、5割減かそのやや少し少ない程度で十分だ。

このことを、男女の出会いで考えてみるともっと理解しやすい。
テレビ番組「フィーリングカップル5対5」を思い出してほしい。
あらら、古いね(^^)/ 50歳未満の人は知らないね、きっと。
一言で言うと、合コンのテレビ版。
5人ずつ男女が出てしゃべり合い、カップル成立を目指す。
最大5件のカップルが成立する場合もあれば、1件も成立しない場合もある。

男女5人ずつの計10人の場合、カップルの組み合わせは25通りある。
先ほどの10人の人出で感染する2人は、同姓間でもよかったが、カップルの場合は異性間のみなので、25通りとなる。
人の数を8割減らして、2人、つまりフィーリングカップル1対1にすると、カップルの組み合えせは1通りしかない。
従って、人の数の8割減にすると、男女の出会いは1/25、すなわち4%となる。
もし人の数を6割減らして、4人、つまりフィーリングカップル2対2にすると、カップルの組み合えせは4通りとなり、男女の出会いは4/25、すなわち16%となる。

かように、男女の出会いは、人の数が減ると掛け算で出会いの機会が減ってくる。

では、人の数を増やす場合を考えてみよう。
昔から「三人寄れば文殊の知恵」という素晴らしい諺がある。
2人で話しているより3人の方が知恵が膨らむというように一般には理解されているかもしれない。

でも僕は、この諺はもっと重大な意味を示していると思う。
2人に比べて3人の方が情報量が1.5倍に増えたから、というよりももっと重大だと思う。

今仮に、AさんとBさんが、それぞれ3つずつの情報を持っていたと仮定する。
よくありがちな、そのへんのおじさんやおばさんの会話は、相手の話に相槌こそ打っても、それに対してどうこう味付けをして返すわけでなく、単に自分の話をするだけだ。
するとこの場合、単に3つの情報が合わさって、3+3=6となる。
情報が増えたのだから、それはそれでいいことではある。

しかし、有意義なコミュニケーションとは、足し算でなく、掛け算だ。
つまり、AさんとBさんが有機的にディスカションしたことにより、3X3=9のアウトプットが得られる。

そしてこれが3人になると。
単なる井戸端会議では、3+3+3=9。
でも、3人で有機的なディスカションをすれば、3X3X3=27。
これこそ「文殊の知恵」だと思う。
ビジネスの場面でも経験することである。

かくように、感染もコミュニケーションも掛け算なのである。

最後に蛇足。
大西つねきさんと藤井聡さんの対談を1,500円払って観た。
藤井聡さんという人、大した人であることは間違いないが、どうも話が下手くそのような気がする。
前から三橋貴明さんとの対談は何度も聞いたことがあったが、正直三橋さんも話が下手くそなので(ごめんm(__)m)、藤井さんの話がわかりにくかった。
大西さんの話は超わかりやすいのだが、それでも藤井さんの話はわかりにくい。

テーマ : その他
ジャンル : その他

ご当地ナンバー続々誕生す

2020-5-14(木) 20:00に末尾に追記しました。

みなさまこんばんは。
前回記事(多重録音)ではたくさんのコメント、拍手、ありがとう!!
とっても励みになりました。

新型コロナウイルスの陽性者数が大分減ってきました。
間もなく、それなりの”第一次終息宣言”と相成ることでありましょう。

ここで言いたいのは、ここまで優秀に陽性者数の収束を迎えたのは、首相や都道府県知事(ごく一部の例外は除く)のリーダーシップではなく、日本人の魂と知恵によるものに他ならないと考えます。
単に”三密を防ぐ”などということではなく、物を介しての接触感染を含めてのあらゆる感染の可能性を検討した、いろんな業者さんや一般市民の真摯な態度と、具体的な方策を徹底して考案し実践した賜物であると考えます。
首相とか知事なんてのは、”神輿に乗ったリーダー”ですよ。僕らが支えているんですから。

高校の同期が、一流の感染症の研究者であることを思い出しました。
彼は既に、インフル等の感染症においては優れた業績を上げています。新型コロナについてもググってみたら、彼は既に、製薬会社と連携して検査キットを開発していました。
同期がこのような活躍をしているのは本当にうれしいですし、そして自分も、コロナそのものには貢献できないけど、考え方とかにおいては少しは役に立てるのではないかと思った次第です。

もう少しです。ぜひ頑張りましょう。

今日も在宅勤務でした。
今日は飲み曜日なので、フレックスで4時に上がって、まだお日様が照っているうちにから飲んでいます。無常の幸せ(^^♪

さて、今週月曜(2020年5月11日)から新たなご当地ナンバーが交付始まりました。
北から、知床、苫小牧、弘前、白河、上越、板橋、葛飾、江東、市川、船橋、松戸、市原、伊勢志摩、四日市、飛鳥、出雲、高松です。

ご当地ナンバーてのは、風情があるものですし、その土地の民意が反映されたものです(一応)ので、喜ばしくはありますね。
でも僕は、基本的にご当地ナンバーは反対です。というか、日本の車のナンバーの制度には抜本的な改革が必要です。理由を下記のようにまとめます。

1.車のナンバーというものは、一見してその車がどこのものであるかを視認し理解しなくてはいけない。その意味からは、ナンバーは都道府県の名を冠したものであるべきである。
2.もしナンバーを県の単位より小さい単位で分けようとするならば、誰もが納得して公平性を感じてもらうような分け方などはあり得ない。
3.同じナンバーを再利用することを制度化しない限り、ナンバーはどんどん使い切り、ナンバーを細かい地域に分割せざるを得なくなる。
4.以上より、日本の車の名ナンバーは市の単位にならざるを得ない。事実そうなってきている。そしてそれは本来的な目標である1とは逆行する。

僕は、車のナンバーに関しては関心があり、これまで次のような記事を上げてきています。

2017-9-20「またまた、ご当地ナンバー再燃」
2016-6-11「車のナンバーを替えました」
2015-6-23「ご当地ナンバーを考える」
2013-8-17「またまたご当地ナンバーの奇妙」
2013-6-19「また車のナンバーの話を少し」
2013-6-16「嗚呼、袖ヶ浦ナンバー」
2012-3-12「車のナンバーあれこれ」

では、このあたりぶっちゃけ話を交えて書かせていただきます。
なお、若干ミーハー的な話を含みますが、車のナンバーはミーハー的な話抜きには論じられない点、ご了承ください。

まず、千葉県についてです。
千葉県は、かつての「千ナンバー」が2つに分かれた時、千葉市以南を「千葉」、その北側を「習志野」ナンバーとなりました。
みなさま、習志野ナンバーの習志野とは習志野市のことではない、とご存知でしたか?
千葉陸運局習志野陸運事務所は、船橋市習志野台にあります。自衛隊の近くですね。
本拠は船橋市なんです。

ならば船橋ナンバーでもよかったのでしょうけど、市川や松戸や柏から猛反対が起きると見たのでしょうね。
ごく最近ネットで知ったのですが、習志野というのは、昭和天皇が命名された、船橋から習志野市一帯の広域の地域名称だったとのことです。
なるほど、だから習志野ナンバーが採用されたのかもしれませんね。
でも、「北総ナンバー」とかでもよかったかもしれませんね。

習志野という地名は、天皇がお付けになってこともあって、確かに風情のある地名ですね。
ですので、市川、船橋、松戸、柏といった北総地域の車のユーザーにとって習志野ナンバーは、多少の違和感こそあっても、それほど嫌ではなかったに違いありません。
しかし、習志野ナンバーが次第に満杯になってしまったことを受け、旧習志野ナンバー地域内に野田ナンバー(野田市、松戸市、柏市、我孫子市、流山市)(ご当地ナンバーでない)ができたことが一石を投じました。
野田市の方には申し訳ないですけど、やはり柏市、松戸市の人にとって野田ナンバーは耐えがたいものでありますm(__)m
だから、ご当地ナンバーとして柏ナンバーができ、そして今週、松戸ナンバーができました。

千葉県を2つに分ける時、北部を北総、南部を房総などと分ければよかったものを、習志野、野田、成田、袖ケ浦という、ややマイナーな地名のナンバーを付けたものですから、ユーザーとしては納得せず、柏、市川、船橋、松戸、市原ということになったのでしょう。ある意味、当然です。そのうち、木更津、君津、館山、銚子が名乗りを挙げてくるでしょうね。

神奈川県の場合は、ご当地ナンバーではありませんが、湘南ナンバーの誕生の際に醜い自治体の主張がありました。
湘南というのは、本来、鎌倉から二宮あたりの沿岸地域のみを指すものですが、結局、「オレも入れてくれ」と、湘南とは言えない地域の市町村の数々の利己的な主張により、湘南ナンバーは随分広いものになってしまいました。

茨城県の場合は、従来、水戸ナンバーと土浦ナンバーの2つでした。
土浦というのは実はよい場所なのですけど、とにかく「土」という字がダサイんですね。
つくば市は、ダサい茨城の中でも唯一ブランドがある市です。研究、国際という意味で、特別な場所です。
ですので、つくばナンバーは人気があります。
湘南ナンバーほどではありませんが、茨城県の各市も、我も我もと、つくばナンバーを望みました。
すると、西は古河に至るまでの恐ろしいほどに広域の地域がつくばナンバーになってしまいました。
本家土浦ナンバーの残党はごくわずかの地域になってしまいました。

埼玉県は、映画「翔んで埼玉」でも描かれていたように、浦和と大宮はとっても仲が悪いです。
なのになぜ大宮ナンバーというのがあったのかというと、交通の要は大宮であることは浦和も認めていたからでしょうね。
埼玉の東部地域が春日部ナンバーというのは不自然でしたね。だから越谷ナンバーができたのでしょうど。
それにしても、越谷ナンバーなんて。
こんな一介の市の名前が車のナンバーになるなんて!
だって、越谷という地名を知らない日本人はごまんといるでしょ。

以上、書いてきたように、ある県を地域に分けて車のナンバーにしようとすると、必ず何らかの不合理さ、不公平感を生むのです。
だから、一番いいのは、車のナンバーは県の名前であることです。
これなら、不公平感もないし、視認性もいいし、「どこの車だ」ってすぐにわかるし。
関西の県は、1県1ナンバーを貫いている所が多いのは、理解できます。

今年2月亡くなった愛知の叔父は、名古屋陸運局に勤めていました。
僕が若い時に、名古屋方面に出張があると、よく飲みに連れて行ってくれました。
叔父は陸運の仕事に誇りを持っていましたし、また苦労も大きかったようでした。
特に、尾張小牧ナンバーが誕生する時のバトルを調整するのはすごく大変だったことを話してくれました。
僕は、叔父に対して「なぜ一度使ったナンバーを再利用しないのか?」という質問をぶつけたことがありました。
すると叔父は、「それは確かに論点だ」と、僕の質問を尊重してくれ、長々と説明してくれて、「やはり日本では車のナンバーというものは財産と捉えているので、再利用は難しいのだ」と結論付けました。
ああ、もっときちんと記憶しておけばよかった。
叔父の貴重な話の中味をほとんど忘れてしまいました。
このことは今でも謎です。なぜ、日本は車のナンバーを再利用しないのだ!?
分類番号として7を使ったり、アルファベットも使い始めたけど、焼石に水ですね。

そうです、日本の車は、ナンバーを再利用しないから、すぐに満杯になる。だから細かい地域名に分ける必要になってくる。いずれ市だって満杯になるでしょう。
その点、アメリカは、州の名前のプレートであり続けています。そして、ナンバーを再利用しています。
登録年を付したり色を替えたりもしています。

やはり、車のナンバーに関してはアメリカを見習うべきでしょうね。
1県1ナンバーで、再利用あり。
ぜひ陸運局に検討してほしいです。

2020-5-14(木) 20:00 以下補足します。

我が国では希望ナンバー制度というのがあり、人気であり、よく利用されています。
4桁の数字部分のみ、自由に選べるというものです。
4桁の数字なので、1から9999までの9999通りの中から1つを選べるわけです。
誕生日を選ぶ人が多いです。あるいは何かの記念日。
当然ながら、「何月何日」というのは365通りあります。
誕生日以外で人気の番号は、何かの語呂になっているもの、例えば1122(いい夫婦)、2525(ニコニコ)なんかですね。

そうなんです。希望ナンバーって、実際問題、ごくごく限られているんです。
9999通りがまんべんなく使われればいいですが、ごく特定のものに集中しちゃっているわけです。
ここが問題なんです。

1とか3とか7とかのごく限られたナンバーは抽選なのですが、誕生日とか1122とかの希望ナンバーは手数料さえ払えば全員もらえます。
すると、1122とかは恐ろしい勢いで埋まってしまうのです。
例えば、「530さ」で始まるとして、まず530の平仮名を使い果たし、次は「531さ」となり、これも使い果たし、結局599まで行って使い果たし。

この希望ナンバー制度が、ナンバーの満杯に拍車をかけているのです。
もし希望ナンバーがなければ、そうそうはすぐには一杯になりません。

599までいったら次は7百台を使うのです。
しかしこれも、1122などの人気ナンバーによって瞬く間に使い果たされるわけです。
で、苦肉の策が、分類番号にアルファベットを使うことです。
しかしこれも抜本策でなく、焼石に水でしかないのです。

要するに、希望ナンバーを野放図に与えまくっていてはいけないのです。
それと、同じナンバー(分類番号と平仮名含めての)が再利用できないことですね。

アメリカではナンバーは再利用できます。ただし、一定の期間を経てから使えるようです。
ある車のユーザーがナンバーを取得しようとする場合、その人は陸運事務所のサイトにアクセスすれば、自分の希望するナンバーが今使えるかどうか、一瞬に判別できます。
もうかなり前からアメリカではやられてますよ。

僕はアメリカかぶれというわけではありませんが、車のナンバーに関してはアメリカに倣うべきだと思いますね。
今回のコロナでは、アメリカよりも日本のほうがはるかに優秀だったわけで、日本人のほうが優れることは確実にあります。
車のナンバーについては日本は遅れていると言わざるを得ないでしょう。

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Coffee Break Beatles No.201 「連休最後の日は『ノルウェーの森』」

みなさまこんばんは。
ついに夢の連休も最終日となってしまいました。
コロナ禍まだまだ続きます。みなさまお元気でしょうか?

明日からまた在宅勤務です。
”見えない敵”との闘いであります(^^;
ともすると最悪の「サザエさんシンドローム」になりかねない今日。
そんな時は多重録音に限りますよ。
別に多重録音でなくても、何か子供のいたずらみたいなことをやるととてもいいですよ!

多重録音て、何から何まで自分一人でやるものとは限りません。
誰かとコラボした録音に、他の楽器をかぶせて音を厚くしたり。
このstay homeの時期には、いろんな家で同時または異時で合奏(合唱)もいいですね。

キャンパーユーチューバーのvatさんが言っていた、金宮(三重のサトウキビベースの焼酎)をエナジーコーラで割るのは何ともエレガントです。
実は今もそれを飲みながら書いています(^^)/

さて、今日の多重録音は「ノルウェーの森」(Norwegian Wood)です。
Coffee Break Beatles 300号に向けて早速推進したところです!
同名の村上春樹の小説はこの曲から来ています。
ビートルズがアイドル路線を卒業しようとしていた1965年の後半に書かれました。
親しみやすいメロディーながら、これまでのポップな曲とは一線を画しています。

この曲、コードはわりとシンプルですし、耳コピのしやすいです。
しかし、だからと言って、気軽に弾き語りができるような曲ではないのです。
ギター1本で弾き語ろうとすると、かなり薄っぺらいものになってしまいます。
実は、このブログでかなり前に、この曲の多重録音を載せたことがありましたが、適当にやったため、ホントにテキトーになってしまいました。

多分、この曲の言わんとしていることに寄り添わない限り、録音しても仕方ないと思いました。
では、この曲の言わんとしていることとは何でしょうか。

まずはジョンの詞ですね。
アイドル時代から既にジョンの詞はところどころ深遠なものがありましたが、1965年のHelpあたりから、その深まりは極まってきます。
この「ノルウェーの森」での詞はとても奥深いですね。
で、一方では「タダの男」のつぶやきでもあるんです。そこがジョンらしいところですね。
正気と狂気と芸術性の境目がない。それがジョン・レノンの世界です。

ところで、「森」は誤訳です。
もし森ならばwoodsという複数にならなくてはいけません。
Norwegian woodとはノルウェー産の木材でしょう。
"isn't good"と言っているのですから、その木材はよくない、という意味でしょう。

もう一つがシタールですね。
このインド楽器をビートルズに持ち込んだのがジョージ・ハリスンでした。
正直僕は、ビートルズにおけるシタールはそれほど好きではありません。
Love You ToやWithin You Without Youでのシタールは正直ついていけませんが、「ノルウェーの森」でのシタールは、この楽器の魅力を感じさせてくれます。
今日の録音においては、なるべく原曲の言いたかったことを録音したつもりですが、まだまだです。

今日の録音は、シタールはもちろんシンセです。
リードのシタールとバッキング(伴奏)のシタールは別のシタールの設定を選択しました。

アコギ(アコースティックギター)は本物のギターを演奏しました。
ただし、バッキングの方はエコーをかけました。

生の楽器と電子楽器を合わせる場合にやりがちなのは、生の楽器のチューニングと電子楽器の音程が合わないことです。
実は今日もそれをやらかしてしまいました。
しかし、多重録音の編集の過程でピッチはいかようにも調整できます。
でも、基本はチューニングをちゃんとやること!

この曲のハーモニーは少し変わっています。
通常、同姓同士のハーモニーの場合、3度が多いのですが、この曲は6度です。
男女のハーモニーは6度が多いですね。
ですので、あたかもジョンが上のメロを歌っている印象(実際はそのオクターブ下)です。

最後に。
この曲、リズムがめちゃ難しかった!

では拙録ながら聴いてください。

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僕なりのユーチューバー紹介

みなさまこんばんは。
あたかもテレビドラマ「世にも奇妙な物語」のようなシーンが現実に繰り広げられています。
みなさま、どうか気をしっかり持って、この苦難を乗り越えましょう。

最近つくづく感じること。
それは、60超えた再雇用の人は、それらしく控えめにしていること。そうすればみんなはよくしてくれるでしょう。
「なんだおまえそんなこと今頃気付いたの?」と言われそうです(笑)
ですので、会社ではガチにやり過ぎるとストレスが溜まる一方ですので、理解者の人とはうまくやるにせよ、なるべく社外の活動を広げるのがいいのかな、と。
(以上、半分冗談です)

さて、これだけ在宅の人が多いとなると、ユーチューブを観ている人が多いでしょう。
ユーチューブに限らずですが、日本人は何かを観る時、「よいものかよくないものか」のような二者択一で、しかも情緒的に観る傾向があります。
もっと言うと、人の評価とか、あらゆる物事の見方において、そのような傾向があると思います。

例えば、このブログで何度か紹介しました、さゆふらっとまうんどさんこと平塚正幸さん。
社会活動家ユーチューバーとして支配者層設計の構図を示したり、冤罪や警察の体質に体を張っての問題提起、いろんな社会問題への斬り込みなどを行っています。
最近では、N国党の”アンチ枠”で参院選に出たり、N国党の内部を暴いたり、自ら国民主権党を作ったりしています。

このさゆさんに対する世の中の評価は、過激なことを言うカッコいい人、または、とんでもない人、という評に二分されてしまっています。
アンチがいっぱいいるのですが、アンチの人たちによる動画とか書き込みはほとんどの場合、さゆさんの言動の表面的なことしか見ていなく、そこを悪く言うことに終始してしまっています。
僕のさゆさんの見方は、物事の本質を考えられる力です。
1つの社会問題について、とても卓越した見方ができ、立体的な考えをできる人です。
ただし、「***という見方ができるので、+++という可能性がある」と言っておけばよいところ、「+++である」と断定してしまう場合が多く、僕はそこは厳しく見ています。

すなわち僕が言いたいのは、ユーチューバーから魅力的な部分を「抽出」すればよいのです。全体あるいは結論部分で評価しなくてはいけない、などということは全然ありません。

似たような意味では、橋下徹さんとかホリエモンとかは、自分の上司とか部下のようなガチな関係者であれば困ってしまいますが、その発言から何かを抽出するとなると、かなり得られるものが多いと思います。
ちょっと脱線ですが、ガチな間柄の人とうまくやるには、ユーチューバーからよいものを抽出するようには行きません。それはそれで、一大研究対象ですので、興味のある方はおっしゃってください。

さて、人間の種々な欲の中で、最も深遠な欲は、知的好奇心を満たそうという欲である、と僕は考えます。
そんな欲に応えてくれるユーチューバーを探し当てることは、砂漠の中を放浪した末にオアシスを見つけるが如くの喜びです。

そんなユーチューバーの一人が、『予備校のノリで学ぶ「大学の数学・物理」 』をやっておられるヨビノリたくみさんという方です。
まだお若い方なんですが、自らすごい勉強家ですし、知の喜びを知り尽くしていますし、それを世の中に伝えるための新しい述を開発した人です。
正攻法で知的なことをアピールするのは難しい中、予備校的な語り方で、多くの人に知的好奇心を身近なものにしたという、見事なマーケティングです。

主に数学や科学の話なので、苦手なテーマと思ってしまう方が多いかもしれませんが、まずはご覧ください。理解しやすいですし、引き込まれますよ。
では、たくみさんの数ある動画の中でもおもしろい内容の動画を3つほど紹介します。

相対性理論を中学生でもわかるように説明
https://www.youtube.com/watch?v=voFHToRM4xI&t=6734s

将棋の複雑さを数学の場合の数で説明
https://www.youtube.com/watch?v=7QcpShRfqGA

数学の超難問であるabc予想(日本人数学者がユニークな方法で解いた)とはどんなものかの説明
https://www.youtube.com/watch?v=PIUCfN08p8M&feature=emb_rel_end

中田敦彦さんの歴史などの講義もかなり知的好奇心を満たしてくれます。
ただし、内容的に間違っていることが比較的多いことから一時炎上してしまったのは、日本人のよくない癖です。(よいか悪いかだけの感情的判断)

最後に。
知的好奇心を得る暮らし方、会社でどう仕事を進めるべきか、メンタルヘルスなどでプレゼン可能です。
出張プレゼンも可能です。この状況が終息したら行きますよ。
ご用命あればおっしゃってください。

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ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
コメントは本筋に沿ったものをお願いします。

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