攻撃は最大の防御なり (その2)
みなさまこんばんは。
お正月はいかがお過ごしで(したで)しょうか?
どうぞ今年もよろしくお願いします。
なんだかんだで2020年も終了し、2021年が始まりました。
よい意味での転換の年としたいですね。
今年は年賀状は、メールで出す人とか、来年から年賀状をやめるという人も少しずつ出始めています。
なんか寂しいですね。
さらに今年の場合は、喪中の人がかなり多かったでした。
友人や知り合いの親御さんが90歳くらいで亡くなったことが相次ぎました。
ちなみに、僕の母は、僕が43歳になったとたんに76歳で早々亡くなりましたし、父は4年前に97歳で亡くなりました。
僕は、遅い子だったので、親との別れを普通の人より早く体験することになりました。
さて、今日(4日)からお仕事の方もいらっしゃると思います。
いきなり月曜スタートなので、とても大変だと思います。頭が下がります。
僕の会社は6日からです。
先日の記事で「会社と真っ向から戦った」と書きましたように、6日からの仕事はまだまだ平坦ではありません。
自分を信じての戦いはまだまだ続きます。
「戦い」とは言っても、純粋なスポーツのような「フェアプレイ精神」でやるのではないので(注:少なくとも僕はアンフェアなプレイはしませんよ(^^)/)、心的なマイナスのエネルギーもかなり使います。
僕に限らず、現在仕事が大変な人は多いことでしょう。
僕は、「悩み」というものをどう解消するのか、自分なりに随分研究してきました。我が身の人体実験を通じて。
すると、僕なりの結論は「攻撃は最大の防御なり」です。
同名のタイトルで2015年1月30日に記事(←クリック)を書きました。是非読んでみてください。
今回は「その2」としました。
悩みを和らげるには、やるべきことの負担を減らし、周囲と同化し、安らぎや癒しを得て、精神を落ち着けるのが大事なことは言うまでもありません。
ところが、自分が何かに貢献したり生み出しているという充足感が減っていき、場合によりかえって落ち込むことがあるのと、世の中の生産性は下がり発展がなくなる方向になってしまう、という別の側面もあります。
「攻撃は最大の防御なり」は、やや劇薬的なものであり、大失敗の可能性もそこそこありますが、うまく行けば悩みを吹っ飛ばす効果は絶大であり、自分も含めて、関わる人たちと、その集団の発展が期待できます。
世の中では、この格言はスポーツや戦争の場合に象徴的に使われますが、僕がここで言うのはもっと意味が広く、必ずしも相手を打ちのめすことではありません。
相手がいようといまいと、悩みが深い場合に、その悩みに「よしよし」するのはなく、自らが何か積極的で前向きなことに打って出るのです。
必ずしも、その悩みそのものに対峙することでなくてもよいのです。
例えば、上司から自分の考えを否定されまくって八方塞がりの時は、まずは上司の考えのもとにざっとこなして安心させた後、自分の考えに基づいた検討をやって、その結果を突き付ける。
むしろ上司が困っていることに対し、行く先を示してあげる位の気持ちでこちらがリードする。
そもそも問題上司というのは、考える力がないので、逆にこちらが上司のつもりでリードするのがよいと思います。
あるいは、超問題児がいたとして、敢えてその人間と同盟を組み、困難な課題を解決する。
さらにあるいは、もし会社にすごい悩みが今あるなら、それよりももっとしんどいことを自分に課す。今日は5kmを22分以内に走れなければ、明日の仕事では部下からさんざん突き上げられるぞ、とか。
すると、会社での悩みが取るに足らなくちっぽけなものに思えてくる。
以上の例は、これまで僕が体験して大きな効果を得たもののほんの3例です。
要は、ここで言う「攻撃」の意味するところは、「悩み」というマイナスの事柄のマイナスの程度を小さくすることではなく、何かのプラスのことで打って出るということです。(必ずしも”ガチバトル”ということではありません。)
これをやる過程あるいは結果で、脳内に快感物質が放出されるようで、とってもワクワク感になり、さらに意識が高揚します。
そして、悩みが客観的、有限的に思えてきます。
さらには、自分も相手も集団も発展します。
こういう僕の考え方というのは、実はメジャーじゃないんだ、と最近ようやく気付き始めたところです。
確かに、僕とて誰からも教えられたものではなく、あまりに苦しかった20代~40代に、もがきながら必死に編み出した術なのですから。
たまに人から「STさんはマゾみたいだ」と言われます。
最初は「ひどいな」と思いましたが、「言い得て妙」とも思っています。
ま、「マゾ」は極端にしても、苦しいことを何種類か極めることで、心技体の極限状態を司る脳の部分がうまく作用して、悩みを鎮めるようです。
だから、マラソンを完走するような極限の体験をする人は、悩みを克服できる力が少し大きいように思います。(あくまで私感ですが)
お正月はいかがお過ごしで(したで)しょうか?
どうぞ今年もよろしくお願いします。
なんだかんだで2020年も終了し、2021年が始まりました。
よい意味での転換の年としたいですね。
今年は年賀状は、メールで出す人とか、来年から年賀状をやめるという人も少しずつ出始めています。
なんか寂しいですね。
さらに今年の場合は、喪中の人がかなり多かったでした。
友人や知り合いの親御さんが90歳くらいで亡くなったことが相次ぎました。
ちなみに、僕の母は、僕が43歳になったとたんに76歳で早々亡くなりましたし、父は4年前に97歳で亡くなりました。
僕は、遅い子だったので、親との別れを普通の人より早く体験することになりました。
さて、今日(4日)からお仕事の方もいらっしゃると思います。
いきなり月曜スタートなので、とても大変だと思います。頭が下がります。
僕の会社は6日からです。
先日の記事で「会社と真っ向から戦った」と書きましたように、6日からの仕事はまだまだ平坦ではありません。
自分を信じての戦いはまだまだ続きます。
「戦い」とは言っても、純粋なスポーツのような「フェアプレイ精神」でやるのではないので(注:少なくとも僕はアンフェアなプレイはしませんよ(^^)/)、心的なマイナスのエネルギーもかなり使います。
僕に限らず、現在仕事が大変な人は多いことでしょう。
僕は、「悩み」というものをどう解消するのか、自分なりに随分研究してきました。我が身の人体実験を通じて。
すると、僕なりの結論は「攻撃は最大の防御なり」です。
同名のタイトルで2015年1月30日に記事(←クリック)を書きました。是非読んでみてください。
今回は「その2」としました。
悩みを和らげるには、やるべきことの負担を減らし、周囲と同化し、安らぎや癒しを得て、精神を落ち着けるのが大事なことは言うまでもありません。
ところが、自分が何かに貢献したり生み出しているという充足感が減っていき、場合によりかえって落ち込むことがあるのと、世の中の生産性は下がり発展がなくなる方向になってしまう、という別の側面もあります。
「攻撃は最大の防御なり」は、やや劇薬的なものであり、大失敗の可能性もそこそこありますが、うまく行けば悩みを吹っ飛ばす効果は絶大であり、自分も含めて、関わる人たちと、その集団の発展が期待できます。
世の中では、この格言はスポーツや戦争の場合に象徴的に使われますが、僕がここで言うのはもっと意味が広く、必ずしも相手を打ちのめすことではありません。
相手がいようといまいと、悩みが深い場合に、その悩みに「よしよし」するのはなく、自らが何か積極的で前向きなことに打って出るのです。
必ずしも、その悩みそのものに対峙することでなくてもよいのです。
例えば、上司から自分の考えを否定されまくって八方塞がりの時は、まずは上司の考えのもとにざっとこなして安心させた後、自分の考えに基づいた検討をやって、その結果を突き付ける。
むしろ上司が困っていることに対し、行く先を示してあげる位の気持ちでこちらがリードする。
そもそも問題上司というのは、考える力がないので、逆にこちらが上司のつもりでリードするのがよいと思います。
あるいは、超問題児がいたとして、敢えてその人間と同盟を組み、困難な課題を解決する。
さらにあるいは、もし会社にすごい悩みが今あるなら、それよりももっとしんどいことを自分に課す。今日は5kmを22分以内に走れなければ、明日の仕事では部下からさんざん突き上げられるぞ、とか。
すると、会社での悩みが取るに足らなくちっぽけなものに思えてくる。
以上の例は、これまで僕が体験して大きな効果を得たもののほんの3例です。
要は、ここで言う「攻撃」の意味するところは、「悩み」というマイナスの事柄のマイナスの程度を小さくすることではなく、何かのプラスのことで打って出るということです。(必ずしも”ガチバトル”ということではありません。)
これをやる過程あるいは結果で、脳内に快感物質が放出されるようで、とってもワクワク感になり、さらに意識が高揚します。
そして、悩みが客観的、有限的に思えてきます。
さらには、自分も相手も集団も発展します。
こういう僕の考え方というのは、実はメジャーじゃないんだ、と最近ようやく気付き始めたところです。
確かに、僕とて誰からも教えられたものではなく、あまりに苦しかった20代~40代に、もがきながら必死に編み出した術なのですから。
たまに人から「STさんはマゾみたいだ」と言われます。
最初は「ひどいな」と思いましたが、「言い得て妙」とも思っています。
ま、「マゾ」は極端にしても、苦しいことを何種類か極めることで、心技体の極限状態を司る脳の部分がうまく作用して、悩みを鎮めるようです。
だから、マラソンを完走するような極限の体験をする人は、悩みを克服できる力が少し大きいように思います。(あくまで私感ですが)
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