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「理系人間」総括

みなさまこんばんは。
急に涼しくなりましたね。
お元気でしょうか?

誕生日のお祝いのメッセージをとてもたくさんいただきまして、どうもありがとうございました。
おかげさまで元気に”1歳”を歩み始めました(^^)/

今日の記事の要約
・理系人間の特徴や生き様を知りたい方には多分ご満足いただけると思います。
・ただし長いです。
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還暦で生まれ変わるという仕組みは思ったよりもご共感をいただき、驚きながらもうれしく思いました。
あながち荒唐無稽な考えでもないと思いました。

僕は元々、人間歳を取ると世の中の厄介者にされる風潮に異を唱えていまして、加齢とともに人間の価値はどんどん上がっていくはずだという考えです。
とはいえ、人間長く生きていると汚れた邪念にまみれて行き、純粋な考えを貫きにくくなってくるのも事実です。 
60歳ともなれば、いろんなしがらみから解放されてオールクリアになり、純粋な感覚で新たなことをやろうとするにはちょうどよい頃合いと思います。

では本題に移ります。
自分をも含めて理系人間とは何か!?を思い切り語ります。
「だ、である」調で失礼します。

僕は自分では徹底的な理系人間だと思っている。
小さい頃から科学や技術のことを考えるのがすごく好きだった。
これまでの人生を技術者として2つの会社に捧げ、今でも理系ベースの仕事をしている。

理系のことをは難しいと思ったことはあるが、嫌になったことは一度もない。
仕事以外でも理系のことを考えるのが一番好きだ。

僕の理系の原体験は、明治22年生まれの祖母にあると思っている。
幼稚園の頃、さいたまの実家で、夏に風呂から出て庭の縁台で涼んで夜空を眺めていると、祖母がよく言ったものだ。
「ああいう星って何年も前に光っていたのがやっと今見えるのよ」とか、「あの隣同士の星はこことあの星よりも遠いかもしれないのよ」とか。
「おばあちゃん、高気圧って何?」と訊くと「そうね、お天気雲よ」とか。

父もバリバリの理系だった。
僕はどちらかというと自然科学が好きだが、父は機械・電気だった。
僕が小さい頃、電源プラグやコンセントや電灯の接続などが壊れた時の修理方法などを父からすごく厳しく叩き込まれた。
確かに不適切に修理すると火災や事故になるから厳しいのも当然かもしれない。
それにしても今の人は家庭でこういうものが壊れた時にどうしているのだろう?
昨年1月に他界した父が元気な時によくこんなことを言っていた。
「昔は技術系は『金の卵』と言って給料が高かったんだ。ところが今は3Kと言って嫌われているんだと。何たることか!」

こんな家族の影響もあって僕は理系に進むことに1ppmの迷いもなく、高2になる時に理系コースを選択したのだった。

理系の人間は、所属する会社や研究所や役所のために技術的な開発を担うのはもちろんだ。
しかし、それに留まらず、我々の特徴であり財産は、物事を科学的に捉え定量的に解析し、仮説を立てそれを検証する力を備えていることを自覚し、それをどう世の中に役立てるかを考えることこそが責務である、と僕は考えている。

少し前の記事で「僕は文系の人には負けまいとして生きている」と書いた。
それは、文系の人を尊敬しているからこそだ。
文系の人は総じて人間研鑽ができていることが多い。
いわゆる”人格者”の方が多い。

ここで理系人間の欠点について書いてみよう。

理系人間は皆、少なくとも自分の専門分野はよく勉強していることが多い。
性格的には素直で頑張り屋が多い。
でも、総じて欠点として、二つ以上のこと同時にできない、あいさつできない、礼儀作法に大きな問題がある、・・・などなど、何らかの(やや目立つ)問題を持っていることが多い。

たいていは親に大事に育てられた場合が多く、自分でも努力していることが多い。
自分でも手応えを持っている場合が多いので、そもそもが自分を変えなくてはいけないというモチベーションに乏しい。
どん底まで落ちたことがなく、自己否定を経ての真の自己を確立したりする機会がなかった人間が多い。
学歴プライドを持ってしまっている人間も少なくない。

よって、自分中心で相手の立場に立って考えられない場合がよくある。
人により偏っている内容と程度は様々である。その人の置かれた環境と生きざまによるからである。

また、理系人間は山っ気がほとんどない。
僕のこれまでの上司人生で、部下の面接をした時に「君はこの先どんなことをやりたい?会社の中でも会社の外でもどっちでもいいから聞かせて」と問うと、明確に答える部下は皆無だった。
皆、会社の与えられたテーマに沿って「こんな風でありたい」と願うのが関の山だった。
要するに、(自己中である一方)素直であり、ノンポリなのだ。
ただ、中には理系人間でもポリティカルな奴はいるにはいる。

そんな中で、大胆か繊細か、あるいは、攻撃か守りか、というようなタイプの違いもあるにはある。

要するに、優秀ではある一方、何らかの大きな欠点がありがちであり、自己発現が苦手なので、十分に能力を生かし切れなかったり、社会で活躍できなかったり、カモにされたり、社会を変えたりはできない場合が多い。

余談だが、僕は47歳から5年間は営業をやっていた。
技術的専門知識を要するセールスエンジニア的ではあったが、営業は営業だ。
値段の交渉の仕方など全く知らないで営業をやった。
代理店のドンみないなタヌキオヤジや この道何十年の営業のたたき上げからさんざんいじめられたものだ。

では、理系人間のよいことの話もしよう。

言うまでもないが、理系の人間が世の中に果たしていることも大きい。
特に、日本の繁栄の礎は理系人間による技術革新(例えば半導体、自動車、化学等)だったと言っても過言ではない。

理系人間の一人一人を取り上げると、(優秀である一方)人格的に偏りがあって自己中であることが多いにもかかわらず、
彼ら彼女らが組織となって発揮する力はすごく大きいのである。
日本ではどんな技術分野でも概してこの傾向がある。

あたかも何十人の人間が一つの脳として働くが如く。
僕はこれを”集団智”と呼んでいる。日本の強みの一つだ。
なぜ素晴らしい集団智が発現されるのか。そのメカニズムはよく分かっていない。

そして、さらに言えることは、理系人間が、会社などには貢献こそしていても、片隅に埋もれて人生を謳歌していなかったり、社会に影響を与えていないのは何とも残念な次第である。

では提案だが、理系人間が、人間性や立ち振る舞いを文系と同じようになれというのではない。
少しでも改革をしようとする意識を持つだけでも、大分違ったことになるだろう。

理系人間がこれまで日本に貢献したことに引き換えでなく、その特徴をキープしたまま、人格形成に励んで、世の中の人の相手の立場に立って考えられる人格と、人生を謳歌したり社会に影響を与えるような人間になってほしい。
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No title

“1ppmの迷いもなく”の表現に、理系を感じます。さすがです。
私は文系ですが、理系の考え方や物事の組立て方・進め方に
いつも憧れています。

マラどーなさん

こんばんは。
コメントありがとうございます!
1ppmですね(^^)/
ありがとうございます。でもちょっと極端過ぎましたね。
僕のほうこそ文系の方を尊敬しています。
何とか両者協業していいものを築きたいですね。
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ST Rocker

Author:ST Rocker
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つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
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