ロッカーの目指すところ
みなさまおはようございます。
震災から4年目。
一刻も早く完全復興しますよう祈っています。
ロッカーの本質について書いてみます。
震災から4年目。
一刻も早く完全復興しますよう祈っています。
ロッカーの本質について書いてみます。
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最近、クラシック愛好家の方と交流する機会が増えました。
「僕は楽譜を使いません」と言うと多くのクラシック愛好家の方はびっくりします。
では、ロッカーの本質とは何なのか。
朝の時間で殴り書きになりますが、すごく大事なことですので、ささっと書いてみます。
では、できるかできないかは別として、ロッカーはこうありたい、というのを箇条書きします。
体制に反駁する。
先生には習わない。自分の音楽を表現する。
古いセオリーを学ぶのではなく新しいものを開拓する。
自作自演を行う。
オリジナリティーを発揮したい。
反体制派やアウトローの支持を得たい。
なるべくたくさんの楽器を演奏したい。
なるべくたくさんの仕事をしたい。
一言で言うと、「古い教育やしつけ」のような上からの押し付けに反発して発しているのがロックです。
そもそも「音楽を習う」という発想がないのです。
だから、「楽譜を使わない」ことそのものが目的というわけではなく、人から与えられたものを忠実に行うという発想がない、という意味です。
その流れで、耳コピ、コード進行、といったものが中心になるわけです。
このようにクラシック愛好家さんとロッカーでは考え方とアプローチがほぼ180度違うわけです。
とはいえ、クラシックもロックも同じ音楽。
感覚もセオリーも共通点も多いのです。
クラシックだって、基本は楽譜に基づき先生に習うとはいえ、みなさんオリジナリティを追究しているわけですし。
ロックにはアドリブという要素もあります。
コード進行さえ決めておけばその中では自由、というのもあります。
でも、やはりその中でも最適の音の組み合わせは存在すると思います。
その曲においては、そのアーティストのオリジナルのバージョンがクラシックで言うところの楽譜に相当するのではないでしょうか。
最近クラシック愛好家の方々と交流した結果、ロックのこだわりからは少しずつ柔軟になって、楽譜を適宜使ったり、人からいろいろ教えられたり、古典的なものを弾いたり...ということをだんだん取り入れつつあるところです。
母親のクラシック教育から反発してロックの世界に入っていった僕です。
でもそうしたことも最近ではあまりこだわらなくなってきました。
そして思うのは、最終的には「人間力」。
たしかにクラシックとロックとの間には「垣根」も存在しますけど、そうしたものも人間力があれば相互に行き来可能なんだ、とつくづく感じる今日この頃です。
最近、クラシック愛好家の方と交流する機会が増えました。
「僕は楽譜を使いません」と言うと多くのクラシック愛好家の方はびっくりします。
では、ロッカーの本質とは何なのか。
朝の時間で殴り書きになりますが、すごく大事なことですので、ささっと書いてみます。
では、できるかできないかは別として、ロッカーはこうありたい、というのを箇条書きします。
体制に反駁する。
先生には習わない。自分の音楽を表現する。
古いセオリーを学ぶのではなく新しいものを開拓する。
自作自演を行う。
オリジナリティーを発揮したい。
反体制派やアウトローの支持を得たい。
なるべくたくさんの楽器を演奏したい。
なるべくたくさんの仕事をしたい。
一言で言うと、「古い教育やしつけ」のような上からの押し付けに反発して発しているのがロックです。
そもそも「音楽を習う」という発想がないのです。
だから、「楽譜を使わない」ことそのものが目的というわけではなく、人から与えられたものを忠実に行うという発想がない、という意味です。
その流れで、耳コピ、コード進行、といったものが中心になるわけです。
このようにクラシック愛好家さんとロッカーでは考え方とアプローチがほぼ180度違うわけです。
とはいえ、クラシックもロックも同じ音楽。
感覚もセオリーも共通点も多いのです。
クラシックだって、基本は楽譜に基づき先生に習うとはいえ、みなさんオリジナリティを追究しているわけですし。
ロックにはアドリブという要素もあります。
コード進行さえ決めておけばその中では自由、というのもあります。
でも、やはりその中でも最適の音の組み合わせは存在すると思います。
その曲においては、そのアーティストのオリジナルのバージョンがクラシックで言うところの楽譜に相当するのではないでしょうか。
最近クラシック愛好家の方々と交流した結果、ロックのこだわりからは少しずつ柔軟になって、楽譜を適宜使ったり、人からいろいろ教えられたり、古典的なものを弾いたり...ということをだんだん取り入れつつあるところです。
母親のクラシック教育から反発してロックの世界に入っていった僕です。
でもそうしたことも最近ではあまりこだわらなくなってきました。
そして思うのは、最終的には「人間力」。
たしかにクラシックとロックとの間には「垣根」も存在しますけど、そうしたものも人間力があれば相互に行き来可能なんだ、とつくづく感じる今日この頃です。
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