笑えないメールの功罪
こんばんは。
いよいよ4月ですね。
桜もいよいよ咲きましたが、まだまだ寒かったり嵐だったり。
あるCMで母娘の会話があります。
母(電話で)「今メールで送ったのだけど、明日**するわよ。」
娘「やだお母さん、電話したんじゃメールの意味ないじゃん。」
多分みなさま観たことのあるCMでしょう。
微笑ましい母娘の会話ではありますが、実はこれ、私などは半分笑えません。
これまでメールでは相当痛い目に遭ってきました。(実は数日前にもこれが一つのきっかけとなりあることが起きて相当へこんでいます。)
このお母さんの言い分はビジネス、プライベート双方において時として非常に大事なこととなります。
このブログでも何度か書きましたように、メールやネットでのコミュニケーションはまだ高々数十年の歴史しかないので、文化やマナーとして確立されていないと思います。
それに、文字だけの情報ではかなり誤解が生まれる可能性があると思います。
今の若い方々は最初からメールやネットのコミュニケーションで育ってきましたし、絵文字等を使って、我々の世代よりはるかに誤解なきコミュニケーションができるでしょうが、我々世代は時に注意が必要だと思います。
メールの利点(=功)は何かは言うまでもないでしょう。
メールは欠点(=罪)もいっぱいあります。
結論から言うと、メールは罪が一杯あるので、リアルのコミュニケーション以上に相手の立場に立ち、鷹揚な気持ちになり、相手を尊重すべきです。
そして不明点やわかりにくいことがあれば、電話で確認したりします、しかも相手の立場になって。
ましてや切れたり、きつい言葉で批判などしたら、メールでは収拾がつかなくなります。
それはどんな立場の人間だろうと決してやってはいけないと思います。
メールでは誤解もいっぱい生まれます。例えば次のようなやりとりがあったとします。
A: あなたはCさんをどう思いますか?
B: CさんのようにDさんをかばいたくありません。
Bさんの意味することには2つの可能性が生じてしまいます。
1) CさんはDさんをかばっている。BさんはCさんのようにしたくはない。
2) CさんはDさんをかばっていない。BさんはCさんのようにしたい。
つまり、どっちにどっちがかかるかわからないからです。
これを防ぐにはあまり複文的表現はしないで、シンプルな文を理路整然と書くことだと思います。
上の例は単なる一例であり、この手の誤解はメールでは頻繁に生じます。
メールのもう一つの問題点は、返事が来ない状態をどう捉え、どう対処するかが難しいことです。
まずは、何かのエラーでこちらからのメールが届かないのか、あるいは届いてはいても何らかの理由で返事が来ないのか。
さらに、返事が来ないのは忙しくて書けないのか、それとも敢えて出さないのか。
場合によっては、こちらからのメールが不快ゆえ返事を出さないのかもしれません。
もともとメールには一方向性の性格があり、返事の義務もない場合もあります。
さらにはそれらの捉え方も人により千差万別です。
「なんで返事が来ないのですか」などとは書けませんから、さりげなく別の話題で出し、ちらっと「そう言えば**のメールは届いていましたか?」などと探ってみるのがよいのかもしれません。あるいは電話をする機会があれば、ちらっと探ってみるのもよいかもしれません。
やはりメールは便利な反面不完全な通信手段であることをよく理解して、何かマイナーな状態が見て取れたら電話等でやんわりと相手の立場に立って確認するくらいの余裕がほしいですね。
余談ですが、私は今回思い切り落ち込みました。まだ相当へこんでいます。
私は気が小さく弱い人間ですので、大きく落ち込みます。
でも、落ち込んでからが結構強いようです。
私は、相手を攻撃したりとか、逆に塞ぎ込むとかもありません。
落ち込みから解消するために、普段より大きいことを考えます。
もともと大きいことを考えているので(笑)、それより大きいこと考えるのはそう簡単ではないですけどね。
とにかく自分の悩みをちっぽけなことと客観的に把握できる努力をします。
昨日はものすごくおもいしろい本を見つけました。
上念司著「日本は破産しない!」
日頃政治経済において新しい提言をしているつもりの私もこれにはびっくり。
この精神的高揚感が悩みを減らしてくれますね。
でも今回の悩みは大きい。
だから、人間は切れちゃいかんですね。
いよいよ4月ですね。
桜もいよいよ咲きましたが、まだまだ寒かったり嵐だったり。
あるCMで母娘の会話があります。
母(電話で)「今メールで送ったのだけど、明日**するわよ。」
娘「やだお母さん、電話したんじゃメールの意味ないじゃん。」
多分みなさま観たことのあるCMでしょう。
微笑ましい母娘の会話ではありますが、実はこれ、私などは半分笑えません。
これまでメールでは相当痛い目に遭ってきました。(実は数日前にもこれが一つのきっかけとなりあることが起きて相当へこんでいます。)
このお母さんの言い分はビジネス、プライベート双方において時として非常に大事なこととなります。
このブログでも何度か書きましたように、メールやネットでのコミュニケーションはまだ高々数十年の歴史しかないので、文化やマナーとして確立されていないと思います。
それに、文字だけの情報ではかなり誤解が生まれる可能性があると思います。
今の若い方々は最初からメールやネットのコミュニケーションで育ってきましたし、絵文字等を使って、我々の世代よりはるかに誤解なきコミュニケーションができるでしょうが、我々世代は時に注意が必要だと思います。
メールの利点(=功)は何かは言うまでもないでしょう。
メールは欠点(=罪)もいっぱいあります。
結論から言うと、メールは罪が一杯あるので、リアルのコミュニケーション以上に相手の立場に立ち、鷹揚な気持ちになり、相手を尊重すべきです。
そして不明点やわかりにくいことがあれば、電話で確認したりします、しかも相手の立場になって。
ましてや切れたり、きつい言葉で批判などしたら、メールでは収拾がつかなくなります。
それはどんな立場の人間だろうと決してやってはいけないと思います。
メールでは誤解もいっぱい生まれます。例えば次のようなやりとりがあったとします。
A: あなたはCさんをどう思いますか?
B: CさんのようにDさんをかばいたくありません。
Bさんの意味することには2つの可能性が生じてしまいます。
1) CさんはDさんをかばっている。BさんはCさんのようにしたくはない。
2) CさんはDさんをかばっていない。BさんはCさんのようにしたい。
つまり、どっちにどっちがかかるかわからないからです。
これを防ぐにはあまり複文的表現はしないで、シンプルな文を理路整然と書くことだと思います。
上の例は単なる一例であり、この手の誤解はメールでは頻繁に生じます。
メールのもう一つの問題点は、返事が来ない状態をどう捉え、どう対処するかが難しいことです。
まずは、何かのエラーでこちらからのメールが届かないのか、あるいは届いてはいても何らかの理由で返事が来ないのか。
さらに、返事が来ないのは忙しくて書けないのか、それとも敢えて出さないのか。
場合によっては、こちらからのメールが不快ゆえ返事を出さないのかもしれません。
もともとメールには一方向性の性格があり、返事の義務もない場合もあります。
さらにはそれらの捉え方も人により千差万別です。
「なんで返事が来ないのですか」などとは書けませんから、さりげなく別の話題で出し、ちらっと「そう言えば**のメールは届いていましたか?」などと探ってみるのがよいのかもしれません。あるいは電話をする機会があれば、ちらっと探ってみるのもよいかもしれません。
やはりメールは便利な反面不完全な通信手段であることをよく理解して、何かマイナーな状態が見て取れたら電話等でやんわりと相手の立場に立って確認するくらいの余裕がほしいですね。
余談ですが、私は今回思い切り落ち込みました。まだ相当へこんでいます。
私は気が小さく弱い人間ですので、大きく落ち込みます。
でも、落ち込んでからが結構強いようです。
私は、相手を攻撃したりとか、逆に塞ぎ込むとかもありません。
落ち込みから解消するために、普段より大きいことを考えます。
もともと大きいことを考えているので(笑)、それより大きいこと考えるのはそう簡単ではないですけどね。
とにかく自分の悩みをちっぽけなことと客観的に把握できる努力をします。
昨日はものすごくおもいしろい本を見つけました。
上念司著「日本は破産しない!」
日頃政治経済において新しい提言をしているつもりの私もこれにはびっくり。
この精神的高揚感が悩みを減らしてくれますね。
でも今回の悩みは大きい。
だから、人間は切れちゃいかんですね。
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