車の運転マナーの良し悪しは先進国度のバロメーター
みなさまこんばんは。
本当に寒い日が続きますね。
そして、あっという間に12月も間もなく下旬です。
いかがお過ごしでしょうか?
今回の記事の要約
・僕の長い車の運転歴の中で、車の運転マナーの良し悪しについて印象的に体験したことをいくつか紹介する。
・そして、ある思いに行きついた。
本当に寒い日が続きますね。
そして、あっという間に12月も間もなく下旬です。
いかがお過ごしでしょうか?
今回の記事の要約
・僕の長い車の運転歴の中で、車の運転マナーの良し悪しについて印象的に体験したことをいくつか紹介する。
・そして、ある思いに行きついた。
-------------------------
今朝、ある方のブログで、ブログの読者の約半数がスマホから読んでいるので、スマホで見るに適した文字の配列にも気を配らないといけない、ということをはじめ大変興味深い記事が書かれていた。
そして、さらに僕として思ったのは、PCは記事全体を一目で見られるが、スマホはごく一部しか1画面で見られない。
だから、記事全体の主旨を理解するということはスマホには難しいのであり、目に入った部分の直感で捉える人が多いのではないかと、今日思ったのだった。
仕事のメールにしても、モバイルで見る時は、最初の数行だけ読んで、キレた返事をよこす問題上司もいたものだったけど(笑)
さて、本題に移る。
僕は子供の頃から乗り物は何でも好きだ。
もちろん車も大好きだ。
毎年2万kmくらい運転し、20歳から運転しているので、もう大分ベテランの部類になってしまった。
車そのもの、運転、そして車を取り巻くいろんなことにとても関心がある。
こちら茨城県のつくばおよびその周辺は、日本で最も車の運転のマナーがよい土地ではないかと思う。
やむを得ず割り込みをするような場合も、まずはクラクションを鳴らされたりはしない。
こうしたクラクションを1年で一度も聴かない年もある。
意地悪で道を譲らないなんてこともない。
だから、こちらのドライバーは車線変更が下手だ。曲がる寸前に急に入ってくるか、さもなくばはるか手前から曲がる側のレーンで走っている。だから、右側レーンを遅く走る車も多い。でも、そんな車がいようとも、皆、実に鷹揚だ。
黄信号は基本止まろうとするし、信号通過も実にのんびりだ。「信号の一つや二つ違ったって全然関係ないサ」とも言わんばかりである。
マナーがよいというより、性格が温和だと言った方がよいかもしれない。
(ちなみに、隣県である千葉では上記の点については、少し様相が異なる。)
運転マナーの先進国といえば、何といってもアメリカだ。
僕がアメリカの地を初めて自分で車を運転したのは1990年のことだ。
アメリカでも最もマナーのよいと言われる地域のミシガン州だったから、なおさら運転マナーのよさに驚いた。
譲り合いの精神は徹底していたし、急いでずるをするなんてこともなかったし、交通弱者に対しても優しかった。
そして、料金所では「1列並び方式」をやっていた。僕はその意味がわからずに、列を追い越して先に行ってしまい、赤っ恥をかいたこともあった。
僕は、1996年に初めて台湾と韓国に行った。仕事でアメリカ人と一緒に行ったのだ。
当時はこれらの国ではマナーが最低であった。
台湾では譲り合いの精神がゼロであった。とにかく、車が合流しようとすると猛然とそれを阻止するのだ。逆に、合流する側は強引に入ろうとするのだ。もう、あちこちでケンカが見られた。
韓国では、何車線もある大通りを多くの車がすごいスピードで疾走していた。
タクシーに乗ると、運転手は気に入らない車の脇で止まり、窓越しに説教をするのだ。
1982年に僕は初めて就職し、各地での実習を経て、千葉の事業所へ配属となった。
その同期の一人として大阪出身の人間がいた。
彼は僕同様、学生時代から車によく乗っていた。
彼は生れて初めて関東で暮らすことになり、初めて関東で車を運転することになったのである。
その彼がある日言った。
「こないだ初めて首都高を運転したんだけど、なんであんなにマナーがいいんだ? 全くびっくりしたよ。阪神高速は全然違うよ。皆、とにかく自分は無理やり入り、相手は絶対に入れさせないという考え方だ。無理やり入ってきた車には『ビーっ!』というけたたましいクラクションとハイビームでさんざん嫌がらせするのが普通だよ。」と。
それを聞いた僕は「えらい極端な話だな。本当にそうなのかなあ」と内心思ったが、とりあえず「そうか、そうか」と聞いておいた。
そして、かなり後になってからだが、そのことを裏付けるかもしれない状況に遭遇したことがある。
2007年とその少し後の2回、僕は車で京都に行ったことがある。
そしたら、信じられないことが起きた。
例えば、脇道から大通りに合流するような時、車の列に入らせてもらうような時、素直に「どうぞ」なんてことはまずなかった。基本はこちらを無視して、入れさせまいという態度だった。
無理やりにでも入らないといつまでたっても入れないという感じだった。
しかも、夫婦連れでロマンスグレイのような立派な初老の男性であれ、誰であれ、こちらに目を合わせないで(視界には入っているはずだが)、こちらを入れさせまいとする。
最初は、運の悪い場面に当たってしまったと思ったのだが、結局、京都に滞在の間は最初から最後までこの有様だった。
譲り合いはゼロではないが、「ほぼなし」であった。
単に京都だけの現象なのだろうか、それとも関西全体のことなのだろうか?
そして、今でも関西ではこのような感じなのだろうか?
そうではないことを祈るが。
車の運転のマナーの良し悪しは先進国度のバロメーターというのは尤もらしい考え方ではある。
しかし、大阪の友人の話や、京都で体験したことは何かの間違いであってほしい。
それとも、自己主張が強くないとやっていけないという関西の文化のなせるわざなのだろうか。
今朝、ある方のブログで、ブログの読者の約半数がスマホから読んでいるので、スマホで見るに適した文字の配列にも気を配らないといけない、ということをはじめ大変興味深い記事が書かれていた。
そして、さらに僕として思ったのは、PCは記事全体を一目で見られるが、スマホはごく一部しか1画面で見られない。
だから、記事全体の主旨を理解するということはスマホには難しいのであり、目に入った部分の直感で捉える人が多いのではないかと、今日思ったのだった。
仕事のメールにしても、モバイルで見る時は、最初の数行だけ読んで、キレた返事をよこす問題上司もいたものだったけど(笑)
さて、本題に移る。
僕は子供の頃から乗り物は何でも好きだ。
もちろん車も大好きだ。
毎年2万kmくらい運転し、20歳から運転しているので、もう大分ベテランの部類になってしまった。
車そのもの、運転、そして車を取り巻くいろんなことにとても関心がある。
こちら茨城県のつくばおよびその周辺は、日本で最も車の運転のマナーがよい土地ではないかと思う。
やむを得ず割り込みをするような場合も、まずはクラクションを鳴らされたりはしない。
こうしたクラクションを1年で一度も聴かない年もある。
意地悪で道を譲らないなんてこともない。
だから、こちらのドライバーは車線変更が下手だ。曲がる寸前に急に入ってくるか、さもなくばはるか手前から曲がる側のレーンで走っている。だから、右側レーンを遅く走る車も多い。でも、そんな車がいようとも、皆、実に鷹揚だ。
黄信号は基本止まろうとするし、信号通過も実にのんびりだ。「信号の一つや二つ違ったって全然関係ないサ」とも言わんばかりである。
マナーがよいというより、性格が温和だと言った方がよいかもしれない。
(ちなみに、隣県である千葉では上記の点については、少し様相が異なる。)
運転マナーの先進国といえば、何といってもアメリカだ。
僕がアメリカの地を初めて自分で車を運転したのは1990年のことだ。
アメリカでも最もマナーのよいと言われる地域のミシガン州だったから、なおさら運転マナーのよさに驚いた。
譲り合いの精神は徹底していたし、急いでずるをするなんてこともなかったし、交通弱者に対しても優しかった。
そして、料金所では「1列並び方式」をやっていた。僕はその意味がわからずに、列を追い越して先に行ってしまい、赤っ恥をかいたこともあった。
僕は、1996年に初めて台湾と韓国に行った。仕事でアメリカ人と一緒に行ったのだ。
当時はこれらの国ではマナーが最低であった。
台湾では譲り合いの精神がゼロであった。とにかく、車が合流しようとすると猛然とそれを阻止するのだ。逆に、合流する側は強引に入ろうとするのだ。もう、あちこちでケンカが見られた。
韓国では、何車線もある大通りを多くの車がすごいスピードで疾走していた。
タクシーに乗ると、運転手は気に入らない車の脇で止まり、窓越しに説教をするのだ。
1982年に僕は初めて就職し、各地での実習を経て、千葉の事業所へ配属となった。
その同期の一人として大阪出身の人間がいた。
彼は僕同様、学生時代から車によく乗っていた。
彼は生れて初めて関東で暮らすことになり、初めて関東で車を運転することになったのである。
その彼がある日言った。
「こないだ初めて首都高を運転したんだけど、なんであんなにマナーがいいんだ? 全くびっくりしたよ。阪神高速は全然違うよ。皆、とにかく自分は無理やり入り、相手は絶対に入れさせないという考え方だ。無理やり入ってきた車には『ビーっ!』というけたたましいクラクションとハイビームでさんざん嫌がらせするのが普通だよ。」と。
それを聞いた僕は「えらい極端な話だな。本当にそうなのかなあ」と内心思ったが、とりあえず「そうか、そうか」と聞いておいた。
そして、かなり後になってからだが、そのことを裏付けるかもしれない状況に遭遇したことがある。
2007年とその少し後の2回、僕は車で京都に行ったことがある。
そしたら、信じられないことが起きた。
例えば、脇道から大通りに合流するような時、車の列に入らせてもらうような時、素直に「どうぞ」なんてことはまずなかった。基本はこちらを無視して、入れさせまいという態度だった。
無理やりにでも入らないといつまでたっても入れないという感じだった。
しかも、夫婦連れでロマンスグレイのような立派な初老の男性であれ、誰であれ、こちらに目を合わせないで(視界には入っているはずだが)、こちらを入れさせまいとする。
最初は、運の悪い場面に当たってしまったと思ったのだが、結局、京都に滞在の間は最初から最後までこの有様だった。
譲り合いはゼロではないが、「ほぼなし」であった。
単に京都だけの現象なのだろうか、それとも関西全体のことなのだろうか?
そして、今でも関西ではこのような感じなのだろうか?
そうではないことを祈るが。
車の運転のマナーの良し悪しは先進国度のバロメーターというのは尤もらしい考え方ではある。
しかし、大阪の友人の話や、京都で体験したことは何かの間違いであってほしい。
それとも、自己主張が強くないとやっていけないという関西の文化のなせるわざなのだろうか。
スポンサーサイト