原理原則を好む欧米人
こんばんは。
夜飯は基本的に玄米と納豆という生活を続けています。
そんなストイックなこと俺はいやだよ、という奴もいます。
ストイズム(禁欲主義)とエピキュリアニズム(快楽主義)は表裏一体の関係だとも言われます。
その意味がややわかるような気がしないでもありません。
明日は東京で飲み会ですけど。
時々そういうものがあるからこそストイックな部分も持てるのかもしれませんね。
昨日は、原理とか新しい考え方を好むのか、それとも現実の人との関わりを好むのか、の2つのパターンのお話をさせていただきました。
どちらも大事だし、男女差でどう分かれるかなどは、ある傾向はあるものの、それは絶対的なものではない、というのが多くの方の感じられるところのようでした。
今日紹介させていただく話は、欧米人の考え方の傾向についてです。
欧米の人は男女とも原理原則をより重んじる人が非常に多いです。というか、ほとんどがそうかもしれません。
ある事柄に関して、
A: その原理原則が正しく、そしてその結果人々が楽しく暮らしている。
B: 人々が楽しく暮らしているのだが、その原理原則が曖昧である、ないしは納得できない。
という2つの状態があったとして、日本人ならBよりAの方がよいとは思いながらも、Bを受け入れる人は結構います。
しかし欧米の人は、まずはBを受け入れないでしょう。
以前、アメリカ人と一緒に仕事をしていた時、こんなことがありました。
あるサプライヤーA社とその顧客B社は密接な関係があり、ある時B社はA社に無理難題を言い短期間にCという製品を開発させました。
A社は特別な体制を敷き、わずか数週間徹夜同然で無理やり製品を作ってしまった。
結果的にそのC製品はB社で使えることになった。そかしそのメカニズムはよくわからない。
そしてその影響でA社以外のサプライヤーも同等品を作らざるを得なくなった。
これは日本人なら「よくある話だ」と思うでしょうが、アメリカ人は大変嫌いました。
嫌いなポイントが大きく3つありました。
1つはその性能には理屈がないこと。
2つ目は徹夜のような非定常状態で対応するというスタンドプレーなこと。
3つ目は市場に対しオープンでなかったこと。
要するに、「自由と平等のもとフェアな競争が行われること」を至上命題としているアメリカ人からすると許し難い行為だったのでしょう。
多分に、キリスト教のもと自由主義で建国以来の精神を子供の頃から叩き込まれているゆえと思われます。
もちろん、これとて欧米人にとって絶対的なことではなく、人によって日本人的なものも持っている方もいます。
でも、経済や政治上欧米と渡り合うに際しては見逃せない傾向ではないでしょうか。
でですね、ここから先が大事だと思うんですが、
欧米式のように原理原則→人々の営みという方向だけがフェアか、と言ったらそんなことはありません。
日本人は、人々の営みから逆に原理原則を導くことができるのだと思います。
もちろん、ごくわずか失敗とかいい加減な部分もありますから、間違った状態もあるにはあります。
でも欧米人が言うほど間違ってはいません。
ここが日本人の強みでもあるわけです。
だからこの部分をやたらに捨てるのは戦力ダウンです。
企業においては一時期欧米式管理法に大きく触れ過ぎたので、一部日本式に戻っています。
問題は政治改革や公務員改革です。
原理原則を重視する欧米と全く同じ方法は有効ではない気がしますが、結論を出すには十分な考察が必要だと思います。
夜飯は基本的に玄米と納豆という生活を続けています。
そんなストイックなこと俺はいやだよ、という奴もいます。
ストイズム(禁欲主義)とエピキュリアニズム(快楽主義)は表裏一体の関係だとも言われます。
その意味がややわかるような気がしないでもありません。
明日は東京で飲み会ですけど。
時々そういうものがあるからこそストイックな部分も持てるのかもしれませんね。
昨日は、原理とか新しい考え方を好むのか、それとも現実の人との関わりを好むのか、の2つのパターンのお話をさせていただきました。
どちらも大事だし、男女差でどう分かれるかなどは、ある傾向はあるものの、それは絶対的なものではない、というのが多くの方の感じられるところのようでした。
今日紹介させていただく話は、欧米人の考え方の傾向についてです。
欧米の人は男女とも原理原則をより重んじる人が非常に多いです。というか、ほとんどがそうかもしれません。
ある事柄に関して、
A: その原理原則が正しく、そしてその結果人々が楽しく暮らしている。
B: 人々が楽しく暮らしているのだが、その原理原則が曖昧である、ないしは納得できない。
という2つの状態があったとして、日本人ならBよりAの方がよいとは思いながらも、Bを受け入れる人は結構います。
しかし欧米の人は、まずはBを受け入れないでしょう。
以前、アメリカ人と一緒に仕事をしていた時、こんなことがありました。
あるサプライヤーA社とその顧客B社は密接な関係があり、ある時B社はA社に無理難題を言い短期間にCという製品を開発させました。
A社は特別な体制を敷き、わずか数週間徹夜同然で無理やり製品を作ってしまった。
結果的にそのC製品はB社で使えることになった。そかしそのメカニズムはよくわからない。
そしてその影響でA社以外のサプライヤーも同等品を作らざるを得なくなった。
これは日本人なら「よくある話だ」と思うでしょうが、アメリカ人は大変嫌いました。
嫌いなポイントが大きく3つありました。
1つはその性能には理屈がないこと。
2つ目は徹夜のような非定常状態で対応するというスタンドプレーなこと。
3つ目は市場に対しオープンでなかったこと。
要するに、「自由と平等のもとフェアな競争が行われること」を至上命題としているアメリカ人からすると許し難い行為だったのでしょう。
多分に、キリスト教のもと自由主義で建国以来の精神を子供の頃から叩き込まれているゆえと思われます。
もちろん、これとて欧米人にとって絶対的なことではなく、人によって日本人的なものも持っている方もいます。
でも、経済や政治上欧米と渡り合うに際しては見逃せない傾向ではないでしょうか。
でですね、ここから先が大事だと思うんですが、
欧米式のように原理原則→人々の営みという方向だけがフェアか、と言ったらそんなことはありません。
日本人は、人々の営みから逆に原理原則を導くことができるのだと思います。
もちろん、ごくわずか失敗とかいい加減な部分もありますから、間違った状態もあるにはあります。
でも欧米人が言うほど間違ってはいません。
ここが日本人の強みでもあるわけです。
だからこの部分をやたらに捨てるのは戦力ダウンです。
企業においては一時期欧米式管理法に大きく触れ過ぎたので、一部日本式に戻っています。
問題は政治改革や公務員改革です。
原理原則を重視する欧米と全く同じ方法は有効ではない気がしますが、結論を出すには十分な考察が必要だと思います。
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