英語を全く使わない英語の話
みなさまこんばんは。
夏もついに盛りを過ぎました。
暑い日でもどこか秋風が匂うような感覚が出たりします。
お元気でしょうか?
さて僕の趣味の一つは英語です。
これを言うと「ええ~っ!!」とすごく驚く方がいます。
あんな嫌なもの、何で趣味なんかになるの? 金もらったっていやだ、と。
ま、わからなくもないですね。
最初に断っておきます。
僕は英語が上手いのではありません。
英語が好きなのです。
もっと正確に言うと、英語の中には僕の好きなことが見出せるのです。
英語の何から何まで好きなのではありません。英語のしんどい部分もあります。
例えば、英語という言葉のもつ性格がどう欧米人の人格や考え方に影響しているのか、とか、仕事の世界でも、政治の世界でも、あるいは遊びの世界でも、日本人と欧米人のどんなすれ違いがあるとか。
あるいは単にトリビア的な英語をたくさん知るのが楽しいとか。
またあるいは英語の歌にはどんな喜びがあるのか、とか。
こんな僕ですが、このブログを始めるまで、即ち50代の前半まで、英語が趣味という人は多いものだと思っていました。
ところが、ブログで英語の記事を書いたところ、ほとんど関心を得られなかったのです。
中には、英語の記事だとパスしちゃう、と言う方も少なからずいました。
なぜこんなことが起きているのだろう、と首をひねりつつ考えた末の結論。
それは、多くの人は「英語は上手くならないと意味をなさない」と考えているらしいことでした。
それは全くの誤解なのであります!
英語は上手い下手に関係なく(そもそもが「上手い」とか「下手だ」という言い方は好きではありませんが)、楽しめるものなのです。
それは、スポーツや音楽と全く同じなのです。
よく数学のおもしろさにはどうしても入れない人の感覚として、「だって数式はチンプンカンプンだもの」というのがあります。
英語もこれと同じで、いかに平易な英語のお話を書いても、そこに英文がある限り拒絶反応を示してしまう人は少なくないでしょう。
数年前に小室直樹氏が、数式を全く使わない数学の話(正式なタイトルは忘れました)、という本を出しました。
数学のおもしろさは数式を使わなくても伝えられる、という氏の信念がこめられた本でした。
僕も飛びついて買って読み、感銘を受けました。
ならば、英語を全く使わない英語の話だってできるのはないかと、ふと今日思ったのです。
今日は、この記事をここまで書くのに疲れてしまいましたので、ほんの少しお話を紹介するに留め、また機会があれば「日本語だけの英語の話」に挑戦したいと思います。
日本人が英語の最大の問題点は、日本語⇔英語を機械的に置き換えるという英語の教育をやり過ぎたことにあると思います。
単語とか文法、構文を徹底的にやり、ルールを覚えさせられました。
日本人が話す時の特徴は、「はい、はい、はい」と頻繁に相槌を打ちます。
また、二言目には「すいません」とか「申し訳ありません」を言います。
日本人の多くは、これらをそのまま英語にしてしまうのです。
英語を話す欧米人は、話す時はほとんど無言でじっと相手の話を聞きます。
でも日本人が英語を話すと、頻繁に「イエス・・・イエス・・・イエス」と言ってしまいます。
イエスというのは英語では結構重い肯定の言葉なのですが、一言話す毎にイエスと言われるのですから、日本人は最初すごく奇異に見られます。
サンキューの異様な多用も然りですね。
僕の職場にはよく外国から電話が架かってきます。
すると若い技術者の多くは、日本語と同じようなノリでソーリー(すみません)を言ってしまいます。
例えば、「ミスター・タナカはいますか?」という電話が架かると、
「ソーリー、彼は今ミーティング中です。」
「では、何時ごろ戻りますか?」
「ソーリー、11時ごろまでかかってしまうと思います。」
「分かりました。では、折り返し電話するようお伝えください。」
「ソーリー、お名前をもう一度お願いします。」
てな具合。
ソーリーも英米人にはここぞという時に使う重い言葉。これを連発する日本人はやはり奇異なのです。
それとか、文の最初に動詞が出てきて、それが原形なら命令文を意味する、と。
しかも全くの例外もないほどの明解なルールであるかの如くに習いました。
これも正しい理解ではありません
もちろん命令を意味することもあります。
原形が最初に出てきた時の正しい理解は、状況により変わるということです。
すなわち、敬語や丁寧語にもなるのです。
例えば、そこに椅子があって、相手に座ってもらいたい時は「シット・ダウン」で十分なのです。
あるいは、目的地までの道順を教える時なども、「ここをまっすぐに行って、あの角で曲がる」というような言い方も、通常、原形です。
ところが日本人は、「***ください」のところを全部「プリーズ」を使ってしまうのです。
プリーズは英語にとってそんなに乱発はせず、要所で「どうぞ」とか「お願い」の意味で使います。
日本人の英語はとにかく、イエス、サンキュー、ソーリー、プリーズ」を乱発しまくっているわけです。
一度これらの言葉を全く使わないで英語を話してみるのも手です。
そしたら、日本人の交渉力はもっと上がるかもしれませんね。
あるいは、そうした日本人の「心」を欧米人に知ってもらうことも考えてもいいかもしれません。
ただし、その場合は、欧米人の誤解を解くような努力も日本人はしなければいけないと思います。
もし英語に興味が湧いてきた方がいらっしゃいましたら、ぜひカテゴリーの「英語」の過去記事をご覧ください。
夏もついに盛りを過ぎました。
暑い日でもどこか秋風が匂うような感覚が出たりします。
お元気でしょうか?
さて僕の趣味の一つは英語です。
これを言うと「ええ~っ!!」とすごく驚く方がいます。
あんな嫌なもの、何で趣味なんかになるの? 金もらったっていやだ、と。
ま、わからなくもないですね。
最初に断っておきます。
僕は英語が上手いのではありません。
英語が好きなのです。
もっと正確に言うと、英語の中には僕の好きなことが見出せるのです。
英語の何から何まで好きなのではありません。英語のしんどい部分もあります。
例えば、英語という言葉のもつ性格がどう欧米人の人格や考え方に影響しているのか、とか、仕事の世界でも、政治の世界でも、あるいは遊びの世界でも、日本人と欧米人のどんなすれ違いがあるとか。
あるいは単にトリビア的な英語をたくさん知るのが楽しいとか。
またあるいは英語の歌にはどんな喜びがあるのか、とか。
こんな僕ですが、このブログを始めるまで、即ち50代の前半まで、英語が趣味という人は多いものだと思っていました。
ところが、ブログで英語の記事を書いたところ、ほとんど関心を得られなかったのです。
中には、英語の記事だとパスしちゃう、と言う方も少なからずいました。
なぜこんなことが起きているのだろう、と首をひねりつつ考えた末の結論。
それは、多くの人は「英語は上手くならないと意味をなさない」と考えているらしいことでした。
それは全くの誤解なのであります!
英語は上手い下手に関係なく(そもそもが「上手い」とか「下手だ」という言い方は好きではありませんが)、楽しめるものなのです。
それは、スポーツや音楽と全く同じなのです。
よく数学のおもしろさにはどうしても入れない人の感覚として、「だって数式はチンプンカンプンだもの」というのがあります。
英語もこれと同じで、いかに平易な英語のお話を書いても、そこに英文がある限り拒絶反応を示してしまう人は少なくないでしょう。
数年前に小室直樹氏が、数式を全く使わない数学の話(正式なタイトルは忘れました)、という本を出しました。
数学のおもしろさは数式を使わなくても伝えられる、という氏の信念がこめられた本でした。
僕も飛びついて買って読み、感銘を受けました。
ならば、英語を全く使わない英語の話だってできるのはないかと、ふと今日思ったのです。
今日は、この記事をここまで書くのに疲れてしまいましたので、ほんの少しお話を紹介するに留め、また機会があれば「日本語だけの英語の話」に挑戦したいと思います。
日本人が英語の最大の問題点は、日本語⇔英語を機械的に置き換えるという英語の教育をやり過ぎたことにあると思います。
単語とか文法、構文を徹底的にやり、ルールを覚えさせられました。
日本人が話す時の特徴は、「はい、はい、はい」と頻繁に相槌を打ちます。
また、二言目には「すいません」とか「申し訳ありません」を言います。
日本人の多くは、これらをそのまま英語にしてしまうのです。
英語を話す欧米人は、話す時はほとんど無言でじっと相手の話を聞きます。
でも日本人が英語を話すと、頻繁に「イエス・・・イエス・・・イエス」と言ってしまいます。
イエスというのは英語では結構重い肯定の言葉なのですが、一言話す毎にイエスと言われるのですから、日本人は最初すごく奇異に見られます。
サンキューの異様な多用も然りですね。
僕の職場にはよく外国から電話が架かってきます。
すると若い技術者の多くは、日本語と同じようなノリでソーリー(すみません)を言ってしまいます。
例えば、「ミスター・タナカはいますか?」という電話が架かると、
「ソーリー、彼は今ミーティング中です。」
「では、何時ごろ戻りますか?」
「ソーリー、11時ごろまでかかってしまうと思います。」
「分かりました。では、折り返し電話するようお伝えください。」
「ソーリー、お名前をもう一度お願いします。」
てな具合。
ソーリーも英米人にはここぞという時に使う重い言葉。これを連発する日本人はやはり奇異なのです。
それとか、文の最初に動詞が出てきて、それが原形なら命令文を意味する、と。
しかも全くの例外もないほどの明解なルールであるかの如くに習いました。
これも正しい理解ではありません
もちろん命令を意味することもあります。
原形が最初に出てきた時の正しい理解は、状況により変わるということです。
すなわち、敬語や丁寧語にもなるのです。
例えば、そこに椅子があって、相手に座ってもらいたい時は「シット・ダウン」で十分なのです。
あるいは、目的地までの道順を教える時なども、「ここをまっすぐに行って、あの角で曲がる」というような言い方も、通常、原形です。
ところが日本人は、「***ください」のところを全部「プリーズ」を使ってしまうのです。
プリーズは英語にとってそんなに乱発はせず、要所で「どうぞ」とか「お願い」の意味で使います。
日本人の英語はとにかく、イエス、サンキュー、ソーリー、プリーズ」を乱発しまくっているわけです。
一度これらの言葉を全く使わないで英語を話してみるのも手です。
そしたら、日本人の交渉力はもっと上がるかもしれませんね。
あるいは、そうした日本人の「心」を欧米人に知ってもらうことも考えてもいいかもしれません。
ただし、その場合は、欧米人の誤解を解くような努力も日本人はしなければいけないと思います。
もし英語に興味が湧いてきた方がいらっしゃいましたら、ぜひカテゴリーの「英語」の過去記事をご覧ください。
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