言葉の栄枯盛衰
みなさま、こんばんは。
実に久しぶりに休める土日です。
昼までは放心状態でしたが、ジムへ行き、その後市の温泉に行ったら、実にリフレッシュした気持ちになり、攻撃的な気分が芽生えてきました。
私の文章を書く上でのモットーは、なるべく広い年代の方々とコミュニケーションを持ちたいので、なるべく普通な言葉を使うことを心がけています。
死語はなるべく使わないようにしています。
でも、よい言葉が死語になるのも忍びないので、「死語かもしれませんが・・」などと断りながら使うことがあります。
死語であるのにそれを気付かずに使うのもちょっと恥ずかしいものがありますしね(笑)。
でも最近敢えてですね、わざと死語っぽいけどよい言葉を使っていたのですが、みなさまお気付きでしたか?
例えば、昨日の記事のタイトルで使った「すわっ」。
若い方々、どういう意味かご存知ですか?
死語も、必然があって消えるならいいんですが、本来よい言葉なのに、そして代用する言葉がないのに死語にならんとするのは阻止したくなります。
この「すわっ」もそのようなよい言葉の一つだと思います。
「『ら』抜き言葉」ももはや随分古くなりました。
「見れる」「食べれる」「来れる」・・・。
ら抜き言葉に対して、超一流の国語学者である金田一春彦先生が5、6年前におもしろいことをおっしゃっていました。
言葉というのは、「正しい、正しくない」ということだけで捉えるのではなく、社会が受け入れる言葉は正しいのだ、と。
だから、ら抜き言葉も私は受け入れたい、と金田一先生はおっしゃっていました。
そういう意味では、「全然大丈夫」などの呼応の副詞の使い方や、
「亡くなられる」や「おっしゃられる」のような二重敬語も、
受け入れるべきなのでしょうか?
NHKのアナウンサーも既に二重敬語を使っています。
では、「こんにちわ」や「こんばんわ」はどうでしょうか?
もちろん、国語的には「こんにちは」、「こんばんは」が正しいことを知らない人はいないでしょう。
でも、若い人たちが中心になって広がり始めた「こんにちわ」、「こんばんわ」に合わせ始めた年配の人たちもいます。
「こんにちわ」、「こんばんわ」は主流になりそうな勢いです。
そのうち、「私わ・・」などとなるのでしょうか。
では、みなさま、ごきげんよう。
実に久しぶりに休める土日です。
昼までは放心状態でしたが、ジムへ行き、その後市の温泉に行ったら、実にリフレッシュした気持ちになり、攻撃的な気分が芽生えてきました。
私の文章を書く上でのモットーは、なるべく広い年代の方々とコミュニケーションを持ちたいので、なるべく普通な言葉を使うことを心がけています。
死語はなるべく使わないようにしています。
でも、よい言葉が死語になるのも忍びないので、「死語かもしれませんが・・」などと断りながら使うことがあります。
死語であるのにそれを気付かずに使うのもちょっと恥ずかしいものがありますしね(笑)。
でも最近敢えてですね、わざと死語っぽいけどよい言葉を使っていたのですが、みなさまお気付きでしたか?
例えば、昨日の記事のタイトルで使った「すわっ」。
若い方々、どういう意味かご存知ですか?
死語も、必然があって消えるならいいんですが、本来よい言葉なのに、そして代用する言葉がないのに死語にならんとするのは阻止したくなります。
この「すわっ」もそのようなよい言葉の一つだと思います。
「『ら』抜き言葉」ももはや随分古くなりました。
「見れる」「食べれる」「来れる」・・・。
ら抜き言葉に対して、超一流の国語学者である金田一春彦先生が5、6年前におもしろいことをおっしゃっていました。
言葉というのは、「正しい、正しくない」ということだけで捉えるのではなく、社会が受け入れる言葉は正しいのだ、と。
だから、ら抜き言葉も私は受け入れたい、と金田一先生はおっしゃっていました。
そういう意味では、「全然大丈夫」などの呼応の副詞の使い方や、
「亡くなられる」や「おっしゃられる」のような二重敬語も、
受け入れるべきなのでしょうか?
NHKのアナウンサーも既に二重敬語を使っています。
では、「こんにちわ」や「こんばんわ」はどうでしょうか?
もちろん、国語的には「こんにちは」、「こんばんは」が正しいことを知らない人はいないでしょう。
でも、若い人たちが中心になって広がり始めた「こんにちわ」、「こんばんわ」に合わせ始めた年配の人たちもいます。
「こんにちわ」、「こんばんわ」は主流になりそうな勢いです。
そのうち、「私わ・・」などとなるのでしょうか。
では、みなさま、ごきげんよう。
スポンサーサイト