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ビートルズ解析例 その5

- ジョンとヨーコ、愛の姿 -


心の安らぎとビートルズ


これまでの4章ではビートルズの音楽的解析を様々な角度から試みた。自分の音楽的な感性と取り組みからビートルズを主としたポップな音楽への憧れと、いかに一介の音楽好き人間がとことん楽しみ、解析する喜びを書いたつもりである。技術系サラリーマンとしての解析手法も十分に発揮できたのではないかと自負している。
しかし、解析はもうこれで十分であろう。解析云々ではなく、音楽から、あるいはミュージシャンから心から安らぎを得たい、リラックスしてそして感動できる、そんな要素があってしかるべきなのである。
ビートルズに限らずそうした要素が得られるミュージシャン、アーティストは多いし、また人それぞれ感じ方が違う。言うまでもないことだが。私の場合も精神的安らぎを与えるアーティストはいろいろいるが、やはり、ここまでこれだけビートルズ解析を中心に行って来たわけだし、ビートルズの連中にとりわけ心打たれるというか相通じるものがあるので、最終章としてもビートルズの心を綴ってみたい。

母の死とビートルズ

私としてビートルズの面々に好感を持てるのは、彼らは結構若い時に苦労しているからだ。とりわけ、ジョン、ポールは、14、15歳という多感な時代に母親を亡くすという大変な試練を経ているのだ。男子にとって母親を亡くすのは大変つらいものだ(もちろん女子もそうではあるが、男子にとってはより辛い)。そしてそのつらさは男子の年令が若いほどつらくなる。
私は、43歳の誕生日を迎えた1日後母を失った。76歳であった。76歳とはある意味では「老年」と定義できるから、その歳で死んだのだから、諦めがつくのではないかと思われるかもしれないが、当事者としてはとてもそんなものではない。今や女性は86歳の平均寿命である。平均寿命とは、幼児期に亡くなるケースや自殺や不慮の事故も含む。ごくありきたりに生きている女性の平均寿命、別な言い方をすれば、私の母親の世代の女性の病気か寿命的な亡くなり方は90歳かそれを超えるのではないか、数字の意味では。それからすると私の母は随分早死にで可愛そうである。そして、43歳で母親の死を迎えるというのは今時早い方であろう。とにかく、私の母の死は想像を絶する悲しみであった。

ジョンの母親への愛と、一生

前置きが長くなった。ジョンやポールが中学生時代に母親を亡くした悲しみ、苦しみは想像を絶するものがある。私の母親の死でさえかくほど悲しんだのだから、彼らの悲しみの程度の深さは全く次元が違うものだったと想像する。特にジョンの場合は、幼い時期に母ジュリアが出て行き、ミミおばさんに育てられ、そしてとどめはジュリアの交通事故死だ。ジョン自身が「母親を二度失った」と言っているが、それは冗談でもなんでもない。まさに心底の叫びである。ジョンは、アルバム"The Beatles"で母親のことを歌った"
Julia"を書き、そして解散後の"ジョンの魂"においては"Mother"という曲を絶叫しているのだからその苦しみと、その苦しみから脱皮する苦しさと力強さが見てとれる。ジョンの一生は、ミュージシャンとしての成功という表舞台と、母の死を初めとする人間世界の葛藤と機微そして成長と心の安らぎ、という心の内面の波乱が織り成した実にドラマチックなものであった。

音楽家の感性と職業

音楽や芸術というもの、感性的なものが決め手になることも多いことから、一般の職業とは若干異なり、私生活における生き様も重要なファクターであるとも言われている。しかしそうは言っても、厳然たる職業の一種ではあるし、しっかりしたプロセスを踏まないと音楽もできないし、曲の完成にも至らない。一般の職業同様、steadyな職業的責任とプロセスは避けて通れない。
私生活とはきっちり分けて仕事をする職業的音楽家、芸術家も多くいるのである。もしかしたら、かのポール・マッカトニーも、私生活をあまり表に出さない音楽家かもしれない。
ジョンも最初はそうであったようだ。クォーリーメン時代からシルヴァー・ビートルズ、そしてビートルズでデビューして数年のうちは。端的な例は、最初の結婚相手のシンシア・パウウェル。リバプールの美術学校で知り合い結婚したが、彼女との生活は音楽活動とは切り離していた。また、当時のジョンは、意気がった青年の域をあまり出ておらず、女性に対する対処も他の男たちのそれと大して変わらなかったものとみられる。映画「イマジン」でのシンシアの発言でそのあたりがよくわかる。

何故ジョンとヨーコ?

ジョンは、少なくともビートルズ初期頃までは、普通の男的な感覚で攻撃的な感情をロックにぶつけた部分が多いとみてよいと思われる。それプラス彼本来が持ち合わせていた生来の芸術的な部分を、意識的あるいは無意識的に取り入れながら音楽を作っていったのであろう。
おそらく1964年頃まではジョンの音楽あるいはその周辺のアーティストとして表現する部分は、自分の生き様とは一応一線が引かれていたように思う。言い方を変えればミュージシャン職人の域であったはずだ。それが、時を重ね最終的にヨーコと結婚し居を構えるようになったジョンは生き様そのものを音楽に表し、そして生き様そのものがアーティストとなっていく、それが私の一つの大きな見方である。そしてそのジョンとヨーコの愛情が核となる芸術性=生き方は大変心を打つものがある。少なくとも私は強くそう感じるし、そう感じているファンも多いであろう(その一方逆の感情をもつファンも多いが)。さらに私的には、ジョンの生きて来た足跡にとても感銘を受けるし、ジョンとヨーコの愛の姿、生き方についても自分と照らし合わせたり、自分の生きがいにつなげてきた。
よって、本章ではジョンとヨーコの愛の姿について書き、私のビートルズを中心としたポピュラーミュージック論を締めくくることにしたい。

ビートルズ初期のジョン

ビートルズが1962年にデビューし、その後しばらくは詞も音楽も、グループとしてのアピールもジョンが中心になって創造し表現してきた。ポールもその類稀なる音楽性を既に初期から見せてはいたが、総合的なパワーとして初期においてはジョンにはかなわなかったのである。ジョンは生来の感性と音楽的能力から若者の真に求める音楽を作っていた。特に1964年のアルバム"A Hard Day's Night"はジョンのアルバムと言ってもいいくらいだ。そして本を書いたり絵を書いたりと音楽以外の芸術的アピールもしていた。

1965年”Help”で変調が..

こうした調子に最初の変調が見られたのが、1965年の"Help"ではないだろうか。自分の悩みを綴った詞を取り入れている。「自分は今苦しい、どうか助けてくれ」という内容の詞であり、曲としてはマイナーコードを多めに使いながらも全体としては軽快なポップ調に仕上がっている。映画"Help"のオープニングでこの曲が印象的に使われ、ジョンははつらつとして歌っている。しかし、ジョンは後のインタビューその他で「"Help"では私は本当に助けを必要としていた」と何度も言っている。では何を苦しんでいたのか? それを解く前にもう少し話を進める。

さらにその先は?

"Help"を出した1965年まではジョンの作った歌は十分ポップで魅力的なものが多かった。詞の内容がそれまでとは違った内省的なものが多くなったとはいえ、音楽だけでも十分に万人に訴えるだけのポップ性を持っていた。ちょっと風刺的な歌"Nowhere Man"はとても独特で味わいのある仕上がりの曲になっている。心に悩みがあったとしてもジョンの音楽的力量・感性は相変わらず全開であったといえる。
1966年に入ると、ビートルズは実験音楽、室内音楽に傾倒していく。ジョンもその流れを汲んで高度な音楽を目指していく。そして彼の独特の精神世界と相まってあの名曲"Strawberry Fields Forever"を完成させる。この曲は詞、音楽性、雰囲気が微妙にバランスを取り合い最高の仕上がりになっていると思うが、ポップさにやや欠け、そしてそのことでファンがやや離れてこの曲がヒットチャートNo.1にならないという結果になった。

歴史的出会い

そしてこの1966年、ジョンに歴史的出会いがあった。そう、ヨーコこと小野洋子との出会いである。ニューヨークのある画廊でヨーコが前衛芸術作品の個展を開いていたところへジョンが訪れたのである。ある作品は、脚立が置いてあり、それを登りきったところに虫眼鏡が置いてあり、天井の小さな紙を見るようにできている。虫眼鏡で見ると"Yes"と書いてあるのがわかる。「"Yes"というポジティブな言葉が書いてあったので私は大変感動した。これがもしネガティブな言葉だったら私は全然興味を示さなかっただろう」と、ヨーコへの関心が電撃的に湧いたいきさつについてジョンは何度も語っている。最初私はこれを聞いて「変な話だな」と思ったが、ヨーコが1990年頃に東京で開催した展示会で同じ作品を展示していたのを私も実際に見てみたところ、確かに「なるほど」と思った。しかしいかにもアーティストらしい発言である。
この出会いをきっかけに二人は一気に親密さを深めて行き、ジョンにとっては生き様、考え方、音楽に大きな影響を及ぼし、1969年の正式な結婚を経て「ジョンとヨーコ」という独特の世界を作っていくのである。

ジョンとヨーコが連れあった期間

ジョンとヨーコが連れ合った1966~1980年の期間において概ね次のような時期に分けられるのではないかと思う。1.1966年の出会いから実質的にビートルズが解散状態になりジョンとヨーコが正式に結婚した1969年まで、2.ジョンとヨーコが音楽や反戦活動を活発に行っていた時期(1969~1973年)、3.ジョンが荒れ、一時別居していた時期(俗に「失われた期間」)(1974年)、4.ジョンが音楽活動をやめ息子ショーンが生まれ、ジョンが「主夫」として幸せに家庭生活を築いていた時期(1975~1979年)、5.音楽活動を再開し二人共作の"Double Fantasy"を出した時期(1980年)。
ジョンが出会いから一貫してヨーコに対し抱いていた感情の柱はあると思われるが、その時期々々において少しずつ考え方や感情は変化していったはずだ。二人の間の関係も少しずつ変化し、危機を経ながらもより強固な間柄になっていったと思う。

ジョンは”Help”で何を悩んでいたのか?

まずは、ビートルズの初期に立ち返り、"Help"の頃にはジョンは何を悩み、何を求めていたのか、そしてヨーコの何がジョンの心を満たしたのか、そのあたりを考えてみたい。
ビートルズ時代のジョンの心境は様々な本で書かれているから、ここではごく簡単に紹介するに留めたい(他の本の焼き直しがこの本の目的ではないので)。ジョンはビートルズでデビューした時には既にシンシアと結婚しており、そしてすぐに息子ジュリアンを設けた。しかしビートルズは超多忙だった。売れっ子アイドルが多忙なのは言うまでもないが、ジョンとポールの場合はこれに作詞・作曲、アレンジ、演奏の練習といったことが加わった。しかも年に2枚の自作のアルバムを出すように義務付けられていた、しかもハイクウォリティな作品を、ことは想像を絶する忙しさとプレッシャーとストレスとの戦いであったと思われる。これだけを見ても、夫婦の会話や家庭の団欒などありえないことがわかるというものである。アイドルは孤独だとよく言われるが、ことさらジョンは孤独たっだことは想像に難くない。そしてもう一つのストレスは、常に4人一緒に行動していたこと。いくら旧友の仲とはいえ、度重なるツアーや公演でホテル等で一緒に居るのは耐え難かったと思われる。1966年の東京公演で、ヒルトンホテルを取材したカメラマン浅井慎平氏が、ホテル内で彼らはだまりこくっていたと述べていることからも、その一端が窺える。もう一つのジョンにとってのストレスはポールの存在だったのではないか、と私は考える。1964年まではジョンの創造のパワーはいかんなく発揮されていたし、音楽的な部分も含めてジョンが名実ともにビートルズのリーダーにふさわしかった。しかし、ポールの天性の音楽的才能は早くから少しずつ芽を吹いており、ついにあの名曲"Yesterday"の発表となる。"Help"と全く同じタイミングの発表だ。"Yesterday"のもつインパクトは計り知れないものがある。まずそのジャンルを超越した名曲性にある。従来のビートルズファンはもちろんのこと、ロックに関心がない人々までを魅了するであろう名曲性をこの曲は持っている。そして次には、この曲にはポール以外のメンバーは録音に全く参加していない、というよりも、他のメンバーの存在を想定して作った曲ではないのだ。つまり"Yesterday"はポールのソロデビュー曲といっても過言ではないのである。アイドルとしてグループの和が重要視されていたさなかに、特定のメンバーのみによる作品を発表することはよほどの議論があった(ジョージ・マーティンその他の間に)に違いないが、その名曲性からGOサインが出たのであろう。このことで、ビートルズの中のポールの力関係が上がったと思われる。ジョンにとってはプライドが傷つけられたことであろう。東京公演での"Yesterday"での演奏はエレキで行うのだが、ジョンはポールが編み出した奏法で弾かざるを得なかったのである。事実、「この曲は我の魂ここにはなし」といった表情で演奏していた。

ジョンの脱却の手立ては? そしてヨーコ

"Yesterday"の発表を契機として、ジョンがこれから先々、音楽的にも力関係においてもビートルズのリーダーとしてポールとどのように伍していくのか全く不安だったはずだ。第一、すでに年間2枚のアルバムを出すノルマによりそれまででも一杯々々だったのに、それ以上ジョンにとって音楽世界が広がる自信もなかったし、こんなきつきつの生活を続けることは耐えられなかったのではないか、と想像する。
八方ふさがりになった自分を癒してくれるような人間、あるいは心を托して話し合える人間がいなかったのだ。
いや、こんなことは誰でも言える。これから先が私のさらに掘り下げた想像だ。ビートルズのノルマやファンへのサービス、そしてポールとの葛藤といった事柄は人間ジョンの生きた感覚から生まれてきたものではないということだ。全て見えざる潮流に支配され、自我を失い、生身の人間として褒められたり叱られたり、あるいは意気投合したりなにかに意欲的になれる、そんな当たり前の人間としての基本的なものを失っていたのではないか。
こうした状態で、かつ八方ふさがりのストレスに陥ったジョンが求めるのはどんな人間であろうか? 従順でジョンに尽くす優しい女性だろうか? あるいは悩みを聞いてくれる女性だろうか? いや、違う。こうした女性は一時(いっとき)の慰めは与えてくれるかもしれないが、「ポップなヒット曲を量産しなければいけない」とか「ポールと伍していく」などといった窒息しような将来の呪縛から解かれる訳ではない。当然、男女に限らず同業者の人間や似たような境遇の人間も基本的にはジョンにとっての救いにはならないはずだと思う。私が想像するに、ジョンとは全く違った世界に生き、全く違う(魅力的な)価値観へ向う力強い女性こそがジョンの求める人だったのだろうと思う。丁度、地球の中で蠢き苦しんでいる人間が、地球外にベクトルを向けて行動している人間に救われ、新しい自分の行き方を感化され、そして共有していく、そんな例えが言えよう。そう、これがヨーコなのである。

「別世界」へのベクトル

上で述べた5つのピリオドを通じて一貫してヨーコがジョンに与えたものは、こうした「別世界」へのベクトルである。これによりジョンは救われ、新しく希望に満ちて、八方塞でなく無限の未来を見出した。と同時に、自分のこれまで居た音楽世界も改めて見ることができ、自分なりの新しい価値観でやり直すことができた。当然ながら、ジョンがヨーコに与えた影響も大きく、ジョンのもつ音楽世界、芸術世界によりヨーコの活動も広がったのである。

強い男女間の愛もあった

もう一つ強調したいのは、この二人の間には男女間の強い愛も存在したことである。一般的にはヨーコの容姿は女性としてはあまりよくないと見られている。特に欧米の人たちのヨーコ評は酷評であった。ジョンのファンはなおさらであった。ジョンとヨーコの間は精神世界だけのつながりだったと見る人も多いが、純粋な男女間の愛も強かったのである。

ここで少し脱線させていただきたい。男が女に惹かれる要素に関して一般的に言われていることをここで敢えて繰り返すまでもあるまい。私の場合、これに加えて次のような要素が女性にある場合にその女性を自分のものにしたくなるのである。それは、女性がある種の引け目がある場合である。引け目とは? ちょっと容姿が劣っている、歳を取っている、過去がある、借金がある、家庭環境が悪い...。もしこうした女性の前に男性が現れ、「この男性は好きだが私には不釣合いなので申し訳ない」のように思ったとする。そしてその男性、つまり私、がその女性に魅力を感じた場合、その女性が引け目も持っていることが魅力を倍化させるのである。ここで矛盾が生じる。引け目を感じるのだから、絶対的な魅力も小さくなりがちだ。私がもしその女性に対して、自分にしか得られない素晴らしい魅力(容姿含め)を数多く見出し、かつその女性は引け目を感じている。そんな状態を私はベストと考える。私がその女性を得たトータルな生きがいがベストだという意味である。一種のボランティア精神もあるかもしれない。よく学生時代「中村は女性にはえぐい趣味だ」と友人たちからからかわれたが、それも否定できないし、そして上述した背景があるからだ。
こうした要素がジョンとヨーコの間にあるのではないかと思う。ただし、ヨーコが引け目を感じていたかどうかは疑問である。
それとちなみに、私は女性としてのヨーコ自身も好きだ。

第1ピリオド(出会いから結婚まで)

さて、ともかくもジョンとヨーコの出会い(1966年)があってから正式に結婚する1969年までの第1ピリオドは、ジョンがまだビートルズとしての活動をしていた時期であり完全な"John & Yoko"の世界は形成していないが、ジョンの音楽に対するヨーコの影響ははっきりと現れていた。まず、不特定多数を満足させるポップな曲を作らなければならないという呪縛から解かれ、ジョンは自分の表現したい音楽を素直に書くようになった。曲のポップさよりも自分の感情をストレートに詞にすることに専念した。失った母の想い出と愛、ヨーコへの愛、つらい自分の気持ち、世の中の不条理さ、嫌な人間への揶揄、などなど。ある時期から平和にも大きな関心を示すようになった。
66年以降のジョンの作った曲は、はっきり言ってバンドとしての魅力の部分では峠を越えた。基本は生ギター1本で表現できるような強いメッセージで作ったような曲がほとんどであろう。例えとして日本のフォークに似ている。それでも、時々変拍子を入れたりなどの工夫を凝らしたりとか、ポールによる洒落たベースラインの味付けによりさすがビートルズの曲として仕上がっているものも少なくない。
69年のGet Back Sessionあたりでの苦労などもあったが、全般には自分らしい音楽に満足し、ヨーコとのベクトルも合ってきて幸せな方向へ突き進んでいったものとみられる。そして69年のアムステルダムの「ベッドイン」というユニークな催しに行き着く。愛と平和のアピールを「ジョンとヨーコ」のスタイルで全開だ。

第2ピリオド(ジョンとヨーコの生活・活動が全開)

第2ピリオド(69~73年)はジョンとヨーコが夫婦として生活、活動とも最も盛んであった時期である。まさに新しいアーティストとしてのあり方を世に示した。プラスチックオノバンドとか反戦活動でのヨーコの勇ましい姿がよくマスコミに取り上げられたためか、ヨーコのそういう部分のみのイメージを持っている人も多いが、実はヨーコは女性らしい部分もずいぶんと持っているのだ。
映画「イマジン」を見るとそのあたりがよくわかる。ベッドの中で二人並んで横たわりながら「あなたは~~だから好き」というようなことをささやき合っている。そのヨーコはとてもかわいらしい。また、自宅を訪れた熱狂的なファンをなだめ現実を悟らせる、しかし突き放すのではなく家に招き入れて一緒に食事をする、という人間味のあるジョンの人格が見られる。そしてそうしたジョンを尊敬しているヨーコがいる。互いに慈しみ合う二人であった。
はりきって活動し生活してきた二人であったが、73年ごろからジョンの雲行きがあやしくなる。酒におぼれたり、友人と放蕩生活に入ったり。このあたりのジョンの心境を解析するのは難しい。またしても行き先が見えなくなり閉塞感が出てきたとも見られるが、ジョンもある種ふつうの人間、あるいは自制心にかけた部分も少しはあると見ておくことも必要であろう。別な言い方をすると、ジョンはカリスマ的芸術家とも言えるが、violentな部分も兼ね備えた紙一重な状態だったともとれる。まあ、それだからこそ絵になるロッカーとも言えよう。万事が清く正しい宗教家のような人格であったらつまらないであろう。

第3ピリオド(失われた期間)

そして、74年に冬の時代、つまり別居生活、に入るわけだが、その時ヨーコのとった態度がすごい、というか超越し過ぎている。パン・メイというベトナム人女性をジョンに侍らせたのである。結果、ジョンはヨーコが自分のとって必要な、かけがえのないパートナーであることを昔以上に認識し、ヨーコのもとに帰るのである。あたかも、ヨーコという観音様の手の平の上で遊ばされたジョンのようであった。ここまで達観し、器の広く、そして先を見通せる女性がいるだろうか?

第4ピリオド(幸せな主夫時代)

そこから先のジョンは一途にヨーコ、そして自分の家庭に向いていった。75.10.9にジョンの誕生日に息子ショーンが生まれ、ジョンは"主夫"となり、音楽を一旦停止し、家事・育児に専念するのである。
結論を先に言うと、私はこの時期のジョンが一番好きなのである。その理由を言う前にまずは彼らの状況の変化から。
レコードを全然出さなくなったジョンにはファンは不満だった。主夫としての考えなどは全然示されなかったので、ただ音楽をやめたことだけが目立っていた。私も同様であった。この時期のジョンの考えは80年のプレイボーイ誌のインタビューで明らかになった部分が随分ある。つまり後で知った部分の方がずっと多い。
ジョン一家が毎年日本をお忍びで訪れ、軽井沢に滞在していたことは私も知っていた。しかし前述したように、私は、彼らが音楽をやめてしまったことをnegativeに感じていたので、彼らのお忍び来日にもそんなに興味は持っていなかった。しかし、後でわかるのだが、その当時の一家は幸せであった。ジョンの気持ちも最高潮であった。77年夏に大学のサークルの1年先輩のT氏が軽井沢まで出向いてジョンたちを見たといっていた。さすがに羨ましくはあったが、まさかわずか3年後に亡くなるとも知らず、そして主夫の心情も知らずで、それほど羨ましくもなかった。しかし今となっては、万難排しても見に行くべきだったと悔やんでいる。

主夫ジョンへの私の見方

前置きが長くなったが、ジョンが主夫として充足した気持ちで生活しようと思ったきっかけは語られているようであまり語られていない。ヨーコの仕事が忙しかったことや、ジョンがインタビューで答えているようにパンを焼いたり子供を育てたりすることに喜びを見出したことはよく知られている。
ここから私の推測だが、ジョンは主夫になって、きっと女性の気持ちがわかったのではないかと思う。実際に家事や育児を本格的に始めてみて初めて女性の大変さ、女性の立場や気持ち、そして女性の喜びを見出したに違いないと思う。優しいジョンはとりわけ、これまで抑圧されてきた女性の「負」の部分に心を痛め、女性の解放を願って自ら主夫の立場に深く入り込んでいったものと思う。間違っているかもしれないが、私がジョンという人間をずっと見てきてそう思うのである。
そしてこの私こそがジョンのこの気持ちに大変同感するものがあるのである。ある意味ヨーコと共通する部分のある妻を持ち、しかもその妻は女系家族に生まれ、そしてさらに私には女の子だけが生まれた。これまでは男性中心の社会にだけ生きて来たことが痛感させられた。そして時間はかかったが、女性の解放のためジョンと似た行動をとった部分もある。いわゆるフェミニストのような片意地をはったような気難しい考えではなく、無理なく女性のためを思った行動をとってきた。この境地になって俄然ジョンとヨーコのファンになった。そしてジョンの主夫時代のジョンが最も好きになった。軽井沢の写真集などを見るととてもほのぼのとした家族の姿が見てとれる。7、8年前に浅間山・鬼押出へ行った我々家族で行った際、ジョン一家の写った写真にあるのと同じ小岩が存在していて感動した。

ジョンの名句

少し話がずれるが、ジョンの興味深い言葉の1つとして、「ヒット曲を作り続けることもやめることも両方しんどい。私は両方やった」というのがある。ジョンの長年の心理状態の変遷を端的に示す名句だが、もしヨーコと出会わなかったら、ヒット曲を作り続けることにもがき苦しみながら自滅していたかもしれない。

第5ピリオド(音楽活動再開)

いよいよジョンとヨーコの最終(第5)ピリオドに入る。音楽活動を再開し二人共作の"Double Fantasy"を出した時期(1980年)、そしてこのピリオドは「ジョンの死」という悲運で幕を閉じることになる。
私がジョンの音楽活動の再開のニュースを聞いた時、どれほど喜んだかわからない。そしてもっと驚いたのは、"Double Fantasy"の1曲目"(Just Like) Starting Over"をラジオで初めて聴いた時、以前のジョンとほとんど変わっていなかったことだ。「ジョン節」が健在だったのである。しかもサウンドは勢いを盛り返していた。予想していたのは、もうすっかり枯れ老境の雰囲気で歌うジョンだったが、なんのその。

このピリオドは基本的に主夫時代同様幸せな時期である。興味の対象が無理なく音楽に向いて来たと考えてよいと思う。
それにしても突然の死は理解を超えた。これからどうやって生きていこうか、なんか大事なものを失った気がした。

ジョンの死のもつ意味、そして「ジョンとヨーコ、愛の姿」

40歳という年令は客観的に考えればあまりに早いが、ジョンの場合十分に人々を魅了し訴えかけて来た。姉が「40まで生きたのだからいいじゃない」と言った言葉も妙に説得力があった。
最近Eさん(ピアノの項で登場)が言った素晴らしい言葉がある。「ジョンがもし今でも生きていたら、ジョンが生前に唱えた平和が実現しないのを見てどんなに悲しむだろう」と。

ジョンの死を正当化する気は全くないが、ジョン、そしてヨーコの過した素晴らしい時間は私にそして全世界の人々に十分生きる勇気と感動を与えてくれた。
私の大好きな「ジョンとヨーコ、愛の姿」に感謝して最終章を締めくくることにする。

2004.10.29
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テーマ : ビートルズ関連
ジャンル : 音楽

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ビートルズ愛の歴史

ST Rockerさん こんにちは(*^_^*)

とても良い記事で じっくり読ませていただきました(((o(*゚▽゚*)o)))
ビートルズの歴史は、深いですね〜。
そして、ジョンの愛のストーリーがあったのですね‼︎

そして、読んでいるうちに ちょっと質問してみたくなった ST Rockerさんの恋愛についても書いてありました☆
ブログには 登場していない 素敵な奥様の事が 書かれてありました。
お二人の愛の歴史も 知りたくなった桜ようかんでした☆

桜ようかんさん

こんばんは。
まずは、ここに読みに来てくれるなんて、超超うれしいです!
ありがとう!
だって、この記事は本にしようとしていたことの1つの賞なんですから。
これを書いたのが2004年。47になったばかりの頃でした。
いろんな出版社にかけ合ったけど、厳しいですね出版は。
でもまだ諦めていないですよ。

僕の女性感? いやいや、大したことないです(笑)
あの当時は一所懸命書いたけど、今読むとまだ青いと思うことが多いですね。
今ならもっと大人の男として書けると思います。

実は僕の人生においては50ちょっと前に大改革が起きました。
それにまつわることは少しずつ記事にはしてきたのですけど、また機会があれば。

本当にありがとう!
プロフィール

ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
コメントは本筋に沿ったものをお願いします。

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