Coffee Break Beatles No.16 「Lennon-McCartney」
ビートルズの曲は、ジョージとリンゴの作を除けば、大半はLennon-McCartney、すなわちジョンとポールの共作というクレジットである。
正確な表現は"Words and music by John Lennon and Paul McCartney"であり、「作詞と作曲」全体が共作という意味である。
日本の歌謡曲のように作詞=****、作曲=****、編曲=****のような分業を示すのではない。Lennon-McCartneyにおける"music"とは編曲をも含めた一切の音楽的部分であろう。
共作とは言っても、事実上は片方だけが作ったものから、全く一緒に作ったものから、分業したものから、はたまたどっちかが主体を作り片方が手伝ったみたいなものまで様々な形態がある。
ビートルズ正式デビュー前の少年時にジョンとポールが約束し、「今後俺らのどちらかが作った曲は全て二人の共作にしよう」と決めたことによるものである。何と感動的な約束ではないか。
それで、Lennon-McCartneyの曲の中で実際どちらが作ったのかはとても興味がある。
大きな流れとしては、初期であるほど真の共作の割合が大きくなり、後期になると次第に二人の音楽的あるいはいろんなことの意見が食い違ってくることから、別作の割合が高くなってくる。
1968年のアルバムThe Beatles(通称White Album)は4人が個人作を持ち寄ったものと言ってもいいくらいである。
しかしそんな中でもジョンとポールの仲は特別なものがあり、仲があまりよくなかった1969年においても二人だけが集まりレコーディングしたThe Ballad of John and Yokoのような共同作業もあった。
全期を通じて一番多かったパターンは、どちらかが主体的に作り、もう片方が手伝った場合が多いようである。
そして彼ら自身によると、「ボーカルをとっている方が作ったと考えればいい」とのこと。たしかにこれはわかりやすい。
少し前まで"Who wrote that"というサイトがあり、Lennon-McCartneyにおいてどっちが作った曲なのかをリストしていた。しかし何故だかこのサイト今は見つからない。
そのサイトによればジョンが作った曲の方がやや多かった。
興味深かったのは、She Loves You、Day Tripperがジョンの作となっていた。これらの曲はメインメロを全て二人でハモるし、音楽的にもとてもポップな曲なのでポールの加担が多そうに思っていた。おそらく、詞とかメロの発案はジョンであり、コーラスをつけたりベースの作曲などはポールが請け負ったのかもしれない。
一般にはジョンは詞にポールは音楽に特徴があると思われているが、ジョンも音楽の才能は相当なものであった。
プロデューサであるジョージ・マーティンも音楽的に相当加担したので、場合によりmusicの部分にクレジットされてもよいようなものだが、そうはならなかった。
あくまで自作を特徴としたビートルズという看板にこだわったからだと思う。
デビュー初期のクレジット名はMcCartney-Lennonだったが、すぐにLennon-McCartneyに変わった。
ポールは最近、せめてYesterdayくらいは自分を先に表示させてよ、とヨーコに求めていたが、ヨーコは断ったとのこと。
しかし最近二人の関係もかなり改善してきており、ポールの要求も通るかもしれない。
正確な表現は"Words and music by John Lennon and Paul McCartney"であり、「作詞と作曲」全体が共作という意味である。
日本の歌謡曲のように作詞=****、作曲=****、編曲=****のような分業を示すのではない。Lennon-McCartneyにおける"music"とは編曲をも含めた一切の音楽的部分であろう。
共作とは言っても、事実上は片方だけが作ったものから、全く一緒に作ったものから、分業したものから、はたまたどっちかが主体を作り片方が手伝ったみたいなものまで様々な形態がある。
ビートルズ正式デビュー前の少年時にジョンとポールが約束し、「今後俺らのどちらかが作った曲は全て二人の共作にしよう」と決めたことによるものである。何と感動的な約束ではないか。
それで、Lennon-McCartneyの曲の中で実際どちらが作ったのかはとても興味がある。
大きな流れとしては、初期であるほど真の共作の割合が大きくなり、後期になると次第に二人の音楽的あるいはいろんなことの意見が食い違ってくることから、別作の割合が高くなってくる。
1968年のアルバムThe Beatles(通称White Album)は4人が個人作を持ち寄ったものと言ってもいいくらいである。
しかしそんな中でもジョンとポールの仲は特別なものがあり、仲があまりよくなかった1969年においても二人だけが集まりレコーディングしたThe Ballad of John and Yokoのような共同作業もあった。
全期を通じて一番多かったパターンは、どちらかが主体的に作り、もう片方が手伝った場合が多いようである。
そして彼ら自身によると、「ボーカルをとっている方が作ったと考えればいい」とのこと。たしかにこれはわかりやすい。
少し前まで"Who wrote that"というサイトがあり、Lennon-McCartneyにおいてどっちが作った曲なのかをリストしていた。しかし何故だかこのサイト今は見つからない。
そのサイトによればジョンが作った曲の方がやや多かった。
興味深かったのは、She Loves You、Day Tripperがジョンの作となっていた。これらの曲はメインメロを全て二人でハモるし、音楽的にもとてもポップな曲なのでポールの加担が多そうに思っていた。おそらく、詞とかメロの発案はジョンであり、コーラスをつけたりベースの作曲などはポールが請け負ったのかもしれない。
一般にはジョンは詞にポールは音楽に特徴があると思われているが、ジョンも音楽の才能は相当なものであった。
プロデューサであるジョージ・マーティンも音楽的に相当加担したので、場合によりmusicの部分にクレジットされてもよいようなものだが、そうはならなかった。
あくまで自作を特徴としたビートルズという看板にこだわったからだと思う。
デビュー初期のクレジット名はMcCartney-Lennonだったが、すぐにLennon-McCartneyに変わった。
ポールは最近、せめてYesterdayくらいは自分を先に表示させてよ、とヨーコに求めていたが、ヨーコは断ったとのこと。
しかし最近二人の関係もかなり改善してきており、ポールの要求も通るかもしれない。
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