ブログのコメントは世の中の人間の会話の縮図なのだろうか?
2018-11-11(日) 14:50 一人多重録音を記事の最後に載せました。
(予約投稿です。)
みなさまこんにちは。
秋はさらに深まっていますが、今日あたりは小春日和ですね。
いや、初夏に近い陽気?
今日の要約
・最近のブログにおけるコメントをタイプ分けしてみた。
・僕の好きなコメントのタイプは最近は少数派である。
・でも一度試されてはいかがだろうか。
(予約投稿です。)
みなさまこんにちは。
秋はさらに深まっていますが、今日あたりは小春日和ですね。
いや、初夏に近い陽気?
今日の要約
・最近のブログにおけるコメントをタイプ分けしてみた。
・僕の好きなコメントのタイプは最近は少数派である。
・でも一度試されてはいかがだろうか。
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ここ最近、僕にとって難しいあるピアノ曲を譜面を見ながら弾く努力をしてきました。
譜面を見ながらと言っても、譜面のお世話になるのは右手でメロディーを速弾きする部分だけで、僕の得意なコード奏法は譜面のお世話にはあまりなっていません。
難しいメロディーを譜面を頼りに弾くことは、数学的な能力も要求されるし、なかなか挑戦的ではあるなと、クラシックピアノ愛好家の方々の喜びを垣間見た感じではあります。
ただ、「上から与えられた物」ということに対し割り切りは必要ですね。
ブロークンでもいいけど創造性優先のロックピアノとは異種です。
同じ人間の中にクラシックピアノ人間とロックピアノ人間を共存することは可能かもしれません。でもそれは、若いうちから安易に共存できる性質(たち)のものではない気がします。
僕は若い頃からいろんな行事を企画したり幹事をやることが多いです。
すると必ずいるのが、行事が近づくと軽い感じで参加を取りやめる人です。
本当に幹事泣かせです。特に人数を調整している場合はショックです。
「『多分』大丈夫です」という人は怪しいですね。それと、同じ人が繰り返すようです。
僕にもっと人を惹きつける力があれば、こういうキャンセルは減るのでしょうけど。
でも、あまり自戒していても身が持ちませんから、割り切って、入学試験じゃないですけど、常に一定の割合を水増しで募集するしかないのかもしれませんね。
では本題です。
とても多くのブログを拝見し、そこに寄せられているコメントを読むと、コメントのタイプというのは凡そ次の5つのタイプに分けられるように思います。
1.記事の主旨を読み取り、それに対してコメントを言う。
2.記事の一部についてコメントを言う。
3.記事のタイトルやテーマについて自分の知っていることを言う。(記事の主旨は関係なしに)
4.記事のタイトルまたは本文のごく一部の言葉について感覚的なことを言う。(記事のキーワードとは関係なしに)
5.記事には関係ないことでのおしゃべりや連絡。
ちなみに僕が一番好きなのは1です。
一応「僕が」と書きましたが、本来人は皆、1が好きなはずではないでしょうか。
なぜなら、どんな記事でも、その作者が最も言いたいことを人に伝えたいはずだから。
その主旨についてコメントを得たい、というのが本来的ではないでしょうか。たとえそれが反対意見であったとしても。
このことはブログに限らず、いかなる文字媒体でも同じではないでしょうか。
仕事でも、プライベートでも、いろんなコミュニティーでも。
我々は、作者の主旨を読み取る力を養うために、中学以来、現代国語を勉強してきたのではないでしょうか。
5は全く別種ですので、1~4を考えてみますと、コメント全体的には1は少なく、2→3→4に従って多くなっているように見受けられます。
しかも最近、年を追うごとにその傾向が強くなっているように感じます。
「いやいやSTさん、ブログというのは徒然に、ゆるゆると、思うがままに何でも書くのがいいし、それに対するコメントも思うがままに自由に書き、触れ合うのがいいんですよ。『主旨』だなんてそんなカチカチのは流行りませんよ。」
という意見がたくさん聞こえてきそうです。
それとも、今の世の中は情報量が多過ぎるし、ブログも山ほどあるので、1のようなコミュニケーションなんて無理なのでしょうか。
そして、誹謗中傷的なコメントもたまにあちこちで見られます。
その場合も記事の主旨を汲み取らず、あまり関係ないことに食らいついたり、単なる感覚だけで言っている場合がほとんどです。
もっとも、相手を攻撃するのが目的なので、主旨を理解するくらいなら紳士淑女的なコメントをすることでしょう。
2~4的なコメントは時代の要請によるものかもしれないし、そうでなくてもよい面があるかもしれませので、僕は否定はしません。
でも、主旨を理解することで交流し合うことは決してマイナスにはならないはずです。
2~4における効果とは別の効果が確実に足されることでしょう。
なにも「主旨」などと言わずとも、「相手の気持ちに寄り添う」のような感じでもよいのではないでしょうか。
そんな感覚で一度、コメントを書いてみるのもどうでしょうか。
2018-11-11(日) 14:50追記
みなさまこんにちは。
とっても穏やかな陽気の日曜日ですね。
いかがお過ごしでしょうか?
ビートルズのIf I Fellという曲はこれまでの何度かブログに多重録音をアップしてきたのですが、古い機材(楽器をマイク入力)と安いマイクでの録音だったし、歌もイマイチだったので、今日再度やり直してみました。
このIf I Fellという曲。
ビ―トルズの前期のアルバムA Hard Day's Nightに収められているバラードの名曲です。
ハーモニーが素晴らしいビートルズですけど、その中でも前期の中ではずば抜けて素晴らしいハーモニーの名曲です。
しかも、イントロを除きハモリっぱなしという曲です。
そして、とても凝ったハーモニーなのです。
今ではネットでいろんなテュートリアルがあるので、難しいハモリもすぐに教えてもらえますが、僕らの世代は耳コピです。楽譜の世話にもなりたくありません。
この曲は単なる3度のハーモニーとかだけではないとても複雑な部分があるのですが、あまりにハーモニーが溶け込み過ぎていて、ジョンの音(ハーモニーの下のパート)を分離できないのです。
特に、サビに入るDon't hurt my pride like herの"her"の部分。そしてそれに続く'Cause I couldn't stand the painのあたりは難解中の難解で、100%の聴き取りができるまで30年かかりました。
一時解明したつもりになっていた時期もあったのですが、一部誤りがあったのに気付いたのでした。
中3か高1か忘れましたが、その頃英語で初めて仮定法過去を習いました。あのIf I were a bird,....ってやつです。
その頃にIf I Fellを初めて知ったので、感慨深いものがありました。If I fell in love with you, would you promise to be true...
ああこの歌は、現在の事実ではないことを仮定しているのだな、と。
今日の録音は、楽器は全て2015年録音時ものです。(つまり古い機材)
歌だけ今日録りました。
そして全般にノイズ処理その他の処理をしました。
一応、少しはマシにはなりました。
音の聴き取り、楽器、歌、録音、編集とも全てST Rocker単独作です。
PCの内臓スピーカーよりもイヤホンで聴かれたほうが多少はマシに聴こえます。
ここ最近、僕にとって難しいあるピアノ曲を譜面を見ながら弾く努力をしてきました。
譜面を見ながらと言っても、譜面のお世話になるのは右手でメロディーを速弾きする部分だけで、僕の得意なコード奏法は譜面のお世話にはあまりなっていません。
難しいメロディーを譜面を頼りに弾くことは、数学的な能力も要求されるし、なかなか挑戦的ではあるなと、クラシックピアノ愛好家の方々の喜びを垣間見た感じではあります。
ただ、「上から与えられた物」ということに対し割り切りは必要ですね。
ブロークンでもいいけど創造性優先のロックピアノとは異種です。
同じ人間の中にクラシックピアノ人間とロックピアノ人間を共存することは可能かもしれません。でもそれは、若いうちから安易に共存できる性質(たち)のものではない気がします。
僕は若い頃からいろんな行事を企画したり幹事をやることが多いです。
すると必ずいるのが、行事が近づくと軽い感じで参加を取りやめる人です。
本当に幹事泣かせです。特に人数を調整している場合はショックです。
「『多分』大丈夫です」という人は怪しいですね。それと、同じ人が繰り返すようです。
僕にもっと人を惹きつける力があれば、こういうキャンセルは減るのでしょうけど。
でも、あまり自戒していても身が持ちませんから、割り切って、入学試験じゃないですけど、常に一定の割合を水増しで募集するしかないのかもしれませんね。
では本題です。
とても多くのブログを拝見し、そこに寄せられているコメントを読むと、コメントのタイプというのは凡そ次の5つのタイプに分けられるように思います。
1.記事の主旨を読み取り、それに対してコメントを言う。
2.記事の一部についてコメントを言う。
3.記事のタイトルやテーマについて自分の知っていることを言う。(記事の主旨は関係なしに)
4.記事のタイトルまたは本文のごく一部の言葉について感覚的なことを言う。(記事のキーワードとは関係なしに)
5.記事には関係ないことでのおしゃべりや連絡。
ちなみに僕が一番好きなのは1です。
一応「僕が」と書きましたが、本来人は皆、1が好きなはずではないでしょうか。
なぜなら、どんな記事でも、その作者が最も言いたいことを人に伝えたいはずだから。
その主旨についてコメントを得たい、というのが本来的ではないでしょうか。たとえそれが反対意見であったとしても。
このことはブログに限らず、いかなる文字媒体でも同じではないでしょうか。
仕事でも、プライベートでも、いろんなコミュニティーでも。
我々は、作者の主旨を読み取る力を養うために、中学以来、現代国語を勉強してきたのではないでしょうか。
5は全く別種ですので、1~4を考えてみますと、コメント全体的には1は少なく、2→3→4に従って多くなっているように見受けられます。
しかも最近、年を追うごとにその傾向が強くなっているように感じます。
「いやいやSTさん、ブログというのは徒然に、ゆるゆると、思うがままに何でも書くのがいいし、それに対するコメントも思うがままに自由に書き、触れ合うのがいいんですよ。『主旨』だなんてそんなカチカチのは流行りませんよ。」
という意見がたくさん聞こえてきそうです。
それとも、今の世の中は情報量が多過ぎるし、ブログも山ほどあるので、1のようなコミュニケーションなんて無理なのでしょうか。
そして、誹謗中傷的なコメントもたまにあちこちで見られます。
その場合も記事の主旨を汲み取らず、あまり関係ないことに食らいついたり、単なる感覚だけで言っている場合がほとんどです。
もっとも、相手を攻撃するのが目的なので、主旨を理解するくらいなら紳士淑女的なコメントをすることでしょう。
2~4的なコメントは時代の要請によるものかもしれないし、そうでなくてもよい面があるかもしれませので、僕は否定はしません。
でも、主旨を理解することで交流し合うことは決してマイナスにはならないはずです。
2~4における効果とは別の効果が確実に足されることでしょう。
なにも「主旨」などと言わずとも、「相手の気持ちに寄り添う」のような感じでもよいのではないでしょうか。
そんな感覚で一度、コメントを書いてみるのもどうでしょうか。
2018-11-11(日) 14:50追記
みなさまこんにちは。
とっても穏やかな陽気の日曜日ですね。
いかがお過ごしでしょうか?
ビートルズのIf I Fellという曲はこれまでの何度かブログに多重録音をアップしてきたのですが、古い機材(楽器をマイク入力)と安いマイクでの録音だったし、歌もイマイチだったので、今日再度やり直してみました。
このIf I Fellという曲。
ビ―トルズの前期のアルバムA Hard Day's Nightに収められているバラードの名曲です。
ハーモニーが素晴らしいビートルズですけど、その中でも前期の中ではずば抜けて素晴らしいハーモニーの名曲です。
しかも、イントロを除きハモリっぱなしという曲です。
そして、とても凝ったハーモニーなのです。
今ではネットでいろんなテュートリアルがあるので、難しいハモリもすぐに教えてもらえますが、僕らの世代は耳コピです。楽譜の世話にもなりたくありません。
この曲は単なる3度のハーモニーとかだけではないとても複雑な部分があるのですが、あまりにハーモニーが溶け込み過ぎていて、ジョンの音(ハーモニーの下のパート)を分離できないのです。
特に、サビに入るDon't hurt my pride like herの"her"の部分。そしてそれに続く'Cause I couldn't stand the painのあたりは難解中の難解で、100%の聴き取りができるまで30年かかりました。
一時解明したつもりになっていた時期もあったのですが、一部誤りがあったのに気付いたのでした。
中3か高1か忘れましたが、その頃英語で初めて仮定法過去を習いました。あのIf I were a bird,....ってやつです。
その頃にIf I Fellを初めて知ったので、感慨深いものがありました。If I fell in love with you, would you promise to be true...
ああこの歌は、現在の事実ではないことを仮定しているのだな、と。
今日の録音は、楽器は全て2015年録音時ものです。(つまり古い機材)
歌だけ今日録りました。
そして全般にノイズ処理その他の処理をしました。
一応、少しはマシにはなりました。
音の聴き取り、楽器、歌、録音、編集とも全てST Rocker単独作です。
PCの内臓スピーカーよりもイヤホンで聴かれたほうが多少はマシに聴こえます。
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