今一度、ジョンとヨーコについて
みなさまこんにちは。
いよいよ大晦日です。いかがお過ごしですか?
今月は私としてジョン・レノン強化月間としてやってきました。
最後の日としてヨーコさんのお話を少しさせていただきます。
↓
いよいよ大晦日です。いかがお過ごしですか?
今月は私としてジョン・レノン強化月間としてやってきました。
最後の日としてヨーコさんのお話を少しさせていただきます。
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今や押しも押される存在のヨーコ・オノさんですが、ジョンと出会い結婚したての頃は大変なバッシングを受けました。
そのきりっとした容貌や強い発言、さらには前衛的な(そして時としてわかりにくい)芸術家としての存在、そしてジョンが「師と仰ぐ」と言うほどの存在、といったところから、なかなか男女の姿としてはわかりにくいことも多かったのは事実だと思います。
しかしそんなヨーコさんにおいても、とても繊細で優しくそして女性らしい部分もたくさんありました。
そして実はジョンとヨーコは誰よりも強い純粋な愛もあったのです。
もしお暇な方はカテゴリ欄の「著書:技術系サラリーマンのビートルズ論:第5章"ジョンとヨーコ愛の姿"」をご覧ください。
ジョンとヨーコの純粋で深い愛を知るのに好適なのが、映画「イマジン」です。1988年の作品です。私はVHSテープで持っています。
この映画の中の一シーンでジョンとヨーコはベッドに寝そべり、感慨深く語り合うとても素晴らしいシーンがあります。
そこではヨーコさんは少女のように可憐に微笑み時に照れ、時にちょっぴり不安感をもたげ、ジョンに語りかけます。
戦闘的に闘うヨーコの姿では全然ありません。
そのシーンを英語のまま書き出してみます。一部聞き取り違いがあるかもしれませんがご容赦ください。
Y: Fortunately we both agree.
J: Unfortunately not always.
Y: But in the end we get into something, and we forget that we've never been in everything.
Y: Fortunately I met you at a right timing.
J: Unfortunately that's right.
Y: But in the end I wonder what's gonna happen.
J: Unfortunately we don't know.
Y: Fortunately I'm love with you.
J: Unfortunately I'm love with you, too.
どうですか?
ジョンとヨーコがお互いに求めるものを象徴していると思いませんか?
映画「イマジン」の中でもう一つ感動した場面があります。
ジョンとヨーコの家に時々「考え過ぎるファン」あるいは「やや言いがかりをつけるファン」がやってきます。
ヨーコは言います「ジョンはいつもそうした人たちに責任を感じて(responsible for)います。自分が生み出したものだと」。
ある日、考え過ぎるファンの男性の一人がジョンの家に押しかけ、「あんたの歌を信じて生きているが何も起こらないじゃないか」と言います。
するとジョンは「俺はただの人間だ。あんたのために歌を作っているんじゃない。自分のためだ。せいぜいヨーコのためだ。詞は、言葉の遊びで作っている。」と
その男性は不服な表情をします。するとジョンは「腹が減ってるだろ?中へ入って何か食わないか」と言い、家に招き入れます。
ジョンの歌イマジンは、今や世界で最も有名な歌、そして平和の象徴の歌として取り上げられています。
でも作った時はそればかりではなく、言葉の遊びを含めて、芸術家として一人の人間としていろんな意味があったのだと思います。
ジョンとヨーコはそれぞれ不世出の能力と感性をもった素晴らしい人です。
いろんな意味で互いを刺激し、互いを求めたのだと思います。
そう考えると、これからも彼らの音楽や活動をさらに深く知ることができると思います。楽しみです。
ではジョン強化月間を終わります。
今や押しも押される存在のヨーコ・オノさんですが、ジョンと出会い結婚したての頃は大変なバッシングを受けました。
そのきりっとした容貌や強い発言、さらには前衛的な(そして時としてわかりにくい)芸術家としての存在、そしてジョンが「師と仰ぐ」と言うほどの存在、といったところから、なかなか男女の姿としてはわかりにくいことも多かったのは事実だと思います。
しかしそんなヨーコさんにおいても、とても繊細で優しくそして女性らしい部分もたくさんありました。
そして実はジョンとヨーコは誰よりも強い純粋な愛もあったのです。
もしお暇な方はカテゴリ欄の「著書:技術系サラリーマンのビートルズ論:第5章"ジョンとヨーコ愛の姿"」をご覧ください。
ジョンとヨーコの純粋で深い愛を知るのに好適なのが、映画「イマジン」です。1988年の作品です。私はVHSテープで持っています。
この映画の中の一シーンでジョンとヨーコはベッドに寝そべり、感慨深く語り合うとても素晴らしいシーンがあります。
そこではヨーコさんは少女のように可憐に微笑み時に照れ、時にちょっぴり不安感をもたげ、ジョンに語りかけます。
戦闘的に闘うヨーコの姿では全然ありません。
そのシーンを英語のまま書き出してみます。一部聞き取り違いがあるかもしれませんがご容赦ください。
Y: Fortunately we both agree.
J: Unfortunately not always.
Y: But in the end we get into something, and we forget that we've never been in everything.
Y: Fortunately I met you at a right timing.
J: Unfortunately that's right.
Y: But in the end I wonder what's gonna happen.
J: Unfortunately we don't know.
Y: Fortunately I'm love with you.
J: Unfortunately I'm love with you, too.
どうですか?
ジョンとヨーコがお互いに求めるものを象徴していると思いませんか?
映画「イマジン」の中でもう一つ感動した場面があります。
ジョンとヨーコの家に時々「考え過ぎるファン」あるいは「やや言いがかりをつけるファン」がやってきます。
ヨーコは言います「ジョンはいつもそうした人たちに責任を感じて(responsible for)います。自分が生み出したものだと」。
ある日、考え過ぎるファンの男性の一人がジョンの家に押しかけ、「あんたの歌を信じて生きているが何も起こらないじゃないか」と言います。
するとジョンは「俺はただの人間だ。あんたのために歌を作っているんじゃない。自分のためだ。せいぜいヨーコのためだ。詞は、言葉の遊びで作っている。」と
その男性は不服な表情をします。するとジョンは「腹が減ってるだろ?中へ入って何か食わないか」と言い、家に招き入れます。
ジョンの歌イマジンは、今や世界で最も有名な歌、そして平和の象徴の歌として取り上げられています。
でも作った時はそればかりではなく、言葉の遊びを含めて、芸術家として一人の人間としていろんな意味があったのだと思います。
ジョンとヨーコはそれぞれ不世出の能力と感性をもった素晴らしい人です。
いろんな意味で互いを刺激し、互いを求めたのだと思います。
そう考えると、これからも彼らの音楽や活動をさらに深く知ることができると思います。楽しみです。
ではジョン強化月間を終わります。
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