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「一つの人格になる」とは?

みなさまこんばんは。
暑い日が続いていますね。
本当に、寒かったり暑かったり大変ですね。
お元気でしょうか?

さて、前回の記事で僕は50歳少し前に「一つの人格になる」ことができた、と書きました。
どういうことなのか、今日は書いてみます。
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一つの人格になる、とは多分、心理学や精神医学で言うところの「自我(アイデンティティー)を確立する」ということに近いのではないかと思います。
あるいは最近、「自分探し」という言葉がよく使われますが、それとも共通の感覚がありそうです。
いずれにしましても、僕はそっち方面の専門家ではありませんので、あくまで、ご参考までにお読みください。
それと、二重人格や多重人格を治す話とは違いますので、ご承知置きください。

「一つの人格」という言葉を使っていますが、本当は、一つか一つでないかが本質ではありません。
本質は”マイ人格”とも言いましょうか、自分固有のしっかりとした人格をもつことにあります。
しかし「マイ人格」を自分が持てたかどうかを測ることはほとんどできません。
一方、人格が一つか複数かは、割合簡単に測ることはできます。

では、「一つの人格」と「マイ人格」は同じでしょうか?
どう答えますか?
さあ、これこそ当ブログの本質であります。
昔、数Ⅰで習った命題の論証です。ちょっと我慢してくださいね(笑)

マイ人格と言うからには、当然人格は一つですよね。
(異議もあろうかと思いますが、それを論じるとものすごく長くなりますので、それは省略します。)
では人格が一つならマイ人格でしょうか?
答えは、「必ずしもYesではない」です。
マイ人格ではない一つの人格もあり得るからです。
例えば、自我の確立していない状況で、擬似的な一つの人格に支配されているような場合です。

従って、「マイ人格がある」ならば必ず「人格は一つ」ですが、「人格が一つ」ならば必ずしも「マイ人格がある」とは言えない、わけです。
これを命題の論証の用語で言えば、「人格が一つである」は「マイ人格がある」のための十分条件である、と言います。

前置きが長くなりました。
要は、「人格が一つである」ことは自分でも判断しやすいし、人格がもし一つでないなら、マイ人格を持てるわけはないのだから、まずは人格を一つにしないといけないというわけで、好適なバロメータというわけです。

では、人格が複数であるとはどういうことなのか、実例を交え、そして僕の例をご参考に述べていきましょう。

自分の前にある人(Aさんとしましょう)が現れたとします。
普通、まずは人に対してなんらかの評価をしていくことでしょう。
Aさんの性格、能力、生い立ち、考え方、雰囲気、感覚、自分にとっての利害、などなど。

そういう評価をする場合に、一通りの答えをすぐに、そしてシンプルに導ける人は人格が一つです。
しかし、そうは行かず、ああでもないこうでもないと思い悩み、しかも再現性のない人は、人格が一つではないと思います。

人を評価する時、社会的な規範が頭をよぎります。
例えば、
・男性は、あるいは女性はこうでなくてはならない。
・長男はこうでなくてはならない。
・社会人はこうでなくてはならない。
・子供は親を孝行しなくてはならない。
・部下はこうでなくてはならない。
などなど。

社会的な規範と自分の人格の形成は密接な関係にありますけど、別物でもありますよね。
よほど世の中が単純な時代なら、最もメジャーな社会的な規範を素直に自分の人格に当てはめていけば、大体OKです。
でも、今の世はとてもそんなではやっていけません。
社会的な規範を適度に取り入れつつ、自分独自のオリジナリティーを持って、自分の人格を一つに持って行く必要があります。
これは、個性的な作業であり、かつかなりの努力を要します。

例えば僕の場合ですと、自分にかかわる社会的規範としては
・僕の父親が僕に期待する長男像(例えば、長男は絶対実家を盛り立て一緒に住むこと)
・女性が男性に対する心遣い。(あるいはその逆)
・ある集団で、誠実な人に対する心遣い。
・技術関係で指導者と被指導者の間の関係。
のようなことを重要視してきまして、頑張ってきました。

でもどうも、40代後半に至るまで、そうした社会的規範に沿うように頑張ってきたのですが、
どうも頑張っても自分の人格と一体になっている気がしないし、他人に十分自分の人格を影響しているようには思えないし、他人からも十分にレスポンスがあるとは限らない感じがありました。
とにかく、毎回毎回その場その場の感情の行き来が多い割には実体感がないし、とにかく再現性がないのです。

数学的表現を借りれば、毎回連立方程式を立てるのだが、その解がない、という感じでした。
こうなるとストレスはたまりますし、不必要なレスポンスで動いてしまいますね。
動いても動いても実体はない。そしてフィードバックもあるかないか実感できない。
こういう状態こそ「人格が一つでない」という状況です。
社会的規範とマイ人格の区別がつかず混沌とした状況です。

では、これを打破し、「解のない連立方程式」から、解が一通りである一つの方程式にするためにはどうしたらいいのでしょうか。
はい、僕のお勧めは「人を丸ごと受け入れる」ないしは「丸ごと愛する」です。
僕の場合は、50前に象徴的な出会いがあり、人を丸ごと受け入れる機会を得ました。

別に50前がベストなチャンスという意味ではなく、人間いくつになってもそういうチャンスはあるという意味です。
人によっては親御さんに鍛えられ、子供の時代からそういうことを実践できている人もいるでしょう。
また、若いうちにそういう丸ごと受け入れるチャンスがある人もいるでしょう。
僕の場合は、社会的規範に影響される期間が長かった人生と言えるでしょう。

人を丸ごと受け入れることは結果として難しいかもしれませんが、そのための努力をするプロセスこそが重要と思います。
そのプロセスを経験することは、人格を一つにすることと表裏一体の関係ですので、最も効率的な方法と思います。

相手を丸ごと受け入れないで評価しようとすると、ある部分のみで評価することになり、その人の本質に迫れません。
なぜこの人は社会規範に反してまでもこんなことをするのか考えるのか。
それは丸ごと飲み込んで咀嚼しないと理解できません。

時としてその過程はものすごく辛いです。
自分のそれまでの通念を一部否定しないといけないことも少なくなりません。
でもそうしないとどうにもこうにも解が出ない状況ならば、そうした辛さを乗り越えてでも、一つの人格になっていくことでしょう。
そしてそれは他者の支えのもとではなく、とりもなおさず自分の確固たるオリジナルティの考えの上でしか成り立ちません。

人格を一つにする作業とはかくも辛く、しかしオリジナルなものです。

しかし一旦人格が一つに形成されれば、夢のような世界が待っています。

夢とはいえ相変わらず苦難につぐ苦難ですが、同じ苦難でも、軽くいなす苦難、ものすごく悩む苦難、そこそこ頑張る苦難、とか、そういうことがすごく合理的にしかも再現性を持って、しかも落ち着いて判断できるようになります。
相手の評価も自分の評価も、心乱されあっちへ行きこっちへ行きではなく、落ち着いて苦行できるようになるのです。

以上です。
いかがでしたでしょうか。
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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No title

こんばんは♪

テーマとは違うかもしれませんが(と前置き^^;)
自分の性格(短所も長所も)がなかなか変えられないように
人の性格をとやかく言えません。
あの人、ここを直せばいいのにと思っても、直らないと
怒るわけにはいきませんものね(^_^;)
自分の短所を受け入れざるを得ないように、
他人のこともその人の短所も含めて受け入れるべきなんでしょうね。

う~ん、まだまだ修行が足りない私。。。(^_^;)

そふぃーおばさんさん

こんばんは。
あれれっ、随分早いですね。
どうされましたですか?
早いのに心配するなんて(笑)!?
でも、たまに早く帰られて疲れを取られて方がいいと思います。
さて、ありがとうございます。
おっしゃることは、今日の記事で言おうとしたことの一つです。
よかったです。

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鍵コメさん

おはようございます。
それは本当に大変です。
本当にお察しします。
私にも何かできればいいですけど。
応援しています。

不惑

世間様は40にして迷わずなんていいますけどね。ぼくの場合は、毎日毎日、迷いの連続ですよ(苦笑)。だいたい40が不惑の年なんて、人の寿命が短い時代に作られた考えでしょうから、いまの時代、不惑と呼ぶのは70過ぎにしていただきたい(笑)。

なんてジョークとも本気ともとれない話はともかく(苦笑)。

今回のお話は、非常に意義深く、心して読ませていただきました。人を丸ごと受け入れる。これはなかなか難しいことですが、難しいからといって、避けてはいけないとつくづく思うんです。

ぼく自身は、まだまだ若輩なので(←40代は自分を若輩といってみたいお年頃(笑))、ST Rockerさんのように、キチンと言葉にすることはできないし、「受け入れる」あるいは「愛する」というところまでには行けませんが、それでも「相手の立場になって考えてみる」というのは、できるだけ実践しようと心がけています。それすら、難しいことも多いんですけどね(苦笑)。

TERUさん

こんばんは。
最近少しご無沙汰でした。
お元気でしょうか?
暑かったり寒かったり本当に忙しいニッポンの天気ですよね。
さて、今日もとてもご丁寧なコメントありがとうございます。

実は「不惑」という言葉をいただきましたが、まさに今回の記事はその言葉がぴったりくる感覚です。
不惑を迎えるのは年齢とは必ずしも直結しないと思いますけど、おっしゃるようにこのような混沌とした世の中では不惑を迎えるには皆さん全般的に長い年月が必要なのでしょうね。40歳で不惑はたしかにほとんど無理だと思います。

私は50で不惑の感覚になりました。
書きましたように、50ちょっと前で人を丸ごと受け入れる幸運に恵まれました。自分の力というより運命でもあり、相手の力でもあり、そして人間そのものの力でもあると思います。

丸ごとでなくてもTERUさんおっしゃるような心構えは大切だと思います。
僕の場合、40代まではものすごくガキでしたから。
(ま、今でもガキですけどね(笑))
その点TERUさんは立派だと思います。

でもいずれにしても、まだまだ修行の身であることには変わりません。
いつになったら落ち着きますかね(笑)

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5/17 00:06の鍵コメさん

こんばんは。
今日はお疲れさまでした。
そうですか。もうすぐですね。期待しています。
そして、ほんとですか。でも大丈夫かなあ。
少しずつお話ししますね。

No title

皆色んなプロセスや感覚でその様な思いに辿り着くと思います。
この感覚を身に付けると「そうなれたら楽だよ~!」って人に教えたくなりますね(^^)
世の中自分の思い(思い込み)に苦しんでいる人が殆どだから…!
私はヨガの哲学の勉強をする中で、ST Rockerさんの仰るような事を自分の中で言葉にしました。
と言っても、怒ったり泣いたりの忙しい毎日で
なかなか平坦な気持ちでいられる訳ではありませんが☆
毎日が修行ですね~~~!

花音さん

こんばんは。
その後もお元気ですか?
今日は接待でありました。
多分ですね、花音さんは僕よりもずっと若いうちから不惑的な感覚をお持ちのことと思います。
ヨガの哲学ですか。
それは興味深いですね。
教えていただきたいと思います。
いずれにしても、僕だってまだまだ苦行につぐ苦行。
お互いにがんばりましょう。

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5/18 06:32の鍵コメさん

こんにちは。
いろいろありがとうございます。
本当によろしくお願いします。
今日はもうすでに感動を得た頃でしょうね。
プロフィール

ST Rocker

Author:ST Rocker
ビートルズ解析ブログへようこそ!
つくば-千葉-さいたま の三角形を行き来していますす。
モットー:理系なのに熱く音楽、政治・経済を語る。
酒と冒険と音楽をこの上なく愛し波乱万丈の人生を送るB型です。
コメントは本筋に沿ったものをお願いします。

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