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東京オリンピックの思い出(その2)

みなさまこんばんは。
今日もまた大変な酷暑でした。
今日は東京に出張でした。東京の暑さはまた別のものがありますね。
最近とても多くの方においでいただき、どうもありがとうございます。

ロンドンで日本選手頑張っています。
オリンピックマーチはみなさん楽しんでいただけたようで、よかったです。
今日は東京オリンピックの競技の思い出を語ってみます。

私、実は思い出話はされる方もする方もそんなに得意じゃありません。
押し付けにならないよう、少しは意味のある書き方をしてみますね。
自分の記憶がどれだけ正しいかのチェックも含めますので、下調べなしで行きます。
ですから、間違いが多いと思います。(ただし人の名前は自信ありです。)
間違ったところはご指摘いただけますとありがたいです。
勝手ながら敬称を略させていただきます。

では話を始めます。
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オリンピックでの日本人選手の活躍は結構古くからある。
三段跳びの織田や、「前畑ガンバレ」の実況でおなじみの水泳の前畑。
かつては日本は水泳王国と呼ばれ、古橋、橋爪などの名選手が大勢いた。
冬季コルチナ・ダンペッツォ大会の回転の猪谷なども有名である。

しかし東京オリンピックでは日本人の金メダル数はなんと16個。
未だにこの記録は破られていない。
それだけ東京オリンピックに向け選手強化が図られたし、よい選手もいっぱいいた。

国中オリンピックブームだった。
とにかくガイジンが我が国に大勢来ること自体珍しく、とんでもない国際大会なんだな、と7歳の子供ながらわかった。
当時今のさいたま市に住んでいた私は、聖歌リレーを旧仲仙道まで祖母と見に行った。

当時は家庭にテレビは1台あったが、我が家のテレビは白黒の14インチ型。
放送の技術もシステムも今と全然違うし、ビデオもないから、観られた競技はごく限られていた。
ましてや子供だから、常識的な時間しかテレビの前に座らせてもらえなかった。
ライブで本当に観たのか、後の記録映像を観たのとごっちゃにしているのか、の区別が曖昧なものもある。
そんな中、これは絶対に生で観たことに自信があるのが、開会式、重量挙げ、水泳の一部、陸上(棒高跳び、女子110mハードル、男子100m、マラソン)、体操、女子バレーボール。

たしか大会の初めの方で早々金メダルを取ったのが重量挙げフェザー級の三宅だったと思う。
あの夜の茶の間の光景を今でも覚えている。
世界一力持ちの男と言われたのがヘビー級のソ連のジャボチンスキー。
名前と共にあの姿をよく思い出す。

金メダルの数から言うとレスリングがすごいのだけど、テレビではあまり放映しなかったと思う。
子供なので知識もあまりなく残念だった。

あの時は「体操ニッポン」だった。
早田、山下、遠藤らが有名。「山下跳び」はその後有名になった。

金メダルと言えば「東洋の魔女」の異名を持つ女子バレーボール日本代表。
鬼の監督大松のもとで鍛えられた。
決勝戦は確か夜遅かったように思う。
「子供は寝なさい」と言われ最後まで観られなかった。
朝起きたら金メダルのニュースだったのでうれしかった。

東京オリンピックでは水泳は残念ながらメダルはあまりなく、確か男子のリレーが銅だったように思う。
自由形その他でたくさんの金メダルを取ったのがアメリカのショランダー。

日本のお家芸柔道は東京大会から正式種目になった。
当然日本も頑張ったのだが、無差別級で神永がオランダのヘイシンクに敗れたのは残念だった。

ボクシングの桜井の金もすごい。

陸上では、女子110mハードルの依田(よだ)が印象がある。
スタート前のアップの動作がユニークだった。
滑り止めの粉のようなものを首筋に塗り、逆立ちをしたりのアップをしていた。
決勝に進み、たしか5位だったか。

男子100mではアメリカのヘイズが金。
たしか10秒0だった。
こんな速い人間がいるのか、と7歳ながらびっくり。

棒高跳びはなかなか決着がつかず、深夜遅くまでやっていたのが印象的だった。

そして最終日のマラソン。
たしか小学校はマラソンの応援のために午後休みになった記憶がある。
コースは国立競技場を発着に甲州街道を往復した。
優勝候補は何と言っても「はだしの王者」アベベ。
前回のローマ大会でははだしで走り優勝した。

本番は予想通り、アベベが飛び出し早々レースを決定付け、余裕のぶっちぎり金メダル。
当時のマラソンの実況放送は今に比べるとかなり不完全だった。
あまり覚えていないのだが、移動放送車は音声だけで、カメラは定点のみだったような気がする。

円谷(つぶらや)は途中から2位になり、わりと順調によい位置をキープした。
3位の選手の状態は少しは報告があったのだろうが、あまり覚えがない。
テレビで観ていた人は円谷の2位を確信していたと思う。

そして円谷が競技場に入り、そして結構遅れて外人選手も入ってきた。
たしかアナウンサーはこの外人選手の名前も紹介しなかったと記憶しているし、「危ない」とも言わなかった気がした。
実際、円谷はそのままゴールするように見えた。

しかし、最後の1周となり、円谷が向こう正面(つまりゴールまであと200m)に差し掛かるころ、円谷はフォームが乱れ明らかに遅くなり、そしてその外人選手が猛然とダッシュしてきた。
そしてみるみるみるみる二人の距離は縮まり、ついに抜かれてしまった。
目を疑った。
子供ながらに「一体あのガイジンは何なんだ」と思った。
アナウンサーは抜かれてからやっと「イギリスのヒートリー」と紹介したような記憶がある。(これは間違っているかもしれない。)

大分後になって、あるテレビ番組でヒートリーが出演し「実はあれはかなり手前から虎視眈々と狙っていた。ゴール直前に一気に抜き去ろうと考えていた。」とのこと。
円谷はメキシコでも期待されたが、思うように記録が伸びず自ら命を絶ってしまう。とても悲劇なことであった。
円谷には感謝をしたい。

閉会式は開会式とは打って変わってリラックスした雰囲気だった。
当時からすれば外国風だった。
選手たちみんな笑顔で名残を惜しむ感じだった。
ある瞬間「メキシコで会いましょう」との電光掲示が。
その瞬間のNHKのアナウンサーの実況中継の言葉を今でも覚えている。
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テーマ : ☆オリンピック☆
ジャンル : スポーツ

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酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
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