あることをやることにより得るものと失うものをしっかり考えよう
みなさまこんばんは。
はい、またまたやってきました「飲み曜日かつ書き曜日」。
今日は出張ではなかったのはよかったですが、ヨーロッパから今日中に来るべきメールを待つことになり、45分くらい無為な時間を過ごすことになってしまいました。
ま、よくあることですね。
今日の要約
・自分がよかれと思っていること、あるいは自分はよくないと思っていること、これらには必ず「そうではない」面もある。
・それを自覚することにより全く違う世界が拓けてくる。
・自分の思うようにしばらくは邁進し、そしてある程度努力を終えたら、違う考えをしっかり考えてみよう。
はい、またまたやってきました「飲み曜日かつ書き曜日」。
今日は出張ではなかったのはよかったですが、ヨーロッパから今日中に来るべきメールを待つことになり、45分くらい無為な時間を過ごすことになってしまいました。
ま、よくあることですね。
今日の要約
・自分がよかれと思っていること、あるいは自分はよくないと思っていること、これらには必ず「そうではない」面もある。
・それを自覚することにより全く違う世界が拓けてくる。
・自分の思うようにしばらくは邁進し、そしてある程度努力を終えたら、違う考えをしっかり考えてみよう。
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僕は若い頃は研究に没頭していたと書きましたが、真面目というのとはちょっと違います。
深夜まで仕事をすることもありましたが、一方では5時になったらさっさと帰って遊ぶということもしっかりやっていました。
その癖は今でもしっかり残っています。
でも、今の若い人たちは、5時にサーっと帰るということをできない人が多く、なんか気の毒な感じがします。
さて、今日のお話ししたいことは、まさにタイトルの通りなんです。
「これはよかれ」と思って一所懸命にやっていることは、プラスももたらす一方、必ずマイナスももたらすということです。
物事には必ず二面性がある、とも言えましょう。
「これはいい」と思っていることでもマイナス面があるし、
「これはひどい」と思っていることでもプラス面がある、ということです。
具体例をいくつか挙げて考えてみましょう。
僕は車で移動をする機会がとても多いです。
やりたいことがたくさんあるので、スケジュールは分刻みです。
ですので、車を少しでも効率よく走らせようと考えてしまいます。
昨今の道路事情はなかなか複雑ですね。
それに加え、右側のレーンをゆっくり走っている車とかマナーのよくない車も結構います。
そこで、そうしたものをよけながら、右のレーンへ行ったり左のレーンへ行ったり、忙しいこと。
神経をすり減らしてしまいます。
そこである時、2時間の行程を全部左車線で行ってみることにしました。実験です。
そうしたら、意外にも到着時間はあまり変わりませんでした。
それどころか、ストレスは生まれず、落ち着いていろんなことを考えることができました。
失うものより得るものの方が多かった気がしました。
前回の記事では、ほんの少しのステップアップを継続すると、いつの間にか大きなジャンプアップになる、と書きました。
その一例として走ることを挙げました。
そのことによるプラス面は確実にあります。
でも、毎日やることに拘泥しすぎると、マイナス面も生まれるのです。
とにかく毎日やることを課し過ぎ、やれば満足しやらなければ後悔する、という図式。
ブログの更新とか、他のブロガーさんへの訪問といったことも、これに似た側面があるでしょう。
継続は力なり、ですから、もちろん頑なに継続することは意味があるでしょう。
でも、そのマイナス面を見えなくなってしまってもいけないと思います。
おそらくは、ある程度の期間はしっかり継続し、そして次のフェーズでは違う考えに立ってみる。
そんなやり方がいいのだろうと思います。
いつも訪問いただいているブロガーさんの記事で、パスワード付のファイルをメール添付で送る場合、そのパスワードを別のメールで送る、ということを書かれていました。
もし同じメールにファイルとパスワードを載せた場合、そのメールが不慮に他者に渡った場合などのリスクが考えられるため、このようなルールが採用されていると思われます。
しかしそもそも、「人の道はどうであるべきか」という考えが軽んじらている中でのルール先行であると思います。そういう意味で典型的な事例だと思いました。
医学的な見地からも、僕自身の例を挙げてみます。
前回も書いたように、僕は一時期マラソンにとても取り組んでいました。そしてそればかりでなく、走ったり歩いたりして地形を制覇したり、登山したりしていました。(詳しくはカテゴリ「スポーツ・冒険・山」をご覧ください。)
30代から50代初めにかけてです。
それはそれは熱中していました。
体力的にも精神的にもかなり鍛えられましたし、充実していましたし、意識は高揚しましたし、得るものはとても大きかったです。
心身が充実し、仕事への影響も大きかったのです。
でも、今から思い起こしてみますと、これらはすごい野外活動でしたので、紫外線を浴び過ぎました。
だからがんになったのかもしれません。
逆に、僕が「よくない」と思っていたこと、例えば家庭環境や自分の性格、会社での評価、病気、といったことでも、必ず「よい面」もあることがわかりました。
以上のように、よかれと思っていること、よくないと思っていることは、必ず逆の面もあるのです。
結局、プラスとマイマスのどちらが多いのかは、個々の事例により違ってきます。
プラスであるかマイナスであるかが重要なのではなく、両面あることをしっかり自覚することが重要に思います。
僕は若い頃は研究に没頭していたと書きましたが、真面目というのとはちょっと違います。
深夜まで仕事をすることもありましたが、一方では5時になったらさっさと帰って遊ぶということもしっかりやっていました。
その癖は今でもしっかり残っています。
でも、今の若い人たちは、5時にサーっと帰るということをできない人が多く、なんか気の毒な感じがします。
さて、今日のお話ししたいことは、まさにタイトルの通りなんです。
「これはよかれ」と思って一所懸命にやっていることは、プラスももたらす一方、必ずマイナスももたらすということです。
物事には必ず二面性がある、とも言えましょう。
「これはいい」と思っていることでもマイナス面があるし、
「これはひどい」と思っていることでもプラス面がある、ということです。
具体例をいくつか挙げて考えてみましょう。
僕は車で移動をする機会がとても多いです。
やりたいことがたくさんあるので、スケジュールは分刻みです。
ですので、車を少しでも効率よく走らせようと考えてしまいます。
昨今の道路事情はなかなか複雑ですね。
それに加え、右側のレーンをゆっくり走っている車とかマナーのよくない車も結構います。
そこで、そうしたものをよけながら、右のレーンへ行ったり左のレーンへ行ったり、忙しいこと。
神経をすり減らしてしまいます。
そこである時、2時間の行程を全部左車線で行ってみることにしました。実験です。
そうしたら、意外にも到着時間はあまり変わりませんでした。
それどころか、ストレスは生まれず、落ち着いていろんなことを考えることができました。
失うものより得るものの方が多かった気がしました。
前回の記事では、ほんの少しのステップアップを継続すると、いつの間にか大きなジャンプアップになる、と書きました。
その一例として走ることを挙げました。
そのことによるプラス面は確実にあります。
でも、毎日やることに拘泥しすぎると、マイナス面も生まれるのです。
とにかく毎日やることを課し過ぎ、やれば満足しやらなければ後悔する、という図式。
ブログの更新とか、他のブロガーさんへの訪問といったことも、これに似た側面があるでしょう。
継続は力なり、ですから、もちろん頑なに継続することは意味があるでしょう。
でも、そのマイナス面を見えなくなってしまってもいけないと思います。
おそらくは、ある程度の期間はしっかり継続し、そして次のフェーズでは違う考えに立ってみる。
そんなやり方がいいのだろうと思います。
いつも訪問いただいているブロガーさんの記事で、パスワード付のファイルをメール添付で送る場合、そのパスワードを別のメールで送る、ということを書かれていました。
もし同じメールにファイルとパスワードを載せた場合、そのメールが不慮に他者に渡った場合などのリスクが考えられるため、このようなルールが採用されていると思われます。
しかしそもそも、「人の道はどうであるべきか」という考えが軽んじらている中でのルール先行であると思います。そういう意味で典型的な事例だと思いました。
医学的な見地からも、僕自身の例を挙げてみます。
前回も書いたように、僕は一時期マラソンにとても取り組んでいました。そしてそればかりでなく、走ったり歩いたりして地形を制覇したり、登山したりしていました。(詳しくはカテゴリ「スポーツ・冒険・山」をご覧ください。)
30代から50代初めにかけてです。
それはそれは熱中していました。
体力的にも精神的にもかなり鍛えられましたし、充実していましたし、意識は高揚しましたし、得るものはとても大きかったです。
心身が充実し、仕事への影響も大きかったのです。
でも、今から思い起こしてみますと、これらはすごい野外活動でしたので、紫外線を浴び過ぎました。
だからがんになったのかもしれません。
逆に、僕が「よくない」と思っていたこと、例えば家庭環境や自分の性格、会社での評価、病気、といったことでも、必ず「よい面」もあることがわかりました。
以上のように、よかれと思っていること、よくないと思っていることは、必ず逆の面もあるのです。
結局、プラスとマイマスのどちらが多いのかは、個々の事例により違ってきます。
プラスであるかマイナスであるかが重要なのではなく、両面あることをしっかり自覚することが重要に思います。
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