「負けるが勝ち」の本当の意味
みなさまこんばんは。
いよいよ夏休み(働いている方にとっての)の本番を迎えましたね。
山の日の存在はいいような悪いような。
ただでさえ今年のお盆は難しい曜日なのに、そこへ山の日が拍車をかけて難しくしているようです。
職場でのため息が聞こえてきそうです。
みなさまにおかれましてはどんな計画をされていますか?
いよいよ夏休み(働いている方にとっての)の本番を迎えましたね。
山の日の存在はいいような悪いような。
ただでさえ今年のお盆は難しい曜日なのに、そこへ山の日が拍車をかけて難しくしているようです。
職場でのため息が聞こえてきそうです。
みなさまにおかれましてはどんな計画をされていますか?
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職場に、私よりも少し歳が上の方がいらっしゃいます。
その方は既に定年後の契約社員として働いています。
実質は通常の社員と同じような業務に就いています。
私はその方といろんな話をしますし、時に相談に乗ってもらったり、また時にはその方から相談をされることもあります。
その方は自分の学歴に大変誇りを持っていますし、なかなか目の付け所のよい考え方を持っています。
私としても彼の考え方を多いに参考にさせてもらうことがあります。
しかし、彼は組織に同化してうまく立ち回り実績を上げることが苦手です。
自分の考え方にそぐわない人や考え方をどんどん排除する一方なので、世界が広がっていきませんし、自分の成長も限られてしまいます。
そして、とてもささいなことにも自分が劣勢とか下手になることを嫌います。
例えば、「あいつは挨拶をしない奴だ」ということで人をとても恨みます。
自分はきちんと挨拶をするのに奴は返事もしない、となることは嫌なのです。
そうした劣勢に立たないために彼は自らも挨拶をしなくなっていくのです。
つまり、マイナスをマイナスで制するようなことになってしまいます。
彼は最近、自分の直属上司のことが大変気に入らなく、自分の考えにも合わないので、とても反抗的な態度を示しています。
私もそのことで相談をよく受けます。
一つ一つの彼の言い分は、”微視的”には正しいことが多いのですが、全体としてはあまり賛同できません。
彼の悩みが最大限に達していますので、ついに私は大事なことを言おうと決めました。
歳が上の人ではありますが、迎合してはいられないと強く思ったからです。
そこで私は、自分の体験をもとに私が大事だと考えることを真剣に話しました。
その主旨は「負けるが勝ち」ということ。
負けるが勝ちということは古今東西よく言われていることです。
でもその多くは「諦めの境地」のような慰め的な意味で使っているのではないでしょうか?
私の考える負けるが勝ちはもっとずっとポジティブで戦略的ものです。
以下、私が彼に話したことの一部を紹介します。
相手が挨拶の返事をしなくても、誰に対しても快活に挨拶をし続けましょう。
すると、そんな正直な自分を利用をしようとする人が現れることでしょう。つまり、細かいことに勝って満足したい人たちです。
そういう人が現れても、一旦は負けましょう。
負けたっていいんです。
そうすると、負けてばかりもいやですから、何かで勝たなくてはいけないと思うようになります。
つまり自分が成長するのです。
そして、タイミングを見計らってその「新しい力」をアピールするのです。
その時人々は尊敬し、好意的になることでしょう。
上司に自分の考えを主張することは大事ですが、どうしても変えることができないと判断したのなら、一旦全ての言うことを聞くべきです。
上司の指示に沿ってまずはやることをやって整然と報告しましょう。
ただし、それをやるだけではだめです。自分が正しいと信ずることに基づく検討もしっかりやっておきます。
そして上司の機嫌のよい時を見計らって、その新しい事実と考えを訴えるのです。
そうすれば上司は尊敬し、より大きな仕事を任せることでしょう。
小さなことにも負けたくなくて画策を凝らすのが昨今の職場の風景です。
大きなことにしか負けたくない人ばかりなら、「負けるが勝ち」ということは考えなくてもいいでしょう。
でも、そうではないのですから、一旦誰かが負けなければ、この非生産的かつ精神力浪費の状況は変えられないでしょう。
負けるが勝ち。
一旦マイナスを飲み込み、我が心身の中に「大きなプラス」を醸成させる。
そしてそれを発露する。
結果、自分は勝つ。状況も好転する。相手もプラス思考に転ずるかもしれない。
これこそが真の「負けるが勝ち」であると思うのです。
渾身の思いのたけを話し、その方も何かを感じていただいたようでした。
職場に、私よりも少し歳が上の方がいらっしゃいます。
その方は既に定年後の契約社員として働いています。
実質は通常の社員と同じような業務に就いています。
私はその方といろんな話をしますし、時に相談に乗ってもらったり、また時にはその方から相談をされることもあります。
その方は自分の学歴に大変誇りを持っていますし、なかなか目の付け所のよい考え方を持っています。
私としても彼の考え方を多いに参考にさせてもらうことがあります。
しかし、彼は組織に同化してうまく立ち回り実績を上げることが苦手です。
自分の考え方にそぐわない人や考え方をどんどん排除する一方なので、世界が広がっていきませんし、自分の成長も限られてしまいます。
そして、とてもささいなことにも自分が劣勢とか下手になることを嫌います。
例えば、「あいつは挨拶をしない奴だ」ということで人をとても恨みます。
自分はきちんと挨拶をするのに奴は返事もしない、となることは嫌なのです。
そうした劣勢に立たないために彼は自らも挨拶をしなくなっていくのです。
つまり、マイナスをマイナスで制するようなことになってしまいます。
彼は最近、自分の直属上司のことが大変気に入らなく、自分の考えにも合わないので、とても反抗的な態度を示しています。
私もそのことで相談をよく受けます。
一つ一つの彼の言い分は、”微視的”には正しいことが多いのですが、全体としてはあまり賛同できません。
彼の悩みが最大限に達していますので、ついに私は大事なことを言おうと決めました。
歳が上の人ではありますが、迎合してはいられないと強く思ったからです。
そこで私は、自分の体験をもとに私が大事だと考えることを真剣に話しました。
その主旨は「負けるが勝ち」ということ。
負けるが勝ちということは古今東西よく言われていることです。
でもその多くは「諦めの境地」のような慰め的な意味で使っているのではないでしょうか?
私の考える負けるが勝ちはもっとずっとポジティブで戦略的ものです。
以下、私が彼に話したことの一部を紹介します。
相手が挨拶の返事をしなくても、誰に対しても快活に挨拶をし続けましょう。
すると、そんな正直な自分を利用をしようとする人が現れることでしょう。つまり、細かいことに勝って満足したい人たちです。
そういう人が現れても、一旦は負けましょう。
負けたっていいんです。
そうすると、負けてばかりもいやですから、何かで勝たなくてはいけないと思うようになります。
つまり自分が成長するのです。
そして、タイミングを見計らってその「新しい力」をアピールするのです。
その時人々は尊敬し、好意的になることでしょう。
上司に自分の考えを主張することは大事ですが、どうしても変えることができないと判断したのなら、一旦全ての言うことを聞くべきです。
上司の指示に沿ってまずはやることをやって整然と報告しましょう。
ただし、それをやるだけではだめです。自分が正しいと信ずることに基づく検討もしっかりやっておきます。
そして上司の機嫌のよい時を見計らって、その新しい事実と考えを訴えるのです。
そうすれば上司は尊敬し、より大きな仕事を任せることでしょう。
小さなことにも負けたくなくて画策を凝らすのが昨今の職場の風景です。
大きなことにしか負けたくない人ばかりなら、「負けるが勝ち」ということは考えなくてもいいでしょう。
でも、そうではないのですから、一旦誰かが負けなければ、この非生産的かつ精神力浪費の状況は変えられないでしょう。
負けるが勝ち。
一旦マイナスを飲み込み、我が心身の中に「大きなプラス」を醸成させる。
そしてそれを発露する。
結果、自分は勝つ。状況も好転する。相手もプラス思考に転ずるかもしれない。
これこそが真の「負けるが勝ち」であると思うのです。
渾身の思いのたけを話し、その方も何かを感じていただいたようでした。
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