対談本はまず買わない
みなさまおはようございます。
前回の記事では、コメントのお返事や、本文への追記において、失礼な書き方にもなったかもしれず、お詫び申し上げます。
前回の記事の場合、そのことを強調せずには記事を書いた意味がなくなると考え、敢えて書かせていただきました。
さてここ数日、忙しくてみなさまへの訪問ができておらず、失礼しています。
また、今回の記事も超手抜きで失礼します。
仕事上の厳しい状況は続いています。
しかし、基本、自分の考えは誤っていなかったのだと確信しています。
自分をサポートしてくださる方の意見をよく聞いて、物事を進めています。
単に自分の努力だけなら何ら苦労はないのですが、人の行動や考え方を改める(職務上)必要があり、そこが大変ですね。
50代の途中まで読書の虫であった僕ですが、対談本というのを買ったのは1冊か2冊しかありません。
図書館で借りる場合でさえ、対談本はぐっと優先度が下がります。
対談本というのは、AとBという人が会話したことをそのまま本にすること。(もちろん若干の編集はあるのでしょうけど)
理由は至極シンプルです。
会話というのはアドリブですので、行き当たりばったりだから、本当によい議論ができたのか、あるいは本人らが主張をちゃんと言えたのかが不明なこと。(これにしても、若干の脚本はあるのかもしれませんが)
対談と言ってもいろんなタイプがあります。
Aという専門家の話を、Bという単なるインタビュアーが聞く場合。
AもBも専門家であり、意見をぶつけ合う場合。
AとBは専門分野が異なり、異分野であるからこそ、議論により何か新しいものが出るかもしれないのを期待する場合。
などなど。
対談だからこそ、よい本になることはあり得えます。
でも、Aという専門家の主張を正しく、効果的に理解したい場合、確率からすると、Aが単独でまとめた本の方がはるかに期待値は上です。
だから、基本は単独著者の本、そしてもし何等かのコラボが期待できそうな場合は、対談本も読まなくもない、というのが僕のスタンスです。
ユーチューブでも僕は、基本、対談は好きではありません。
誰かの主張に対し、単に相手をしているだけなどは、情報量が半分なってしまいます。話も折れますし。
そんな中、和佐大輔さんと木坂健宣さんの対談は大変価値があると思います。
それぞれが、とても考える力があるところ、対談ではそれが掛け算になるからです。
下手な対談は、単独で話すことの半分の価値にもなりかねませんが、和佐・木坂対談は掛け算になると思います。
「コロナ解体新書」あたりでググってください。
コロナの話題はすでに時期が過ぎたかもしれませんが、物事を考えるというのはこういうことか、ということを与えてくれると思います。
前回の記事では、コメントのお返事や、本文への追記において、失礼な書き方にもなったかもしれず、お詫び申し上げます。
前回の記事の場合、そのことを強調せずには記事を書いた意味がなくなると考え、敢えて書かせていただきました。
さてここ数日、忙しくてみなさまへの訪問ができておらず、失礼しています。
また、今回の記事も超手抜きで失礼します。
仕事上の厳しい状況は続いています。
しかし、基本、自分の考えは誤っていなかったのだと確信しています。
自分をサポートしてくださる方の意見をよく聞いて、物事を進めています。
単に自分の努力だけなら何ら苦労はないのですが、人の行動や考え方を改める(職務上)必要があり、そこが大変ですね。
50代の途中まで読書の虫であった僕ですが、対談本というのを買ったのは1冊か2冊しかありません。
図書館で借りる場合でさえ、対談本はぐっと優先度が下がります。
対談本というのは、AとBという人が会話したことをそのまま本にすること。(もちろん若干の編集はあるのでしょうけど)
理由は至極シンプルです。
会話というのはアドリブですので、行き当たりばったりだから、本当によい議論ができたのか、あるいは本人らが主張をちゃんと言えたのかが不明なこと。(これにしても、若干の脚本はあるのかもしれませんが)
対談と言ってもいろんなタイプがあります。
Aという専門家の話を、Bという単なるインタビュアーが聞く場合。
AもBも専門家であり、意見をぶつけ合う場合。
AとBは専門分野が異なり、異分野であるからこそ、議論により何か新しいものが出るかもしれないのを期待する場合。
などなど。
対談だからこそ、よい本になることはあり得えます。
でも、Aという専門家の主張を正しく、効果的に理解したい場合、確率からすると、Aが単独でまとめた本の方がはるかに期待値は上です。
だから、基本は単独著者の本、そしてもし何等かのコラボが期待できそうな場合は、対談本も読まなくもない、というのが僕のスタンスです。
ユーチューブでも僕は、基本、対談は好きではありません。
誰かの主張に対し、単に相手をしているだけなどは、情報量が半分なってしまいます。話も折れますし。
そんな中、和佐大輔さんと木坂健宣さんの対談は大変価値があると思います。
それぞれが、とても考える力があるところ、対談ではそれが掛け算になるからです。
下手な対談は、単独で話すことの半分の価値にもなりかねませんが、和佐・木坂対談は掛け算になると思います。
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