1億総「つぶやき」化の傾向をどう見るか

みなさまこんばんは。
ニッポン列島冷凍庫の状態ですね。
みなさま大丈夫でしょうか?

さて、今や「つぶやき」の時代ですね。
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今日もまた「だ、である」調で失礼します。

今や「つぶやき」が花盛りだ。
いや、というよりももはやネット上のコミュニケーションの手段の主位を獲得したと言ってもいいかもしれない。
Twitter、Facebook、LINE、mixiといったSNSの発達と相まって普及してきた。

僕は一応、いろんな物に手を染めるが、こと「つぶやき」に関しては全くの奥手だ。
というか、ほとんどやったこともない。

僕は自分にないものやできないものに対してはわりと前向きにプラス思考に取り組む性格だ。
ではいきなり脱線で失礼。
この考え方の背景にあるのは「人生なるべく楽しみは多い方がいいだろう」ということだ。

例えば僕は、ある時期まで焼酎が飲めなかった。
でも「焼酎なんてオレには合わん」などとは言わずに、素直に「好きになろう」とした。
だって、多くの人が愛する物が自分だけに合わないなんて考えにくい。
たまたま入り方にしくじっただけだろうと考えた。そしてそれは当たった。

あるいは、しばらく演歌を好きになれなかったが、演歌のカラオケを好む人達と一緒に楽しめるようになった。
そしてその喜びはとても大きいのである。

楽譜を使ったり先生に習うなんてロック野郎から見れば死んでもやりたくないが、でも、クラシックピアノ愛好家の人たちはその前提で熱い議論を展開している。
こだわりを捨てた先には素晴らしいものがあるかもしれない。
これから僕はその世界に踏み入るのか、あるいはロック野郎の魂を貫くのか、それはじっくり検討していく。

では脱線おしまい。

僕は今のところ「つぶやき」は全くおもしろいとは思わない。
僕はあるSNSを使っており、同じユーザーである友人や知り合いの人たちが、毎日毎日数時間おきに盛んにつぶやきを発信している。
それに対し多くの人が「いいね」をレスしたり、ショートコメントを送っている。

つぶやきの中にはたわいもないものもあれば、高尚な内容のものもある。
でも、とにかく短すぎて、その人の主張したいことが何であるかがわからない。
適当に想像した上でコメントを述べたところで虚しさが残る。

一度試しに2、3回つぶやいてみたことがあった。
そしたら全くウけず、さんざんであった(笑)
自分ではかなりおもしろく、含蓄があるように書いたつもりだっただけに、多いに落胆してしまった。

ということは多分、継続することに意味があるのだな、と思う。
ブログの記事であればしっかり言いたいことを言えるので、その記事一つが完結している。
それに対しつぶやきは、その人が長い期間つぶやき続けて、そして多くの人と呼応し合って初めて存在意義が生まれるのであろう。

外国に目をやると、つぶやきはやはり盛んのようだ。
ただしそれは、即効性、流布性というつぶやきの本来の利点を活用しているのではないだろうか。
日本の場合は、つぶやきは人と人とが家族のようにいつもいつも存在を確認し合うためのように思える。

あるいは、僕には想像もつかないような大きなパワーがつぶやきには働いているのだろうか?
ネットというのはかつて人類が経験したことのない情報の共有が起こる。
これまで家族や個人や学校や会社といった小規模な集合でのみ情報の共有がなされていたのが、今や無限の大きさに広がっている。
これまでは一人の人間のみを司っていた脳が、つぶやきの世界では「脳」が共有されているのだろうか?

僕は2012年8月7日に「植物の戦略」という記事(←クリック)を書いた。
脳を持たない、というか植物全体が脳であるような戦略こそが本当は一番強いのではないか、と。
ネット社会の隆盛も、もしかしたら何らかの巨大なメカニズムが働いているのかもしれない。

さて一方では、つぶやきが主流になり過ぎると国語力の低下が懸念される。
僕は仕事上である翻訳の会社を利用している。
そこの社長さんはまだお若い女性の起業家である。
HPには社長さんの個人のブログのリンクも貼ってある。
そのブログはとても素敵なのだが、最近数年更新がないのである。
そこで社長さんに「更新期待してますよ」と言ったら、社長さん曰く。
「・・・いやあ・・・、最近はもう長い文章は無理ですね。もっぱらFacebookです。」と。

つぶやきのよさは多いに研究したいけど、長い文章が蔑ろになっては困る。
また最近では、いろんな記事へのコメントの数々を拝見するにつけ、その記事をじっくり読んで主旨を汲み取った上でのコメントというのはあまり見られない。中学や高校の現代国語の問題としてよくあった「作者の一番言いたいことは何か?」のような感覚で記事を読んでいる人は少ないと思う。
それより、閃いた印象を、相手の主旨には関係なく述べるのが主流になっているように思う。
やはり、ある程度の長い文章を読み取る訓練も怠ってはならないと思う。

最近、ブログの記事に対し故意につぶやき風にコメントしてみようという実験を行った。
大変失礼。
結局、つぶやきも長い文章も両方大事というのが目下の結論である。

今日のおまけは即席の弾き語り録音である。
シンセでオルガンの音を出してThe Long and Winding Roadを弾き語ってみた。
多重録音はなし、編集・加工もなしでの弾き語り一発録音である。
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No title

こんにちは。

私は一応ツイッターのアカウントを所有しておりますが、全くつぶやかない者です。他人のつぶやきもあまり見ません。

が、手軽に意見が言える上に、いざとなったら「単なるつぶやきですから」と言い訳出来るので、便利で良いなと思う人が多いんだろうな、と思います。感覚的、一時的でも同調者(フォロワー、いいね)があつまったら、楽しいのかもしれませんね。

と、ちょっと否定的な書き方になってしまいましたが、SNSとの付き合い方も人其々な訳で、お仕事に上手く利用されてる方もいますし、つぶやいたことから、ちゃんと筋の通った思考を導き出している方もいると思います。

例えば長い論文の中にも、理詰めでなく、感覚的な思考が含まれていると、とても新鮮に感じるものです。つぶやきは感覚を研ぎ澄ますのに役立ちそうな気がします。

yuccalinaさん

こんばんは。寒いですね。
今日もまたコメントどうもありがとうございました。

コメント前半部でおっしゃるような感じがまさに今つぶやきが流行っている理由でしょうね。
もちろん皆さん楽しいから多くの人がやっているのでしょうね。
僕自身はまだその楽しさがよくわかりませんけど。

後半の部分はなるほどです。
これこそが欧米で主流の感覚ではないでしょうか。
政治やビジネスの部分でもつぶやきを起点に大きなこともあるようですし。
日本でもそのような場合があるのかもしれませんね。

要は、つぶやきと長文は相補的なのであって、どちらかがどちらかを駆逐してはいけないのでしょうね。
つぶやきは感覚を研ぎ澄ますものかもしれない。なるほどそうかもしれません。
僭越ながら、以前僕が書いた「微分型コミュニケーション」とも関連しそうですね。
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ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
ご気楽にコメントください。

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