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ゼロの不思議(その1)・・・ゼロは足し算にしか存在しない

みなさまこんばんは。
よい天気が続いていましたが、今日明日は天気悪いですね。
お元気でしょうか?

今日の要約
・普段当たり前のように捉えている0(ゼロ)。実は簡単ではない。
・ゼロは元々存在するものではない。人間が作ったものだ。
・ゼロの判断を誤ると政策に悪影響を及ぼすだろう。
---------------------------------
いろんな職場では「あいさつ運動」というのがあります。
自分から高らかにあいさつし、相手のあいさつにも高らかに返事すべし、というものです。
変な計算勘定は捨てて、自ら思い切りあいさつしましょう、というものです。
ブログも同じだと思います。
思い切りあいさつしましょう。相手の一番言いたいであろうことを察して思い切り「素晴らしい」と言いましょう。

さて今日は、2018-4-29日の記事「ゼロの不思議(前座編)」の続編を書きます。

僕はこのブログにおいては、下調べや引用はほとんどしません。頭の中にあることだけで書きます。
よって、誤りが多いかもしれないというリスクは負います。
しかし、自分の言葉で語ることにより、生き生きとした感動を伝えられるのではないかと思っています。
人と人とが語る時、他者の考えを紹介するより、自分がどう考えるのかをぶつけ合う方がおもしろいだろう、というのが僕の基本的考え方です。

では本題に入ります。

みまさまは「0(ゼロ)」というものは容易に意識できると思います。
「だって、何もないことだよね」というわけで、その通りです。
ところが、少し掘り下げて行きますと、結構難しいものが見えてきます。

では、次のような情景を思い浮かべてください。

ある中学校の1年A組の教室があります。
1時間前には2人の生徒が教室内にいました。
30分前には1人になっていました。
そして今は1人の生徒もいません。
はい、今の1年A組の教室の中にいる生徒の人数は0です。

では、次のような場合はどうでしょうか?

1時間前から1年A組の教室を5人の生徒が箒(ほうき)で掃除をしています。(今どきの掃除は掃除機かな(^^)?)
1時間前は床の上には埃がいっぱいありました。
30分前には誇りは大分なくなって、ぱっと目には見えなくなりましたが、よく見るとまだ埃が少しあります。
そして今は、床の上をくまなく見ても埃は見えません。
では、今の教室の床の上の埃の量は0なのでしょうか??
世の中の規範からすれば0と言えなくもないですが、少なくとも科学的見地では0ではありません。

床の表面には肉眼で見えないが確かな量の埃が残っています。
5人の生徒があと30分、1時間、5時間、10時間・・・と掃除していけば、埃の量は限りなく0に近づいていきますが、完全な0にはなりません。
最後の1粒を取れたかどうかをチェックする術(すべ)もありません。
つまり、この場合においては0はないのです。

さてここで、これからの議論を進めるに当たり、用語の定義をします。
足し算と引き算は向きが違うだけであり本質は同じなので、この記事では、引き算も含めて「足し算」と言います。
同じ理由で、割り算も含めて「掛け算」と言います。

この世の森羅万象は、足し算により成り立っている部分も、掛け算によって成り立っている部分もあります。

例えば、体重60kgの人が1kgの食物を食べれば、体重は61kgになります。足し算です。
また、向こうから時速50kg/hの速さでこちらに向かって走ってくる救急車から発せられる400Hzの緊急音は、聴く人間にとっては、音速に50kg/hが足された周波数として聴こえます(ドップラー効果)。やはり足し算です。

一方、例えば、ある重さの物体がある速さまたは加速度で何かにぶつかった時は、その衝撃力は物体の重さに速さまたは加速度を掛けた量となります。
あるいは、先ほどの教室の埃のように、一定の掃除を続けていた場合の埃の量は割り算的に減って行きます。例えば、30分毎に半分になって行く、とか。
放射性同位元素の半減期なんかもこの理屈です。
またあるいは、福島第1原発の事故を受けて、もし仮にその対策を打って同じ場所に同じ原発を再開したとして、向こう100年以内に同類の事故が起きるでしょうか、あるいは1000年後に起きるでしょうか?
これに関しては、起きる起きないのゼロサムの世界ではなく、100年後には0.0001%、1000年後には0.01%のような言い方になるでしょう。

先ほどの教室の例で言えば、前者(生徒の数)は足し算の世界ですので、0の認識は容易です。
しかし、後者(埃の量)は掛け算の世界ですので、0はありえない、ということになります。数学の言い方では、「対数」または「べき乗」です。

言い方を変えると、「0」というのはこの世に元々存在していた代物ではなく、人間が「足し算」という概念を見出してから発見したものと言えないでしょうか?
だからこそ、子供の頃に浦和の須原屋書店の書棚に鎮座していた「ゼロの発見」という本が書かれたのかもしれません。

ここでちょっと、自然界における足し算の巧妙な世界を紹介しましょう。

一つは生物の受精です。
受精が行われようとする時、卵子は、1つの精子が侵入すると、その時点で、あるバリアを張り、2つ目以降の精子の侵入を阻止します。
ということは、卵子は「精子がまだ入ってきていない」という「ゼロ」の状態を認識しており、「1つ入った」という状態も認識します。つまり足し算をしています。
また、分子以下のミクロの世界では、原子核の数とか、陽子や電子の数とか、さらにその下層のクォークの数とかを足し算的に認識し、ゼロも認識していると考えます。

こうしたことに思いを馳せると、ゼロの認識というのは自然界の中でかなり高度な仕業であり、デジタル的であり、人為的なものであり、恣意的なものである、と言えませんか?

我々の見えている世界においては、「真のゼロ」と「ゼロもどき」が混在しているのが事実です。
問題は、ゼロもどきとゼロを混同してしまう時に起るのだと思います。

例えば、原発の危険性における「ゼロ」の把握をきちんと行うことによって、政策も結構変わってくるでしょう。

だから僕は、政策にも理系の人間が介入すべきと考えます。
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No title

こんにちは。
今回の記事を拝見して以前見たテレビ番組を思い出しました。
それはゼロと零の違いです。
日本ではゼロを零(レイ)と呼ぶことがありますが、
ゼロ=レイではなく、零という漢字にはほんの僅か存在するという意味もあるといった内容だったと思います。
なので天気予報では降水確率0(レイ)%なのでしょう。
原発に関しては全くない状態にしてほしいので原発ゼロ。
なのかもしれません。

数学は苦手なのでよくわかりませんが、教室に残っていた
1人がいなくなったところで、-1人にはならないので
0の認識は計算する上で大事なことなんでしょうね。

今、小学校1年生の孫が算数の宿題で10+0=10
と丁度やっているところです。
先生が0をどう教えたのか今度聞いてみようかな(^-^;

がじゅまるさん

こんばんは。
いつもありがとうございます!
「ゼロと零」の違い。
なんて素晴らしい観点でしょう!
気が付きませんでした。
これまで日本に育まれてきた「零」の概念である「ほんの僅かに存在する」というのはすごく興味深いですね。
天気予報の「レイ%」、なるほどですね。
すると、日本の名機「零式戦闘機(ゼロ戦)」はそのあたりの思いが込められれているのかもしれませんね。

お孫さんいいですね。
先生が0をどう教えているか、もしわかりましたらぜひ教えてください。

ところで話は変わりますが、お孫さん小1ならばもう自転車が乗っているでしょう。
横断歩道を外れて自転車で横断する子が時々いますけど、ドライバーから見るととても気づきにくいんです。
お孫さんにはぜひ横断歩道の上を渡る(歩く時も自転車の時も)ようにお願いします。
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Author:ST Rocker
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つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
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