宇宙の超基本的かつ最大の謎
みなさまこんばんは。
今日は仕事でした。
中国は心配ですね。
どうしたらよいか迷いますが、基本は前々回に申しましたように、国際法的に見ても我々は間違っていないという自信を持ち、安易な行動に走らないことがまず肝要と思います。
宇宙のことを書かせていただきますと、「心が癒えた」とおっしゃっていただける方々がいます。
おそらく、宇宙という我々の次元を超えた空間を思う時、我々の存在が客観的に感じられ、つまらないことに惑わされずに、より高貴な精神レベルに身を委ねる、といった気分になるからではないでしょうか?
今日はこの宇宙のすごく基本的な部分での謎です。
↓
今日は仕事でした。
中国は心配ですね。
どうしたらよいか迷いますが、基本は前々回に申しましたように、国際法的に見ても我々は間違っていないという自信を持ち、安易な行動に走らないことがまず肝要と思います。
宇宙のことを書かせていただきますと、「心が癒えた」とおっしゃっていただける方々がいます。
おそらく、宇宙という我々の次元を超えた空間を思う時、我々の存在が客観的に感じられ、つまらないことに惑わされずに、より高貴な精神レベルに身を委ねる、といった気分になるからではないでしょうか?
今日はこの宇宙のすごく基本的な部分での謎です。
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この宇宙は10次元で説明すると全てが説明がつくと言われています。
数学的、物理的に10次元は説明ついたとしても、我々の感覚では全く理解できません。
我々が理解できるのは3次元までです。時間も含めて4次元の世界で我々は生きている(ように感じられます)。
我々はこの世(宇宙)は一つしかないように感じていますが、より高次元から見れば宇宙はいくつも存在することでしょう。
なぜなら、我々より低い次元しか感じられない生き物(?)、例えば「面」でしか生きていないような物がいたとしたら、自分のいる面が全てだと思いますが、実際は面は無限に存在します。
我々が住んでいるこの宇宙以外にも別の宇宙が存在するとしたら、全く別の形や性質を持つのかもしれません。
面でいえば、のっぺりとした面もあれば、球のような面もあれば、複雑な面もあるのと同じです。
我々が住んでいるこの宇宙(以下、単に「宇宙」と略します)には実は、当たり前ようで全く当たり前でない基本的な謎が2つあります。
一つ目の謎は、宇宙の中の銀河の構造が、どこを向いても同じようであること。
宇宙のどの方向を見ても大体同じように見える、というわけで、なんとなく当たり前のようですが、全然当たり前ではありません。
もともと「無」の世界だったところに突如ビッグバンが起こり宇宙ができ、その後膨張していった。
その過程で星や銀河が形成されていくのです。
宇宙はずっと膨らみ続けているので、宇宙のごく近いところ同士でないと光を交換できておらず、地球から見た別の方向のような遠いところ同士ではお互いの光がまだ到達していません。
相対性理論によれば、この世には光より速いものは存在しません。
よって、互いの光が到達していないような状況では何ら通信手段がないのです。
にもかかわらず、宇宙の中どこを取ってもまるで示し合わせたかのように似た構造ができているのです。
全く説明のつかない謎です。
もう一つの謎は、「宇宙の平面性」です。
みなさまは、この世のどこかをまっすぐに進んだら、「ああまっすぐに進んだなあ」と感じますよね。
別のところをまっすぐに進んだ人も同様にそう感じ、進んだ人同士の互いの進み具合も矛盾なく理解しえますよね。
2人の人が、違う方向に進んだつもりがぶつかってしまった、とかある一人の人がまっすぐ進んだつもりが元に戻っちゃったなんてことはありませんよね。
そして、この世の人たちはすべて同じ時の流れが流れていることを実感できますよね。
こういったことは当たり前だと思っていませんか?
でも実はこれって全然当たり前ではなく、すごく珍しいんです。
誤解を恐れずに言葉を使わせてもらうなら、これってすごく「人為的」なんです。
いや、人が宇宙を創ったわけではないので「神為的」とでも言いましょうか。
とてもビッグバンという自然現象のなれの果てにできた性状ではありません。
では、どういうことか、再び「面」を使って考えてみます。
我々は3次元の宇宙の空間のゆがみは理解できませんので、1次元下の2次元(=面)で考えてみます。
2次元(面)に住む人にとって、面がうねっていても、それを自覚できません。
面のうねりとは、面の場所場所で時間(=高さの軸)が違うところがある、ということになります。
同様に、4次元を理解できる人から我々3次元の空間を見たら、時間軸方向にうねっているかどうか、を見られます。
で、その面がもし球のようであったとしたら、それは「閉じた面」と言います。
閉じた面に住む人は、動いているとやがて元いた場所に戻ります。
あるいはまた、その面が馬の鞍のような形をしていたら、それは「開いた面」と言います。
そのような面の上で動く場合、基本的には元いた場所に戻るのは難しいです。
面のうねり具合を客観的に見られないのですから。
閉じた面と開いた面の中間として「平坦な面」があります。
中間のある一瞬の状態ですが。
つまり真っ平な面です。
こういう面なら、動いて行った方向と逆に行けば必ず元いた場所に戻れますし、円形運動のような規則正しい動きでも元に戻れます。
面内での高さ(2次元の世界では時間に相当)は全て同じです。
つまり、平坦な面では全ての人がとても合理的な理解と行動ができるわけです。
で、この平坦な面の理解を3次元の空間に当てはめてみます。
はい、我々の存在する宇宙は「平坦な空間」なんです。
なぜそれが証明できるかは今日は割愛します。
それがどんなに特殊なことか、同意いただけるでしょう。
今日は、宇宙の一様性ということと平坦性という、超基本的な大変な謎のお話をさせていただきました。
この2つの謎は、自然現象のなれの果てというにはあまりにも特殊すぎます。
上から目線で誰かが人為的に作ったかのようです。
理論的にはこの世は10次元だとするのが最も妥当です。
ならば、我々の存在する次元の上に住む生き物が、人為的に我ら宇宙を作ったのかもしれません。
そしてこの世にはもっともっと違った宇宙があって、それらは互いにつながっているかもしれないのです。
この宇宙は10次元で説明すると全てが説明がつくと言われています。
数学的、物理的に10次元は説明ついたとしても、我々の感覚では全く理解できません。
我々が理解できるのは3次元までです。時間も含めて4次元の世界で我々は生きている(ように感じられます)。
我々はこの世(宇宙)は一つしかないように感じていますが、より高次元から見れば宇宙はいくつも存在することでしょう。
なぜなら、我々より低い次元しか感じられない生き物(?)、例えば「面」でしか生きていないような物がいたとしたら、自分のいる面が全てだと思いますが、実際は面は無限に存在します。
我々が住んでいるこの宇宙以外にも別の宇宙が存在するとしたら、全く別の形や性質を持つのかもしれません。
面でいえば、のっぺりとした面もあれば、球のような面もあれば、複雑な面もあるのと同じです。
我々が住んでいるこの宇宙(以下、単に「宇宙」と略します)には実は、当たり前ようで全く当たり前でない基本的な謎が2つあります。
一つ目の謎は、宇宙の中の銀河の構造が、どこを向いても同じようであること。
宇宙のどの方向を見ても大体同じように見える、というわけで、なんとなく当たり前のようですが、全然当たり前ではありません。
もともと「無」の世界だったところに突如ビッグバンが起こり宇宙ができ、その後膨張していった。
その過程で星や銀河が形成されていくのです。
宇宙はずっと膨らみ続けているので、宇宙のごく近いところ同士でないと光を交換できておらず、地球から見た別の方向のような遠いところ同士ではお互いの光がまだ到達していません。
相対性理論によれば、この世には光より速いものは存在しません。
よって、互いの光が到達していないような状況では何ら通信手段がないのです。
にもかかわらず、宇宙の中どこを取ってもまるで示し合わせたかのように似た構造ができているのです。
全く説明のつかない謎です。
もう一つの謎は、「宇宙の平面性」です。
みなさまは、この世のどこかをまっすぐに進んだら、「ああまっすぐに進んだなあ」と感じますよね。
別のところをまっすぐに進んだ人も同様にそう感じ、進んだ人同士の互いの進み具合も矛盾なく理解しえますよね。
2人の人が、違う方向に進んだつもりがぶつかってしまった、とかある一人の人がまっすぐ進んだつもりが元に戻っちゃったなんてことはありませんよね。
そして、この世の人たちはすべて同じ時の流れが流れていることを実感できますよね。
こういったことは当たり前だと思っていませんか?
でも実はこれって全然当たり前ではなく、すごく珍しいんです。
誤解を恐れずに言葉を使わせてもらうなら、これってすごく「人為的」なんです。
いや、人が宇宙を創ったわけではないので「神為的」とでも言いましょうか。
とてもビッグバンという自然現象のなれの果てにできた性状ではありません。
では、どういうことか、再び「面」を使って考えてみます。
我々は3次元の宇宙の空間のゆがみは理解できませんので、1次元下の2次元(=面)で考えてみます。
2次元(面)に住む人にとって、面がうねっていても、それを自覚できません。
面のうねりとは、面の場所場所で時間(=高さの軸)が違うところがある、ということになります。
同様に、4次元を理解できる人から我々3次元の空間を見たら、時間軸方向にうねっているかどうか、を見られます。
で、その面がもし球のようであったとしたら、それは「閉じた面」と言います。
閉じた面に住む人は、動いているとやがて元いた場所に戻ります。
あるいはまた、その面が馬の鞍のような形をしていたら、それは「開いた面」と言います。
そのような面の上で動く場合、基本的には元いた場所に戻るのは難しいです。
面のうねり具合を客観的に見られないのですから。
閉じた面と開いた面の中間として「平坦な面」があります。
中間のある一瞬の状態ですが。
つまり真っ平な面です。
こういう面なら、動いて行った方向と逆に行けば必ず元いた場所に戻れますし、円形運動のような規則正しい動きでも元に戻れます。
面内での高さ(2次元の世界では時間に相当)は全て同じです。
つまり、平坦な面では全ての人がとても合理的な理解と行動ができるわけです。
で、この平坦な面の理解を3次元の空間に当てはめてみます。
はい、我々の存在する宇宙は「平坦な空間」なんです。
なぜそれが証明できるかは今日は割愛します。
それがどんなに特殊なことか、同意いただけるでしょう。
今日は、宇宙の一様性ということと平坦性という、超基本的な大変な謎のお話をさせていただきました。
この2つの謎は、自然現象のなれの果てというにはあまりにも特殊すぎます。
上から目線で誰かが人為的に作ったかのようです。
理論的にはこの世は10次元だとするのが最も妥当です。
ならば、我々の存在する次元の上に住む生き物が、人為的に我ら宇宙を作ったのかもしれません。
そしてこの世にはもっともっと違った宇宙があって、それらは互いにつながっているかもしれないのです。
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