無限大のレトリック(その2)
みなさまこんばんは。
いよいよ春本番を思わせる気候となりました。
そして、気温が低くてもなんか春の匂い。
もうすぐですよ。
久しぶりに「無限大」について書きます。
いよいよ春本番を思わせる気候となりました。
そして、気温が低くてもなんか春の匂い。
もうすぐですよ。
久しぶりに「無限大」について書きます。
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最初のお断りです。
今日の記事は多分に言葉の遊びに興じています。
「こんな考えもあるのか」程度の気持ちを持っていただくことで結構です。
内容そのものは真剣ですけど、「無限大」という言葉の使い方はあくまで「遊び」です。
さて、昨年6月17日に「無限大のレトリック」という記事を書きました。
目の前に立ちはだかるチャレンジ、例えば、困難な山に登る、とてつもない素晴らしく想いを寄せる人を制覇する、あるいは高い仕事上の目標を到達する、など、が無限大の大きさに感じたとしたら、自分の精神を御しきれないだろう、と。
そして逆に言えば、対象のチャレンジは無限大ではなく有限の見積もりができれば具体的な乗り越え術をイメージできるから、成功に導かれるだろう、という考えを展開しました。
つまり、前回は「無限大」をネガティブな存在と捉えたのでした。
そして今回。
今回は「無限大」をポジティブに捉えてみます。
無限大。
現代数学では無限大は特異点の一種として捉えます。
とにかく「普通の奴」じゃない。
他の数の連中と同類には全然働かない。
一般化なんてできない。
全てを支配する神か、はたまた閻魔大王の如し。
では今日は、無限大をお釈迦様のような万能でかつ慈愛に満ち溢れた方のように考えてみます。
人は皆悩みを持っています。
でも人は成長するにつれ、種々の悩みを最小にすべく努力します。
親や先生から指導を受け、人生勉強をし、パートナーからも愛情や影響を受けて。
要するに、成長した人間は悩みを最小にするには「自分なりの考える軸」を持つということでしょう。
身の回りに起こるあらゆる事象を、自分の軸により「定量化」でき、そして実現可能な対処法を考えられる。それが成長した人間の業です。
しかし一方、人はそれぞれに、「ある種の」どうしても御しきれない悩みを大人になってからも持っているものです。
その悩みに関して自分は定量化できる軸を持っていない。
ましてや、その悩みに関してふりかかることに適度な対処法の体系も持っていない。
さあどうする?
そんな時、これを解決する方法として大きく2つに分けられると思うんです。
まず一つは。
それに関する世の中の類似例をできるだけ集め、あるいは、もし信頼できるパートナーがいる場合は「あなた、そんな時はそんなこと考えてはだめですよ」みたいな苦言を呈してもらう。
要するに、その関係において適度な常識感を培おうというもの。
最も一般的な方法だと思います。
もう一つは。
ここでお釈迦様の登場です。
目の前の相手の悩みをとことん吐き出させ、聞き、受け入れていく方法。
要するに「無限のキャパ」をもつ掃除機みたいな方です。
人は大抵、悩みというものは恥ずべくことだと思ってしまいます。
だからそれを自他ともに律する方が、その悩みの更生には有効だと考えます。
でも今日、僕は強く思います。
二つ目の「無限大」の力で相手の悩みを全て出し尽くさせるパートナー。
これこそが人生究極の最大のパートナーではないか、と。
なぜなら、全ての悩みを出し尽くすには無限大の受け皿が必要です。
そして悩みを全て出し尽くしたら...その境地はもはや無限大ではなく、有限の悩みの大きさを自覚できることでしょう。
そうです、定量化ができたのです。
こうして悩みの問題解決がなされていくのです。
どうですか?
無限大。
あなたも無限大のキャパをもつパートナーに出会ってください。
では今日のおまけはTicket to Ride(涙の乗車券)。
Ticker to Ride_20140119
最初のお断りです。
今日の記事は多分に言葉の遊びに興じています。
「こんな考えもあるのか」程度の気持ちを持っていただくことで結構です。
内容そのものは真剣ですけど、「無限大」という言葉の使い方はあくまで「遊び」です。
さて、昨年6月17日に「無限大のレトリック」という記事を書きました。
目の前に立ちはだかるチャレンジ、例えば、困難な山に登る、とてつもない素晴らしく想いを寄せる人を制覇する、あるいは高い仕事上の目標を到達する、など、が無限大の大きさに感じたとしたら、自分の精神を御しきれないだろう、と。
そして逆に言えば、対象のチャレンジは無限大ではなく有限の見積もりができれば具体的な乗り越え術をイメージできるから、成功に導かれるだろう、という考えを展開しました。
つまり、前回は「無限大」をネガティブな存在と捉えたのでした。
そして今回。
今回は「無限大」をポジティブに捉えてみます。
無限大。
現代数学では無限大は特異点の一種として捉えます。
とにかく「普通の奴」じゃない。
他の数の連中と同類には全然働かない。
一般化なんてできない。
全てを支配する神か、はたまた閻魔大王の如し。
では今日は、無限大をお釈迦様のような万能でかつ慈愛に満ち溢れた方のように考えてみます。
人は皆悩みを持っています。
でも人は成長するにつれ、種々の悩みを最小にすべく努力します。
親や先生から指導を受け、人生勉強をし、パートナーからも愛情や影響を受けて。
要するに、成長した人間は悩みを最小にするには「自分なりの考える軸」を持つということでしょう。
身の回りに起こるあらゆる事象を、自分の軸により「定量化」でき、そして実現可能な対処法を考えられる。それが成長した人間の業です。
しかし一方、人はそれぞれに、「ある種の」どうしても御しきれない悩みを大人になってからも持っているものです。
その悩みに関して自分は定量化できる軸を持っていない。
ましてや、その悩みに関してふりかかることに適度な対処法の体系も持っていない。
さあどうする?
そんな時、これを解決する方法として大きく2つに分けられると思うんです。
まず一つは。
それに関する世の中の類似例をできるだけ集め、あるいは、もし信頼できるパートナーがいる場合は「あなた、そんな時はそんなこと考えてはだめですよ」みたいな苦言を呈してもらう。
要するに、その関係において適度な常識感を培おうというもの。
最も一般的な方法だと思います。
もう一つは。
ここでお釈迦様の登場です。
目の前の相手の悩みをとことん吐き出させ、聞き、受け入れていく方法。
要するに「無限のキャパ」をもつ掃除機みたいな方です。
人は大抵、悩みというものは恥ずべくことだと思ってしまいます。
だからそれを自他ともに律する方が、その悩みの更生には有効だと考えます。
でも今日、僕は強く思います。
二つ目の「無限大」の力で相手の悩みを全て出し尽くさせるパートナー。
これこそが人生究極の最大のパートナーではないか、と。
なぜなら、全ての悩みを出し尽くすには無限大の受け皿が必要です。
そして悩みを全て出し尽くしたら...その境地はもはや無限大ではなく、有限の悩みの大きさを自覚できることでしょう。
そうです、定量化ができたのです。
こうして悩みの問題解決がなされていくのです。
どうですか?
無限大。
あなたも無限大のキャパをもつパートナーに出会ってください。
では今日のおまけはTicket to Ride(涙の乗車券)。
Ticker to Ride_20140119
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