東芝よ、蘇れ!
みなさまこんばんは。
涼しい日が続いていたついこの間の記憶もはるか彼方ですね。
あ~、蒸し暑い!
お元気でしょうか?
東芝で信じられない事件が発覚しました。
涼しい日が続いていたついこの間の記憶もはるか彼方ですね。
あ~、蒸し暑い!
お元気でしょうか?
東芝で信じられない事件が発覚しました。
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利益かさ上げのような不祥事はそう珍しくもありません。
しかし、日本を代表する企業が、しかも社長以下何代にも渡って組織ぐるみで行われてきたとは!
落胆の念を禁じ得ません。
しかし、一企業人として、そして一時期とても大事なお客さんとしてお付き合いいただいた東芝の今回の不祥事を、単にダメ出しの対象にはしたくありません。
東芝の栄光をここで敢えて述べるほどもなく、広く知られたことです。
僕としては、自分がやっていた半導体材料の顧客の一つが東芝だったこともあり、半導体で栄華を極めた東芝の姿が印象的でした。
ビートルズが1964年のアメリカのヒットチャートのべスト5を独占したが如く、1980年代後半の世界半導体ランキングは東芝をはじめとした日本企業で上位を占められました。
そんな東芝の発展を支えたのが半導体に携わる技術者たちでした。
彼ら彼女らは創意工夫に溢れ、仕事を生き甲斐にしていました。
そして寝食を忘れ実験に励んでいたのです。
3年毎に集積度を4倍に上げるという無理難題に応え、他社に負けるものかと、創造性と頑張りに身を捧げた彼ら彼女ら。
僕らはそんな東芝(および他の半導体メーカーにも)に材料を提供する立場でした。
もう20年以上前のことです。
夜も更け8時も回ります。会社の居室には僕だけとなりました。
そこへ外線電話が。東芝の技術者の人からでした。
僕の関係の人ではなかったので、「すみません、関係の者は帰宅していまいました」と伝えると、電話の向こうの彼が厳しい口調で言いました。
「何ですって! 我々はもうギリギリのところで踏ん張っているんですよ。あなた方はなんでそんなに早く帰るのですか!?」
僕は打ちのめされました。
理屈というよりは熱意に動かされたのです。
そこで僕は自分の担当ではなかったものの、自分の判断で、彼の疑問に少しでも応えるために「ご参考までに」を付しながら、ありったけの知見を伝えたのでした。
大同小異、東芝の技術者はそんな気概を持っていました。
そして彼ら彼女らの給料。
一度聞きましたところ、耳を疑いました。
なぜ、日本の成長の牽引役になった彼ら彼女らの給料がこんなに安い!
僕は怒りを覚えたのです。
彼らこそ豊かな暮らしをし、芸術も文化も楽しんでほしい。
そんな願いが沸々と湧いたのです。
今の僕の仕事は東芝さんはじめメーカーと直に折衝する立場ではないので、よく知りません。
でも、トップがあのようになったからといって、今の東芝の技術者も営業も企画も、その他いかなる社員も、昔からの東芝のマインドに誇りをもち、一生懸命やっているに違いありません。
東芝よ!
過ちは徹底して刷新したまえ!
そして、誇り高く努力家の社員を蔑ろにすることなく、引き続き日本のために邁進してくれたまえ!
利益かさ上げのような不祥事はそう珍しくもありません。
しかし、日本を代表する企業が、しかも社長以下何代にも渡って組織ぐるみで行われてきたとは!
落胆の念を禁じ得ません。
しかし、一企業人として、そして一時期とても大事なお客さんとしてお付き合いいただいた東芝の今回の不祥事を、単にダメ出しの対象にはしたくありません。
東芝の栄光をここで敢えて述べるほどもなく、広く知られたことです。
僕としては、自分がやっていた半導体材料の顧客の一つが東芝だったこともあり、半導体で栄華を極めた東芝の姿が印象的でした。
ビートルズが1964年のアメリカのヒットチャートのべスト5を独占したが如く、1980年代後半の世界半導体ランキングは東芝をはじめとした日本企業で上位を占められました。
そんな東芝の発展を支えたのが半導体に携わる技術者たちでした。
彼ら彼女らは創意工夫に溢れ、仕事を生き甲斐にしていました。
そして寝食を忘れ実験に励んでいたのです。
3年毎に集積度を4倍に上げるという無理難題に応え、他社に負けるものかと、創造性と頑張りに身を捧げた彼ら彼女ら。
僕らはそんな東芝(および他の半導体メーカーにも)に材料を提供する立場でした。
もう20年以上前のことです。
夜も更け8時も回ります。会社の居室には僕だけとなりました。
そこへ外線電話が。東芝の技術者の人からでした。
僕の関係の人ではなかったので、「すみません、関係の者は帰宅していまいました」と伝えると、電話の向こうの彼が厳しい口調で言いました。
「何ですって! 我々はもうギリギリのところで踏ん張っているんですよ。あなた方はなんでそんなに早く帰るのですか!?」
僕は打ちのめされました。
理屈というよりは熱意に動かされたのです。
そこで僕は自分の担当ではなかったものの、自分の判断で、彼の疑問に少しでも応えるために「ご参考までに」を付しながら、ありったけの知見を伝えたのでした。
大同小異、東芝の技術者はそんな気概を持っていました。
そして彼ら彼女らの給料。
一度聞きましたところ、耳を疑いました。
なぜ、日本の成長の牽引役になった彼ら彼女らの給料がこんなに安い!
僕は怒りを覚えたのです。
彼らこそ豊かな暮らしをし、芸術も文化も楽しんでほしい。
そんな願いが沸々と湧いたのです。
今の僕の仕事は東芝さんはじめメーカーと直に折衝する立場ではないので、よく知りません。
でも、トップがあのようになったからといって、今の東芝の技術者も営業も企画も、その他いかなる社員も、昔からの東芝のマインドに誇りをもち、一生懸命やっているに違いありません。
東芝よ!
過ちは徹底して刷新したまえ!
そして、誇り高く努力家の社員を蔑ろにすることなく、引き続き日本のために邁進してくれたまえ!
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