英語の冠詞に関心のある日本人はほとんどいない
2019-5-12(日) 19:30、末尾に青字で追記しました。
みなさまこんばんは。
夢の10連休が終わったとは言え、まだまだよい気候が続いていて、すがすがしい日々ですね。
連休明けの5月病などに罹っている方はいませんか?
気楽にやりましょうね。
今日の記事の要約
・日本人が英語の冠詞に関心がないことの背景や実情を書いた。
・それだけではなく、もう少し僕なりに踏み込んで考えてみた。
みなさまこんばんは。
夢の10連休が終わったとは言え、まだまだよい気候が続いていて、すがすがしい日々ですね。
連休明けの5月病などに罹っている方はいませんか?
気楽にやりましょうね。
今日の記事の要約
・日本人が英語の冠詞に関心がないことの背景や実情を書いた。
・それだけではなく、もう少し僕なりに踏み込んで考えてみた。
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NHKから国民を守る党の代表の立花孝志さんが最近、NHKをスクランブル放送にすべきと主張を始めたのに対し、さゆふらっとまうんどさんが異論を唱えている。
立花さんはこれに対して目下、沈黙を守っている。
どうなることだろう。
僕は先日、勝ち組であるテレビ局は、勝ち組を維持したいために国民に考える力をなくさせようとしている、と書いた。
ならばテレビをやめてネットだけになればいい、とは思わない。
本来はテレビが健全で国民をリードすることが国力が上がると思う。その上でのネットだと思う。
では本題。
もし「英語において一番大事なもの(こと)は何ですか?」と問われたなら、僕は「それは冠詞です」と答えると思う。
英語を母国語とする人(以下「ネイティブ」と言う)は冠詞をとても大事にしている。
日本人が本当に信頼されるかどうかは、最終的にはそこだと思う。
世界一厳しい日本の中高の英語の授業だけど(今でもそうかは分からないけど)、こと冠詞については実にいい加減な教え方だ。
社会に出てからのいろんな英語の教育を受ける場面でも、冠詞については特に手ほどきを受けることもない。
こんな背景からか、英語の冠詞に関心のある日本人はほとんどいない。
うちの会社のマネジャーの人間などでも、冠詞を全く使わない英文のレポートを平気で書いている。
欧米人から見ると小学生のような英語に映ることだろう。
冠詞だけではなく、単複や時制の一致などについても、日本人は無頓着である。
中国系の人たちは、失礼ながら発音は日本人以上にブロークンだけど、冠詞の使い方は日本人よりずっと注意を払っている。
最近の韓国人も然りだ。
では、冠詞がなければ英語は通じないのかと言えば、そんなこともない。
コミュニケーションは成立する。
ならば、何故冠詞なんてあるのだろうか?
それは一言で言えば文化なんだと思う。
日本語で言うなら、敬語とか謙譲語、あるいは一人称や二人称の言い方が何通りもあることが文化であるが如しだろう。
こうしたものがなくてもコミュニケーションは成立するけど、日本語の情緒面の表現が豊かである文化が犠牲になってしまうだろう。
僕は以前このブログで、英語の冠詞の使い分け方はどういう風に考えればよいかについて何度か書いた(あるいは話した)ことがあった。
それなりにまとまったとは思ったけど、なかなかきっぱり言い切れるものでもないとも思った。
ネイティヴだって、いちいち理屈に照らし合わせて使い分けているのではないだろう。
スポーツや音楽と同じで、場数をこなして自然に使い分けができるようになるのがよいだろう。
日本人でも英語に興味が深い人は冠詞に注意を払う人が多い。
FC2ブログでも英語で記事を書いている方には洗練した冠詞を使う方がいらっしゃり、勉強させていただいている。
冠詞が英語の大切な文化だとすれば、日本人ももっと冠詞に関心を寄せるべきだと思う。
2019-5-12(日) 19:30、以下、追記。
こんばんは。
今日はよい天気でしたけど風が強かったでした。
そんな中、計5kgの重りをまとって歩行トレーニングしました。
英語の冠詞について以前にこのブログで書いた、話したことがあったと書きました件、
下記にそのリンクを貼っておきます。
2011-10-15 中学・高校英語の過ち(Part 2)-冠詞
2013-1-24 英語の冠詞の謎(スピーチ編)
話すほうは、当時の音声再生サービスが今はありませんので、今日、youtubeとしてアップロードし直しました。
お時間のある方はぜひご覧、お聴きになってください。
NHKから国民を守る党の代表の立花孝志さんが最近、NHKをスクランブル放送にすべきと主張を始めたのに対し、さゆふらっとまうんどさんが異論を唱えている。
立花さんはこれに対して目下、沈黙を守っている。
どうなることだろう。
僕は先日、勝ち組であるテレビ局は、勝ち組を維持したいために国民に考える力をなくさせようとしている、と書いた。
ならばテレビをやめてネットだけになればいい、とは思わない。
本来はテレビが健全で国民をリードすることが国力が上がると思う。その上でのネットだと思う。
では本題。
もし「英語において一番大事なもの(こと)は何ですか?」と問われたなら、僕は「それは冠詞です」と答えると思う。
英語を母国語とする人(以下「ネイティブ」と言う)は冠詞をとても大事にしている。
日本人が本当に信頼されるかどうかは、最終的にはそこだと思う。
世界一厳しい日本の中高の英語の授業だけど(今でもそうかは分からないけど)、こと冠詞については実にいい加減な教え方だ。
社会に出てからのいろんな英語の教育を受ける場面でも、冠詞については特に手ほどきを受けることもない。
こんな背景からか、英語の冠詞に関心のある日本人はほとんどいない。
うちの会社のマネジャーの人間などでも、冠詞を全く使わない英文のレポートを平気で書いている。
欧米人から見ると小学生のような英語に映ることだろう。
冠詞だけではなく、単複や時制の一致などについても、日本人は無頓着である。
中国系の人たちは、失礼ながら発音は日本人以上にブロークンだけど、冠詞の使い方は日本人よりずっと注意を払っている。
最近の韓国人も然りだ。
では、冠詞がなければ英語は通じないのかと言えば、そんなこともない。
コミュニケーションは成立する。
ならば、何故冠詞なんてあるのだろうか?
それは一言で言えば文化なんだと思う。
日本語で言うなら、敬語とか謙譲語、あるいは一人称や二人称の言い方が何通りもあることが文化であるが如しだろう。
こうしたものがなくてもコミュニケーションは成立するけど、日本語の情緒面の表現が豊かである文化が犠牲になってしまうだろう。
僕は以前このブログで、英語の冠詞の使い分け方はどういう風に考えればよいかについて何度か書いた(あるいは話した)ことがあった。
それなりにまとまったとは思ったけど、なかなかきっぱり言い切れるものでもないとも思った。
ネイティヴだって、いちいち理屈に照らし合わせて使い分けているのではないだろう。
スポーツや音楽と同じで、場数をこなして自然に使い分けができるようになるのがよいだろう。
日本人でも英語に興味が深い人は冠詞に注意を払う人が多い。
FC2ブログでも英語で記事を書いている方には洗練した冠詞を使う方がいらっしゃり、勉強させていただいている。
冠詞が英語の大切な文化だとすれば、日本人ももっと冠詞に関心を寄せるべきだと思う。
2019-5-12(日) 19:30、以下、追記。
こんばんは。
今日はよい天気でしたけど風が強かったでした。
そんな中、計5kgの重りをまとって歩行トレーニングしました。
英語の冠詞について以前にこのブログで書いた、話したことがあったと書きました件、
下記にそのリンクを貼っておきます。
2011-10-15 中学・高校英語の過ち(Part 2)-冠詞
2013-1-24 英語の冠詞の謎(スピーチ編)
話すほうは、当時の音声再生サービスが今はありませんので、今日、youtubeとしてアップロードし直しました。
お時間のある方はぜひご覧、お聴きになってください。
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