あいさつについて
みなさまこんばんは。
今日は一段と寒いですね。お元気ですか?
ここ最近音楽のことを集中して書きました。
自分は本来何屋さんだったか、だんだんわからなくなってきました(笑)
昨日本社のデスクで仕事をしていると、背後からいきなり営業の後輩から声がかかり、
「STさん、ロンドン遊びに行ってきました。これお土産。使ってください。」
短い旅程だったのでアビーロードの交差点には行けなかったそうです。
うれしいなあ!

今日はあいさつ(挨拶)の話です。
前にも少しだけしたと思います。
今日は少し変わった角度からのあいさつの話です。
↓
今日は一段と寒いですね。お元気ですか?
ここ最近音楽のことを集中して書きました。
自分は本来何屋さんだったか、だんだんわからなくなってきました(笑)
昨日本社のデスクで仕事をしていると、背後からいきなり営業の後輩から声がかかり、
「STさん、ロンドン遊びに行ってきました。これお土産。使ってください。」
短い旅程だったのでアビーロードの交差点には行けなかったそうです。
うれしいなあ!

今日はあいさつ(挨拶)の話です。
前にも少しだけしたと思います。
今日は少し変わった角度からのあいさつの話です。
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私はどっちかというと体育会系なもんですから、あいさつをしないなどは全く考えられません。
あいさつをしなければバチが当たるような感覚を昔から自然に身につけてきました。
たまにあいさつをしない人がいます。あるいはあいさつをしても返事をしてくれない人がいます。
そういう時ってすごく損をした気持ちになりますね。
あいさつをあまりしない人はさすがに人があまり寄ってこないことが多いです。
一方私は、こういうようなあいさつをしないような人たちと仲良くなるのが結構得意です。
普通は、あいさつをしないようなすごい基本的問題点がある場合は、そこがバリアとなってなかなか中へ入って行きにくいからです。
でも、そのバリアを取っ払ってしまうと、あいさつをしない人は結構おもしろい考えを持っている場合が多い気がします。
ここでは、あいさつをしない、あるいはあまりしないことの是非を問うのではなくて、私が知り合ったあいさつをあまりしない人の例を2ケースご紹介します。
さらには、それを紹介したからどうなんだ、ということですが、それに関しても結論は出しません。一種の問題提起と捉えてください。
一人目は前の会社の上司です。
当時私が34才くらい、上司は51才くらいでした。上司は部長級でした。
非常に優秀な人なのですが、陰気くさいし、部下は苦しむし、あいさつにもほとんど返事をしてくれないということで、皆あまり好きではありませんでした。
ところが私が彼の部下となって話し始めると、なかなかの人であることがわかりました。
いろんな基礎的能力や遊びに長けていました。
彼はよく私に言いました「ST君、ものごと『やろう』と思ったらたいていのことはできるよ」と。
私はその考えに多いに感化され現在に至っています。
ある時あいさつの話題になりました。
そして次に彼が言った言葉に耳を疑いました。「あいつはあいさつをしやがらないんだよ。またあのやつもしないんだよ。あいさつをするかどうかで人が見ていることも知らないで。」
私は心の中で言いました。「あれっ、あいさつをしないのはあんたの方じゃないの!?」
どうやら次のようなことらしいです。
あいさつは力関係が下の方がするものである。そして力が上の人間は返事などしなくてもいいのだ。
お次の方は、どこの人と言ってしまうのは問題ですので、単に「私より少し上の人」と言っておきましょう。
この方もやはり非常に優秀です。
驕ったところは全然ありませんが、お付き合いが狭く、自分の世界に閉じこもりがちです。
彼は、あいさつを自分から快活にすることがあまりなく、他人からのあいさつに返事をしないこともよくあります。
そしてある時あいさつの話になりました。
彼はこんなことを言いました「あの人のあいさつってドスが効いていて返事しにくいんだ。そしてあの人はなんか妙なあいさつだからあれも返事しにくい」と。
私は言いました「僕はですね、体育会系ですから人のあいさつがドスが効いているとかどうこうはあまり感じませんねえ。それよりあいさつをしなければバチが当たりそうで。」
すると彼は「そういう意味じゃ僕は体育会系では全然ないからそういう発想ってなかったよ」
どうですか?
わずか二人であいさつしない人の全体を結論付けはもちろんできないですけど、
あいさつをしない人こそあいさつのことを考えていたことを知り、なんとも不思議な気がしました。
一方、欧米の人たちはあいさつをしない人はほとんどいません。
しかしだからと言って彼らの方がフレンドリーな人種かと言ったらそんなことはないと思います。
英語や欧系の言葉は、あいさつがもう言葉の一部みたいになっているのだと思います。
もしあいさつの言葉を言わないとしたら、それはもうあからさまな反意を示していると言ってもいいのではないでしょうか。
日本の場合、育った環境であいさつに対する考えが少し違っていることで、場合により問題が起きるのではないでしょうか。
私はどっちかというと体育会系なもんですから、あいさつをしないなどは全く考えられません。
あいさつをしなければバチが当たるような感覚を昔から自然に身につけてきました。
たまにあいさつをしない人がいます。あるいはあいさつをしても返事をしてくれない人がいます。
そういう時ってすごく損をした気持ちになりますね。
あいさつをあまりしない人はさすがに人があまり寄ってこないことが多いです。
一方私は、こういうようなあいさつをしないような人たちと仲良くなるのが結構得意です。
普通は、あいさつをしないようなすごい基本的問題点がある場合は、そこがバリアとなってなかなか中へ入って行きにくいからです。
でも、そのバリアを取っ払ってしまうと、あいさつをしない人は結構おもしろい考えを持っている場合が多い気がします。
ここでは、あいさつをしない、あるいはあまりしないことの是非を問うのではなくて、私が知り合ったあいさつをあまりしない人の例を2ケースご紹介します。
さらには、それを紹介したからどうなんだ、ということですが、それに関しても結論は出しません。一種の問題提起と捉えてください。
一人目は前の会社の上司です。
当時私が34才くらい、上司は51才くらいでした。上司は部長級でした。
非常に優秀な人なのですが、陰気くさいし、部下は苦しむし、あいさつにもほとんど返事をしてくれないということで、皆あまり好きではありませんでした。
ところが私が彼の部下となって話し始めると、なかなかの人であることがわかりました。
いろんな基礎的能力や遊びに長けていました。
彼はよく私に言いました「ST君、ものごと『やろう』と思ったらたいていのことはできるよ」と。
私はその考えに多いに感化され現在に至っています。
ある時あいさつの話題になりました。
そして次に彼が言った言葉に耳を疑いました。「あいつはあいさつをしやがらないんだよ。またあのやつもしないんだよ。あいさつをするかどうかで人が見ていることも知らないで。」
私は心の中で言いました。「あれっ、あいさつをしないのはあんたの方じゃないの!?」
どうやら次のようなことらしいです。
あいさつは力関係が下の方がするものである。そして力が上の人間は返事などしなくてもいいのだ。
お次の方は、どこの人と言ってしまうのは問題ですので、単に「私より少し上の人」と言っておきましょう。
この方もやはり非常に優秀です。
驕ったところは全然ありませんが、お付き合いが狭く、自分の世界に閉じこもりがちです。
彼は、あいさつを自分から快活にすることがあまりなく、他人からのあいさつに返事をしないこともよくあります。
そしてある時あいさつの話になりました。
彼はこんなことを言いました「あの人のあいさつってドスが効いていて返事しにくいんだ。そしてあの人はなんか妙なあいさつだからあれも返事しにくい」と。
私は言いました「僕はですね、体育会系ですから人のあいさつがドスが効いているとかどうこうはあまり感じませんねえ。それよりあいさつをしなければバチが当たりそうで。」
すると彼は「そういう意味じゃ僕は体育会系では全然ないからそういう発想ってなかったよ」
どうですか?
わずか二人であいさつしない人の全体を結論付けはもちろんできないですけど、
あいさつをしない人こそあいさつのことを考えていたことを知り、なんとも不思議な気がしました。
一方、欧米の人たちはあいさつをしない人はほとんどいません。
しかしだからと言って彼らの方がフレンドリーな人種かと言ったらそんなことはないと思います。
英語や欧系の言葉は、あいさつがもう言葉の一部みたいになっているのだと思います。
もしあいさつの言葉を言わないとしたら、それはもうあからさまな反意を示していると言ってもいいのではないでしょうか。
日本の場合、育った環境であいさつに対する考えが少し違っていることで、場合により問題が起きるのではないでしょうか。
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